第9話
依頼を引き受けたレイン達がまず行ったのは、街で幌つきの荷馬車とそれを曳く馬を借りるという行動であった。
あてもなく北の街道をうろついても、盗賊達と出くわす可能性というものは高いとは言えず、何らかの方法で盗賊達をおびき寄せる必要があったからだ。
最初は北へと向かう商人ギルドの商隊に同行させてもらう、という案もあったのだが、それでは護衛付きの商隊と何ら変わることがなく、盗賊達を警戒させてしまうのではないかという恐れがある。
できるだけ油断した状態で盗賊達に出てきて欲しいレイン達としては、盗賊達に警戒されないようにするためにも護衛のついていない小さな商人一向という風体を装う必要があったのだった。
その分出費は多くなりはするのだが、かかる手間のことを考えれば見合う出費なのではないかというレインの意見が採択され、借りた荷馬車の御者台には普段着を着たルシアとクラースが座ることになり、シルヴィアとレインの二人は幌の中に隠れていることとなったのだ。
「これなら若い商人とその弟って感じになるよな」
「なんで妹って言ってもらえないのか、聞かせてくれるよねクラース?」
口を滑らせたクラースに笑顔で近づいていくルシアの拳は固く握りしめられていた。
慌ててクラースは助けを求めるかのようにレインの方を向いたのであるが、レインはそのクラースの視線に気づかないかのように、まるで別の方向を向いて素知らぬ顔を貫き通す。
実際、レイン自身もクラースと似たような感想を抱いていた。
スカートは似合わないとでも思っているのか、あるいは動きにくくなることを嫌ったのか、上着とズボンを身に着けたルシアは、確かに少年にしか見えないような恰好だったのである。
これに黙っていれば優男なクラースが隣に立てば、なるほど兄弟と言われてもなんら不思議のないような光景であった。
ちなみにレインとシルヴィアが荷馬車の中で待機することになったのは、確かに護衛のいない一行を装うためという理由もあったのだが、シルヴィアが神官服を脱ぐことを断ったのと、レイン自身は体格が体格であり、平服を着たとしてもとても一般的な市民には見えないからという理由がある。
「空荷で走るってのはもったいねーなー」
「荷物の運搬依頼を探してもいいんだろうが、盗賊どもと目的地の前で鉢合わせになりゃ戻ってくるようなことになるからな」
「盗賊の拠点からお宝が出れば、帰りはそれなりに満載になるんじゃない?」
「そうなるように女神に祈りましょう」
こうして街から北側の街道へと荷馬車を走らせたレイン達であった。
行程としては、そのまま街道沿いに馬車を二日ほど走らせると、途中の宿場町に到着することになる。
商人ギルドからの情報では、盗賊団はその宿場町までの間に出没するらしい。
「ねぇこれ。運が悪いと一度じゃ遭遇できないよね?」
「そん時ゃ遭遇するまで行ったり来たりするしかねーんだろなー」
「それってもしかして依頼完了まで繰り返し!?」
「そりゃそーだろ。あの依頼って期限が切られてなかったし」
「大損になるじゃない!?」
長い時間をかけたとしても、最初に商人ギルドから提示された依頼料が増えるわけではない。
この件一つにつきいくら、という提示であるのでレイン達からしてみれば、長く時間をかければかけるほどに出費が増えていくことになり、ルシアが心配するような赤字に陥るといった危険性を孕んでいる。
「そうなる前に盗賊を見つけりゃいいってことさ」
対するクラースの考え方は楽観的であった。
確かに一度の行程で運良く出会えればそれに越したことはないのだが、そうならなかったとしても次の宿場町で情報を集めれば何かしら盗賊の居場所に繋がるような情報が手に入るのではないか、と考えていたのである。
仮にそうならなかったとしても、何度か往復していれば盗賊の出没情報等が入ってくるはずで、そのときに別な手を打てば、それほど酷いことにはならないだろうと考えていた。
「レインさんはどう思います?」
「こういうのは兄貴に任せた方がいい」
「私はレインさんの考えを聞いたんですよ」
一方荷馬車の中では外に顔を出すわけにもいかず、何かしらの動きを悟られれば荷馬車に御者以外の誰かが乗っていると悟られ、盗賊達を警戒させてしまうかもしれない以上、じっとしていることしかできないレインがシルヴィアに問われていた。
傭兵団にいた頃は、作戦の立案などは団長であるクラースに任せていたレインである。
団員とは基本的に団長の指示に従って動き、戦うものだと考えているレインとしては、どう思うかと問われても困ってしまうのだが、前にクラースにも同じようなことを言われたような記憶を思い出して、自分なりに考えてみた。
「俺が盗賊だったら、この罠にゃ引っかからねぇな」
「それはまたどうしてでしょう?」
「いくら非武装で平服でも、兄貴はどうしても血の匂いがする。そいつは俺も似たり寄ったりってとこだが、分かる奴にゃ分かるもんだ」
「それは……盗賊に分かるものでしょうか?」
レインの言っていることは、シルヴィアにも分からない話ではなかった。
どうしても戦いを生業としている者というのは、仕草の端やその身に纏う雰囲気の中に、レインが言うような所謂血の匂いというものを漂わせるようになるらしい。
もっとも、シルヴィアは神官であり、そういった類の人種と付き合うことがこれまでなかったので、それがどういうものなのかまでは分からなかった。
「盗賊がただの阿呆の集団なら分からねぇだろうな。だが、商人ギルドが手を焼く程度にゃ頭の回る連中のようだ。一人か二人は兄貴に気づく奴がいてもおかしくはねぇよ」
