第二章
第25話
冒険者ギルドというものは、昼間はあまり人がいない。
何故ならば冒険者ギルドが依頼する仕事は大概、朝ギルドが開くのと同時に張り出され、その中でよさそうなものから順番に、冒険者達の手に渡るようになっている。
話が合えば、冒険者達はすぐに依頼に取り掛かるわけで、つまりはギルドが開店してから時間が経過していくにつれて依頼も冒険者の数も減っていくのが普通であり、日中はよほど出遅れた冒険者と、それの対応をしなければならないギルド職員くらいしか残っていないからなのだ。
「で、そんなとこに俺らはいるわけなんだがな」
そんな人のあまりいなりギルドに併設されている食堂兼酒場の空間で、テーブルに頬杖をつきながら、あまり機嫌のよくなさそうな表情をしている大男は最近傭兵から冒険者へと転職したばかりのレインであった。
愛用の鋼の槍を傍らの壁に立てかけて、右の掌に頬を預けているレインの左腕はテーブルの上へと投げ出されている。
その左腕に手を添えて、何事か作業をしている神官服の女性は、レインの冒険者仲間であるシルヴィアであった。
長い黒髪と相まって清楚なイメージを受ける外見をしているシルヴィアなのだが、その表情は楽しげであり、視線はレインが投げ出している左腕からまるで離れない。
レインの左腕は傭兵時代にとある相手に切り飛ばされており、その時の傭兵団の団長が腕のいい魔道具職人を手配してくれたおかげで、今は自由に動かすことが出来る義手となっているのだが、その義手がシルヴィアの意識を捉えて離さないのだ。
何が楽しいのやらレインにはさっぱり分からないのだが、シルヴィアは所謂「魔道具フリーク」というものらしく、非常に珍しいものであるらしいレインの義手を調べつくさなくては気が済まないらしい。
「そんな調べるとこがあるようにゃ見えねぇんだがなぁ」
そう呟くレインの視線の先ではシルヴィアが、何かしら非常に細かな道具を用いて義手の表面装甲をゆっくりと取り外そうとしているところであった。
先ほどまでシルヴィアの冒険者仲間であった斥候のルシアが興味なさげにその作業を見守っていたはずだったのだが、あまりにつまらなくてどこかに逃げてしまったらしい。
シルヴィアは趣味が高じた結果、自身でも魔道具を扱えるようにするために専門的な知識と技術を納めてしまったらしく、自分の義手ながらそっち方面についてはまるで知識のないレインとは異なり、ある程度の分解整備ならばこなせてしまうのだという。
「これだけ高性能な義手ですと、いきなりバラバラにはできないんですよ」
シルヴィアが外したのは義手の手の甲部分の装甲だったのだが、そっと外した装甲をシルヴィアがテーブルの上に置けば、その下からは何かしら複雑に絡み合った金属の管や紐のようなものが見えており、その表面には文字らしきものがびっしりと書き込まれているのが見えた。
いちおうこれまでに何度か、義手の整備というものを行ったことのあるレインは見たことのある光景にそれほど興味を示すこともなかったのだが、初めてそれを見ることになったシルヴィアは途端に瞳を輝かせると、食い入るようにレインの義手へ顔を近づけ出す。
「すごいです! これもしかしてある程度は義手で触れた感触のフィードバックがあるんじゃないですか!?」
「そりゃまぁ……そういうのがねぇと武器を扱うのに困るしよ」
答えながらもレインは、まるで何かの生き物の内臓のように入り組んだ様相を呈している義手内部を一目見ただけで、そこまで分かるのかと舌を巻く。
握った感触が全く分からない状態で、武器を扱うのは非常に難しい。
力任せに振り回せば済むような話であるならば、武器を保持し続けられる能力さえあればいいのかもしれないが、レインの操る槍はそういうわけにはいかない武器だ。
もし傭兵団団長が用意してくれた義手に、触覚を伝える能力がなかったのであれば、自分が使う武器はまた違ったものになっていたのだろうなと考えながら、レインは外した装甲板をしげしげと眺めるシルヴィアに尋ねてみた。
「飽きねぇのか? さして面白ぇもんでもねぇだろうに」
「飽きる、ですか? それは全部調べたらもしかしたら飽きるかもしれませんが」
