そこには、誰も来ていなかったらしい。

 これからの進路についての、退屈な説明会。

 この土地にも一応、大学らしきものはあるし、専門学校のようなものはある。

 ただ、だいたいの講義は映像で配信されているものを見て学ぶような形だ。


 ここにいる人たちは、将来なりたいものなんて、もう、諦めている人がほとんどだ。

 だって、十年しか生きられないから。


 頑張っている人だって、もちろんいる。

 限られた時間の中で、自分の好きなように生きようとしている人だっている。


 だけど、ほとんどの人は、諦める。

 諦めて、毎日の生活を送れる程度の稼ぎが望める仕事を探す。

 その関係で、お金の支給がある高校生活が終わればほとんどの人が、進学ではなく就職を選ぶ。


 長々と続く前に立つ人の話を聞きながらも、頭の中は、ずっといばらとりょうのことで埋まっている。

 二人は大丈夫か、ちゃんと了は無事にいばらを送り届けてくれただろうか、いばらはまだ寝ているだろうか。


 自分でいっぱいいっぱいになっていて、いばらのことにまで気が回っていなかった。

 てっきり、かおるが血をあげていると思っていた。

 自分のときに飲ませようとしてくれていたから、いばらにもそうしてくれていると思っていたのだ。


 訊けば、薫は他の人からもらっているから大丈夫だといばらから聞いていたみたいで。

 そこまで飲みたくなかったのかと思うと、苦しい。

 気付いてあげられたらよかったのに。


 自分の血を吸って枯れていった花人を見たときの彼女の表情は忘れられない。

 あんな顔させたくない。だけどきっと、目を覚まして、自分が襲ってしまったことを思い出せば、あの顔をするのだろう。

 深く傷ついてしまうだろうから、そのときにはちゃんとそばにいたい。

 大丈夫だよ、と。

 お願いだから、血を飲んで、と。

 どうすれば、飲んでもらえるんだろう。考えながら話を聞いていた。



 心配だから、送っていきます。


 そう言ってくれた薫と一緒に寮に帰る。

 時間は午後三時。放課後だから、たくさんの生徒の波に流されるようにして歩く。

 女子寮の入り口まで来たら、薫は受付で名前と寮に入った時間を表に書き込む。

「このまま、いばらの部屋まで行くんですか?」

「もちろん」

 頷いて歩き出す私のあとを、少し遅れて薫がついてくる。

 走りたい気持ちを、なんとか抑えて早歩きで人を避けながら進む。

「沙也加」

 もうそろそろで着くな、というときに、ずっと黙っていた薫が私を呼ぶ。

「なに?」

「もしもなにかあったら、私の言うことを聞いてくれますか?」

 私はチラリとうしろに視線を投げる。

「どういうこと?」

「……虫の知らせ、みたいなものです」

 なんとなく、歯切れが悪い答えに首を傾げる。

「……そのときによる」

「ですよね」

 ちょうど会話が終わったタイミングで、いばらの部屋の前に着く。

 薫の言葉のせいか、少しだけ緊張しながら、ドアをノックする。

「いばら、了、いる?」

 返事はない。胸騒ぎがする。

 いばらは寝ているのかもしれない。

 了はもう帰ったのかも。

 そう言い聞かせながら、私はスカートのポケットから、以前交換した合鍵を取り出す。

 穴に鍵を差し込んで回せば、軽やかな音が響く。

 鍵を抜いてポケットにしまってから、私はドアノブを握る。

「入るよ?」

 念のために声をかけてから、手に力を入れてドアを開く。

「いば、ら……?」

 開けて、私はポカンと口を開けて立ち尽くす。


 いばらは、いなかった。


 寮の部屋は、そんなに広くない。

 ドアを開けば、だいたいの場所は見渡せる。


「ど……して……?」


 フラフラと中に入れば、スイッチが入ったかのように、私は部屋の中を隅から隅まで漁りだす。

 ベッドの中、下、クローゼットの中、そのうしろ……。

 どこ。

 どこにいるの。

 いばら、いばら……!


 祈るような気持ちで探して、だけどどこにもいない。

 いない、どころか。

「ここに来た痕跡さえ、ありませんね」

 振り向けば、ずっと閉まったドアにもたれるようにして私を見ていたらしい薫が、険しい表情をしている。

「どうしよう……、ねえ、どうしよう! いばらがいない!」

「今電話をしてみたんですけれど、いばらにも、了にも、繋がらなかったですね。……電源が切られている可能性があります」

「それって……」

 血の気が引く。

 最悪の可能性が頭にちらついたから。

 枯れかけの、花人を閉じ込めた地下室。

 もしも、二人が誘拐されていたら。

 無理やり、枯れさせられていたら。

「地下室に行かなきゃ……っ!」

 立ち上がれば、薫がドアの前に立ち塞がる。施錠音に、舌打ちをする。

「駄目です」

「どうして!」

 大股で近づけば、悲しそうに薫は眉尻を下げる。

「駄目です。あなたは、自分の部屋に戻ってください」

「どうしてそんなことを言うの!?」

 声を荒げて問えば、頭を撫でるように薫の青白い腕が伸びてくる。


 私はそれを、勢いよく払った。


 乾いた音が、響く。

 薫の顔から、表情がストン、と抜け落ちる。

「誤魔化そうとしないでよ!」

「……大切な人たちを、傷つけたくないからですよ」

「……は?」

 予想もしない言葉に、間抜けな声が出る。

「知らないほうがいいこともあるんです」

「そんなこと――」

「私が嫌なんです」

 静かで、はっきりとした声が、私に投げられる。

 優しい声がほとんどだった薫から、そんな声が出たことに驚いて、私の動きが止まる。

 そっと右手が伸びてくる。

 今度は、その手を払えなくて。

 肩に回され、抱きしめられる。花の甘い香りが私を包む。なんで。わけがわからなくて、頭が回らない。

「どうか、おとなしく待っていてください。夕飯を食べて、それでも私が帰ってこなければ……」

 ギュッと力が籠められる。

 掠れた声。

 不穏な言葉。

 胸がさらに騒ぎ出す。

 遮りたい。だけど、遮ってはいけない気がして。

「探しに、来てください」

 薫の左手が動くのを、視界の端に捕らえる。

 あ、と思ったときには、チクリとした痛みが右腕に走っていた。

 慌てて薫の服を掴もうと上げた手は、力が入らずに落ちていく。

 倒れかけた私を、薫が支えてくれる。

 薫は、今にも泣きそうな顔をしていて。

「か、お……」

 どうしてそんな顔をしているのか。

 なんで。

 名前を呼ぶことができなくて、私は必死に縋り付こうとしたのに、意識はそれすら巻き込んでズブズブと沈んでいった。

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