第32話

 空へと打ち上げられた光の弾については、当然ながらレイン達もすぐに気がついた。

 一番最初に気がついたのは、馬車の観察をクラースに任せて背中からシルヴィアを下ろしていたレインである。

 既に明るくなっている空を切り裂くようにして打ち上げられたそれを目にしたレインは、何かしら嫌な予感を感じて声を上げた。


「兄貴! 何か起きてるぞ!」


 レインが上げた声に真っ先に反応したのはレインの手によって地面に寝かされようとしていたシルヴィアであった。

 服が汚れないようにと地面に敷いた布の上に横たえかけられていたシルヴィアは、ぱっと目を覚ますとすぐに傍らにいたレインの腕を掴んで体を起こす。

 続いて反応したクラースがレインと同じく空を見上げ、すぐに御者台の上にいる商人へ大声で叫んだ。


「おい! 出れんのかよっ!」


 何が起こっているのか分からないままに不思議そうな表情で空を見上げていた商人がクラースの一喝で我に返り、慌てて周囲で座り込んでいる護衛達に指示を出し始める。

 表情にどこかおかしなものを感じさせる護衛達はその指示に従って立ち上がり始めるのだが、その頃にはレインの耳はこの場であまり聞きたくない物音を拾っていた。


「兄貴! 蹄の音がしやがる!」


「くっそ! 相手は騎馬かよっ!」


 合図があればいつでも駆け出せるように待ち構えていたのだろうとクラースは歯噛みした。

 馬車を飛ばせば相手との距離によっては逃げ切れるのかもしれないが、それは護衛やクラース達を置いていくということであり、商人と運んでいる荷物とを独立させてしまうことになる。

 それでは国境までの残りの道程を無事に移動できるかどうか分かったものではない。

 さらにその方法を取った場合でも、クラース達はレインが耳にした騎馬で近づいてくる何かの相手をしなければならないことに変わりはなかった。


「盗賊が騎馬で来るってか!? おい、本当に追っ手は盗賊なんだろうな!」


「し、知りませんよ! 私は馬車を動かします! みなさんはここで追っ手を食い止めてください!」


 そう言うやいなや、商人は馬車を曳いている馬へ強く鞭を当てると馬が高くいなないて、暴走しているのではないかと心配になるような速度で街道を走り始めた。

 捨て駒に使われた、ということに舌打ちをするクラースなのだが今回の依頼は商人と荷物を国境線まで運ぶ護衛というものであり、これも仕事のうちだと言い張られればそれを否定する言葉がない。


「面倒なことになっちまったぜ!」


「兄貴、そろそろ来る」


 レインに言われるまでもなく、クラースの耳もまた近づいてくる蹄の音を捉えていた。

 それが何騎の騎馬なのかまでは分からなかったが、確実に複数いるだろうと分かるその音にクラースの表情は渋いものへと変わる。

 何しろ、徒歩であるクラース達からしてみれば騎馬を相手にするというのは非常に不利な話であり、下手をすれば最初の突撃だけでいとも簡単に蹴散らされかねない危険性があるからだ。

 まして自分達以外の護衛達は目つきがおかしいままであり、とても自分達と何らかの連携が取れるようには見えない。


「クラース! 騎馬が来るよ! 数は七!」


 どうしたものかと考えるクラースの頭上から降り注いだ声はルシアのものであった。

 いつの間にそんなところに登ったのか、ルシアはその辺にあった木の枝の上にしゃがみ込んでおり、目を凝らして騎馬の音が聞こえる道の向こうへその目を凝らしている。


「板金鎧に馬上槍……って、あれ騎士の装備じゃない!?」


「騎士だと!? 最悪じゃねぇか!」


 クラースが悲鳴のような声を上げるのも無理のないことであった。

 追っ手が盗賊だと聞かされていたというのに、姿を現したのは騎士の装備を身に着けた者達だというのである。

 基本的に全身を覆うような板金鎧は歩兵の身に着けるものではなく、しかもレイン達が着ているような革鎧と比べると、とんでもなく高価な代物だ。

 さらに馬上で使うための専用装備である馬上槍は、通常出回るような武器ではなく、そんなものを七騎分も揃えているとなれば、追っ手の正体はどこかの国に属している騎士、という可能性が非常に高い。

