第17話

 準備といっても持っていく最低限の装備を身に着け、命綱を止めておくための杭を崖の上の字面へと打ちこみ、命綱を結んでしまえば後は下りるしかない。

 クエン達はこの程度のことは慣れたものなのか、さっさと準備を終えてしまうと斥候を先頭にしてするすると崖を下りていく。

 それに続く冒険者達は、斥候役の冒険者はいくらか身軽に、そうでない者達はおっかなびっくりといった感じで次々に崖を下りて行った。


「レインさん、大丈夫ですか?」


 意外と身軽に女性魔術師ですら崖を下りていくのを見ながら、心配そうな顔になったのはシルヴィアである。

 もちろん自分が下りるのも心配ではあるのだが、体が大きくその分自重もあるレインが無事に崖を下りられるかどうかを心配していたのだ。


「問題ねぇよ。とりあえず俺が最初に下りる。みんなはその後に一人ずつ下りて来てくれ」


 得物である槍を背中に括りつけ、そう言い放ったレインは心配するシルヴィアの視線を受けながら準備した命綱を手に取ると、躊躇いも見せずに崖を下り始めた。

 その姿を崖の上から見下ろしていたシルヴィアとルシアは、レインがその大柄な体に見合わぬ俊敏さで崖を下りていくのを見つめる。

 目的地である洞窟の上には岩の出っ張りがあるようで、そこを越えてしまうとレインの姿が見えなくなるのだが、そこを越えてからしばらくしてレインが声を張り上げるのが聞こえた。


「下りたぜ! 洞窟の前にちょっとした張り出しがある。問題ねぇから下りてこい」


 顔を見合わせたシルヴィアとルシアは、先に身軽なルシアが命綱を伝って下り始めることになり、斥候特有の身軽さでもって崖を下りたルシアは、やはり出っ張りを越えたところで先に下りていたレインが手を差し出しているのに気がついた。


「手を貸すぜ。落ちても受け止めるから大丈夫だ」


 レインが先に下りたのは、命綱の耐久力を考えて重い自分が先に下りるべきだろうと考えたのも確かなのだが、何かの間違いで誰かが落ちたとしても自分が下にいれば、受け止めることが可能だろうと考えてのことであった。

 なるほどと思いながらもルシアはレインの手を借りて危なげなく、洞窟前の張り出しへ着地することができ、続いて下りてきたシルヴィアは途中で何度か足を滑らせかけながらも綱から手を離すことはなく、最後はレインに抱き止められるような感じで張り出しへと足をつける。

 最後に残ったクラースは、やはりなんでもそつなくこなせるのか、斥候もかくやという動きで岩肌を下り、レインの手を借りるまでもなくその場に到着してみせた。

 こうして全員が崖を下り終わったレイン達だったのだが、その頃には既にクエンのパーティは全員が降下を終えており、他のパーティもレイン達にしばし遅れながらも脱落者を出すことなく、洞窟前の張り出しに集合することに成功する。

 十六人もの冒険者が集合できるほど、その張り出しは広いものであったのだが、岩肌にぽっかりと口を開けている洞窟は、それほど大きなものではなく、二人が並んで歩けばそれだけで一杯になるくらいの広さしかない。

 中を覗き込めば、一本道というわけではなく入口から少し入ったところでいくつかの分岐があり、どうするのかと意見を求めるように全員の視線がクエンへと集中する。

 そんな視線を受けながら、少し考え込んだクエンはすぐに結論を出した。


「ここからは各パーティ、それぞれ行動することにしよう。全員で行動するにはこの洞窟は狭すぎる」


「そんなんでいいのかよ?」


 冒険者の中の一人から問われてクエンは苦笑した。


「効率を考えるなら僕らはここで待機して君らに中を探索してもらい、何か見つけたらここまで戻ってもらうというのが一番効率がいいんだろうけど、そんな役は君らもやりたくはないだろう?」


 猟犬を放って狩りをするようなものかとレインは考える。

 獲物が見つかれば猟師が犬を先導させ、その獲物を仕留めるといった方法だ。

 その場合、犬の役をやらされるのは当然、クエン以外のパーティということになるのだが、危険ばかり多そうで美味しいところをクエン達に持っていかれるような役割を好んでやるような冒険者はいない。


「だから僕らは僕らで探索をする。何か発見できればそのパーティの手柄。手に負えないようだと判断したのなら、ここまで戻ってくれ。僕らもある程度探ったら、ここへ戻ってくるから」


