#21 -穏やかなひと時-
「……計画、ですか?」
古びた部屋の中でベッドの上に腰かけて、きょとんとした顔でエリーゼが問う。
現在エリーゼ達は帝国東部の外れに位置する小さな港町に宿を取っていた。ロベルタは南へと進路を取り、三人は海岸沿いに移動している。
「ああ、俺とクラリスはその計画の為に軍を抜け――帝国に弓を引いている」
ロベルタが答えながら、足元に置いてあったトランクを取り出す。トランクは遠目からでも分かる程に頑丈で、ずっしりとした重みを持っていた。
「簡単に言うなら、俺達の計画は帝国に対する『革命』だよ。
全ての天使型を破壊してコアを取り込み、その後ブリュンヒルデを起動して全ての機械兵器を破壊する。ブリュンヒルデがあればそれは可能だ」
「……あの、どうして全ての天使型を壊す必要があるんですか?」
「その質問は答える必要がないと思います。壊す必要があるから壊す、それ以上の理由はないと思いますが?」
「……すみません」
クラリスの鋭い返答に、エリーゼが口を噤む。しかしロベルタは小さく手を振ってクラリスを遮り、引っ込ませた。
「エリーゼになら話してもいいだろう。何せエリーゼは仲間なんだから」
クラリスはその言葉に何も答えず、不機嫌そうにロベルタの足を蹴った。乾いた音が響き、続けざまにクラリスがまた蹴る。
何度もクラリスに足を蹴られながら、ロベルタが説明を続ける。
「まず、残存天使の大部分を喰らわなければ、最強の天使であるアリアを倒せない。
そしてアリアを食わなければブリュンヒルデを使った計画の最終フェーズを実行できない。後は……個人的な事情だよ」
「個人的な、事情……」恐る恐るエリーゼがロベルタの発した言葉を反芻する。
クラリスはその言葉に関しては何も言わず、脚を蹴るのもいつの間にかやめていた。
「あの、個人的な事情って――」
そこでロベルタの指が、エリーゼのぷるりとした唇にそっと当てられる。思わずどきっとして、エリーゼは言葉を紡ぐことを止めた。
「まだ秘密」
逆光に照らされながら、ロベルタがにっこりと笑う。しかし目が全く笑っていなかった。
その時初めて、エリーゼはロベルタの笑顔を怖いと思った。
「……さて、そろそろ次の目的地について話さなければならないな」
エリーゼの唇から指を離し、ロベルタがいつもの無愛想な顔に戻る。氷の様な張り詰めた瞬間が過ぎ去り、エリーゼは安堵してほっと息を吐き出した。
「今俺達はエリーゼのいた村から海岸沿いに南下している。
これは今現在海軍基地のある軍港は氷で閉ざされいて海が比較的安全であるということが理由だが……俺はこれから更に南下し、レジスタンス本部へと行くことにしている」
ぴくり、とクラリスの眉根が上がる。エリーゼも少し驚いた顔をしている。
「どうして敵性勢力になり得る可能性のあるレジスタンスの、ましてや本部に顔を出す必要があるのか分かりません。
納得できるだけの材料を揃えた説明を要求します」
「わ、私も……どうして元帝国軍のロベルタさんがレジスタンスに行きたいのか分かりません。どうして行きたいんですか?」
二人の質問に、ロベルタがばりばりと頭を掻く。
三ヶ月前のあの出来事を、共にいたがその事を知らないクラリスと何も知らないエリーゼにどう説明したものかと、ロベルタは虚空を見つめて言葉を探していた。
「……説明が難しいんだが、レジスタンスのリーダーであるアーサー=ニコラヴィッチ=ロマノフは俺の協力者だ。
そして俺は三ヶ月前、そのアーサー本人から本部に来るように言われた。だから行くんだよ。上手くいけば計画の大きな助けになるかもしれない」
「レジスタンスのリーダーが? 救援ではなく罠の可能性の方が大きいと考えますが」
クラリスが怪訝そうな顔でロベルタに尋ねる。だがロベルタの表情は依然として落ち着き払ったままだ。
「もしも罠なら食い破るまでだ、何の問題も無い。
そしてアーサーという男は……多分、嘘を吐いていない。奴はみすみす部下を死地に立たせる様な真似はしない筈だ」
