#26 -犠牲①-

「……あー、これはまた随分と派手に戦ったものだな」


 かつて森林だった焼け野原を見つめて、アイリが興味深そうに呟く。


 そこはほんの数週間前、ロベルタとロベルタを追っていたケルヴィムが戦った場所だった。


 中央都市で『未開拓地』とされているその森と荒野は、もはや人の開拓できる場所など一握りもない程に辺り一面焦土と化している。


 かつて荒野全体を覆っていた銀の湖は残らず蒸発し尽くしていた。


「話には聞いていたが【Agana blea】はここまで威力のあるものだったのか……これではロベルタが今どうなっているのか解析のしようが無いな」


「……ねえ、何してんのよ? 興味深げに土なんか見つめてバカみたい」


 屈み込んで周囲の土を調べていたアイリに、赤毛の少女――エリザベスが罵声を浴びせる。


「いや、何。ここではロベルタが【エインヘリアル】を使った可能性が高いからな。その残滓が残っていないか調べていたんだ」


「解析なんてしても仕方ないわよ。


 アタシ達が何を解明してもロベルタは今頃ベルベットと戦っているだろうし、あいつがあのオッパイお化けに敗けるとも考えられないわ」


 相も変わらずの高飛車な態度でエリザベスが返答する。かく言うエリザベスの胸部はまるで童女の様にぺったんこで色気の欠片も無かった。


 ――ははぁ、だからベルベットやシャーロットが嫌いなのか。


 御世辞にも豊かであるとは言えないエリザベスの身体をしげしげと眺めながら、アイリが意地悪そうな笑みを浮かべる。


 誰にでも敵意や反感をむき出しにしているエリザベスだが、取り分けベルベットとシャーロットにはことさら敵意を向けており、今回の会合も全力でアイリを止めて欠席していた。


