第29話
「お引き受けいただけるとはありがたい。実は冒険者ギルドに依頼を出してはみたものの、受けてくださる方がおられず時間ばかりが過ぎていく中で、多少危険を伴いはしますが、いっそのこと今いる護衛だけで出発してしまおうかと悩んでいたところなのですよ」
日中に訪れたばかりの依頼主の商人が逗留している宿屋へと赴いたレイン達が、商人に対して正式に依頼を引き受けることにしたことを告げると、商人は安堵のあまりなのか胸を押さえながら相好を崩す。
余程困っていたのだろうということが、商人のそんな態度から読み取れはするのだが、男に笑いかけられても全く嬉しくないクラースは曖昧に頷き、背後にいたルシアに足を蹴られてその場で飛び跳ねることになった。
「ギルドじゃすぐに出発するって聞いたんだが、間違いねぇのか」
ルシアの一撃を受けたクラースではまともな話にならないだろうと、代わりに商人の前へ出たレインがそう聞けば、商人は笑顔のままで頷いた。
「先方を待たせたくないのです。出来うる限り早く、運んでいるものをお届けしたいと考えておりますので」
「その富豪ってのは余程の権力者か? 普通は事情を話せばそんなうるさくは言わねぇだろ? それとも荷物ってのがそれほど日持ちがしねぇのか?」
「あまり、詮索しないでいただけると助かるのですが」
困ったような商人の顔に、レインはしばらくじっと視線を注いでいたのだが、それ以上は何も情報を引き出せそうにないとでも思ったのか、それともそれ以上の詮索を行うことで雇い主の不興を買うことを恐れたのか、いずれにしても話は終わりだとばかりに視線をまだ飛び跳ねているクラースの方へと向けた。
「悪ぃな。ちっとばかり気になっただけだ。詮索屋が嫌われんのはどこも同じだな」
詫びるようにそう言って頭を下げたレインだったのだが、すぐに出発しましょうと馬車の繋いであるところまで商人の案内で移動したレインはそこで商人が来るのを待っていたのであろう護衛達の様子を見て顔を顰める。
レイン達が依頼を受けるという連絡をギルドから受けてすぐに準備したらしい馬車を取り囲むようにして立っているそれらの姿は、武装は統一されておらず、身に着けている防具や武具の類もレインの目からしてあまり質のいい物を使っているようには見えなかった。
しかし、一番レインの注意を引いたのは護衛達の表情である。
確かに強面の所謂荒事に長けていますよということを宣伝するような顔つきの男達ばかりが六人ばかり、商人の馬車の周囲にたむろっていたのだが、周囲を見回すその顔には疲れ以外に少々強いのではないかと思ってしまうくらいの怯えの色があったのだ。
その上護衛達はどことなく落ち着かない雰囲気で周囲を見回したり、新しく護衛に入ったレイン達の様子を眺めたりしている。
「なにかこう、嫌な雰囲気ですね」
何かしら感じるものがあったのか、シルヴィアがそんなことを言いながらレインへ体を寄せてくる。
ルシアも同じようなものを感じているらしかったのだが、こちらはシルヴィアのような反応を見せることなく、クラースの耳元に口を寄せるとぼそぼそと囁いた。
「雰囲気暗くない?」
「そりゃ仲間がやられてそれほど間が経ってねぇんだから暗くもなるだろ」
そう答えてはみたものの、クラースの頭の中では別な考えが巡っていた。
確かに仲間が傷を負えば、心配したりするのは当然のことである。
しかしながら自力で帰還できる程度の手傷を負っただけで、そういつまでも雰囲気が悪くなるほどに暗くなるだろうか、ということだ。
さらにそこに付け加えればギルドでロベリアから入手した情報が気になる。
自力で帰還できる程度の手傷であったとしても、わざわざ護衛任務から外して戻らせているということは、戻った護衛達は傷を負ったままであった可能性が高い。
