リゼルグ酸ジエチルアミド25

天霧朱雀

LSD-25

 生憎の寝相占いは最高の出来栄え。マシュマロベッドから叩き落されて、サイケデリックな床と対面。ハラショーなおはようございますをこの星にお届けした。


 ブラックルチルの髪の毛をセットしていたら、口寂しくてフローラルスティクをかじった。彼女からはそんな健康的な事をする事はバイオレンスだと揶揄されたが、クセになってしまっている。

 だいたいの支度を済ませて、流行りのレインコートを羽織る。紺色のサテン素材にぬたくったカドニウムイエローがよく映える。フードにシマリスのはく製を突っ込んで、首から下げたヘッドフォンからは流行りの無音を流す。

 冷蔵庫にしまっているコンニャクへ手を掛けて、少し迷った。どうせ彼女がクワガタを齧って登校するはずだ。出会いがしらでぶつからない程度に鉢合わせることが一般常識だったら、俺がコンニャクを齧って登校することは少しセオリーじゃない。フローラルスティクを齧りなおして、液体マッシュルームのパックをフードへしまった。シマリスと並ぶと少し首元が重たかったが、昼飯の事を考えると自炊した液体食を持って行った方が経済的だ。ドロイド暮らしにも慣れてきて、今更マザー(コンピュータ)へ電子バッジを送信するのも如何せんあり得ない話。テイオウゼミの素揚げだって、すこし貯金を崩せば食べれなくもない。

 フローラルスティックを咥えたまま、家の鍵を開けた。出かけている間に、広告機構組合の連中が新しいコマーシャルを壁張りするはずだ。クォーツが四十九周するうちにマーケットが入れ替わる。ご苦労なこった。


「グーテン、な嗚ヤななや


 家を出てすぐ呼び止められた。マゼンタカラーのツインテールを揺らしてカブトムシを齧っている彼女、ことララ巳ららみが待っていた。


「珍しいこともあるな、」

「あー、またスティック齧ってる。そういうのは死にかけのジジィの嗜みなんだよ」

「うるさいなぁ、俺の勝手だろ」


 ララ巳の言葉よりもカブトムシのゼリィの香りが苦手だった。足早で前を通り過ぎて、俺の後ろをララ巳が追いかける。交差点の前でふわふわエアカーが遮断機の前に陳列する。ララ巳は俺より一歩踏み込んで、俺の顔を見るなり「そういえば、新しいエゾ鹿の角を買ったの! さっそく後ろに居れてきた」とフードを見せびらかした。

 確かにララ巳のパーカーのフードには鹿の角が入っていた。


「防犯チップは埋めたのか?」


 高価なはく製を端末にすると決まってラッド警察がネズミ臭い体をこすり付けて献体のため没収されてしまう。前に減温仲間のレ李羅がサーベルタイガーを持って行かれたのを目の前で見てしまった。あの時はレ李羅れりらが必死で貯めた金で買ったサーベルタイガーが、絶滅危惧種だからという理由でチップを入れ損ねた故没収されたのだ。可哀そうな事に凹んだレ李羅はそのまま即身成仏となって千二百年ぐらい時を超えるらしい。


「もちの論、さらに言うと最新鋭の承認システムも入れたから、ほぼ私と同然」


 トルマリン色の唇を釣り上げて満面の笑み。俺もしだいと頬が緩んだ。


「でも、ララ巳は鹿っていうより、蟹だと思うけど」

「蟹ははく製にすると色が落ちるからハイパー着色で自然じゃないって言ってたのな嗚ヤじゃん」

「だから、そんな鮮度がいい、ララ巳が蟹って言ってんの」


 まだ空はベージュ色の朝なのに、なんて卑猥な事を言ってしまったんだろう。言った後で血の気が下がった。当然ララ巳は俺の背をビッタンと叩いて足元のドロップ色をジロジロ眺めて居る。


「ごめんって、惚気た」

「……な嗚ヤなら、イイよ」


 こんどは俺が俯いて、足元のハリガネムシ色の靴ひもをジロジロ眺める番だった。


「いこ、遅刻する。一時間目は世界解呪だし」


 返事の代わりにフローラルスティックを上下させ、ポケットへ手を突っ込んで歩いた。

 空からは酸っぱい雨がぽろぽろとこぼれ始めていたから、レインコートのフードへ手を掛けた。すかさずララ巳は持っていた折り畳みのサトイモの葉を広げたから、スッとその下に入った。手を繋ごうと思えば繋げる近しい距離。それなのにいままで告白らしい告白はまだしていない。

