地下室には、枯れかけの花人が複数人いた。
夜の学校は、少し、いや、だいぶ不気味だ。
電気をつければ、犯人や教師などに気づかれるかもしれないから、と灯りの類はなにもつけていない。
そのせいで暗いから、というのも、不気味だと感じる要因の一つ。
それだけじゃなくて、普段ここで聞いている喧騒や、黒板になにかを書く音がまったく聞こえないというのも、もう一つの要因、だと思う。
あるはずのものがないって、それだけでこんなにも怖いものなんだな、と思った。
いつか、花人病がなくなることがあったとして。
そのとき、もしも最後の一人になってしまったら、毎日この静けさの中で生活をしなければなくなるのだろうか。
下手をすれば、この土地に住む誰よりも、長く生きるのだ。
内臓を、冷たい手で握りつぶされるような、そんな痛みを伴った恐怖が、蔦のように足や腕、身体中に絡みつく。
そうか。
一人に、なるんだ。
怖い。
一人は嫌だ。
一人に、しないで。
「
「……っ、いばら……?」
慌てて顔を上げれば、心配そうに眉を寄せて、いばらが私の顔を覗き込んでいた。
いつの間にか足を止めて、俯いていたようだ。
隣にいたいばらが一番に気付いたみたいで、いばらの声に反応した二人が、少し前で足を止めて振り返る。
「どうしました?」
「なにかあった?」
私は首を横に振る。
まだ恐怖の蔦が絡まっているみたいで、我ながらぎこちない動きになってしまう。
二人が訝し気に眉を寄せる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、本当に、大丈夫だから」
「体調悪い? 戻る?」
「普通。元気。歩けるし、いざとなればちゃんと走れるから」
声が固い。
こんなの二人どころか、付き合いの浅いいばらだって、ごまかせない。
だけど、理由を言うわけにはいかない。
薫になら、まだ言える。
でも、了といばらには言えない。
了に言えば気にするだろうし、いばらは了と私が吸血鬼だということを知らない。
了がいばらの前で、吸血鬼について触れないのなら、私はなにも言えない。
「沙也加……?」
薫がいばらの肩に手を置けば、いばらはそっとうしろに下がる。
そこから薫は一歩前に出る。
腰を折って私の顔を見上げてきた。
栗色の澄んだ瞳に、なにもかも見透かされそうで、少しだけ、斜めに視線を逸らす。
「沙也加」
もう一度名前を呼ばれ、私は視線を戻す。
形のいい淡く色づいた唇が、パクパクと動く。
しょ、う、ら、い、が、こ、わ、い、ん、で、す、か?
最後に、薫は首を小さく傾ける。
私がなにも言わないということから、この場では言えないことだと察してくれたのだろう。
将来。
きっと薫が言うそれは、私がさっき、恐怖を感じたこと、なんだと思う。
頷けば、薫の唇が緩やかに弧を描く。
少し間を置いて、左手にひんやりとした感触。薫の手だ。優しく包まれている。
「薫……?」
「私は今、ここにいます。あなたと手をつなげる距離に、今、いますよ」
ゆっくりと言い聞かせるように、薫が言う。
今は、ここにいる。
ずっと、とは言わないところに、薫なりの誠実さが見えた。
優しい声に、鼻の奥がツンとして、慌てて瞬きをして堪える。
「……もしかして、暗いのが怖かったのか?」
了の声。
近い。
近いけど、だいぶ違う。
そう心の中でこぼしながらも、私は頷く。
気配が近づいてきたと思えば、今度は右手を了に握られる。
「大丈夫、ここまで来たんだし、俺が……俺たちが、ちゃんと二人とも守るから」
「……ありがとう」
お礼を言って、前を見る。
二人の間から、戸惑った様子でこちらを見ているいばらと目が合う。
私は二人から手を離して、いばらの前まで少し歩く。
青みがかった黒い瞳が、私を映して揺れている。
「沙也加ちゃん、大丈夫……?」
お人形みたいに綺麗で可愛い子。
この子には、できれば綺麗な物しか、見せたくない。それが無理でも、せめて汚い物をその瞳には映してほしくない。
もう、いくつか見てしまったのだろうけれど。
「ありがとう、いばら。本当に、大丈夫だから」
そしてそのまま、細い身体をギュッと抱きしめた。
校内の探索は順調に、というか、本当に何事もなく進んでいた。
きっと校内にヒントがある、なんていう考えは、私の思い違いだったんだろうか。そう考え始めたときだった。
「……ねえ、なんか音が聞こえない?」
くぐもった、人の声のような、なにかを殴るような、そんな音。
私たちは目を合わせながら、耳を澄ませる。……聞こえる。
