小さな音が、聞こえる。

 自分の足音だけが響く廊下。

 いたるところに、花々が咲いている。

 その中に兄貴はいないかと、目を凝らす。


 咲かずに枯れているかもしれない。そもそも、咲いていたとしても、俺は兄貴がなんの花になったのかを知らない。

 花人病はなびとびょう患者の血液から、その人がどの植物になってしまうのかわかるらしい。でも、それを調べられるのは花人病患者だと発覚してからだし、結果は本人にしか知らされない。

 兄貴に襲われて以来、一度も彼と話したことがない俺に、兄貴の花がわかるわけがない。

 でも、きっとわかるはず。だって俺は――。


「?」


 なにかが動いたような、小さな音が聞こえた気がした。

 俺は辺りを見回しつつ、斜め掛けにした鞄から、暴走した花人を一時的に止める薬が入った注射器を取り出す。

 少し前までは、最低でも一人一つ持ち歩くことを義務付けられていた。

 花人病を発症する人がいなくなってからは、それもなくなったけれど。


 廊下には誰もいない。なら室内か、と、注意をしつつ近くの教室のドアを開く。……誰もいない。

 気のせいか、と思ったとき、またどこかから音がする。

 耳を澄ませる。響き方から考えると、音がしているのは……下?

 ここは一階だ。ということはこの高校には、地下室があるのか?


 廊下に出て、もう一度注意深く辺りを見回す。近くから音がするということは、この周囲に地下に通じる階段か、部屋のドアがあるかもしれない。

 よく見てみれば、壁と同色のドアが一つ、教室と教室の間、ちょうど人が二人は通れそうな隙間に存在している。


 ごくり、喉が鳴る。


 同時に興奮が込み上げてくる。それを押し込めて、俺はピタリとドアに耳をつける。音を立てるモノがいる可能性なんて、考えてもみなかったから、それ用の道具は持ってきていない。

 息をひそめながら中の音を探る。小さな音。ここだ。

 ドアノブを回して押してみる。

 そっとやちょっとの力じゃドアは開かない。


 どうか中にいるモノが、突然襲い掛かってくることがなく、俺の言葉が通じる人でありますようにと祈りながら、力を込める。


 ドアはやっぱりと言うべきか、鈍い音を立てて開いていく。

 中にいるモノがこちらに気づいたように動きを止めたのが、気配でわかる。

 薬を持つ右手に力を込めつつ、鞄から出した懐中電灯で足元を照らす。


 下は、飲み込まれるような闇。その奥へと階段がグルグルとらせん状に並んでいる。

 一度ゆっくりと深呼吸をする。

 きっとドアの音で、この中にいるモノに俺の来訪はばれている。その証拠に、今は下から物音一つしない。ただ、そこになにかいる、という気配だけ。

 もしものときは注射器を刺して逃げる。それが無理そうなら、必死で走る。そのための軽装なのだから。

 そう自分に言い聞かせながら、俺はらせん状の階段を一段、また一段と降りていく。

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