#22 -奇襲-


「将を射んとすればまず馬を射よ……という教訓が、離島の一つにはあるらしいぞ」


 薄暗いベッドルームの中で、豊満な肢体を薄いシーツで包んだ女性が注射器をくるくると弄びながら呟く。


 女性はよく手入れされた赤毛を長めに切り揃えており、幾つもの傷跡が浮かぶ絹の様な肌にはうっすらと汗が浮いている。


 しっかりと筋肉がついていても、その身体は芸術である様に美しかった。


 ベッドのシーツにはあちこちに体液が染みいていて、辺りは何とも言えない怪しく濃密な余韻に包まれている。


 女性の脇で横になっている二体の女性型人形を相手に何をしていたのか、想像に難くなかった。



「これは中々的を射ている教訓だと私は思うね。


いきなり馬に乗った将を射ようとしても、馬に乗っていては中々当たらない。そこでまず馬――即ち力の源を潰す。そうすれば将の首を狩るのは容易いからな。


 まあ意味としては少々異なるのだが……つまり、本元を落とす為にはまず外堀から埋めないといかん訳だ」



 更に注射器を回しながら、女性が続ける。


 感覚増強ドラッグナノマシン。今女性が弄んでいる注射器には、つい三時間ほど前までそれが入っていた。


 本質的にはヴェロニカがロベルタに使っていたものと同じだが、このドラッグが強化するのは


 体内に注射されれば暫くの間、伝わる違和感の全てを性的快感として感じることができる。


 それは人間がどんな媚薬を用いても感じられない、想像を絶する程の快感だ。


 エースモデル以上の高性能電脳でなければ、その快楽の奔流を凌げない。


 埋め尽くされる感覚で電脳がエラーを起こしてフリーズしてしまうからだ。


「ロベルタを倒すにはどうすれば良いと思う? 我が愛しの天使ベルベット」


 女性の問いに反応して、女性の左隣に横たわっていた桜色の髪の人形――ベルベットが半身を起こした。


 その表情はどこか気だるげで、会合の時の凛とした佇まいは見る影もない。



「……ん、まあ常識的に考えてマスターから潰すのが一番早いでしょうね。


エリーゼちゃんでしたっけ? その子を殺すか心肺停止状態、もしくは脳死状態に追い込めば、私達はマスター不在だと性能が三十パーセントまでダウンします。


そうすれば私じゃなくてシエルでも行動不能くらいには追い込めるでしょう。


……まあ向こうもそれが分かっているでしょうから、正面切って戦えばそれなりに抵抗はされるでしょうけど」


「正面を切って戦えば……か。なるほどなるほど」


 女性の目がすっと細められる。


「はい。マスターである人間を殺すには幾つか案がありますが……ロベルタ達の行方は分かりますか?」


「三十時間前に東南地域の港町に入ったと市民からの通報があった。【至高天エンピレオ】が使えればもっと楽に分かるんだがな」


「あれは皇帝ツァーリからの勅令がなければ使用許可が下りませんから。文字通り世界を総べる兵器ですから」



 ベルベットの返答に、女性がくつくつと笑う。



「世界を総べる、か。そうは言うがベルベットよ、お前の【ミズガルズ】も世界を狙える兵器であると……私は評価しているぞ?」


「……いやいや、それほどでは」


 ベルベットが控えめに謙遜してみせ、隣に横たわっていた黒髪の少女を優しく揺り起こす。


「起きなシエル、仕事だよ」


 その声と同時にシエルと呼ばれた少女が跳ね起きる。褐色の肌に煌めくような翡翠の瞳が美しい、小柄で華奢な少女だった。


「内容の開示を要請します。音声もしくはダイレクト通信にてどうぞ」


「これからダイレクト通信で伝える場所に言って、エリーゼという女を殺してきてくれ。期限は設けないが……なるべく早くだ」


「了解しました。通信による情報交換を開始してください」


 シエルが髪を掻き上げてこめかみを露わにし、ベルベットが人差し指の腹を押し込む。


 投与されたドラッグの残滓で挿入の際の微かな違和感が快楽に変換され、シエルが「ん……」と艶のある声を出した。


 数秒間の通信の後人差し指が抜き取られ、シエルが立ち上がる。シエルはそのまま足早にクローゼットへと向かい、戦闘服に着替え始めた。


