#29 -覚醒②-

 自由落下で落ちたクラリスの身体が、ロベルタの上半身の近くへと転がる。ベルベットはそれを無表情で見つめながら、クラリスへとゆっくり近づいていた。


「……恨んでくれて構わないよ。あんたは悪くないし、私も悪くない。戦いはそんなもんさ、誰が正しくて誰が間違ってるかなんて神様だって分かりゃしないよ」


「へぇ、中々面白い理屈じゃないか」


 不意にベルベットの足元から声がして、ベルベットを含む全ての人形の動きがぴたりと止まった。


 シエルも、スパルトイも、ベルベットも、どういう訳か指一本も動かすことができない状態だ。


「なっ――」


 イレーヌが大きく目を見開き、驚嘆の声を漏らす。


「馬鹿な……馬鹿な! そんな筈があるか! 在り得ない!」


 それはそれまでイレーヌが考えていた中で、最も在り得ないケースだった。その可能性はたった今確実に潰した筈なのだから。芽を摘んで根を断った筈なのだから。


 だが今、イレーヌの視線で『それ』は確かに存在している。そして『それ』が部隊の動きを止めていた。


 まるで時が止まったかのような、静寂の中で静止し乱立する人型の林。しかしイレーヌが動いていることが、時間はいつも通りであることを証明している。


 部隊は全員その動きを止めている――そう、天使であるベルベットさえも諸共に、だ。


 イレーヌの視線の先、ベルベットの至近距離。


 近くに散らばるスパルトイの亡骸がナノマシンへと分解され、ロベルタへと集まっている。銀の波は瞬く間にロベルタの傷を癒し、下半身を再構築していく。


 在り得なかった。イレーヌにはどう考えても信じられる事態ではなかった。


 あの状態からここまで持ち直すこと自体が人形には無理なのだから。


 今のクラリスの様に電脳が停止し、然るべき修理とメンテナンスが完了しない限り再起動できないのだから。


 それが人形であれば必ず生じるものであり、絶対的な基本仕様でもある。


 ――こいつ、ただの人形じゃないな……っ!


「そう在り得ないって顔をするなよ。だけだ。


 甘さも優しさも全て背負っていこうって覚悟が決まっただけさ。自分との折り合いが付いたと言ってもいい」


「……Pandoraが使えるだと……? 馬鹿な、あれには専用のプログラムが必要な筈だ! それに天使ベルベットにまで効果を及ぼしている!


 例えその能力で喰らったからとはいえ、容易に使えるものではない!」


「その通りだ。だから


 Pandoraが俺でも使えるように、ベルベットにも効くように、Pandora自体の構造ストラクチャを弄ったのさ。


 そうすれば俺でも、簡易版のPandoraを使うことができる。……最も時間制限付きの、範囲も極めて狭いものだがな」


 着替えを終えたロベルタが、エリーゼとクラリスを交互に見やる。


 文字通りのボロボロになったクラリスにロベルタが触れると、見る間にクラリスの傷口が塞がって右腕が再生した。


「イレーヌ、お前は間違いなく優秀な将だよ。……だから俺は悲しい。俺はお前をここで殺さないといけない。お前は――」


 ロベルタが端末からデュランダルを呼び出し、冷え冷えと冴え渡る刀身が熱を持つ。


 剃刀の様に薄く切り付けられた様に熱い、岩をも断つ英雄の刃がイレーヌを捉えている。


「お前は、俺を怒らせた」


 ごう、と音を立てて、ロベルタの周りにいたスパルトイが残らず原型を失い、銀色の流体となって逆巻く。


 Pandoraとエインヘリアルが合わさり、今やロベルタは流体を含んだ自身が触れる必要なく相手を分解できた。


 銀色の奔流の中で、デュランダルを構えたロベルタがイレーヌを睨む。


 どす黒い殺気を孕んだ瞳が、逃れようもない程真っ直ぐにイレーヌを捉えていた。


「……よくもクラリスとエリーゼを傷付けたな」


 ぞく、とイレーヌの身体が震える。しかしそれは恐怖からではなく……歓喜からだった。


 ――いいぞ、もっと怒れ! もっと私を昂ぶらせろ!


