#28 -覚醒①-


 ――よォ、久しぶりじゃないか。オマエ


 声が、聞こえる。他の音は何も入って来ないのに、どこかで聞いた声だけが頭に響いてくる。


 ――また死にかけてやがるなぁ。お前一体何回死にかけたら気が済むんだ? いい加減弱いんだから諦めちまえよ。


 そうもいかない。弱いから諦められるほど、死ぬのが怖いからやめられるほど、俺の恨みは弱くないのだから。


 ――そうは言うけど状況見てみろよ。お前は壊され、クラリスとエリーゼもじきに死ぬ。もうどうにもならないのは自明の理だろ?


 ……それをどうにかできるだろ? おまえなら。おまえがいれば、クラリスとエリーゼを護れる。


 ――……は。エインヘリアルのことかい? やめとけよ。例え今ここでエインヘリアルを使っても、もしこの戦いに勝っても、お前は誰も守れないよ。


 …………。


 ――だってそうだろ? あの時もお前は俺を使った。だがあいつは死んだ。……いい加減学習しろ。誰かを護るより、捨てたりぶっ壊したりする方が手っ取り早いんだ。あの二人を見捨てて、お前はあの世であいつと再会すれば良い。皆は不幸だがお前らだけは幸せ、メリーバッドエンド様様だ。


 俺は――。


 ――あいつだってお前を待っている筈だ。お前だってあいつと合いたい筈だ。ならそれが全てでいいじゃねえか、復讐よりずっと心が痛まねえ。俺だって宿主オマエが何回も死にかけるのは御免だね。それならいっそ死んだ方が幸せってもんだ。……あと一度だけ聞こうか。お前は、どうしたい?


 どう、したい?


 ――ああ、お前はこれからどうしたいか訊いているんだ。お前は何も護れねえ。何も変えられねえ。ならばこれから先お前はどうしたい……否、どうすればいい?


 ……何だ、。やり方なんてのはとっくに決まっているよ。


 ――何?


 エインヘリアル、俺は――。どんなに茨の道でも、俺にはその道一本しかない。


 ――へぇ、立ち止まれないってか。それがどれだけ難しくて厳しいのかは先に言ったぜ?


 守ることの至難なんて承知の上だ。死んだ方が楽なのも分かっている。だけど……だけど、それをやってしまうと、今までの俺が生きて刻んできた軌跡が全て無駄になってしまう。お前の言った通り何度も死にかけてまでやってきた自分の気持ちに嘘を吐くことになる。


 ――無駄にしたくない、ねぇ。興味深いな。続けろ。


 何が正しいのかは俺は知らない。もしかしたら間違っていて、正しいのは帝国軍なのかもしれない。だけど――それは関係ない。


 あいつが計画それを望んだわけでも、俺に何か見返りがある訳でもない。だから俺はただ一つ、自分のやりたいことを嘘にしたくないんだ。


 ――ははは、はははははははははは! 面白れぇ、だが現実としてお前はそれを達成できるか? 思いだけではただの無力な妄言だぞ?


 ……どうだろうな。天使は手強い、ヴェロニカや皇帝も厄介だ。そう一筋縄ではいかないだろうよ。


 ――馬鹿みたいなこと言ってる割には冷静にものが見えているじゃねえか。なるほど、それでさっきの話につながるのか。


 ああ、だから――エインヘリアル。俺が敗けないだけの、俺が何かを護れるだけの力を俺に寄越せ。何と言ってもお前は――俺の一部なんだから。


 ――……くく、やっと俺を俺だと認めてくれたな。これでようやく、お前はおまえになれる。


 ……ありがとう、自分エインヘリアル


 ――二人はまだ生きている。急いで勝負を決めに掛かろうぜ。


 ああ。これでようやく、俺はしっかりと目を開ける。




「……ロベルタ、さん……」


「エリーゼ!」



 放心状態のエリーゼに飛び掛かるスパルトイの額をクラリスが撃ち抜き、こちらへと走ってくるスパルトイの集団のうち一体の腹を撃ちぬいて自爆させる。自爆したスパルトイを中心に誘爆が拡がり、クラリスが爆炎の中へと突っ込む。それは今まで旅を続けてきたエリーゼに対する、クラリスの僅かな情けだった。