 シエルが着替えるのを横目に見ながら、女性が再びくつくつと笑う。


 心底愉しそうに、何かとても愉快のことが起こるとしでも言わんばかりに、くつくつと嗤い続けている。



「……さあ、始まるぞ。この私、帝国陸軍中佐イレーヌ・カバレフスキーの何よりも望んだ状況が。血沸き肉躍る体温と興奮に包まれた闘争が始まるぞ。


この闘争の一番最初のイベントは――奇襲アンブッシュだ」



 先程までの落ち着き払った様子を完全に崩して、イレーヌが歪に笑う。


 女性でも軍人でもマスターでもなく、ただ戦いを何よりも愉しむ戦闘狂の姿が、そこにはあった。


 まるでフェルディナンドの様……いやそれ以上だ、とベルベットは思った。ベクトルは随分と違うが、実のところ絶対値はかなり似ているのかもしれない。


「さあ行け、行くんだシエル。行って、私を愉しませろ」


「……了解です、マスター。迅速に任務に取り掛かります」


 シエルはイレーヌに敬礼して、素早く扉を開け放って廊下を駆けて行った。


「……やれやれ、相変わらず元気な奴だ」


 イレーヌがわざとらしく肩を竦め、ベルベットを押し倒す。




 それから数時間後。


「周囲に特に異常は無し……か。クラリス、そっちはどうだ?」


「こちらも異常は確認されていません。帝国、共和国共に軍の人形兵器の反応はゼロです」



 廊下の両端を注意深く歩いていたロベルタとクラリスが、互いの背中を合わせて状況を確認し合う。


 現在二人はエリーゼが寝ている為、エリーゼに危険が迫らぬ様に哨戒を行っていた。


 本部からのバックアップが受けられない今、エースモデル以上のステルス機能を持つ機体に対して一個体の索敵など気休めにしかならない。


 しかし、これでもやらないよりは随分とマシな方である。少なくともこの一週間は、何も襲撃を受けていなかった。


「……俺はもう少しここを見張っていよう。クラリスは、エリーゼの傍にいてやってくれ」


「了解。何かあれば連絡します」


「ああ、頼んだぞ」


 クラリスが頷き、静かに扉を開いてエリーゼの眠る部屋へと滑る様に入る。


 ロベルタはクラリスが入ったのを確認してから扉を閉め、十分に周囲に注意しながら再び廊下を歩く。


 廊下は物音ひとつせず、外は文字通りの静寂に包まれていた。


 ――静かすぎる。


 周囲の異常さを感じ取ったロベルタが、思わずその足を止める。


 一歩も前に進めなかった。進む訳にはいかなかった。


 この状況は間違いなく、ただごとではない。過去に何度も体験した空気だ。


 夜中とは言え、普段であればこの時間はまだ微かに人の気配や物音がする筈だ。


 しかし今は物音ひとつ聞こえない。それこそ怪しい程に――辺りは静かすぎた。


「……何か来る、な」


 ロベルタが端末を取り出し、デュランダルを呼び出す。冷えた刀身が熱を持ち、全てを切り裂く無慈悲のつるぎへと変わる。


 少しずつ、ロベルタがエリーゼの部屋の前へと戻る。より一層神経を集中させ、全センサーと神経を用いた『勘』で標的の気配を探す。


 ――どこだ。


 センサーをフル稼働させ、さながら草の根を分ける様な精密さで周囲を索敵する。


 ――半径一キロ……気配が混ざって分からない。


 半径五百メートル……微かに何かが動く気配を感じる。


 半径二百五十メートル……重くて鋭い殺気が、こちらに動いている。


 そして、半径五十メートル。


「そこか!」


 ロベルタがエリーゼの部屋の扉を蹴破り、中に飛び込む。


 同時に窓が破られ、何者かがエリーゼに飛びかかった。


 フードを目深に被っており、手には鋭利なナイフが逆手で握られている。


 この距離なら十分に、一挙動でエリーゼを殺せる。


 感知できなかった敵の存在を目の当たりにして一瞬呆然としていたクラリスが我にかえりデュナメスを抜くが、当然この間合いでは間に合わない。


 フードの奥で何者かが、満足げにほくそ笑む。確実に殺せると確信した表情だった。


 ――間に合ってくれ……っ!


