彼女は、兄は消えたのだと言った。

 ここから動くわけにもいかないので、ぐるっと視線だけで部屋の中を見る。

 目立つものといえば、女性を守るように壁一面に茨を張り巡らせて咲き誇っている、蒼い薔薇ばらだ。

 花人はなびとが花になるとき、咲く花の数には個人差があるらしい。

 一輪しか咲かせない人もいれば、この蒼い薔薇のように何輪もの花を咲かせる人もいる。

 薔薇の数を数えてみる。ひい、ふう、みい……。だめだ、多すぎる。恐らく百は越えているだろう。

 蒼い薔薇の花言葉ってなんだっけ、なんて頭の中で考える。確か薔薇には本数にも意味があるはずで。……熱烈な愛情を感じる。


 なんて、空気を読まずに考えたところで、顔を上げる気配さえ見せない女性に視線を戻す。


 少しだけ悩んだけれど、他にも生きている人がいるとは思えない。

 彼女の様子を見るに、恐らくこの質問で突然襲われる、なんてこともないだろう。

 それに、先ほど彼女は、俺を見て、吸血鬼でもないようだ、と言った。

 花人病が流行った時点で国内には一人もいないと言われていた、吸血鬼という単語をわざわざ出したのだ。俺を見て。

 なにか、知っているのかもしれない。俺の兄貴について、なにかを。

 少なくとも、吸血鬼がまだいるかもしれないと、彼女は考えている。

 そう踏んで、俺は口を開く。

「さっき、なんで僕がここに来たのか、訊きましたよね?」

 答えはない。

 それでも、俺は続ける。

「僕、ここに、兄を探しに来たんです。花人であり……国内最後の吸血鬼でもあった人、なんですけれど」

「!」

 女性が勢いよく顔を上げる。すがるような、それなのに怯えるような瞳は、そこそこ離れているここから見ても、揺れていることがわかる。

「知っているんですね……?」

 女性はなにかを発するように口を開くが、すぐに閉じ、なにかを考えるように瞳を伏せる。数秒。小さく息を吐く音が聞こえると、女性は首を横に振る。

「彼は、もうとっくに亡くなりました」

 わかっていた事実だった。

 花人病患者の寿命は、発症してから十年だと言われている。

 兄貴が連れていかれてから、すでに十九年が経っている。

 それでも。

 たとえある程度の覚悟をしていた事実だとしても。

 それは俺の頭をぶん殴るくらいの威力がある言葉だ。

 だけどその衝動をなんとか堪えて、俺は極力冷静に言葉を紡ぐ。

「咲きましたか? ……枯れましたか?」

 彼女はそっと自分の両手を見る。目を凝らせば、微妙にその両手が揺れているように見える。

「……消えました」

「は?」

 予想外の言葉に、俺は間の抜けた声を出す。

 消えた? どういうことだ?

 花人の末路は枯れるか、咲くか。その二択だ。

 なのに、消えた? ……からかわれているのか?

「……わかるように言っていただけますか?」

「彼は……っ」

 女性がギュッと自分の胸元を掴む。服にしわが寄る。俯き、髪によって覆い隠されてしまった向こうからは、押し殺しきれなかった嗚咽が聞こえる。

「……っ……っ」

 いや、違う。

 嗚咽じゃない。

 過呼吸だ!

「ちょ、だいじょ――」

 彼女は、崩れるようにその場に倒れ込む。近づこうとすれば、すぐさま彼女が手のひらをこちらに見せる形で、俺を制する。

 危なかった。

 俺がここを離れれば、ドアが閉まって、俺もこの人も出られなくなるんだ。でも、だからって目の前で人が苦しんでいるのに、なにもしないわけにもいかない。どうすれば。

 ギュッと鞄の紐を掴んでハッとする。

 まさかこんなところで鞄を奪っていくやつもいないだろう、というかそもそも、恐らくはこの土地にいるのは俺と彼女だけのはずだ。

 だから、きっと大丈夫。


 俺は鞄をドアと壁の間に挟むようにして下ろす。ちゃんと挟まって、ドアが開いたままになることを確認してから、俺は彼女に駆け寄る。

「大丈夫!? とりあえず、俺の呼吸に合わせて!」

 息を長く吐いて、そしてその半分の長さで吸う。そしてまた息を長く吐く。隣で彼女が真似をしようとしているのがわかる。

 さすれば少しは楽になるだろうかと背中に触れて、あまりの細さにギョッとする。

 骨と皮だけ、とまではいかないけれど、それに近い。ちゃんと食べている……はずもないか。こんなところに閉じ込められていたら、なにも食べることはできない。

 オートロック式の、鍵の存在しない、内側からは決して開かないドア。壁一面に茨を張り巡らせた大量の蒼い薔薇。そこに女性が一人。

 それも、自分が最後の一人ではないとわかっていたところから、かなり長い年月をずっとここで過ごしているのだろう。

 この部屋はなんなんだろう。気味が悪い。

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