これが例えば神官の祈りなどで治癒され、見た目で分からない状態になっているのであれば、護衛から外して戻らせる必要がないからだ。
だというのに冒険者ギルドの情報網は、怪我人が街から出て行った形跡がないという情報を得ているのである。
これはあからさまにおかしな話だと言えた。
「みなさん準備も問題ないようですし、出発いたしましょう。急き立てるようで申し訳ないのですが、本当に急いでいるのですよ」
商人がそう言いながら馬車の御者台へと登っていく。
どこか重い足取りで護衛達が馬車の周囲を取り囲むような立ち位置になるのを見ながら、クラースはそう言えば商人の名前をまるで聞いていないことを思い出す。
確認が必要だろうかとクラースは考える。
しかしその商人は依頼主ではあるものの、依頼料の出所は商人が務めている大店からのものであり、直接商人から依頼料をもらうわけではない。
だとすれば護衛する人と物さえ分かっていれば、必要のない情報は持っていても仕方がないとクラースは判断した。
「何運んでるかしらねーが、物は馬車の中かい?」
「えぇ、その通りです」
「馬車の周辺はそっちの護衛に任せて、俺らは後ろからついていく形で移動するつもりなんだが、問題ねーよな?」
「頼りにしております」
短く言葉を交わし、商人の了承をとってからクラースはレイン達を促して馬車の後方へとつく。
徒歩の護衛達に合わせて馬車の進みはゆっくりであり、急いでいるならば全員分の馬でも用意すればいいのではないか、と思うクラースなのだが馬はそれ自体が非常に高価な生き物であり、しかもそれを操るのにはきちんとした技能がいる。
クラース自身は馬に乗れるのだが、護衛達も乗れるとは限らず、それならば仕方がないのかもしれないというような考えを頭の中で弄んでいるうちに、一行は街路を抜けて街の外へと出た。
街の出入口に詰めている衛兵達が、日が傾きかけるような時間にわざわざ、しかも十人ちょっとというそこそこの人数で街を出ようとする一行を奇異の目で見ていたのだが、街の門が開かれている間は外に出たところで咎められるようなことでもなく、商人や護衛達は淡々と、レイン達は仕事だから仕方がないのだという顔をしてそこを抜ける。
「これじゃすぐに野営の準備になっちまうぜ」
「いえ、今夜は夜通し歩くつもりですよ」
ぼやいたクラースの言葉を聞きつけて、御者台の上から振り返った商人の言葉にクラースは目を見開く。
夜の移動というのは視界も利かず、人を襲うような獣も多く出てくるので避けられるのが普通だというのに、この商人は夜も強行軍を行うというのだ。
さすがに文句を言おうとするクラースが口を開くより先に、商人は言葉を続ける。
「休憩は日が明けてから取ります。今は少しでも距離を稼ぎたいのです」
「そいつは、追われてる立場の人間の台詞じゃねぇか」
クラースの代わりに口を開いたレインは、低く抑えた声でそう言いながら商人の顔を睨みつける。
何かしら不審な点があったのならば、そこを追及しようとする構えのレインに対して、商人は一瞬息を呑んだ。
しかしそれはレインに睨まれたせいだったのか、すぐに気を取り直して商人は振り返った姿勢のまま器用に馬車を操作しつつ頷いてみせた。
「もちろん追われておりますよ。先に戻した護衛達を襲った者達が、変わらずに荷物を狙っているはずですので」
「なるほどな。随分としつこい相手じゃねぇか」
一旦撃退されたのだとしても、護衛の何人かに手傷を負わせることができたのであれば、何度か襲撃することにより護衛を駆逐することが可能なのではないか、と商人達を襲撃した者達が考えてもおかしなことではない。
「運んでんのは余程の値打ち物なのか? 一度拝ませて欲しいもんだな」
撃退されたということは盗賊の側にもそれなりの被害が出ているはずである。
それを押してさらに追撃してくるからには、それに見合った宝が馬車に積まれていないとおかしい。