 今のクラリスに、守るという言葉は頭にないのだから。



「戦いの邪魔です。寝ていてください」



 エリーゼの後頭部に強い衝撃が走り、エリーゼが意識を失う。クラリスがデュナメスの柄尻でエリーゼの頭を殴打したのだ。



「……ロベルタは貴女に傷をつけないと言いました。だからその約束は守ります。ですが――」



 クラリスの声が次第に震え、眉根が吊り上っていく。



「生憎私は、誰かを護れるほど強くありませんので」



 敵陣の中へと、クラリスが駆け出す。銃弾と刃の雨を掻い潜り、人工血液の水溜りを踏み越えて、一体の人形が戦場へと踏み込む。


 誰が見てもあまりに無謀な、死にに往くとしか思えない、文字通りの特攻。


 だがそれすらも今のクラリスにはどうでも良かった。死も傷も恐れも、まるで問題になり得ない。


 勝ち目のない闘いであることは百も承知だ。死ぬことも分かっている。


 だが、だからと言って止められないのだ。クラリスの胸を焦がすこの気持ちを、クラリスを動かすこの感情を、もはや止める術は無い。


 ――憎い。


 ただ、憎かった。どうしようもなく目の前の全てが許せなかった。


 能面のような、スパルトイの顔。ロベルタを倒した、スパルトイの群れ。そしてそれを実行させた、イレーヌとベルベットとシエル。それを向かわせたであろう帝国軍と皇帝ツァーリ


 その全てが憎くて、許せない。



「……消してやる……っ!」



 クラリスが滅茶苦茶に銃弾をばら撒き、手当たり次第にスパルトイを自爆させる。


 その動きには一切の迷いと恐怖が無かった。爆炎で身体が焦げようと、爆風で吹き飛ぼうとお構いなしだ。


 今のクラリスには、守るものがない。ロベルタが倒された今となってはエリーゼすらどうでも良い。


 ――よくも……ッ!


