妖狩りの九十九


 この世には、妖怪が居る。と言えばきっと、誰もが怪訝な顔をするだろう。しかし少年、安倍あべ 夜行やこうにとって、あやかしの存在は生まれつき傍にあった。それこそご近所さんの幼子のように、そこらを小鬼が走り回っている様子を何度見た事か分からない。

 そして、今日も。目の前で槍を振るう天狗の様子を見修め、夜行は唾を飲み込んだ。矢継ぎ早に繰り出される刺突を次々と避ける。目、右肩、胴体、脚。そうやって次々と天狗は夜行の身体を狙ってくるが、何とか紙一重で回避する。

 陽が落ちてから数時間して、陽が昇る二時間ほど前まで。それが妖怪たちの活動限界。夜の闇に紛れていなければ、彼らはこの世に存在できない。それは千年も昔から決められている、絶対の摂理。

 屋根から屋根へと飛び移り距離を取りながら、時計を確認する。現状、草木の眠る丑三つ時。まだ陽が昇るには時間がある。逃げ切れるような時間ではなく、倒してしまわねばならないだろう。

 命のやりとりには未だに抵抗がある夜行だが、黙っていては殺されるだけ。年頃の少年に過ぎない彼にとって、それはごめん被る。自分の靴に向かって彼は小声で呼びかけた。どこからとなく、第三者による応答。それを耳ざとく聞きつけた天狗の遣いはというと、ほんの少し眉を顰めたものの、他の者の影が見えぬ以上、空耳と断定して只管に少年の背を追った。

 烏のような真っ黒な羽により、天狗は夜の闇に溶け込んでいた。同時に、少年の方も黒装束を纏っているため、暗がりに潜んでいると言えなくも無い。しかし、少年が身に着けている服はというと、世の学生が昼間勉学に勤しむためのものと同じであった。真夜中に着用するには少々似つかわしくない服装、学ランと称される形状の制服だ。

 わざわざそんな服を着ずともよいだろうに、そんな恰好をしているのにも訳がある。ひらりひらりと、人目につかない屋根の上を音も無く跳び続けていた少年だったが、人通りの少ない路地に辿り着くや、一息に三階建ての屋根から飛び降りた。

 別段何事も無く着地した少年は、そのまままた地面を蹴って走り出した。不自然なほどにその足音は静かで、気配がちっとも感じられない。

 それだけではなく、ただの人間が自分から逃げおおせている事実が、天狗には理解できなかった。不機嫌を隠そうともせず、威嚇目的で真っ黒な嘴を打ち合わせる。羽と同じ、真っ黒な薄手の布を纏った天狗は、翼を勢いよく打ち付け、夜行目掛けて滑空する。その後ろでは突風が巻き起こり、砂煙が宙を舞った。

 だが、追いつけない。距離こそ開いていないものの、詰められはしなかった。陰陽師特有の呪力しゅりょくが感じ取れなかったとはいえ、それでもやはり只者ではないのだなと、遣いである天狗はほくそ笑んだ。それでこそ、あの方が喜ぶと言うものだ、と。

 まだ後ろには、妖の気配が残っている。今夜の相手もしつこいなと、夜行は夜行で舌打ちをした。春先の風はやけに冷たかった。肩でその冷風を切りながら、一目散に人目のない方へと走り続ける。

 丁度いいのは学校であろう。彼の通う高校はグラウンドが広く、夜は真っ暗闇に包まれるため、人目を避けるにはもってこいの場所だ。この街、柊木ひいらぎ町が平和な土地だからと、呑気な校務員は居眠りしがちなのも有難い。

 高校の傍までたどり着き、正門まで向かう手間を惜しんだ夜行は、そのまま三メートルはあろうかというフェンスを一息に跳び越えた。どうせ正門についたところで施錠されている、との判断故である。

 街灯の光も届いてくれない、校庭の中心。そこに辿り着きようやく、夜行は足を止めた。ひらりと体を反転させ、追ってきた天狗と相対する。飛来した遣いの妖が目の前に降り立つまでの間に、制服のポケットから取り出した革の手袋を手早く装着する。

 降り立った天狗はというと、そんな夜行の様子を見て警戒を浮かべる。わざわざ迎え撃つ態勢を整え、その上で着用したそのレザーのグローブが、何もない訳が無いのだから。

 どうしたものかと近づきあぐねていた時だ。手につけたグローブを口元に寄せて、そっと夜行が囁いたのは。

「頼むぞ、浄雷じょうらい

 次の瞬間、大気を焦がす臭いがした。たったの一瞬、一筋の青白い雷光が夜の闇を払うように瞬いた。空気が爆ぜる不快な音に、それが紛れも無く雷電であると知る。初めはただの一筋の電光に過ぎなかった青白いエネルギーが、次の瞬間茶色かったグローブ全体を覆い尽くした。蒼雷が、少年の手首から先全てを覆い尽くす。

 天狗自身驚いたことに、その少年の掌からは————。



 ――――あやかしと同じ気配がした。


 ええ、任せておいて。

 誰もいないというのに、魔を打ち払う雷光煌く中、未知の女声が聞こえた気がした。




 と、まあこんな感じさね。

 どうだい? わっちの語り部っぷりは。

 よくもそんな詳細に語れるものだな、って。そりゃあそうさ。今も昔も、どこかで誰かが必ず見てるもんさ。昔っから言うだろう? お天道様は全部知ってるぞ、ってね。

 まあわっちにも知らぬこともあるがね。それでもこれぐらいの情報なら知ってるもんさね。

 ここまでが、あんたの聞きたい話の前振りさ。盃の酒が無くなってるから注いでやるよ。

 何せ、こっからが本題なんだから。

 ね?



 これより語るはこの少年、妖狩りの九十九が真に己を知るまでの話さ。

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