「ですから、どうしてアーサーという男を信頼に値する人間であるという前提で話が進んでいるのか――」
「クラリス、どうして三ヶ月前……俺達がレジスタンスの村にいた時に、誰からも襲われなかったのかを考えたことは無いか?」
ぐ、とクラリスが反論を呑み込む。
確かにレジスタンスの人間が何故一度も自分達を襲わなかったのか、クラリスには不思議だった。
いくら店長が匿っているとはいえ、場所が場所だ。
あの身なりや立ち振る舞いで軍のモノであると誰からも気付かれないのは確かに不自然だ。
しかし、もしもアーサーという男が村の人間に根回しを行って、ロベルタ達がこの村には無害な存在であるということを知らせていたとしたら全て説明が付く。
彼はレジスタンスの隊長、つまりあの村では絶対的な支配者だ。従わない人間も、話を信用しない人間もいない。
「俺達が襲われなかったのはアーサーが口利きをしておいてくれたからだ。詳しくは後でダイレクト通信でデータを転送する」
「……分かりました。ですが、今後はそう言ったことはきちんと事前に伝えておいてください。私達は二人で戦っているんですから」
「すまないな。帝国最大の反乱分子が協力者である以上、ギリギリまで情報を秘匿する必要があった」
クラリスはふいと顔を逸らして、それ以上は何も反論しなかった。ロベルタが視線をクラリスからエリーゼへと移し、話を続ける。
「今から三ヶ月前、俺達は暫くの間レジスタンスの村に匿われた。そこがさっき話したアーサーが取り仕切る村だったんだ。
そして俺達は今からそのアーサーがいるレジスタンス本部に行き、レジスタンスへの協力を要請する」
「……なるほど。でも、帝国がそれに勘付いた場合はどうなるんですか? もしも妨害する勢力が現れたら――」
エリーゼの不安に、ロベルタがにこりと微笑む。
「その時は俺に命令をくれれば良い。俺は今、お前を護る
ロベルタの言葉は穏やかで、それを聞いているだけで不思議とエリーゼの不安は消えた。
しかし不安が消えたのにも関わらずエリーゼは小さくかぶりを振って、ロベルタの手を優しく握った。
不安とはまた別の熱い感情が、その時エリーゼには芽生えていた。
「どうか、自分を
エリーゼの姿が、ぼやけたナニカと重なって見える。
思い出したい、それでいて思い出したくない何かが、ロベルタの電脳で渦を巻いている。
「……変わったな。半年前、君は確実に俺達をモノとして見ていたのに」
「そりゃ変わりますよ……その半年で、私は変わらざるを得なかったんですから。本当に……色々ありすぎました」
エリーゼが半分呆けた様な表情で、ぼんやりと虚空を見つめる。
どこか疲れた様な、そして少し達観した様な表情が、その時ロベルタの胸にちくりと刺さった。
――この子は一体、あれからどれだけの苦痛を背負って生きてきたのだろう。
行動を共にして一週間が経ったが、ロベルタにはエリーゼの苦痛が上手く想像できない。
今までの自分の生活環境と、これまでのエリーゼの生活環境はあまりにも違い過ぎる。
幾らデータをインストールしたところで、実感を伴わないのだから現実感を感じることはできず、結果として上手く想像することはできない。
人形と人間の明確な隔たりの一つがそこだ。
そして何より、ロベルタはエリーゼではない。
例え実感があったとしても、分かった気になるだけで誰かの気持ちを完全に理解することなど、例えロベルタでなくともできはしないのだ。
『他人』とはその様なものである。
「思うに、目の前のモノを人間と人形で線引きして考えるのって、普段どちらかのみの世界に生きているからなんですよ。
普段全く関わらない何かと接した時、誰しも『それ』を別のモノであると考えてしまう。
……ロベルタさんはロベルタさんで私は私で、どちらかを明確に決めることなんてできないのに」
「……世界中の人々が君くらい聡明だったなら、きっと今頃俺も――」
ロベルタは途中まで言いかけて、口を閉ざして立ち上がった。
「ロベルタさん? どうかしたんですか?」ぽかんとした様子でエリーゼが尋ねる。