答えたシルヴィアは装甲板をテーブルの上へと置きなおすと、自分の道具箱の中から小さなハンマーを取り出して、こつこつと叩き始める。
「何を始めたってんだ?」
「整備です。レインさん、ちょっとばかり義手の扱いが雑なのでは?」
そう言われてレインは口をへの字に曲げる。
扱いが雑、と言われても心当たりはありすぎた。
そもそもが自分では整備できないので、まとまった金が入った上で時間的に余裕があるときしか魔道具職人に整備してもらっていない代物である。
しかも、全体が金属でできていることをいいことに、レインは自分の義手を鈍器として使うことが多く、人間の体の中では二番目に硬いといわれている頭蓋骨に力任せに叩きつけたことなど数知れない。
「え? 頭蓋骨って二番目に硬いんですか? それだと一番目は?」
「踵の骨らしいぜ。だから踵で蹴りゃ人の頭は砕けるって教わった」
逆に人の手の骨というのは簡単に折れてしまう、とレインは教わっていた。
拳で人の頭を殴る、ということは硬い頭蓋骨を折れ易い手の骨で殴るということであり、どちらのダメージが多く入るのかは自明で、できる限り避けるべきだというような知識は傭兵団で教わったものである。
「まぁ俺の場合、義手でぶん殴るからどうでもいいんだけどよ」
いくら頭蓋骨が硬いとしても、金属ほどではない。
つまり金属の義手で殴れば、砕けるのは頭蓋骨の方というわけである。
そんなレインの言い分に、シルヴィアは装甲板をハンマーで小さく叩き続ける作業を行いながら渋い顔をしてみせた。
「そういう使い方をしているせいで、義手のあちこちが歪んでいます」
その歪みはほんのわずかなものであるらしかった。
しかし、義手の所有者であるレインが気がつかないそれを、シルヴィアはそれほど時間をかけることなく、見抜いてみせたのである。
「内部だけではなく装甲の内側にも色々と、術式が刻みこまれているのですが、あまり歪みが大きくなりますと、義手自体の制御に支障をきたすことになりかねませんよ」
「そうは言うがなぁ」
義手の歪みを恐れるあまりに、今までのような使い方ができなくなり、結果として戦う力が落ちるようなことがあっては意味がない。
しかもそういった戦い方は長い傭兵時代の経験からレインの体に染み付いてしまっており、今更変えろといわれても困る話ではあった。
そんなことをやんわりとレインがシルヴィアに告げてみれば、シルヴィアは作業を続けながらも小さく溜息を吐き出す。
「もう少し時間を頂ければ、私が整備できるようになると思うんですけどね。そこでまぁ先ほどのレインさんの質問に戻るわけなのですが」
根気よく叩き続けた装甲板を目の高さまで持ち上げて状態を確かめるシルヴィアは、その出来上がりに不満があったのか、再びそれをテーブルの上へと戻して叩きなおす。
「レインさんの義手は非常に高性能な品物でして、その内部機構は一朝一夕で調べ尽くせるようなものではないんです。少し分解しては調べ、調べたことをメモに記してまたその先へと進む、というようなことを繰り返してようやく全容が分かるような品物なんです」
「時間がありゃ、俺がかかりつけの魔道具職人に聞きゃ教えてくれんじゃねぇか?」
「その職人さん、すぐに連絡がつく方なんですか?」
問われてレインは黙ってしまう。
実際レインはその魔道具職人の名前を知らず、連絡も傭兵団の団長が取ってくれていたので、どこへ連絡すれば繋がるのかも分からない。
これは団長の息子にして、現在レインと行動を共にしているクラースというレインの兄貴分についても同じであり、レインの義手はそこそこ長い間整備されないままになっていたのだ。
「その様子ですと、連絡のつけようがないみたいですが?」
「すまねぇ、その通りだ」
「設計図でもあれば、かなりのところまで分解できると思うのですが、それもない状態ではばらばらにしてしまうと元に戻せなくなる可能性もありますから、少しずつ理解を深めていく必要があります」
「そりゃどのくらいの時間がかかるもんなんだ?」
しっかり話してみれば、意外と優先度の高そうな話になってしまったと思いながらのレインの問いかけに、シルヴィアは一旦作業の手を止めてしばらく考えてから、また作業を再開させる。