 そうなってくると今回商人が運んでいた荷物というものは、どう考えてみても非常に危険な品物だったのだろうとクラースは馬車が走り去った方向を苦々しく睨む。

 依頼を受ける前に、運ぶ荷物は禁制の品のようなものではないという言質を引き出してはいたのだが、どうやらあの商人は神官相手にあっさりと嘘をつけるような人間であったらしく、自分の見誤りだったかとクラースは唇を噛んだ。

 とはいえ、絶望的な状況というわけでもないとクラースは考える。

 何せ今回の依頼は冒険者ギルドを通して受けた代物であり、自分達が何も知らされることなく護衛をしていたのだということは証明されるはずで、それならばそれほど酷いことにはならないのではないかとも思えたからだ。

 後はどのようにして追っ手に事情を説明するのかを考えるだけだろうと思っていたクラースは、追っ手である騎馬の姿が見えた途端に商人が連れていた護衛達が、何を考えているのか武器を振りかぶり、意味の分からない奇声を上げながら突撃したのを見て、顔を強張らせた。


「馬鹿か、あいつら!?」


 突っ込んでくる騎兵相手に歩兵が突撃して、まともな戦いになるわけがない。

 走っている馬というものはかなりの質量が高速で移動している状態であり、人の体で受け止められるような物ではないからだ。

 その突進を受ければ人の体などボロ雑巾のようにぐちゃぐちゃにされることはうけあいであり、そうならなかったとしても馬上から繰り出される槍の一撃を喰らえば、人など容易に絶命させられてしまう。

 それが分かっていて騎兵に突撃を仕掛けるのは、ただの自殺願望者だとクラースは思うのだが、護衛達はそれが分かっているのかいないのか分からない表情のまま突っ込んでくる騎兵達を迎え撃ち、そして呆気なく蹴散らされた。

 馬の突進力を受けた槍の一撃が人の体を簡単に貫き、馬の蹄が護衛の体を引っ掛ければその体は軽々と宙を舞い、後続の馬の蹄に踏み潰されてただの肉へとその姿を変える。

 分かりきっている結末を、そのまま現実のものとした護衛達に呆れ返るクラースなのだが、完全に無謀な護衛達の突撃はクラース達にとっては都合のいい状況を生み出した。

 いかに簡単に弾き飛ばし、踏み潰せたとしても馬達に護衛の体は障害物として認識され、馬の突進が止まったのである。

 動きが止まった馬は体の大きな動物でしかなく、それほど脅威とはなり得ない。

 話を聞いてもらうならば、今をおいて他にないだろうと考えてクラースは声を張り上げた。


「待ってくれ! 俺達は……」


「黙れ! 賊と交わす言葉の持ち合わせなどないっ!」


 全身鎧に頭全体を覆う兜といった装備の騎兵は、クラースが何かを言うより先にそう言い捨てると馬の腹を蹴ってクラースへと突っ込んでくる。

 これはどうやら話を聞いてくれないタイプの人間らしいと諦めて、腰のシャムシールへと手を伸ばしたクラースの前に、槍を構えたレインが立つ。

 騎兵が操る馬上槍はかなりの長さではあるのだが、レインが得物としている鋼の槍もまた体の大きなレインが扱うだけあって相当の長さを誇っている。


「賊め! 覚悟しろっ!」


 馬の突進する力を利用して突き出された馬上槍ではあったのだが、その勢いは最初に護衛達を蹴散らしたときに比べれば大分弱いものであった。

 馬の突進力は移動する距離にある程度比例して強くなるものなのだが、一度立ち止まってしまった騎兵は十分な距離を用意することができず、速度に乗り切れないままにレインへと攻撃を仕掛けてしまったのだ。

