#31 天使の群れ②

「…………あと十秒で勝負を付ける。次はお前だ、イレーヌ。今の俺に勝てないことは、お前が一番知っている筈だ」


 デュランダルでイレーヌの喉を指しながら、ロベルタが冷ややかに告げる。


 サーベルは折れ拳銃も大した効果を見込めない以上、ロベルタの発言は正しい。


 イレーヌがどれだけ強くとも、無尽蔵の再生リソースを持つ今のロベルタを屠ることはできない。


 人形とは違い人間には疲労があり、身体を構成する細胞の分裂数が一定である以上傷は無限に再生しないのだから。


 だがしかし、イレーヌの口元から笑みが絶えることはない。滾々と湧き続ける喜悦が止むことは無い。


「……く、ははははははっ! それで勝ったつもりか? それだけで私の部隊を掃滅したつもりか? 笑わせるな!」


「――何?」


 電脳で疑問を感じ取るのとほぼ同時に、ロベルタが足元の異変に気付く。


 ロベルタとイレーヌの足元に広がるロベルタの一部――銀色の湖がぼこぼこと沸き立っている。


 不気味に泡立つ水面は次第に広がり……そしてロベルタの背中に、何かが勢いよく突き刺さった。


 背部へのダメージを知らせるアラートが鳴り、エラーを知らせる半透明ウィンドウが浮かんでは消えていく。


「……な……っ!」


 振り返ったロベルタの後ろでは、ベルベットが感情のない目でロベルタを睨みながらカトラスを刺していた。


 転移を疑いもう一度元見ていた方へと視線を戻すも、そこには依然としてロベルタが動きを止めたベルベットが立っている。


「何だ……これは……?」


「別に知らなくてもいいよ。魂の無い私達は――」


 ずん、と音がしてロベルタの腹にカトラスが刺さる。突如として出現した三体目のベルベットが、ロベルタの腹を刺していた。


「「天国にも地獄にも逝くことは無いのだから」」


「言わせておけばいけしゃあしゃあとっ!」


 ロベルタが上へと転移し、デュランダルを仕舞ってイフリートを呼び出す。


 モードアサルトへと変形したイフリートをロベルタが発砲し、三体いたベルベットの内二体を射殺する。


 倒されたベルベットの骸は銀の流体へと変わり、再び元の水面へと戻った。


 しかしベルベットは平静を崩さない。再び二体のベルベットが水面から姿を現し、さらに五体のベルベットが出現した。水面の沸き立つ箇所は更にその数を増している。


 八体のベルベットが、口々にロベルタへと語りかける。


「中々やるじゃないか、ロベルタ。女二人に支えられて生きている気分はどうだい?」


「心を彼女に繋がれ身体を狂人に繋がれた、哀れなマリオネット」


「誰にも理解されない罪業の十字架を背負わされ、先も知らず闇雲に茨の道を歩き続ける操り人形」


「あんたをあんた足らしめるものは何もない」


「あんただけを求めている人はいない」


「人でもなければ天使でもないあんたはただの要素ファクターだよ。帝国の繁栄の為の歯車だ」


「怒りも憎しみも紛い物で、反乱は予想された変数に過ぎない。全ては予定調和の結末へのルートをなぞるまでに過ぎないのさ。だって――」


「我々は運命という用意された一冊の本の登場人物であって、その作者ではないのだから」


 ぎり、とロベルタが奥歯を噛み締める。悔しい程に正論だった。


 ロベルタを愛している者は――アイリであれエリーゼであれ、果てはヴェロニカでさえも、


 そしてロベルタがここにいるという確証を与えるものは何処にも存在しない。自分の起こした反乱も、帝国の全てで見渡せばただの変数なのだろう。


 罪業エインヘリアルを背負い復讐という針の道を歩むという例えも、マリオネットという言葉もこの上なくぴったりなものだ。


 ――だから、どうした。


 ロベルタがイフリートを仕舞い、デュランダルを呼び出す。


「……運命が決まっている? なるほど、確かにそうかもしれない。俺の足掻きも、もしかしたら無駄なのかもしれない。だが――」


 転瞬ロベルタが転移し、近くにいたベルベット二体を斬り捨てる。突然の出来事に他のベルベット六体の間に静かに動揺が走った。


「お前たちも運命がどうなるかは知らない筈だ。俺の方に転ぶのか、帝国軍おまえらに転ぶのかを」


「――――っ!」