「おおおおおっ!」


 助走を付けたロベルタの飛び膝蹴りが脇腹にめり込み、振るわれたナイフの切っ先がロベルタの頬を掠める。


 膝蹴りが直撃した何者かはそのまま壁に吹っ飛ばされ、強かに叩きつけられた。


 華奢な身体が受け身を取り損ね、一瞬動きが止まる。


 叩きつけられたところをロベルタがデュランダルで斬り付けるが、すんでのところで躱された。


 フードを被った何者かがもう一度ナイフを振るい、ロベルタが半歩引いて躱す。


 デュランダル程ではないが、このナイフの切れ味も天使型の装甲を易々と切り裂く程に鋭い。


 闇夜に光るそのナイフの刀身を見て、ロベルタが大きく目を見開く。


 ――クリュサオル! ということは……。


 A級装備、高周波振動ナイフ【クリュサオル】。帝国に一本しか存在しない業物だ。


 そしてこのナイフの使い手に、ロベルタは見覚えがあった。



「クラリス! エリーゼを連れて部屋から出ろ!」


「了解!」



 クラリスがデュナメスを連射しながらエリーゼの手を引き、部屋から廊下へと出る。デュナメスから放たれた弾丸は命中した壁や床を抉り取り、派手な音を立てた。


 何者かが部屋の中を縦横無尽に駆け回って射線を躱しながら、エリーゼを睨む。


「逃がさない……っ!」


 何者かがフードを脱いで加速し、クラリスの方へと疾風の如き勢いで駆ける。


 フードの下から現れた素顔は、紛れも無くシエルだった。


 褐色の少女……シエルが獣の様な目でナイフを振りかざし、再び走り出す。


 エリーゼが驚いて、一瞬その足を止める。それに連動してクラリスの足も止まった。


「止まるな、クラリス!」


 ロベルタが叫びながら、追いすがろうとするシエルのフードを掴み、自分の近くへと引き戻した。


「やはり、お前……ベルベットの部下のシエルだな。大したステルス性能だよ、危うく見落とすところだった」


「ロォベルタァアアア……ッ!」


 シエルは数秒の間、恨みの籠った目でロベルタを見ていたが、すぐにロベルタをナイフで振り払って離れ、破壊した窓まで風のような速さで移動した。


 暗殺は失敗、今のままではシエルに勝ち目はなかった。


 窓際まで移動したシエルがロベルタを睨み、口を開く。


「忘れるなよ。今日は失敗したが、次は絶対に無いと思え。必ず私と私のマスター、そしてベルベット様がお前たちを殺しに来る」


「……それは怖いな。精々注意するようにするよ」


 デュランダルを突き付けながらロベルタがそう答えると、シエルは小さく舌打ちして、窓から飛び降りて姿を消した。


 走り去る音がわずかに響いて、再び部屋に静寂が戻る。


「…………やっと出て行ったか」


 シエルのいなくなったベッドに腰掛けて、安堵したロベルタが呟く。


 暫くすると、シエルがいなくなったのを確認したクラリスとエリーゼがそろそろと部屋に入ってきた。


 シエルとの戦闘で一瞬の間に全てが破壊し尽くされた部屋の中を、一陣の風が静かに通り過ぎていく。


 更に暫くの間ロベルタはぼんやりとしていたが、やがて急いで立ち上がり、宿を出て行く準備を始めた。手早く衣類や小物を仕舞い、大きなトランクを掴む。


「急いでここから離れるぞ。奴らに居場所がバレている」


「……あの、ロベルタさん……さっきのは、一体――」


 震える喉を絞るエリーゼの質問に、ロベルタが身支度をしながら答える。


「あいつはシエル、第三天使ベルベットの部下だ。


そして奴らのマスターはイレーヌ・カバレフスキー。帝国陸軍第五機甲師団――」


 ロベルタの脳裏に、けたけたと嗤う女性の映像が浮かぶ。


 人間と機械が幾層にも重なりあった、血と機械油と人工血液の匂いが充満した丘で戦いの愉悦に酔う赤毛の女性の映像が、ロベルタの電脳にありありと再生される。


 彼女は帝国陸軍第五機甲師団、通称――


「【バーサーク】の団長だ」


 ロベルタは苦々しげに、そう吐き捨てた。

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