 強敵との対峙、そして強敵との死闘。強敵を打ち砕き強敵に打ち砕かれることの全てが最も彼女を昂ぶらせる。


 マスターや指揮官といった堅苦しい肩書きの全てから彼女を解き放ってくれる。


 かつて刃を交えたあの男の様に、目の前には明確な敵が存在している。ただ処理するばかりの目標ではなく、全力をぶつけて身体で語り合える敵だ。


「いいぞ、いいぞ! 怒れ! もっと怒って私を愉しませろ! 私と戦って私を愉しませるんだ!」


 腰からサーベルを抜いて、高揚した表情でイレーヌがロベルタを誘う。次の瞬間にロベルタが転移し、背中からイレーヌを斬り付けた。


 しかしイレーヌはその動きを読んで、振り返りざまにサーベルでデュランダルの側面を弾いて斬撃をいなした。


 防御から一秒以下のタイムラグで放たれる突きをロベルタが躱し、銀の髪が宙に舞う。


 もう一度ロベルタが転移し、背後へと注意を向けて更に上空へと転移、大上段に振りかぶった一撃を振り下ろすも紙一重で躱された。


 そして我を忘れて放った大振りが外れて、致命的な隙が生まれる。


 ――った!


 イレーヌがすれ違いざまにロベルタの腹を深く切り裂き、ロベルタが倒れる。


 傷は瞬く間に修復されたが、エインヘリアルを発動していなければ間違いなく死んでいた。


「……これで、一回死んだな。何度切り殺しても死なない相手は退屈しなくて最高だ」


 恍惚とした表情を浮かべて、イレーヌがサーベルに付いた体液を振り払う。命を奪う感覚かいかんに、イレーヌの全身は満たされ冒されていた。


 ロベルタがどこから仕掛けてきても、どんな手段を用いてきても、全て対処できる。イレーヌの目はそんな自信に満ちている。


 人間とはとても思えない、戦闘技術の練度。それこそがイレーヌの最大の武器だ。


 誰よりも切り刻み、誰よりも切り刻まれたその身体は、いつどんな攻撃が自分に降りかかってくるかを全て知っている。


 無数の戦場を駆けて研ぎ澄まされた鋭敏な感覚は、人工物である天使では絶対に獲得し得ない特別な物だ。戦闘データと斬り覚えは、似ているようで全く違うものだ。


 ――だが!