「いや、何でも無いよ。俺としたことが少しだけ……弱音を吐きそうになってしまった」
ロベルタが軽く顎をしゃくって、エリーゼとクラリスに立つよう合図する。
二人が立ち上がるとロベルタは満足そうに微笑み、扉へと向かってゆっくりと歩き始めた。
「少し外を歩こう。いつまでも宿の中にいたら気が滅入ってしまうぞ」
三人が出て行った後、誰もいなくなった部屋の扉が、軋むような寂しげな音を立てて閉まった。
街に出ると港の方で市が開かれており、辺りには食べ物の匂いがそこかしこから漂ってきていた。
今までエリーゼが見た事がない程多くの人々で市場は賑わっており、一メートル先にはもう人しか見えない。
港いっぱいに広がる、活気あふれる人々の営み。
初めて見る壮大な光景にエリーゼはその目を輝かせた。
「わあ……凄いですね。ここは……!」
「南部で一番大きな港町だ。不凍港だから軍艦も来ることがあるが、この季節はまだ商船の季節だな。今日は丁度定期市の日だ、運が良い」
「あ、林檎のクワスとブリヌィ! 買ってきても良いですか!」
屋台のうちの一つにエリーゼが目をつけ、キラキラした目でロベルタを見つめる。
身体全体がそわそわとしており、今にも走り出しそうだ。
「おいエリーゼ、急な行動は――」
「すぐ! すぐ戻ってきますから!」
ロベルタの制止を振り切って、エリーゼが走り出す。
クワスとは麦芽や小麦粉を発酵させた飲料――スープとして使うものもある――で、林檎やミントを加えたものが最近は人気になりつつある。
ブリヌィは蕎麦粉や薄力粉を発酵させ、卵や牛乳と共に焼いたクレープに近いものである。ここで売っている様にジャムや果物の
――エリーゼも普通の女の子だ。甘いものを食べたいときくらいはあるだろうか。
とは言え、エリーゼはもうただの女の子ではない。
「……話を聞いてくれよ、マスター」
人込みをかき分けて駆けていくエリーゼの背中を見つめながら、ロベルタが苦笑いを浮かべる。まだまだエリーゼは、マスターとしては雛も同然だ。
「ロベルタ、マスターは些か危機意識が低いと思われます。注意が必要かと」
「……ああ。あの子はまだ、この旅の危険を分かっていないからな」
――食べ物に毒が入っていたらどうするんだ、あの子は。
ゆっくりと歩いてエリーゼを追いながら、ロベルタが呆れた顔をする。
これだけ多くの人がいてもロベルタの目は正確にエリーゼだけを捉えていた。
コートのポケットに突っ込まれた右手には軍用の拳銃が握られており、有事の際にはいつでも撃てるようになっている。
恐らくケルヴィムを倒したことにより、エリーゼの存在は軍部に知れた。どこで誰が彼女を狙っているか分かったものではないのだ。
――今こうしている間にも、誰かが近くに……。
「いやあ、買えて良かったです! 村を出る時は斎戒で食べられなかったので、どうしても食べたくって……!」
クワスの入ったカップとブリヌィの入った包み紙を持ってエリーゼが戻って来た。
くるりと巻かれたブリヌィの内側には苺のジャムが厚く塗られており、バターの濃い香りがしている。クワスからも林檎と小麦の甘い匂いがした。
田舎の方では絶対に見られない、都会ならではの食べ方だ。
斎戒とは帝国の国教にある断食期間であり、年に四回ほどある。断食と言っても期間中に食べられるものもあり、主に土日の制限は緩い場合が多い。
ロベルタ達とエリーゼが出会ったのは、六月も半ばを過ぎた頃。丁度斎戒も終わろうとしていた頃だ。今なら普段禁じられている魚や獣肉も食べられるだろう。
普段であれば、あとひと月もすればまた斎戒がやってくる。今度のものは聖女の命日を記念したもので、先の斎戒よりも厳しいものだ。
斎戒と斎戒の間にあるこの時期に少し贅沢な物を食べたくなるのは、帝国民であれば仕方がないことなのだろう。ロベルタはそう理解する事にした。
最も、エリーゼが普通の女の子であれば……の話だが。
「エリーゼ、頼むから勝手に飛びださないでくれよ」
エリーゼの肩を軽く叩いて、ロベルタがエリーゼの前を歩き始める。エリーゼの前をロベルタ、後ろをクラリスが護る形で、三人は歩いた。