 ただそれでも相当な威力ではあったのだが、レインはこれを地上から槍の一振りであっさりと弾き返してしまう。

 槍を弾かれて体勢を崩した騎兵は、さらにレインが槍を回転させて石突側で馬の顎を強烈に跳ね上げるのを見て驚きの声を上げた。

 真下から顎を跳ね上げられた馬は、その衝撃にいななきと前脚を上げて棒立ちになり、背中の騎兵を振り落してしまったのである。

 そのまま横倒しになった馬には構わずに、落馬した騎兵へ穂先を突きつけるレインに、シルヴィアが鋭く叫んだ。


「殺してはいけませんっ!」


 落馬した味方を助けるために突っ込もうとしていた騎兵達も、落馬した騎兵に穂先を突きつけていたレインも、木立の上から飛び降りて騎兵の一人の背中に飛びつき、その喉へ短剣の刃を押し当てていたルシアも、シルヴィアが上げた声にその動きを止めた。


「おいルシア。お前その動きってぜってーおかしいぞ? 本当にただの斥候か?」


「うるさいよクラース。今はシルヴィアの話が優先でしょ」


「指揮官はどちらでしょうか? 私は幸運の神に仕える神官のシルヴィアと申します。状況の説明を行いたいと思いますが、可能でしょうか?」


 騎兵の一人を背後から、その動きを封じているルシアにいつもと変わらぬ軽い口調で話しかけるクラース。

 それを窘めるルシアといった光景を見ないようにしながらシルヴィアがさらに声を上げると、レインが槍の穂先を突きつけている騎兵が尻餅をついた姿勢のまま手を挙げた。


「わ、私が指揮を執っている」


「では、私達は冒険者ギルド経由の依頼で荷物の護衛を行っていた冒険者です。荷物の由来や依頼人の素性に関してはギルドからも依頼人からも知らされていませんが、禁制の品ではないという言質を取っております」


「それは……いや、しかし。貴方がまず神官であると言う身の証を立ててもらわねば」


「構いません。<ヒーリング>」


 シルヴィアが祈りを捧げると、尻餅をついていた騎兵の体が淡く光った。

 おそらくは落馬したときに地面にしたたかに体を打ちつけていたはずで、痛みが走っていたはずの騎兵は祈りの力でその痛みが癒されたことを感じ取る。

 祈りが奇跡の欠片を示すのは、神に認められた者のみが可能とする技であり、それを行使できるということ自体がシルヴィアの素性を保証する証であった。


「間違いない。貴方を神官と認める。しかし……いや、荷物に関しては知らされていなかった、ということなのだな」


 確認する騎兵の言葉に、どうやらこれ以上の戦闘は避けられそうだと考えたレインは突きつけていた穂先を納める。

 ルシアも捕獲していた騎兵の喉から短剣の刃を離し、馬の上から身軽に飛び降りた。


「私の身分は明かしましたが、そちらも名乗って頂けるのですか?」


「我々は、ブラウゼンを治めるハーフルト子爵に仕える騎士である」


 やや偉そうな口調でそう名乗った騎士なのだが未だに尻餅をついたままであり、あまり恰好がついたようには見えない。

 しかしそんなことを気にする前に、クラースとレインが首を傾げた。


「ブラウゼン? どこだそりゃ?」


「なんかなー、どっかで聞いた覚えがある名前なんだがなー」


「クレアシオンから見て北側の地域の名前ですよ」


 レインは興味がなく調べてもいなかったため思い当たる節がない。

 クラースはいちおう調べてはいたものの、比較的どうでもいい知識として、今の今まで完全に忘れ去っていたらしく、シルヴィアが苦笑しながら説明を行う。


「北側? ってーことはまさか……」


 商人達はクレアシオンの北方にある街から荷物を運んできたと語っていた。

 そしてその北方を治める貴族の臣下が、まだはっきりとそう決まったわけではないのだが、その商人を追いかけてきたような雰囲気である。

 この二つの話が、全くの無関係であるとはさすがにクラースもそうは考えない。


「ハーフルト子爵閣下のご令嬢が誘拐されたのだ。我々はその犯人と思しき一行を追っている」


「そりゃー……難儀な話だーなー……」


 どうやら面倒な話に深々と頭を突っ込んでしまったらしい。

 そのことを嫌と言うほどに感じながら、他に何を言ったらいいやら分からないクラースは虚ろな視線を騎士へと向けながら、自らの赤い髪をかきあげたのであった。

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