誰かが盗賊に身を落とす理由というものは、様々であることをレインは知っている。
それは不作や飢饉で食うに困った農民であったり、どこかの国の兵士が軍にいられなくなって逃げ出した末路であったり、或いは、傭兵が傭兵としてやっていけなくなり、そのまま身を持ち崩して成り果てるといったものであった。
レインやクラースは、傭兵団としてやっていく気がなくなったので傭兵を辞めて冒険者になったわけなのだが、そんなことができたということは傭兵としては幸せな分類に入る話であるということを、レインは自覚している。
何かをどこかで一つ間違えていれば、自分達もまた傭兵崩れの盗賊に成り果てていたかもしれなかった。
「とにかく、何はどうあれ一度はその宿場町まで流してみるしかねぇだろ。色々考えてみたところで、下手すりゃ一発目で出くわす可能性だってあるんだからな」
話はこれで終わりだとばかりに、レインは荷馬車の中にごろりと横になる。
特にすることはなく、呼ばれるまでは出番もない。
だとすれば後は寝るしかないだろうと考えてのことだったのだが、両手を頭の後ろに組んで枕の代わりとするレインへ、シルヴィアが座る自分の膝の辺りを一つぽんと叩く。
目を閉じようとしかけていたレインは、その音に注意を引かれたように薄目を開けて、座った姿勢から寝転ぶ自分を見下ろしているシルヴィアの方を見る。
「ここに膝がありまして」
「そりゃまぁ……膝くらいあんだろ」
「レインさんは膝枕というものをご存じですか?」
「言葉くらいは知っちゃいるが……」
何を言い出す気なのかと思うレインの視線の先で、微笑を浮かべるシルヴィアは再び自分の膝を軽くぽんぽんと平手で叩く。
「ここに膝があるんですよ」
「何が言いてぇのか分からねぇ……」
「膝があるんです」
繰り返すシルヴィアへ、まさかと思いながらレインは自分の頭を指差してから、シルヴィアが叩くその膝を指差すとシルヴィアは微笑みの表情のまま頷いてみせた。
「折角ですからどうでしょう?」
「そういうことは軽々しくするもんじゃねぇぞ」
膝枕というものは、少なくともそれほど親しくない男女間でするような行為ではないことくらいは、傭兵時代にあまり異性と接触のなかったでも分かる話だ。
少なくとも自分とシルヴィアの間には、気軽に膝枕をするほどの親密さはないはずだと思うレインに、シルヴィアは応じる。
「私の趣味で左手をお借りすることが多いですから。そのお礼に膝くらいはお貸ししなければ不公平ではないかと」
魔道具が好き過ぎるらしいシルヴィアは、何かというとレインの左の義手を調べたがる。
そのたびにレインは何もなければ好きなようにさせているのだが、そのお礼だと言われても中々はいそうですかとは応じにくい。
どうすればいいのかと迷うレインに、シルヴィアはゆっくりとにじり寄ると迷ったまま動けずにいたレインの頭を両手でそっと持ち上げて、その下に自分の膝を滑り込ませる。
「これでいいですね。何かあれば起こして差し上げますので、ゆっくりしてください」
「あ、あぁ」
膝枕をされる、などという状況はレインにとっては初めてのことであった。
後頭部にどうしても感じてしまう柔らかさや温もりは、これまでに感じたことのないものであり、無理やり目を閉じてはみたものの、どうしても眠れる気がしない。
「小声でなら子守唄くらい歌っても大丈夫でしょうか。どうせ馬車の音にかき消されるでしょうから、レインさんがよろしければ眠りに就くまで歌って差し上げますが」
「い、いや。そこまでしてもらうことはねぇよ」
「そうですか? あまり煩くしてもレインさんの眠りの邪魔になるかもしれないですね」
「うるせぇと……思ってるわけじゃねぇが……」
「膝、固くありませんか? 最近ちょっと筋肉がついてきたような気がするのでお恥ずかしいのですが」
「そんなことは……ねぇよ」
しどろもどろに答えるレインではあるのだが、内心は何かしらおかしなことを口走ったり、或いは声が裏返ったりしてしまうのではないかと気が気ではない。
さっさと眠りに就きたいと思っても、否応なく意識を現実に引きずり戻す原因が多すぎて、意識を失うことすら許されず、これまでに経験したことのないタイプの追い詰められ方に困り果ててしまう。
「クラース、なんだか後ろがいい雰囲気だよ」
「うるせーよ。後ろに誰もいねーことになってんだから、お前はちらちら後ろを覗き見てんじゃねーっての」
「でもさ、でもさ!」
首の動きは最小限にして、目だけで必死に後ろを見ようとするルシアを嗜めるクラースなのだが、そんな言葉では止まることはできないとばかりにルシアは馬の手綱を握るクラースの肩を揺さぶる。
その衝撃で揺れた手綱に頭を振られて、馬車がわずかにだが蛇行を始めてしまう。
「バカヤロウ、揺するんじゃねーよ! 道から外れてーのか!?」
「あぁいうのよくない!? ねぇよくない!?」
「そんないいと思うんならその膝、俺に貸せ!」
「クラースはなんか嫌だ」
「そこで冷静になるんじゃねーよ!」
御者台でクラースは器用に手綱を持ったまま、隣に座るルシアと取っ組み合いに近い騒ぎを繰り広げ始める。
いちおう気をつけてはいるのか、馬の進路が変わるほどではなかったが、それでも揺れる手綱に体を叩かれて、荷馬車を曳く馬は迷惑そうな顔をしながら街道の上を歩き続けたのであった。
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