 確実にロベルタの感情は揺さぶった筈だった。あどけない怒りを刺激した筈だった。 


 だが実際、ロベルタは冷静だ。極めて冷静にその言葉を受け流し、あくまで機械的に二体を処理した。


「お前たちの言っていることの真偽は問わない。お前達の正義など知ったことではない。マスターに従うことだけが至上の快楽であるお前にはな。しかし……」


 再びロベルタが転移して、三体目のベルベットの心臓コアを突き刺す。


「ベルベット、お前はあの時俺の大事なものを奪った。俺の生きる意味全てを破り捨てる手伝いをした。俺がお前を殺す理由はそれで十分だ」


「……なるほど。ややこしい理屈抜きというのはこちらも問答の手間が省けて助かるというものだ」



 水面からさらに五体のベルベットが現れ、十一体のベルベットがカトラスを抜いてロベルタを囲む。



「さあ――往くぞ!」



 一斉にベルベット達が飛び掛かり、ロベルタがデュランダルを振りかぶる。


 一番最初に飛び掛かってきたベルベットの頭を両断し、次いでカトラスを突き込んできた二体目の攻撃を薄皮一枚で躱して胴を切り裂く。


 下段と上段から連携して攻撃した三体目と四体目はそれぞれ喉と眉間を刺され絶命した。


 その隙に斬り付けた五体目の攻撃が腹を薄く切り裂くも、振り抜いた隙を狙ったロベルタの斬撃によって首を刈り取られる。


 これで約半分を倒した筈だが、依然としてベルベットの数は減っていない。否、寧ろ先程の倍以上へと増えていた。


「……なるほど、それが【ミズガルズ】の正体なのか。お前で十分なはずなのにスパルトイの部隊まで連れて来た意味もようやく分かったよ」


 苦笑いしながらロベルタがベルベット達を睨む。


「へえ、もう気付いたのかい? 中々理解力があるじゃないか」


「試しに言ってみなよ。壊す前に答え合わせに付き合ってやる」


 二人のベルベットがおどけた様な態度を取りながらロベルタへと近づく。まるで自分が死んでもいいと言わんばかりの不用意な接近にロベルタがどきりとする。


 相変わらずの渋い顔のままで、ロベルタがベルベットを見つめながら口を開いた。


「お前の能力は――『自身の複製』だ。自身を構成するナノマシンリソースのある限り、無限に自分のコピーを作り出すことができる。


 スパルトイを連れて来たのは一度俺を瀕死に追い込んでエインヘリアルを使わせる為。そして分解したナノマシンを使ってミズガルズを展開する為だな?」


「……そこまで詳しいところはマスターには伝えていないけどね。概ね正解さ。まあ、あんたがPandoraを使えたのは本当に予想外だったけど」


「知らないということはミズガルズを使うということをイレーヌが知らなかったということか? なら誰が許可を出した?」


「あんたなら分かるだろう? 我らが孤高の女王――アリアだよ。皇帝の天使であるアリアなら【神格武装クラウ・ソラス】の使用許可くらいは訳なく出せるさ」


 ベルベットの説明に「ちょっと待て!」とイレーヌが割って入る。


「人形が――人形風情が何故、主人マスターにまで黙って作戦を進める!? そんなことが……そんなことが許されるとでも思っているのか!」


 激昂するイレーヌの叫びに、ベルベットは何も答えない。否、答える必要がなかった。


 それはごく当たり前の判断で、ベルベットの判断に何ら悪気はなく落ち度もなかったのだから。


 なおも詰ろうとするイレーヌを冷ややかな目で見つめて、ベルベットのうちの一体が口を開く。


「それがだったから、それがマスターの為になると思ったから……ですよ。マスター、あなたは間違いなく戦いの達人ですが、指揮官としては二流です。


 二流に余計なことはさせられないでしょう? 私がマスターの役に立つには、これしか方法がないんです」


「マスターの役に立つために最善を尽くすことは間違っていますか? 私はマスターの期待に応えられない失敗作ですか? 違いますよね、そんな筈ないです」


「私はいつだって完璧に――マスターを護ってきたのですから」


「それにほら、マスター達は言ってたじゃないですか」


必要知規則ニード・トゥ・ノウ。知らなくていいことは知らなくてもいい、と」


 ベルベット達の言葉に、イレーヌが下唇を噛む。


 ――これだから人形に必要以上の知識を与えるのは嫌いなんだ!


