花人専用の都市は、本当に危険な場所なのだと、彼女は言う。

 ありがとうございました、という店員さんの声を背に、私たちはお店を出る。

 私とかおるの手には、トリプルアイスが一つずつ。

 そしてりょうの手には、トリプルアイスが二つ。もちろん六つとも違う味だ。

 ついでに言えば、食べてるうちに手が大惨事、なんてことを避けるために、どちらもカップに入っている。

 味だって、混ざっても美味しいように考えたのだから、褒めてほしい。

「……おごるって言ったはずなんだけどさぁ」

 不服です、と言わなくてもわかるような声が、尖った唇からこぼれる。

「言っていましたし、聞きましたけれど、これから私たちの買い物に付き合っていただくんですし、これぐらいのほうがトントンかと思いまして」

 昨夜薫と立てた計画。

 せっかくだから、了にアイス、奢ってあげようか、なんて話。

 私たちの買い物に付き合ってもらうから、というのともう一つ。

 私たちのいろんなわがままに、この一ヶ月、付き合ってもらったお礼でもある。


 プールではしゃいだり、お祭りで屋台を巡ったり、花火を見あげて感動したり。……花火は、花人じゃない人たちが打ち上げているのを遠くから見ているものだから、かなり小さくて、それが少し切なかったけれども。


 私や薫が行きたい、やりたい、と言えば、了は仕方ないな、と言いつつも付き合ってくれる。

 いい人、だ。


 薫はここの行事に詳しくて、いつも話を振ってくれる。

 薫のおかげで、一人の寂しさをあまり感じずにいられた。

 薫も、いい人、だ。

「そうそう。アイス食べ終わったら、たくさん買い物に付き合ってもらうからね。覚悟しててよ?」

「……はーい」

 どこか複雑そうな表情を浮かべて、了は近くにあったベンチに腰掛ける。その隣にゆったりと上品な仕草で薫が座る。了の代わりに日傘を差している私は、二人の前に立つ。

沙也加さやかは座らないんですか?」

 薫が、コテン、と頭を横に倒しつつ、空いているスペースをトントン、とスプーンを持った左手の甲で叩く。

「座りなよ、なんか申し訳なくなってくるし」

「いいよ、なんかそういう気分だし」

「そう? ならいいけど、あとから、疲れたーなんて言われても知らないからな?」

 私の返事に、了は頷いてくれる。薫も、少し残念そうにしつつもそれ以上なにも言わない。

 こういうところが、なんだか一緒にいてとても楽で、好きだ。


 私が立っているのは、単純に立ちたい気分だったから、というのともう一つ。

 こうやって立って日傘を差していたら、三人一緒に中に入ることができるのだ。

 いつも二人で一つの日傘に入っているのを見て、別に寂しいとか、そんなことを思ったことは……ないと言えば嘘にはなるけれど、だからってわがままを言うほどではなかった。

 でも、三人一緒に入ることができるのなら、やっぱり入っていたい。なんて。なんか、恥ずかしいことを考えている、私。やめよう、なんだかうまく言えないけれど、いやだ。


 ぶわり、強い風が吹く。


「あ」


 薫の帽子が頭から浮く。

 伸ばした薫の真っ白な手ではタイミングがずれて、摑まえることができず。

 両手がふさがっている私に、捕まえられるはずもなく。

 だからって、なにもせずにそれを見ているだけなんて、できるはずがない。

 いつも青みがかった白い顔をしている薫。熱中症にでもなって倒れたら大変だ。

「持ってて!」

「え、沙也加?」

 薫に日傘とアイスのカップを押し付けて、走る。

 これでも小学四年生から中学一年まで、運動会では、対抗リレーの選手に選ばれ続けるくらい速かったのだ。

 絶対に、追いつける。

 ベンチからそこそこ離れた交差点まで来て、やっとふわふわと帽子が落ちてくる。なんとかそれを両手で受け取ったときだった。


 荒い呼吸音が、すぐ近くで聞こえた。

 そちらを見れば、しゃがみこんでいる男性が一人。

 夏も終わりかけているとはいえ、まだ暑い。

 体調を崩しているのなら、早めに涼しいところに連れていかないと。

 チラリとこちらを見た人もいるけれど、信号が青になれば、皆向こう岸へと歩いていく。

 誰も、この人を救おうとはしない。

 当たり前かもしれない。だって、どれだけ体調を崩そうと、私たちは死ねないのだから。

 だけどそれはつまり、苦しさが長続きする、というわけで。

 決して楽になれるわけではない。


 私はその場にしゃがむ。


「大丈夫ですか?」

「……っはぁ……」

 荒い呼吸音以外なにも聞こえない。大丈夫じゃないんだろうか。

 不安に思って男性の顔を覗き込もうとしたとき。

「いっ……!」

 鈍い音が頭に響く。痛い。

 視界が逆転して、血走った眼をした人が私の視界を埋め尽くす。

 悲鳴と、私を呼ぶ声。

 視界から男性が消えたと思えば、今度は皮膚を貫く音が首元からして、濡れた感触と痛みが広がっていく。

「……っ!」

 逃れようと暴れるけれど、大人の男性一人分の体重を、女子中学生が動かせるはずがない。

 すぐ近くで、喉を鳴らして飲む音が聞こえる。

 痛い、気持ち悪い、怖い。


 枯れるんだろうか、私は。

 このまま、血を吸われ尽して。

 こんな、獣みたいな人に襲われて。……獣……私も、あの日の私も、博貴ひろきにはそう映っていたんだろうか。こんな、こんな怖い思いを、痛い思いをしていたんだろうか。


 ごめん、ごめんね。ごめんなさい。

 許してなんて言わない、許されるはずがない。

 死にたくない。まだ生きていたい。


 だけど。


 こんな思いを博貴にさせていたのなら。

 トラウマを植え付けてしまったかもしれない。

 植え付けていなかったとしても、心身ともに深く傷つけたことには変わりない。


 償い方なんて知らないし、こちらからもあちらからも言葉を伝えるすべがない以上、そもそもそんな方法はないのだろう。


 だったらいっそ、死んでしまったほうがいいのかもしれない。それが当然なのかもしれない。


 だって、きっとあのとき、私は博貴を殺そうとしていた。

 明確な意思で殺そうと思っていたわけではないけれど、あのとき、近くにいた人が薬を……花人はなびとの動きを一時的に止めるあの薬を打ってくれなかったら、結果として殺していた。間違いなく。


 そんな人は、死んだほうがいい。

 死にたくない。でも、死ぬべきなら。

 怖い。痛い。嫌だ。……助けて。

 ギュッと瞼と閉じる。


「つっ……!」

「ぐぁっ……!」

 衝撃。

 同時に、上から重みがなくなる。

「沙也加っ!!」

 抱きかかえられる感覚に、うっすらと瞼を開けば、薫が泣きそうな表情でこちらを見ている。ただでさえ蒼い顔が、今はもう、死人みたいな色になっている。

 なにか答えないと。そう思うのに、口は開かなくて。

 視界がどんどん霞んでいく。

 重たい意識は、そのまま鉛のように巻き付いて、私を闇に引きずり込んでいった。

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