 残念ながら女々しい俺にはウエディングドレスを着る資格なんて無いから、ララ巳がお付き合い許可書をマザー(コンピュータ)へ申請するのをしたたかに待っていた。


「なぁララ巳」

「なぁに、な嗚ヤ」

「……なんでもない」


 結局、俺はなんにも言えなかった。

 パステルカラーの塀が見えたら教育専門院。正門の七色ブロック塀へ付くと、電子機器がカチカチカチとタラップを設置する。オートメイションでボディから離れて精神体として施設にログインする。体は医務室へ運ばれるみたいだが、医務とはどういう意味なのか知らない。昔からある古語だった。


<p>

記夢ラきむら「どうした、ステック喫えなくイラついてんのか」9:05<br>

な嗚ヤ「うっせぇな」9:06<br>

サ 瀬させ「な嗚ヤが荒れてるなんて珍しいね」9:06<br>

記夢ラ「な嗚ヤはジジィみたいな性格してっからな」9:07<br>

な嗚ヤ「ほっとけ」9:08<br>

</p>


<p>

private<br>

ララ巳「ねぇ、な嗚ヤ」12:45<br>

private<br>

な嗚ヤ「どうした、ララ巳」12:45<br>

private<br>

ララ巳「帰りも居っしょでイイ?」12:46<br>

private<br>

な嗚ヤ「いいけど、別に」12:47<br>

</p>


<p>

記夢ラ「おいな嗚ヤー、法科改修はじまってっぞー」14:01<br>

な嗚ヤ「ごめん、午後はパス。あとでテキスト送っといて」14:02<br>

記夢ラ「はー、貸しだかな。あとでヤママユガ驕れよ」14:02<br>

な嗚ヤ「ホントお前って鱗粉好きだよなぁ」14:03<br>

記夢ラ「ほっとけ」14:03<br>

</p>


 先にログアウトしてララ巳の復帰を待っていた。新しいフローラルステックをポケットへしまっていた手のひらサイズの箱から上下に振って取り出す。一回吹かしただけで、頭はすっきりした。空は今日も晴天の黄土色。さっきの雨が嘘みたいだった。


「おまたせ、まった?」


 ララ巳がマゼンタのツインテールを揺らして小走りしてきた。思わず指をパチンっと鳴らして「待ってない」と告げてしまった。


「な嗚ヤったら、テンパりすぎ」


 くすくす笑う彼女につられて俺もヘラッと笑ってしまった。我ながらこれじゃ可愛げがない。

 帰路の水あめ状のアスファルトを踏みつける。パラジウムで出来た靴底は時折、地面と反応してパチッと燃焼した。


「大事な話があるの」

「なんだいララ巳」

「私ね、な嗚ヤと居るとすごくハッピーなの。だから、バッドガールを辞めようと思って」


 彼女はそう言って、自分の首より少し下から黒いベールを取り出した。ほんのりとララ巳の香りを孕んだそれは、自分が吸っているフローラルスティックの匂いよりも強烈に思えた。


「だから、な嗚ヤも禁煙、して」


 ベールを俺の頭へフワッとまるでシフォンのように掛けると、思わず咥えていたフローラルステックを水たまりに取り落した。酸性雨の水たまりはシュワシュワと音を立てて、化学反応を起こす。

 一酸化炭素の酩酊みたいなぼんやりとした頭の具合に、ララ巳を抱きしめた。


「喜んで!」


 心拍数や血圧や体温の上昇、軽い目眩さえ覚えてくる。


「嬉しい!」


 この際、苦手なカブトムシもむしゃむしゃ食べる事だって気にならなかった。蟹のような極上の髪の毛、サファイヤみたいな唇、鹿の角のような手足。ララ巳という存在が、すべてマーベラスでパーフェクト。

 宇宙的に、幸せなこの空間に、ララ巳と俺しかいない気さえする。狭く閉じた世界というレイヤーの一つである一枚に、ララ巳と俺。きっとセルアニメで言うなら同じセルに描かれた一心同体。


 サイケデリックに微笑む万能感を等しきり酔いしれて、俺はそっとララ巳の代わりにお付き合い許可書をマザー(コンピュータ)へ申請した。



 →

了 ↓

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