「……何故、ロベルタが勝つと確信している?」


「あんた頭に脳味噌入ってないの? 一年前の『例の事件』、あんただって離れたところで見ていたでしょうが」


「あれは暴走だろ。それにロベルタはまだ不完全だから、自分の意志でエインヘリアルを使えんよ。勝率はよくて四分六だ。部隊バーサークがいるなら勝算は更に薄い」


 ――そう。だから俺は解析を進めなくてはならない。


 あの時まで、アイリを含めた全員はエインヘリアルをロベルタが使えるとは思っていなかった。そしてそれが――の威力を備えているという事も。


 それは使いこなせればアリアを含めた全ての天使に通用する【天使殺しの天使殺し】。ロベルタの身に宿された、英雄の魂を集める神の宮殿だ。


 しかし非常にアンコントローラブルである為、現時点では発動するかどうか分からない博打だ。故に安定して使えるようにする技術を確立する必要がある。


 だがどうも、エリザベスはそう言った旨の話をしている様には見えなかった。


「確率の話をしている訳じゃないの。


 あいつはもう壊したくらいじゃ止まらない。平静を装っているけど、あの呪いは帝国の全てを喰らい尽くすまで止まらないわ」


「……それもそうだな。ならばその、ロベルタの呪いとやらに期待しよう」


 アイリが立ち上がり、不機嫌そうにアイリの脛を蹴り続けるエリザベスの頭をくしゃっと撫でた。


「ちょっと! 前も思ったけど子ども扱いしないでよっ!」


「子ども扱いするなよって言ったってなあ……」


 アイリが再び意地悪な笑みを浮かべて、丁度腰の少し上にあるエリザベスの頭をぺしぺしと叩く。


「こーーんなお子様体型のに言われても……ねぇ?」


「な……っ、なななな、な……」


 エリザベスの顔が見る見る内に真っ赤になっていき、今まで見せたことがないような形相になっていく。それはさながら東洋の鬼の様で、今にも角が生えてきそうだ。


 踏ん張った右足が地面にめり込み、陥没する。エリザベスは腰を落とし、アイリの身体を蹴りぬこうとしていた。


 ――あ、ヤバい。ちょっとからかっただけなのに予想以上に怒った。


「ま、待てベッツィー! 話せば分かる!」


「問答無用よ、バカアイリーーーーーーーーッ!」


 永遠に感じる、一瞬。エリザベスの足が弧を描いて尻へと迫るその一瞬を、アイリは永遠に感じた。


 勿論、身体は動かない。脳だけがフル稼働して身体は置いてけぼりを喰らっている状態だ。


 ――ああ、これが走馬灯か……。


 そらみろ脳味噌あるじゃないか、とこういう時でもどうでもいいことを考えてしまうのはアイリの馬鹿さの最も顕著なところである。


 最も、何を考えたところで結末は変わらないのだが。


 そして、体感時間が動き出す。


「死ねっっ!」


 砲弾の如き上段蹴りがアイリの尻に直撃し、アイリの身体が弓の様にしなって吹き飛ばされる。


 アイリは暫くの間矢の様な勢いで宙を舞った後、失速し地面をごろごろと転がって数十メートル先でようやく止まった。


「お……っ、ごぉっ……。割と冗談抜きで死ぬかと思ったぞ……」


「え、何で死んでないのキモい。殺す気で蹴ったんだけど」


 ぴくぴくと痙攣しながらエリザベスを睨むアイリを、冷ややかな目で見降ろしながらエリザベスが蔑む。その顔からは未だ怒りが消えていない。


「大体お前……マスターを本気で蹴り飛ばす人形なんて普通いるか……?」


「アイリの普通なんて知らないし、まず本気でもないわよ。Angel発動してないんだし得物も使っていないわ。


 ……それより、今何ていったかもう一回言ってみてくれないかしら。アタシから何て言われたか忘れちゃったんだけど」


「あぁ? そりゃ勿論、お子様体型のベッツィーちゃんに子ども扱いするなと言われても――ぐっ!?」


 一瞬のうちにエリザベスが走って近づき、再びアイリに飛び蹴りをかます。


「な、ん、て、言ったのかしら?」


 エリザベスが笑顔でアイリに問う。しかしその目は全く笑っておらず、こめかみには血管が浮いている。それほどに彼女にとってその言葉は地雷そのものだった。


 何も答えないアイリの頭をつんつんと突きながら、エリザベスが低い声で語りかける。


「ねえ耳逆さに付いてるの? それとも耳がイカれちゃった? 聞こえないなら聞こえるまで――」


「大人の魅力溢れるレディ・エリザベス様を子ども扱いするような不敬な真似をして申し訳ございませんでした、と申しました」


 限りなく棒読みで返答したアイリをエリザベスは暫くの間不機嫌そうに見ていたが、やがて「まあいいわ」と言ってアイリから離れた。


 エリザベスが離れたのを確認してから、アイリが蹴られた尻をさすりながらよろよろと起き上がる。


 少しの間蹴られたところを軽く叩くと、アイリは問題なくエリザベスの方へと歩き始めた。


 ――相変わらず頑丈な奴ねぇ。


 何事もなかったかの様にこちらへと歩いてくるアイリを見ながら、エリザベスは感心半分呆れ半分といった表情を浮かべた。