「誰がお前を狙っているか分からないんだ。急に移動されるとこちらが警護できなくなるかもしれない」
「う……ごめんなさい」
先程までの明るさが一変して、エリーゼがしゅんとした顔で俯く。
――そうだよね、私……もう普通じゃないんだから……。
そう言い聞かせても、やはりどこかで普通の自分を捨てられずにいる。
まだ、自分が特別であるという自覚が持てない。絶えず帝国から命を狙われているのだという事実に、未だ現実感が持てずにいる。
それが今のエリーゼの悩みだった。ロベルタがどんな存在と戦っているのか、自分がどんな戦いに巻き込まれているのか、彼女はまだ上手くイメージできない。
そんなエリーゼを見て、ロベルタは気まずそうに明後日の方角を見て頭を掻いた。
――まだそんな事を言っても、上手くイメージできないだろうか。
何を排してでも、護りたいものだけを護る。それがロベルタの信条だ。
だからエリーゼを護るために、エリーゼの傷つく要因となりうるものはできるだけ取り除いておかなければならない。
――分かっている。分かってはいる、が……。
「……だがまあ、折角の市だ。これを逃せばクリスマスまで大きなものはない。
急に飛び出さなければ、少しはここを回っても良いぞ」
「ほ、本当ですか!?」
エリーゼの表情が再びぱあっと輝き、小さく跳ねたせいでカップの中のクワスが波を作る。何て分かり易い顔だとロベルタは僅かに苦笑いした。
「……ロベルタ、私は反対です。これだけ人が多ければ有事の際に私達が対応できなくなる可能性があります。もう宿の方に戻りましょう」
「可能性という言葉は期待値を含んで言うものだ、折角の市で縁起でもない事を言うなよクラリス」
それに、とロベルタが言葉を付け加える。
「もうこれを逃せば、どの道帝国は祭りどころじゃなくなるんだ。最期の思い出作りくらい、付き合ってもバチは当たらないぜ?」
「ですが……分かりました。ロベルタがそう言うのであれば、私はそれに従います」
クラリスは尚も引き下がろうとしたが、すぐに折れた。上官であるロベルタがそう言うのであれば、クラリスは何も反論する必要が無い。
その問答の間にちゃっかりエリーゼは近くのテーブルでクワスを飲み干しており、ブリヌィを三分の一ほど食べきっていた。
――それにしても、危機意識の薄い子だ。
どこかでいつか、こんな事を想ったことがあるとロベルタは思った。
しかしそれは記憶のどこかに薄いベールの様なものが掛かっていて、よく思い出せなかった。靄の掛かった思い出の中で、誰かが微笑んでいる。
――……だから、俺がいてやらなければならない。
自分が、エリーゼを護らなければならない。
あらゆる困難から、あらゆる死から、彼女を守り通さなければならない。
いつか誰かとそう誓った時の様に、クラリスを今までそうして来た様に、エリーゼを護らなければならないのだ。
――ならばエリーゼが気負う必要なんて、何処にも無いじゃないか。
「……さあ、エリーゼ」
ロベルタが、ぎゅっとエリーゼの手を掴む。呆気に取られているクラリスとエリーゼをよそに、ロベルタがエリーゼの手を引いて歩き始めた。
「一緒に行こう。お前が危ない目に遭わないように……俺が傍で守る」
「……はい!」
エリーゼがぱっと笑顔になり、早足でロベルタの方へと駆け寄り、並んで歩く。
クラリスは暫し呆気に取られて二人を見ていたが、すぐに肩を竦めてその後ろを追い始めた。
「……全く、不可解ですね」
まだまだ、クラリスは感情を理解できていない。何故エリーゼが喜んでいるのか、何故ロベルタがエリーゼの行動を許したのか、クラリスはまだ何も分からない。
――だけど、今はまだそれでいい。
ロベルタに着いて行けば、エリーゼを見ていれば、感情が何であるかを理解できる。クラリスはそう信じていた。
潮風が涼しく、三人の髪を撫でては去っていく。
それはまるで夢の様な、穏やかなひと時だった。
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