 剣は知能を持ってはいけない。盾に感情を与えてはいけない。現場にいれば誰もが分かっていることだ。


 武器とはあくまで道具でなくてはならない。剣が知能を持てば斬り続けることに疑問を持つだろうし、盾に感情があれば使われることを拒否する。


 そしてそれらはやがて致命的なトラブルへと直結しかねない。即ち使い手の死だ。


 ましてベルベットは最高の兵器である天使。感情も知能も与えずに飼い殺すことが最善である筈だ。


 だがそうはならない。人形の基本コンセプトであり最終目標である『人間の似姿』という定義テーゼから大きく外れることは仕様として許されていない。


 それは民意であり、軍部と開発部の総意だ。皇帝ツァーリを含む誰の望む望まざるに関わらず、この国はそういう国なのだから。


 帝国にとって天使それらは偶像であり神そのものなのだから。


「……ご安心を。あなたの命令は守りますよ、ロベルタもクラリスも捕えます。それが私の――生き甲斐なので。」


「当たり前だ、さっさとロベルタを倒して捕縛しろ! これはAクラス命令だ!」


了解ダー。ではこれより、私の判断で私達の敵を討つとしよう」


 ベルベットの群れのうち戦闘にいた一体が両手を広げると、ロベルタのナノマシンを触媒としてさらにベルベットがその数を増やし、やがて谷全体を覆った。


 ――少し、数が多すぎるな。


 ロベルタがデュランダルを仕舞い、イフリートを呼び出してモード・アサルトへと変形させる。


「やめておきな。例えそっちに持ち替えても、あんたに勝ち目はない」


「……どうかな」


 ロベルタの返事と共に、その場にいたイレーヌとクラリスとエリーゼ以外の全てが動き出す。


 一歩踏み出すと同時にロベルタが上空へと転移。弾丸をばら撒いて何体かのベルベットを流体へと戻す。


 真を置かずイフリートを宙へと投げ、ほぼ同時に急降下して呼び出したデュランダルで着地点にいたベルベットを一刀両断した。


 続け様に、斬る動作に回転を加えた躍る様な動作でさらに二体のベルベットを屠り、デュランダルを戻して宙から落ちてきたイフリートを掴む。


 ここまでにかかった時間は約五秒強。文字通りあっという間の鮮やかな出来事だ。


「【神格武装クラウ・ソラスでよく粘るじゃないか!」心底感心した様な顔でベルベットのうち一体が叫ぶ。


「だが粘ったところで何も変わらないぞ!」


 その言葉と同時にその場にいたベルベット達が一斉に転移による短距離移動を開始する。

 