「そうですね。みっちり密着で調査しても一ヶ月くらいかと」
「そんな時間の余裕はねぇぞ」
働かなくては食べていけないというのは傭兵も冒険者も同じである。
ましてレインは冒険者になったばかりであり、その懐はそれほど潤っているわけではなく、一ヶ月も仕事を休んでシルヴィアの調査に付き合うわけにはいかなかった。
「それは私も同じです。ですのでお仕事の合間に少しずつやるしかないですね」
みっちりと時間をかけても一ヶ月かかるような作業を、仕事の合間に少しずつ進めたのならば、どのくらいの期間かかるものか分かったものではない。
それこそ気が遠くなるほどの時間がかかるかもしれない話ではあったのだが、シルヴィアの表情は待ち構えている作業にうんざりしているようなものではなく、楽しくて仕方がないといったようなものであった。
「とにかくまずは私がある程度の整備ができるところを目指します。少々残念ではあるのですが、これの製作者や謎機能の調査は後回しということで」
「製作者って、こいつを作った奴か? そりゃ前の団長が手配してくれた魔道具職人のことだろ?」
再び装甲板の状態を確認し、今度は満足がいったのかシルヴィアはそれをテーブルの上へとそっと置くと、すぐに今度は指の部分の装甲板を取り外す作業へと取り掛かる。
レインの目からはとても外せるように見えないものなのだが、シルヴィアがハンマーやヘラのようなものを器用に扱って見せると、まるでそうなることが当然であるかのように義手の指を形成していた装甲板が二つに別れて外れた。
非常にいい手際ではあるのだが、これを左の手の指五本全てて行うことを考えると、本日一日はシルヴィアに付き合うことで消費されそうだとレインは考える。
「レインさんの腕にコレを装着させたのはその魔道具職人さんだと思うのですが、この義手を作ったのは別の方だと思いますよ」
「じゃあ誰が作ったってんだ?」
外した指の装甲板を調べ出したシルヴィアはすぐに顔を顰めると、自分の荷物の中から比較的綺麗に見える布を取り出して、装甲板を拭き始める。
汚れでもあったのかとシルヴィアの手元を見たレインは、布の表面に赤黒く固まった何かが付着するのを見てそれは仕方がないのだと心の中で言い訳を呟く。
完全に密封されているわけではない義手の内部に、得物から伝わったのかそれとも義手自体を鈍器として使ったときに沁みこんだのかまでは分からないが、何者かの血が入り込んでいたとしてもそれはおかしなことではない。
分解しなければ掃除できないのだから仕方がないのだと思うレインにシルヴィアは装甲板の清掃を続けながら答えた。
「それも調べてみないと分かりませんが、これだけの義手を新規に作り出す技術は、今はもう残されていないと思います」
義手や義足といった魔道具を作れないわけではない。
ただ、レインのもののように触覚を伝えたり、義手で触れた魔法を打ち消したり、どういう意味があるのか分からないが、手首が水車の軸のように回ったりするような物を作れるほどの技術がないことを、シルヴィアは知っていた。
これもまた、好きだからこその情報である。
「だったらそりゃ……」
「どこかの遺跡からの出土品じゃないでしょうか。古代王国には欠損した体の一部を補う間道具を専門に作る技術者がいた、と言われていますし」
そういった情報はそれこそ古代王国期の歴史を調べているような学者やその頃の技術を少しでも復活させようとする職人達が長い年月をかけて調べあげたものである。
もっともこちらの分野に関しては、いかに古代王国とはいっても技術者の技量には差が大きかったようで、歴史に名前が残っているような者もいれば、どこの誰とも分からない十把一からげの技術者もいるので、調べたからといって分かるとも言い切れない。
「これから楽しくなりそうですよね、レインさん」
両手に工具を持った状態で、心の底からそう思っているのだろうなと分かる笑顔のシルヴィアに対し、どう応じたらいいものか分からなかったレインはただ無言で首を竦めてみせたのであった。
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