 立ち上がったロベルタが一瞬で距離を詰めて斬り付け、防がれ弾かれた反動を利用して剣の軌道を変えて背後から突き刺す。


 しかしデュランダルが刺し貫いたのはイレーヌの上着だけで、イレーヌはその一撃を避けていた。


 下段から振り上げられたイレーヌのサーベルがロベルタの右膝から下を斬り飛ばし、左脚を払ってロベルタを転ばせて喉を突き刺す。これで二回目の死だ。


「背後から斬り付けるクセが虐殺部隊ふるすの頃から直っていないぞ! これではいつまで経っても私は殺せないな!」


「――どうかな?」


「何?」


 疑問に感じるイレーヌの足元から銀の槍が出現し、咄嗟にイレーヌが槍の穂先を蹴って後ろに跳ぶ。


 一瞬前までイレーヌが立っていた場所が、四方八方から出現した槍で覆われた。


「く……っ!」


 着地した地点を追い縋る様に、銀の槍の群れが次々と現れてイレーヌに襲い掛かる。


 着地点をずらし、あるいは穂先を蹴り、あるいはサーベルで打ち払ってイレーヌが回避を続ける。


 しかしイレーヌの逃げ場はどこにもない。見渡す限りの足場は全て、銀の湖に覆われていた。


 ――なるほど、つまり先程までの攻撃は全てフェイントだと言う訳か。


「はははははははっ! こういう凝った舞踊ころしは好きだぞ!」


 槍を躱しながらイレーヌが近づき、切り払おうとしたロベルタのデュランダルの刀身にそっと片足を乗せてそちらへと移動した。


 ほんの少し蹴っただけの、あまりに軽やかで鮮やかな動作。しかしその行動こそがこの不可避の攻撃に対する最適解だった。


 槍の進撃がロベルタの手前で止まり、イレーヌの行方を見失う。槍が元の流体へと戻るのとイレーヌが着地するのはほぼ同時だった。


 どんなに強力で範囲の広い攻撃でも、繰り返し放つことのできる攻撃には必ず弱点――絶対に安全であるところがある。


 言うまでもなく使用者本人とその周り、薄皮一枚程度の至近距離だ。


 相手を必ず殺せる手段に自分まで巻き込む必要は、高度な技術と知能を持つ者には無い。天使ならなおさらだ。


 しかしその隙を突くのは、遠く離れた針の穴を狙撃するが如く至難の業である。当然ながら言われて誰でもできることではなく、イレーヌだからできる荒業だ。


「今のは中々楽しかったぞ。次の遊びに期待しよう」


 イレーヌの一撃がロベルタの背中を捉えるも、間一髪でロベルタが前方に転移して回避する。空を切ったサーベルの剣圧が湖の水面を割り、嬉しそうにイレーヌが笑う。


「……足を斬り飛ばされるまで作戦のうちか。頭に血が上っている割には賢く立ち回るじゃないか!」


「あんたに褒められても嬉しくはないね!」


 ロベルタがデュランダルを構えて、イレーヌと正面から打ち合う。


 ロベルタの動きは先程よりも洗練されたものなり、一撃一撃は比べものにならないほどに鋭く重い。側面を弾くのも一苦労だ。


 一秒間に五合打ち合う刹那の剣戟を数秒繰り返し、一歩退いて間合いを取ったロベルタが疾風の様な速度でイレーヌの眉間めがけて突きを入れる。


 どんなものも切れるデュランダルに、頭蓋骨の固さなどまるで障害にならない。当たれば確実に脳幹まで貫かれ、指先一つ動かすことなく即死だ。


「――チッ!」


 イレーヌがデュランダルと自分の間にサーベルを割り込ませ、刀身を弾きながら首を捻って躱す。


 避けきれなかったイレーヌの頬をデュランダルの刃が浅く撫で、鮮血が迸った。


 弾いた衝撃で限界を迎えたサーベルが折れ、イレーヌが腰のホルスターから単発連射式セミオートマチック拳銃を抜いて発砲。


 ロベルタの肩の付け根と腹に弾丸が命中し、ロベルタの身体がびくんと跳ねる。


 小口径の拳銃の場合、通常の対人形弾であれば天使であるロベルタには通じないが、中に入っているのは対人形アンチ・ドール高速徹甲A.S.L.P.弾だ。


 腹部や関節部、指の様な比較的脆い場所であれば多少の効果は見込める。


 最もそれも気休め程度の威力にしかならず、致命傷を与えるだけの殺傷効果は見込めない。


 今のロベルタを人間が制圧しようと思えば対人形アンチ・ドール仕様の重機関銃かそれ並みの威力を備えた超長距離狙撃銃が必要になる。


 いずれにしても近接戦闘には持ち込めない代物だ。


 頼みのサーベルが折れた今、ロベルタに対抗する手段は殆ど残されてはいなかった。


 ――流石は天使。やはり人間では少し限界があるかな。


 瞬時に傷口を再生したロベルタを見て、イレーヌが冷や汗をかく。最早時間を稼ぐのもここまでが限界だった。Pandoraがいつ解除されるのか分かったものではない。


 そしてイレーヌの逃げ場と戦う場所は、もうあまり残ってはいなかった。