「あそこの地下室じゃないでしょうか?」
薫が指を指す。そこには、壁と同じ色をしたドアがあった。
「……僕と薫が前を歩くから、二人はついてきて。沙也加は、絶対いばらの手を握って離さないで。足と体力には自信があるでしょ?」
意味を理解して、私は頷く。
「わかった。でも、もしものときは二人のことも引きずって逃げるから」
私たちは頷きあう。
了がそっと力を入れてドアを開く。
小さな音を立てて、それはゆっくりと口を開いていく。
彼を先頭に、薫、私、いばらの順でその中へと足を踏み出す。
「……」
真っ暗な中、階段を踏み外すと大変なので、真ん中にいる薫と、最後尾のいばらが、自分のスマホの懐中電灯の機能を使って足元を照らしてくれる。
恐らく、一番下のドアも閉まっているから、外にも、室内にも光は入らず、私たちの存在に気づかれることもないだろう、という判断でもある。
私と了は、いつでも使える状態で注射器を構えている。
下へ進むにつれて、呻き声が強くなっていく。
ドッドッドッと、心臓が、早く逃げろと言わんばかりに音を鳴らす。
音を立てないように気をつけても、無言で歩いているとどうしても少し響いてしまう足音。
怖いのか、私の左手をギュッと握りしめるいばらの手は、小刻みに震えている。
照らされてはいても、螺旋状の階段は気を抜けば踏み外してしまいそう。
本当は振り向いて、大丈夫だよ、と言ってあげたい。
でも状況が状況なだけに、こちらも力強くその手を握り返してあげることしか出来ずにいる。
薫の灯りが、私の足元へ向いて、チラチラと揺れる。
行き止まりの合図。
つまり下まで……中で呻き声を上げる彼らと、壁一枚しか隔てていないところまで来たということ。
最前列で、灯りが一瞬ついて消える。
了からの、ドアを開ける、という合図だ。
縦に細い光が見える。
それがゆっくりと開いていくのと一緒に、呻き声も大きくなっていく。
そして。
中には、五人以上の花人がいた。
みんな、他人の首に、腹に、腕に、足に、噛み付いて、それらを引き裂いて、流れ出た血を、啜っていた。
みんな、身体の一部から植物が生えて枯れかけているのがわかる。
きっと誰に吸われなくても、放っておけばあと数時間で枯れるであろう人たち。
中には、食堂や教室、合同授業で見た顔もあった。
「……っ!!」
うしろから、悲鳴をあげる直前の息が聞こえた。
まずい、と思った瞬間に、一斉に彼らと目が合う。
鳥肌が立つ。
数人が、こちらに駆け寄ってくる。
無理だ、逃げ切れない。
そう思って、彼女を抱き締める。
「薫!」
「はいっ!」
二人分の力で、間一髪、重い音を立ててドアが閉まる。
向こうからは、しばらく叩く音や引っ掻く音が聞こえたが、それも次第になくなり、また呻き声だけが漏れ聞こえるようになった。
よかった、内側からは開けられないようになってて……。
安心して腰が抜けそうになるのをなんとか堪えることができたのは、腕の中で震え続けているいばらがいたからだ。
二人がこちらを向く。
私は頭を下げた。
「……ごめんなさい」
いばらをつれて逃げることすら、できなかった。しなかった。
一人で行こう、なんて、絶対に無理だった。
「謝罪より、感謝のほうが嬉しいですね」
顔を上げれば、薫が緩やかに目を細める。
「……ありがとう」
一度集まって話そう。
そう言い出した了の部屋へ、私たちは移動した。
「先生に言おう」
入ってすぐに、私はそう言った。
それに対して了はすぐに首を横に振る。
「駄目だよ」
「なんで」
「だって、その先生が犯人だったらどうするの」
考えてもみなかったことに、私は言葉が詰まる。
「そ、れは……」
「向こうがばれた、と気づけば、沙也加もいばらたちも危険な目にあうことになる。それは避けたい」
「でも、それじゃあどうすればいいの? このままじゃ、どっちにしろ、あなたたちだってあの中にいれられるかもしれないんだよ?」
それが嫌だから、夜の学校に忍び込もうと思ったのに。
彼らの結末を知ってしまっただけだった。結局、できることはなにも変わっていない。
「まあ、なるべく二人以上で動くようにすれば、いいと思う。それ以外は……ちょっと浮かばない」
そのまま、色々と言葉を交わしたけれど、いい案は浮かばなくて。
あれは見なかったことにしよう、そして、基本的には二人以上で行動するようにしよう、ということだけ決めてお開きになった。
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