そして彼女は、話し始める。

 しばらく彼女の背中をさすっていれば、だいぶ落ち着いてきた呼吸が聞こえてくる。

「大丈夫、ですか?」

 彼女は頷くと、こちらを見上げてくる。顔にかかった髪を耳にかけるその仕草が、とてもさまになっていて、美人ってすごいな、なんて関係のないことを思う。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

「一人称」

「え?」

 女性が、少しだけ目を細めて口角を上げる。その表情は、酷く悲しげだ。

「僕、じゃなくて俺、なんですね」

「え? あ」

「もしかして、使い分けとか、されてます?」

「……まあ」

 初対面のときや、相手がかなり偉い人の場合は、僕。それ以外は俺を使うようにしている。

「やっぱり」

 でも、やっぱりってなんだ。

「お兄さんとそっくりですね」

「……兄を、知ってるんですか?」

 彼女は、震える手を抑えて頷く。

「知ってます。……たくさん、優しくしてもらいましたから」

「もしかして、最期のときも、そばに?」

 やや間が空いてから、彼女は頷く。

「ごめんなさい、辛いことを思い出させましたよね。僕、焦って――」

「俺」

「え?」

 彼女がじっと俺を見る。薄墨色の瞳は、なにもかもを見透かしそうだ。

「俺のほうが、言いやすい、ですよね。きっと」

「……それも、兄と同じ、ですか?」

 彼女は頷かない。代わりに口の端をわずかに上げる。

「……俺、焦ってたんです。枯れたんならまだいい。だけど、咲いてしまったのなら。まだずっと、咲き続けているのなら、はやく解放してあげたいって、思ってたんです」

「解放……?」

 キョトン、とした表情で、彼女は繰り返す。

「俺、園田そのだしゅうって言います。何代も前は、精霊遣いをやっていた家系です。……それも、精霊が視える人がいなくなってからは、ぱたりと途絶えてしまったのですが」

「……園田さんは、精霊が視えるんですか?」

「視えます。俺の家系は、花の精霊と仲が良かった。その関係で、今、俺は一匹の花の精霊と契約を交わしているんです」

「もしかして、解放するために?」

 俺は頷く。

「精霊の力を借りれば、花の中にとらわれたままの魂を、解放してあげられるんです」

「とらわれたまま……」

「枯れれば、魂はその瞬間に解放されています。だけど、咲いてしまえば。花人はなびとの花は枯れることはない。少なくとも、一度咲いた花が枯れた話を、今のところ聞いたことがない。つまり、魂は永遠にそこにとらわれたままなんです」

「……」

 彼女はふと、蒼い薔薇ばらに視線を向ける。

 細められる瞳。八の字に寄っていく眉。キュッと結ばれる赤い唇。

 ああ、やっぱりあの薔薇は、花人の花だったんだ。

「……薔薇の人を、解放したいんですか?」

「……ええ」

「それなら」

 俺が言葉を切れば、彼女はこちらを向く。

 その薄墨色の瞳に目線を合わせて、できるだけ柔らかい表情になるように意識して、口角を上げて目尻を下げる。

「俺に、兄と、あなたのことを教えてください」

「え?」

 意味がわからない、とでも言いたげに、彼女の眉間にしわが寄る。

「どういうことですか?」

「俺はなにも、兄を解放したいだけでここまで来たわけじゃないんです。できるなら国内の花人患者の魂すべてを、花から解放したい。それと同時に、花人病とはなんだったのかを知りたいんです」

「あなたが契約した精霊に訊けばいいじゃないですか」

「嫌がって言ってくれないんですよ。自分の口からは言えないーって」

「……私が知っていることが、あなたの知りたいこととは、限りませんが」

「それでも大丈夫です。できれば、発症したときから今までのことを訊きたいです。もしかしたらそこからなにか、浮かび上がってくるかもしれない」

 少し悩むような間。彼女はチラリと蒼い薔薇に視線を投げてから、俺を見る。

「彼女が解放されるのなら。わかりました、話します」

 彼女は地面を見つめる。

「私の名前は、瀬戸せと沙也加さやか

 名前を聞いた瞬間、どうして彼女に見覚えがあったのか、理解する。

 そうか、彼に似ているからか。

 それならきっと、この蒼い薔薇は……。

「普通の、本当に、どこにでもいるくらい普通の女の子でした。だけど、中学二年生になったばかりの……十三歳のあのとき、私の人生は暗転しました」

 視線を彼女に戻す。

 彼女は、すうっと小さく息を吸う。そして、目を伏せる。

「五歳離れた弟と一緒に、母におつかいを頼まれていたんです。それを終えて。私たちは帰り道を歩いていました。だけど、いきなり吸血衝動に駆られて、大切な弟に、襲い掛かってしまったんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る