 再生した裸足のロベルタの足から銀色の流体が滲み出て、いつの間にかイレーヌの周囲……谷底の殆どを覆っている。


 既にスパルトイは大多数が分解されてロベルタの一部となっていた。


 残っているのはベルベット、シエル、そしてイレーヌとスパルトイ数百体のみだ。そしてイレーヌ以外は当然ながら動けない。


 動けない、筈だった。


「……へぇ」


 驚いた様な、感心した様な声をロベルタが漏らす。ロベルタの大きく見開かれた目の先で、ただ一体動く人形の姿があった。


 動いていたのは、ベルベットではなかった。クラリスでもなかった。ましてやスパルトイであるはずがなかった。そう――動いていたのは、シエルだ。


 Pandoraによって制限された動きは緩慢だが、目に宿った殺意だけは絶えずロベルタの身体を射抜いている。


 右手にはクリュサオルが血が滲まんばかりに握りしめられ、左手の指の股には強化アンプルが三本挟まれている。


 既に空になった注射器が三本足元に転がっており、服用して良い量はとっくに超えていた。


 しかしこうでもしなければ、エインヘリアルを発動しているロベルタには対抗できない。


 Pandoraがあろうとなかろうと、エースモデルが天使を壊すには自爆覚悟の特攻が必要なのである。


 つまりシエルは、どの道廃棄への道をひた走る運命なのだ。


 そしてイレーヌはそれを分かった上でシエルの同行を認めた。どうせ壊れるなら最後まで戦って壊れろという歪んだ優しさと曲がった愛が、今のシエルを動かしている。


 ――何て無茶をする奴らだ……ッ!


 ロベルタは内心ゾッとしたが、努めて冷静にシエルへと話しかけた。


「Pandoraの解除まではあと一分あったんだけどな。大した奴だ」


「……ウるさい……戦うンダ……っ! 最期まデ……まスたーの為に!」


 シエルが残りの注射器を一気に首筋に突き刺し、掌で押して一気に中身を注入する。


 全身の筋肉が作り変えられる違和感と湧き立つ興奮の激流によって意識が攫われ、白目が赤く濁って血管が浮き立つ。


 それは機械と言うよりも、鋼鉄の身体を持った一匹の獣だった。


「ォ……お、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッッ!!!!!!」


 目覚めた獣が咆哮し、クリュサオルを天高く投げる。


 そしてクリュサオルが宙を舞う数秒の間に腰から予備のナイフを全てロベルタに向けて抜き放ち、クリュサオルを受け止めた後に、地面がめり込むほど強く踏み込んでロベルタへと突進する。


 ナイフを追うように、追いつかんばかりの勢いでシエルがロベルタへと突っ込む。


 それはまさに突貫というに相応しい、なりふり構わないものだった。


 そして天使の身体をも易々と切り裂いてみせるクリュサオルを持ったシエルの突貫は、ロベルタであっても十分な脅威だ。


 ――敗け……らレ、ない!


 シエルの全身がビキビキと音を立てて崩壊を始める。全身の筋肉が断裂し、視界が真っ赤に染まった。


 とっくに電脳は熱暴走を起こす寸前で、人工筋肉は全身万遍なく断裂し始めている。今更止まったところでもう修復アンプルでは直り切らないだろう。修復ドックで修繕を受けなければ直りはしない。


 そう、修復ドックに連れて行って貰うことができればシエルは元通りになる。


 しかし実際問題として、イレーヌがシエルをもう一度使うと言うのは考えにくい。イレーヌはシエルをここで使い捨てにする為に連れてきたのだ。


 イレーヌはシエルを生かそうとはしないし、何よりもシエルがそれを望んではいなかった。


 ――ここで死ぬのが、私の……。


 混濁する意識の中でにい、とシエルが笑い、更に加速する。


 もう何も要らない。ただこの一瞬の為だけに生きているのだということを、シエルは実感していた。


 ――そう、これこそが私の生きてきた意味。そして――


「私の望みだっっっっ!!」


 違和感もアラートも、もう何も感じない。あるのはただ、戦うことに対する快楽と執念だけだ。


 イレーヌの再教育プログラムの影響か、あるいはシエルがロベルタ達との戦いで獲得した個性か。シエルはこの戦いを純粋に楽しんでいた。


 止められるなど考えられない。例え身体が四散して八つに砕けても、この戦いを途中で誰かに邪魔されたくは無かった。


 勝ち負けはどうでもいい。ただ、戦いたい。


 それはまるで人間の様な、とても人形とは思えない思考だった。


「オオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッッッ!!!」


 全身にありったけの力を込めて、文字通りの全速力でシエルが駆ける。


 ――……届けぇっ!