「場所は間違いねぇのか」


 質問の声を発したのはレインであった。

 探索するのはいいとして、目の前の洞窟が目指していた目的地なのかどうかが分からなければ無駄足を踏むことになる。

 そう考えての質問だったのだが、それにクエンは明確な答えを返した。


「短剣の光が消えた。つけた血を拭わない限りは光り続けてたこれが光るのを止めたということはここが目的地だと考えるのが自然だろう」


 そう言ってクエンが差し出したあの短剣は、確かにその刃はどろりとした血に汚れたままであったのだが出発するときに見せた光はその刀身から失われていた。

 役目を果たしたので光る必要がなくなったのだと考えれば、状況としての辻褄は合う。


「中で発見した物で依頼目的とは関係ない物は発見したパーティの物。手に負えそうにないトラブルは協力して処理。それが僕からできる最良の提案かな」


 クエンが行った提案は、レインが考えても悪い提案ではなかった。

 むしろ、かなりいい提案なのではないかとすら思える。

 いちおうクラースやシルヴィア達の意見も聞くべきだろうとそちらを見れば、シルヴィア達は特に異論を口にすることもなく、クラースはそっと首を竦めるに留まった。


「問題なさそうだね。それじゃそれぞれのパーティで準備をして、できたパーティから中に入ることにしようか」


 他のパーティからも文句の類が出てこないのを確認してからクエンがそう告げると、冒険者達はそれぞれが明かりの準備をしたり、得物の点検をしたりし始める。

 レインも自分の得物や装備の確認を行おうとして、クラースがぽんと軽く肩を叩いたのを感じてそちらへと視線を向けた。


「この中じゃ俺らが一番格下だ。ゆっくり慎重に行くとしようじゃねーか」


 洞窟の中にあるのが手つかずの遺跡であるならば、少しでも早く中に入らなければ得る物が少ないのではないか、とレインは考えていたのだがクラースの考えは違うらしい。

 それを察したレインはクラースがのんびりと自分の荷物を広げ始めたのを見て、慌てることなく自分の装備や道具を確認し始める。

 その間に、準備を終えた他の冒険者パーティや、クエン達が洞窟の中へと入っていったのだが、最後の一人が洞窟の暗闇の中に消えていくのを見送ってから、クラースはようやく全員の顔を見回して口を開いた。


「それじゃ、のんびり後を追うとしようじゃねーか」


 その言葉を合図にレイン達は洞窟の中へと足を踏み入れた。

 いくらも進まない内に外の光は洞窟の中に差し込まなくなり、周囲は闇に塗り潰される。


「それで大丈夫なの?」


 洞窟の内部が遺跡であるのならば、罠の類があってもおかしくはない。

 そういうものを調べるために、先頭に立ったルシアは手に松明を持ち、そこへ火を点けながら隣に並んだクラースへ問いかけた。


「問題ねーだろ。大体、一番格下の俺らが華々しい活躍とやらをしたところで他のパーティの妬みとかを買うだけだろうからな。俺達は損しねー程度におこぼれをもらうくらいの考えがいいに決まってんだからよ」


「何も得る物がないかもしれないよ?」


「それならそれで、根こそぎ奪うほど他のパーティが調べ尽くしてくれたってことだろ。その分危険が少ねーんだから、俺らは商人ギルドからの依頼料で満足すりゃいいってことだけさ」


「堅実な考えですね」


「兄貴は女が絡まねぇと堅実なんだがな」


 先を行くクラース達の後をついて歩くシルヴィアの斜め後ろくらいを歩きながら、レインは溜息と共にそう答えた。

 シルヴィアの隣を歩かないのは、殿を務めているという意味もあるのだが、実際には少しばかりレインの体が大きすぎ、シルヴィアの隣を歩くとやや窮屈な感じになってしまうからである。


「それでレインさんから見て、この洞窟はどうなんです?」


 シルヴィアの問いかけはレインからしてみれば随分とふんわりとした問いかけであった。

 どんな答えを求めているのかが分からないのだが、適当に答えたところで問題はないだろうと考えると、先頭を歩くルシアの持つ乏しい明かりを頼りに周囲を見回す。


「人の手が入ってるってのは間違いねぇだろうな。自然の洞窟ってのはもっと歩きにくいもんだ。上りも下りもねぇ平坦な地面晒してる時点でただの洞窟じゃねぇよ」


「そうなんですか。そうすると、既に遺跡の中と考えるべきなんでしょうね」


 シルヴィアの言葉に、前を歩いていたクラースとルシアがはっとした顔で振り返った。

 古代王国の遺跡、という言葉から誰もが遺跡の先にそれらしき建造物があるのではないか、と考えてしまっていたのだが洞窟そのものに人の手が入っているのだとすれば、シルヴィアの言う通り既に自分達は遺跡の中へと足を踏み入れていることになる。


「ちょっと油断してた。気を引き締めないと」


 既に警戒が必要な領域に入っているのだということを自覚したルシアは、これまでただ歩いていた体勢をわずかに沈め、松明を先に突きだすような姿勢で再び歩き始める。

 あからさまに警戒しているといった様子であるのだが、レインが驚いたのはほんの少しだけ膝を曲げただけに見えるというのに、これまで聞こえていたルシアの足音が全く聞こえなくなったことだ。

 足運びと膝のクッションとがほぼ完全な消音を成し遂げているルシアの技術は、さすがは斥候職であると感心してしまうほどのものであった。

 隣を歩くクラースは左の手を腰に吊るしてある鞘に添えて、その親指を剣の鍔にかけただけであったのだが、こちらはそれだけのことでレインの目から見ても動きの隙が消え、剣士としての威圧感が漂い始めている。

 いつもそれくらいの感じでいてくれれば、見目のよさも手伝って自分から声をかけなくとも女性達が放っては置かないだろうと思ってしまうレインなのだが、要領のいいクラースがそれを聞けば外見だけでもそう保とうとすることは分かっているので口には出さない。


「私、何かいけないことを口にしてしまったでしょうか」


 急に殺気立ったようにも見えるクラースとルシアの様子を見て、目を丸くしながらそんなことを呟いたシルヴィアへ、レインは安心させるかのようにその背中を軽く掌で叩いてやった。


「別におかしなことは呟いてねぇよ。むしろいい判断だったんじゃねぇか? 少なくとも俺は感心したが」


 地面の様子からして人の手が入っていることが分かった時点で、シルヴィアが呟いていなければレインがそれとなく注意を促す気でいた。

 そうするより先に、シルヴィアが二人の注意を喚起してくれたことはレインからしてみれば手間が一つ省けたわけである。

 自分の言葉一つで急に雰囲気を変えた二人の姿に、戸惑いを隠せずにいたシルヴィアはレインからのそんなお墨付きをもらったことで、安心したように微笑むとまたレインより少し先を歩き始め、レインは他はどうあれこのメンバーならば問題なく今回の依頼もこなせるだろうと思いながら、自分も握る槍の具合を確かめ直してから三人の後ろを追いかけて歩きはじめるのであった。

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