取材が全てか? とも思う
次回準備中のファンタジー小説に向けて、東南アジア諸国の少し昔の風俗が分かる本をいろいろ手に取っている。で、あんまり読んでると、(もうアカン、ダメだ、絶対書けない……)という絶望的な気分になってくる。
通勤途中に車の中でつけている「七つの大罪」が面白い。あれなんていろんな時代や国の風俗が結構入り乱れているような感じで、まあ、ああいう感じでもいいのかな……なんて思ったりもする。
一方で、ものすごく取材をしているんだけど、あんまり感心しなかった作品もある。アニメ映画「この世界の片隅に」。戦時中の呉という町の景観、人々の服装、食べ物……本当にものすごくものすごく調べてアニメで再現している。でも、だからといって、当時の「空気」や人々の「心情」まで再現しているようには到底思えなかった。……といってもワタクシも戦時中を生きた人間ではないから本当の所は分からないんだけどね!
ただ、ワタクシ、かつて原爆をテーマにした作品と従軍看護婦をテーマにした作品を一本ずつ書いたことがある。それに関連して当時に関する書籍を読み漁った。「この世界の片隅に」の制作スタッフはもっともっと本も読んだし取材もしただろうに、なんであんな薄味な作品になっちゃうんだろう、というのが率直な感想だ。作品から何も作り手の訴えたいテーマが見えて来なかった。なんとなく、「徹底的にリサーチして当時を再現する」という事が目的化しちゃったんじゃない? という印象。「ことさら戦争の悲惨な部分だけを強調しない」とか「庶民の日常を丁寧に描く」とか、そういう事はあくまで「作品の方向性」「世界観」「設定」であって、「テーマ」と言えるものではないと思う。「この世界の片隅に」は、何だか設定だけで終わった作品、という感じで、テーマらしきものは見えない。芸術作品としては物足りないと思った。
まあ、あんだけリサーチしてそれを描けば、みんなから好意的に評価されるんだなってことは分かったけど。
多分、今、小説の読者や映画の鑑賞者が欲しているのが作り手の思いではなく「情報」なんでしょうね。いろいろ情報が詰め込まれている(戦時中の生活に関する情報とか)作品は評価されるってことなんでしょう。お手軽に物知りになれるわけですから。でも、フィクションの役割がそれだけってのは哀しい。だって戦時中の生活について知りたければ、当時の人々の手記とか研究書なんかを読めばいいわけじゃないですか。
取材は大切。でも取材で得た知識を小説に詰め込む事が目的化しちゃうと、それはまた違うと思うんだよなあ。
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