 ただのモノだったクラリスを、人間の様に扱ってくれた人形。


 大型ロボット一体満足に倒せないクラリスをずっと護ってくれた人形。


 愛に生きて愛に苦しんだ、永遠の憧れの対象。


 きっと幸せになれた……否、幸せにできたただ一人の人形。


 ただ一つのクラリスの希望を、イレーヌ達は笑って打ち砕いた。



「よくもやってくれたなぁああああああああっっっ!!! 貴様らぁぁああああああああっ!!」



 今までに出したことも無いような声で、クラリスが絶叫する。それはクラリスが初めて明確に獲得した――怒りそのものだった。


 クラリスの叫びに呼応して電脳が臨界駆動へと到達。視界が限界まで拡張され、それに比例して神経の反射速度も加速度的に上昇する。


 射撃管制システムが追い付かない程の速度でクラリスが狙いを付けて、目の前の全てを撃ちぬき蹴散らし吹き飛ばして駆け抜ける。


 銃弾がかすろうとナイフの刃先が肌を撫でようと気にもならない。拡張現実が何を映そうとも、クラリスはその一切を無視し続けた。


 頭を撃ち腹を撃ち喉を撃ち抜きコアを撃ち抜き爆発で身を焦がしながら、少女の形をした力の塊が戦場を暴れ回る。


 その場の全てのスパルトイは全て彼女に集中し、目の前の脅威を排除しようとしていた。


 しかし元々スパルトイの自爆機能はロベルタ対策として取り付けられたもの。何も恐れなくなったクラリスには何の意味もないものだ。


 そして自爆機能が意味を為さないのであれば、スパルトイが何体いても全力のエースモデルの前には無力だ。


「――――っ!」


 がちん、と音を立てて、デュナメスのスライドが後退したまま固定される。


 残弾数が残り少ないことを知らせるアラートを無視していたので、弾が切れてデュナメスがホールドオープン状態になってからクラリスが気づく形となった。


 しかしクラリスは文字通りの一瞬でリロードを完了して、再び敵陣の只中へと砲弾の様に突っ込んでいく。


 弾切れからリロードまでにかかる時間は二秒弱。突貫を続けるクラリスにとっては何の障害にもならないタイムラグだ。誰も何も、今は彼女に近付けない。


 鉄の嵐が、戦場を吹き抜けていく。


 それはもはや人形とは呼べない、理性などかけらも残っていない暴力の化身だ。シエルですら今の彼女には容易に近付けないだろう。


 ロベルタには幾らでも付け入る隙があったが、この人形には隙と呼べる甘さが一つもないのだから。


 だがその嵐も無限に続く訳ではない。止まない嵐はどこにも無い。


 銃弾が切れれば途端に力を喪うし、身体が壊れれば自然に消える一過性のものだ。


 故に放っておくのが今打てる最善の手で、シエルはそれを実行している。……たとえ何体壊れても、いくらでも代わりは効くのだから。


 しかしその様子を、イレーヌは興味深そうに眺めていた。


 自分の部隊がやられてれいるのにも関わらず、その顔は満面の笑みだった。新しい玩具を見つけた子供そっくりの表情で、イレーヌがクラリスの特攻を眺めている。


 ――相変わらず、戦いが大好きな人だねぇ。


 感心半分呆れ半分で、ベルベットがイレーヌを眺める。


 イレーヌにとっての戦いは、『勝つこと』だけではない。敵を殲滅することもこちらが壊滅されられることも、全て彼女にとっては等しく戦いだ。


 そして彼女は――戦いを愛している。殺すことと殺されることを、壊すことと壊されることを、蹂躙することと蹂躙されることを等しく好んでいるのだ。


 サディストでありマゾヒスト、命の交合に至上の快楽を見出す狂気こそがイレーヌの本質だ。


 勿論、イレーヌがどうしてそうなったのかをベルベットは知らない。


 ベルベットが来たときには既にイレーヌはこうだったのだから、元々そういう人なのだろうとベルベットは割り切っていた。


 よし、とイレーヌが満足げに呟き、ぱちんと指を鳴らしてベルベットを呼ぶ。


「……中々やるじゃないか、この場で壊すつもりだったが気が変わった。


 ……おいベルベット、Aクラス命令だ。あのクラリスって機体、手足捥いで鹵獲して来い。『再教育』してうちの部隊に引き抜く。その後マスターも殺せ」


 再教育。本来であれば、各部隊が本部から支給された人形を各々の特色に合う様に独自の再教育プログラムを用いて調整することを指して言う言葉だ。


 だがしかし、今ここでイレーヌの言った再教育とは通常のそれとは全く質を異にする。そんな生易しいものではないのだ。


 自分の気に入った人形を鹵獲ろかくし、それまでの人格を形成していた分のデータをリセットして部隊用に作り変える。言い方を変えれば拉致と洗脳だ。


 都合の悪い記憶は全て削除され変更され、ただただイレーヌの手足となって戦場で死ぬまで戦わされ続ける。


 故に彼らは狂戦士バーサーク。竜の牙より生まれし骸骨兵士スパルトイで構成された狂戦士達の部隊なのだ。彼らの中に恐怖の二文字はなく、故に強い。


 そして彼らと同じ性質を手に入れたクラリスもまた、それに並ぶ強さを得ていた。


 ――可哀想だけど、仕方ないか。


「……あいよ、マスター。必ずや、あんたの望む最良の結果を」


 言うが早いかベルベットが腰のベルトからカトラスを抜いて駆け出し、クラリスの前に躍り出る。


 目の前に突如として現れた巨大で鋭い殺気に、クラリスの足が脊髄反射でぴたりと止まった。


 あまりにも大きく、重く、鋭すぎる殺気の塊が重圧となってこの谷を覆っている。


 例えるならばそれは槍衾やりぶすまだ。見渡す限りに居並ぶ槍兵の群れの様な殺気が、ベルベットただ一人から放たれている。


 気付けば周りのスパルトイ達も動きを止めて、ベルベットの方を見ていた。


 怖気づいたからではない。彼らの中に恐怖は無く、恐怖すべき感情も取り払われているのだから。


 ただ、動くことが不合理だった。


 指一本でも動かすことが、ベルベットの動きの邪魔になり得る可能性を孕んだ全ての行為を行うことが彼らにとって不合理だったのだ。


 ぐるりと取り囲まれた円陣の中心で、ベルベットとクラリスが対峙する。


 力の差は歴然。だがクラリスは――退


「……安心しな、殺しはしないよ。あんたはこれから私達の部下になって生きるんだ」


「断る! 私はロベルタ以外の誰の下にもつかない!」


 クラリスがデュナメスの照準をベルベットに合わせ、引き金に手を掛ける。


 刹那、ベルベットの目がすっと細められ、大きく腰が落とされた。


「…………そうか、残念だよ」


 呆れと諦めを含んだ、低い声。


 ずん、と鈍い音がして、クラリスの口から乾いた音が漏れ出る。


 ベルベットのカトラスの刃が、クラリスの左腕と腹を切り裂いていた。ぼとりと音を立ててクラリスの腕が落ち、地面に転がる。


「悪いが拒否権は無い。手足を捥いで連れ帰れとの注文でね」


「…………ぐっ……」


 残ったクラリスの右手からデュナメスが滑り落ち、がくりと力なく膝を着く。視界は真っ赤に染まり、許容ダメージ超過のアラートがうるさく鳴り響いていた。



【警告:規定許容ダメージ超過。人工臓器系に深刻なダメージ。戦闘補助システムにエラー。演算能力八十七パーセント低下。


 人工血液八パーセント流出・駆動系信号途絶。近接戦闘不可・遠距離戦闘不可・移動不可。電脳に――と――……】



 ――ああ、これで……。


 電脳が演算能力を失い、急速に意識が彼方へと過ぎ去っていく。


 ナノマシンを含んだ人工血液があっという間に抜け出ていき、身体が鉛の様に重くなって言うことを聞かない。


 最早指一本満足に動かせない状況で、クラリスの敗北は確定していた。

 

 だがクラリスは、これでよかった。これで負けても、ここで死んでももう不満は無かった。


 ――これで……ロベルタの許へ逝ける……。


 クラリスが目を閉じ、ゆっくりと仰向けに倒れる。まるで木の葉が落ちるように静かに力なく、クラリスの華奢な身体が地面に倒れて、谷の底へと落ちていく。

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