 文字通りの刹那でシエルがロベルタの至近距離まで接近し、渾身の力を込めて跳躍しロベルタへと飛び掛かった。


 踏み込んだ時の負荷でシエルの右足から先が吹っ飛び、ぶちんと音を立てて左腕の筋肉の半分が断裂する。


 デュランダルを構えたロベルタがぎゅっと目を細め、全神経を眼前の目標へと集中させる。


 二人が交わる、その一瞬。その一瞬で全てが決まる。


 そして二人の影が交わり、シエルとロベルタが剣を振り抜いた姿勢で静止した。


 暫しの静寂が、戦場を包む。


「……ぐっ!?」


 先に傷口から血が噴き出したのは、ロベルタだった。


 脇腹から肩まで逆袈裟で切り裂かれ、腿と上腕をナイフで抉り取られたロベルタの身体から人工血液が噴き出し、ロベルタが片膝を着く。


 シエルは、動かない。否……動けない。


 全ての力を出し切ったシエルは、もはや振り向くことさえできないほどに身体を酷使していた。


「……ねえ、ロベルタ」


 振り向かずにシエルが話しかける。ロベルタは黙って次の言葉を待った。


「私は……強かったかな? 私は立派に戦って、マスターの役に立てて……死ぬことができてるかな?」


「…………ああ、お前は強かったよシエル。お前が出来損ないである筈がないさ」


「……そっか、なら……良かった」


 微笑むシエルの唇が縦に割れ、広がる割れ目が心中線を両断した。真っ二つに両断されたシエルの身体が銀の湖に沈んで、ロベルタの中へと取り込まれていく。


 勝負は一片の疑う要素も無く、ロベルタの勝ちだった。


 ――嗚呼。


 シエルの意識が薄れ、闇の中へと消えていく。未練は何も無く、あるのはただ安らかな充実感だけだ。


 やれることは全てやり遂げた。あとは全てベルベットが解決してくれる。


 そんな思いに、包まれて。仲間への期待を胸に抱いて。


 ――こんな最期なら、悪くないかな……。


 シエルはゆっくりと瞼を降ろし、静かにその生涯に幕を降ろした。




「……少しだけ、マズいかもしれないわねぇ……」


 研究室の椅子に腰かけて机の上に幾つも投影された空間投影パネルを操作しながら、ヴェロニカが軽く親指の爪を噛む。


 パネルにはロベルタの姿とその周囲が俯瞰で写されている。そしてロベルタを取り巻く銀の湖――機体を構成するリソースであるナノマシン群が少しだけ泡立っていた。


 ヴェロニカの読みではもう既にロベルタのPandoraは解けている。ケルヴィムの電脳は天使の中でも最高峰のものだった。


 ロベルタの『仕様』を以てしてもPandoraは扱いきれない。


 そしてPandoraが解除された今、ベルベットが動けるようになる。そしてベルベットの【ミズガルズ】がどういうものなのかを、ロベルタは知らない。


 イレーヌは今まで自分の持つ機体の能力を、アリアや皇帝の様な一部の人間以外には誰にも話していない。


 だからこそロベルタはシエルのステルス性を知らず、エリーゼ暗殺目前まで迫られた。ヴェロニカですら今やっとベルベットの能力の正体を突き止めたところなのだ。


 ――こういうことはあまり言いたくないのですが……。


「……ロベルタの天敵の様な能力ですね。今から教えても意味は薄いですし、今は見守りましょう」


 ヴェロニカが椅子に深く腰掛け、大きく息を吐く。


 ――まあ、誰が相手でもあの子ならきっと勝つわよね。


 天敵である、とは表現したものの、ベルベットにロベルタが敗けるなどヴェロニカは端から思っていなかった。


 否、どの天使であってもロベルタが敗ける筈がない。それほどにヴェロニカの最高傑作ロベルタへの自信は、決して揺るぎないものだった。


「……とは言っても……あの子がアリアやアスラを凌げるようになるのは、あの子がの話ですけどね……」


 そう、


 アイリが言及した通り、その機能は不完全だ。今のままでは一年前のポテンシャルを発揮することはできない。近接武器を持っているイレーヌにも圧される有様だ。


 だが依然として、ヴェロニカは傍観の姿勢を崩そうとはしない。ロベルタの敗北するシチュエーションを認めない。


くすくすと笑うその表情は、まるでその状況そのものが道化であると言わんばかりだ。


 そしてまるで全てを見通しているかの様な優越感を湛えた据わった目で、ヴェロニカが口を開く。


「私の掌の上で踊りなさい、ロベルタ。何があっても私は……ロベルタの味方よ?」

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