 アイリはその身体に戦闘用ナノマシンと医療用フェムトマシンを投入している。身体はなまだがその中身は限りなくサイボーグだ。


 通常マスターは人形に戦闘行為を任せて指揮を行うものだが、アイリは自ら戦場へと赴きエリザベスや部隊の人形と共に戦っている。


 それを勇敢だと称えるものもいれば愚かであると嗤うものもいる。意志のある部隊の人形は皆前者の考えだが、エリザベスはどちらかといえば後者寄りの考えだった。


「……ねえちょっと、そこのバカ」


「とうとう名前ですら呼ばなくなったな。何だよベッツィー」


「ベッツィーって呼ぶなって何億回言えば分かるのよ……ああもう、話がズレたわ。


 いつも思うけど、あんた何で自分で戦う訳? あんたが戦わなくてもアタシが戦ってあげるし、その……アタシが護ってあげるのに」


 少しだけ顔を赤らめて目を逸らすエリザベスを見て、アイリがふっと微笑む。


「……今の部隊の中でそんなことを訊いてくるのはお前だけだよ。


 そうだな、確かにお前の言う通り俺が戦場で戦う必要はないのかもしれない。俺が死ねば部隊もお前も死んでしまうんだからな」


「そうよ! 大体、アタシの方が強いんだからアタシにだけ頼ってくれれば――」


 得意げにそう語るエリザベスの頭をアイリがくしゃっと撫でて、エリザベスが思わず口を閉ざしてアイリを見上げる。


 アイリの表情は切なげで、それでいて少し誇らしげだった。微笑の裏に、アイリは何か暗い感情を抱えているということがエリザベスにも見て取れた。


「だけどな、俺はそれでもお前と戦い、お前と痛みを分け合おう。


 これでも並の人形よりは強いつもりだし、他の連中マスター共の様にお前をただの道具だと思いたくないからな。


 その為には常に、お前と同じ場所に立ってお前のことをもっと理解しないといけない。だから俺は戦場で戦うんだよ」


「……別に、アタシはあんたになんか……」


 ――そう、アイリがアタシを理解しても……仕方が無い。アタシは人形で、人間ではないんだから。


 自分が製造つくられる前にアイリに何があったのか、アイリが自分のことをどう思っているのかを、エリザベスは知らない。


 普段は何事も無い様に接しているが、アイリは全くといっていい程に自分の過去について語ろうとはしないからだ。


 きっとこれから先も、エリザベスがアイリの過去を知ることは無いだろう。


 けれどそれで良いと、エリザベスは思っている。


 自分は人形なのだから、マスターについて必要以上に何かを知る義務は存在しない。そしてエリザベスの隣にはアイリがいて、帰るべき部隊と居場所がある。


 それだけでエリザベスは幸せでいられるのだから。


 ――だけど、それを喪った時は……やっぱりアタシも、ロベルタみたいに狂ってしまうのかな。


 誰かを愛するということが何であるかを、エリザベスはロベルタ程ではないにせよ知っているつもりだ。


 そしてそれを喪うということがどれだけ辛いものなのか、どれだけの憎しみを生み出すことなのかも何となく想像はついている。


 だからエリザベスは、今のところロベルタの『計画』を止める気はない。それは仕方のないことなのだから。


 自分が今ロベルタを止めに行ったところで、もうロベルタが止まることはないのだから。だからこの筋書きは――変わる事がないのだ。


 ――でも、あいつは必ずアタシとアイリを殺しに来る。もしもあいつがアタシじゃなくてアイリを殺したら……。


 エリザベスは、ロベルタと同じ思いを味わなくてはならない。


 そう考えると少しだけ身体が冷える様で、エリザベスはアイリの手を掴んだ。アイリの手は温かくて、エリザベスの身体から寒さは抜け落ちていった。


「…………ねぇ、アイリ。あんたはアタシの前から、いなくなったりしないわよね?」


「ああ、勿論だ。俺は絶対にお前の前からいなくならない。だから――」


 返事に満足して笑顔になったエリザベスの手を、アイリが強く握り返す。


 その表情は悲しんでいる様な、それでいて怒っているような、複雑で曖昧な表情だった。


「だから、決して俺の前からいなくならないでくれ。命令じゃない……


「……何よそれ、当ったり前でしょ? アタシはあんたの天使なんだから! あんたが死んだって傍にいて護ってあげるわ!」


「それは頼もしいな。俺が死んだ後で考えを変えるなよ?」


「アタシを何だと思ってるのよ。一流のレディで戦士よ? 結んだ約束は必ず守って果たすわ」


 自信満々にエリザベスが答えて、アイリを引っ張って早足で歩き始める。


 二人の姿はやがて彼方まで遠ざかって行き、やがて最初からいなかったかのようにその場から消え去った。後に残るのは焦土と、燃えるように赤い斜陽だけである。


 ロベルタ達の目的地である南のレジスタンス本部にまでアイリ達が辿り着くまで、



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