「中身を教えてくれねぇのは仕方ねぇんだが、引渡のときとかにちらっと見るくれぇのことはできねぇのか」
「それは……できないでしょうね。何せ厳重に梱包してありますので」
「そいつは残念だ。盗賊どもがそこまでして追いかけてくるほどの宝ってのを拝んでみたかったんだが仕方ねぇか」
「魔道具なんでしょうか?」
どうにもとりつく島のない商人の反応にレインは引くことを選んだのだが、それと入れ替わるように言葉を紡いだのはシルヴィアであった。
酷く自然にするりと割り込んできたこの神官の言葉に、商人は思わず面食らったかのように答えを口にすることができず、その隙間へシルヴィアがさらに言葉を滑り込ませる。
「もしそうなら、あまり乱暴に運べば機能を失ってしまうかもしれません。戦闘の衝撃なんかで問題が発生している場合もあります。私は神官ですが、こう見えて魔道具職人としての技能も修めておりますので」
「い、いえ。それには及ばないかと」
「別段報酬を別に欲しいというお話をしているわけではないのですが。これは私の趣味……もとい好意からの申し出ですよ? 納品したはいいものの、故障していて動かないではお店の信用にかかわりますでしょう?」
笑顔のままぐいぐいと押してくるシルヴィアの言葉に、商人は一瞬どこか焦ったような表情を見せたのだが、すぐにまた貼り付けたような笑顔に戻ると丁寧な口調でシルヴィアに語りかけた。
「そのご提案は誠にありがたいお話なのですが、残念ながら運んでいる荷物は美術品でして、そのご心配には及ばないのですよ」
もしかしたらという思いからなのか、目を輝かせていたシルヴィアだったのだが商人が運んでいるのが魔道具ではないと告げると、すぐに興味を失い、つまらなそうな表情でそうですかとだけ答えると、またレインの傍らを歩くことだけに専念し始める。
そんなシルヴィアにどこかほっとしたような雰囲気の商人だったのだが、そこへクラースが割り込んだ。
「美術品ってのには興味があるぜ。それほどの値打ち品ってからにはかなり有名な作家の作品なんだろう? 誰のなんて作品なんだ?」
「詳細についてはお話できないと……」
「旅路の中の他愛ない会話じゃねーか。葬列みたく淡々と歩くのがお好みってか?」
ちらりとクラースの視線が馬車の周囲にいる護衛達へと向けられる。
馬車の進む速度に合わせて歩き続けている護衛達の顔は曇っており、クラースの言った葬列という言葉がなんとなく似あうような雰囲気であった。
「それほど有名な方の作品というわけでもないのですよ」
さすがに雰囲気が悪すぎるとでも思ったのか、商人は溜息を一つ吐き出すとクラースとの会話に付き合う気になったらしい。
「ただ少しばかり珍しい材質で作られた作品でして。値打ちのほとんどはそれが理由ということになりますね」
「へぇ、そいつはもしかして真銀とかでできてたりするのかよ」
真銀とは非常に希少な金属の名称である。
銀に似た光沢を持つ金属であるのだが、産出量が非常に少ない。
性質としては銀よりも固く、さらに魔法に対する親和性が非常に高い、といったものが上げられるのだが、普通は武器や防具の材料として使われることが多く、美術品に用いられることはほとんどない物だった。
何せ、銀に似ているのだから真銀を使うくらいならずっと安価な銀を普通は使う。
「勘弁してくださいよ。詳細はお話できないと申し上げたじゃないですか」
「口が堅ぇなー、流石大店に勤めてるだけはあるってとこかー?」
表面上はにこにこと笑いながら、内心ではどうやってもこの商人からまともな情報は引き出せそうにないと苦々しく思っているクラースに、商人は本当に困っているような顔を向けながら人差し指で自分の頬を何度か掻くのであった。
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