 先程ロベルタが行った転移とは少し形の異なる、空間移動というよりは座標移動に近いものだ。


 消えてはすぐに姿を現すが、決して互いの位置が干渉することはない。精密に計算された、乱数機動にも似た無数の転移を処理できずにロベルタの電脳の処理能力が鈍る。


「ワープ式……コピーにまで搭載できたのか!」


 鈍る思考を必死に研ぎ澄ましながら、ロベルタが苦々しげに叫ぶ。


 帝国の持つ空間転移技術には二種類の方法がある。


 一つはロベルタが行っている様な、コンマ一秒以下の世界では全ての物理法則が無視されることを利用した超高速移動によるジャンプ式転移。


 そしてベルベットやグノーシス、大型転移装置などが用いる、ワームホールや素粒子分解を用いた空間の短縮ショートカットを行うワープ式転移がある。


 前者は多用できるが長距離の転移には莫大な負荷がかかる上におおまかな座標指定しかできないのに対し、後者は精密な座標を設定でき長距離移動も可能だが多用できない。


 本来であれば近接戦闘に向いているのは素早く出せるジャンプ式だが、ベルベットの【ミズガルズ】の特性を考えればワープ式が最適解であることは容易に判断できる。


「だから言っただろう? 何も変わらないと」


 目の前に出現したベルベットがカトラスを振るい、ベルベットの胸を切り裂く。僅かに鈍った判断で回避が遅れた為、ロベルタは直撃を喰らった。


 視界が薄赤く染まり、脳内でエラー音が響く。


「畜生が……っ!」


 ロベルタがイフリートの銃口をベルベットの額に合わせ、引き金を引く。流体に戻ったベルベットを取り込み、ロベルタが傷を癒した。


 ――参ったな、再生手段が無い。


 小さく舌打ちして、ロベルタが得物をイフリートからデュランダルへと持ち替える。


 ロベルタの異常なまでの再生速度は膨大な量のナノマシンリソースがあって初めて成り立つものだ。ナノマシンが無ければ取り込んだ機体を作ることもできず、傷も治せない。


 そしてベルベットの能力ミズガルズがロベルタのナノマシンからコピーを作る以上、こちらの能力エインヘリアルは完全に封じられたことになる。


 倒しても再び造られ、こちらの傷は癒せなくなる。あとはロベルタが動けなくなるまで数の暴力で攻めればベルベットの勝ちなのだ。


 ――ヴェロニカやアイリあたりなら『天敵』だと表現しそうなくらい相性が悪いな。だが……。


 ロベルタが不敵に笑い、デュランダルを正眼に構えて静かに目を閉じる。電脳の演算機能の大部分を割いていた視覚情報が全てカットされ、他の感覚全てが研ぎ澄まされる。


 嗅覚、聴覚、触覚、その他全ての感覚がロベルタに、今のベルベット達がどこにいるのかを余すことなく伝えている。


「……何を考えてるかは知らないが――そろそろ幕引きだ!」


 無数のカトラスが迫り、ロベルタの人工皮膚を撫でて突き刺す。


 ――今だ!


 その刃が触れてロベルタの身を浅く切り裂いた時――ロベルタは動いた。


 音もなく振るわれた最速の一振りが、ロベルタを攻撃した三体のベルベットを切り裂く。切り裂かれたベルベットは二体が再び構築され、一体分がロベルタのものとなり傷を癒した。


 更に二体のベルベットがロベルタを斬り付けるも同じように処理され、一体分がロベルタへと取り込まれた。


「……なるほど。最初から目を閉じれば処理落ちすることも無く、当たる瞬間だけは読み取れる……。


 いいじゃないか、私には思いつかない、マスターが好きそうな人間みたいな戦い方だ」


 例え無数のベルベットが転移を行おうとも、攻撃を当てる瞬間だけは転移することができない。


 放った拳は引かねば戻らず、剣を振るった直後はがら空きになる様に、攻撃とは最大の防御であると同時に最も危険な行為でもあるのだ。


 そして傷つくことを恐れる理由が無いならば――思う存分その瞬間を見らうことができる。


 ――よし、このままなら数を減らせる。


 取り込んだ分のナノマシンは余分として垂れ流さずに、人工皮膚全体へと流して防御へと充てる。傷つくことに変わりはないが、これで傷が浅くなる、つまり再生速度の上昇へとつながる。


 予めナノマシンを展開することで攻撃や防御の展開速度を上げるのがエインヘリアルを使ったロベルタの今できる最も効率の良い戦い方だが、それが逆手に取られた今はこれが精いっぱいだ。その場凌ぎに過ぎない、いつかは果てる戦い方だ。


 しかしロベルタに焦った様子は見られない。負けを悟った様子も自棄やけになった様子も見られない。


 ただ静かにデュランダルを構え、その二つの瞼を閉じてベルベット達と対峙していた。


 止まっていた状況が動きだし、再びベルベット達がロベルタへと雪崩れ込む。数はほんの少し減ったものの、大勢に影響はない。


 頬を削ぎ落されるのと同時に、ロベルタのデュランダルがベルベットの胴体を両断する。肩を刺された一瞬後に蹴りを入れて眉間を突き刺す。


 攻撃は一撃で決めなければならず、再生する為のナノマシンは敵よりも先に取らなければならない博打に近い戦い方だ。


 戦いはもはや剣の打ち合いというよりは、ナノマシンの取り合いへと変化していた。


 一つのミスも許されない、千日手の様な緻密で繊細な戦い方。それは機械だから――否、ロベルタだからこそできるものである。


 ――まだ、……っ!


 デュランダルを振るうロベルタの動きがより俊敏なものになり、動きも最小限になる。もはや攻撃を受けずとも、誰がどこにいるのかは肌で感じることができた。


 その場にいる全ての動きを感じ、ゆっくりと目を開く。次の瞬間、ロベルタの肌からデュランダルへと流体が流れ出て、鉄塊の様な巨大な剣の形へと変わった。


 全ては、この時の為の布石。


「いい加減――いなくなれ!」


 ロベルタが真横一文字に長剣を薙ぎ、その近くにいた全てのベルベットが剣へと呑み込まれ姿を消した。長剣は再びロベルタの中へと呑まれ、展開されていたベルベット達はその半数が姿を消していた。


 この数であれば、目を開けていても問題ない。天使型の電脳であればこの程度の数の乱数機動で処理落ちすることはない。


 そして――機は熟した。今まで時間を稼いでリソースを回収した労力が功を奏するときがやってきた。


「……さあ、終わりにしようか!」


 ロベルタが左腕を高く上げ、ぱちんと指を鳴らす。


 指を鳴らすと同時にPandoraが発動。ベルベット全体の動きが止まり、同時にエインヘリアルによって分解される。


 銀の濁流は大きなうねりとなってロベルタへと流れ、一滴残らずにロベルタの身体の中へと呑み込まれた。

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