#15 -すべてを喰らうモノ②-


〈……ご機嫌は如何かな〉


 昏い意識の中で、知らない声が聞こえる。


 自閉モードに切り替わったわたしの意識を、誰かがこじ開けようとしていた。


 ――あなた、は。


〈思い出す必要は無いとも。君と僕に、さして関われはないのだから〉


 知らない声が、嗤う。愉しそうに、おかしそうに。


〈僕は今……とても清々しい気分だ。念願の全てが叶った。思い描いた通りの、最高の死を迎えられんだ……。


 君がついて回っている、愛しい愛しいロベルタのおかげでね〉


 ――ロベルタ。では、あなたは……!


〈ああ、だから深く思い出す必要は無いとも。僕は死んだんだから。これ以上は君達に、関わりたくても関われないのさ。


 ……でも、そうだな。君の事は知らないし、さして興味も無いけれど……ロベルタにはもっと、関わってみたいかな。あいつが僕らの世界を壊す様を、近くで見たい〉


 ――何が、言いたいんですか。


。僕は今肉体の無い、意識データだけの存在だ。


 だから僕に、君の身体をくれよ。君よりもずっとうまく、僕は世界を変えられる〉


 ――…………。


 確かに、そうかもしれない。


 わたしよりも、天使型である彼の方が、この戦いを上手く立ち回れるかもしれない。


〈君も分かっているんだろう? だ。


 軍の代替品。人の代替品。思い出の代替品。他の誰かの代替品。


 君も僕も、誰かのなんだよ。君が誰であっても、これから誰になったとしても……人形が無価値であることに、変わりは無い〉


 ――確かに、そうですね。言っている事は何も間違っていません。


 分かっている。自分がロベルタにとって何かの代わりであることなんて、私がよく分かっている。


 もしかしたら本当にロベルタは、何も変わらないのかもしれない。


 けれど、そうなっても仕方がないのは、人形ならば誰もが分かっている。


 ……それでも。


 ――それでも、わたしは貴方に、わたしを渡す訳にはいきません。ロベルタはわたしの事が必要だと、わたしにと言ってくれたから。


 ちか、とわたしの電脳の中に何かが灯る。


 それはとても暖かくて、とても惹き付けられるものだった。


〈言うのは簡単だが、嫌と言ってどうにかなるのかい? その気になれば僕は、君の身体を強引に乗っ取る事ができるんだけど〉


 ――できませんよ、そんなこと。


〈何故、そう思うんだい?〉


 随分と野暮なものを聞くものだ、と思う。


 そんなことは最初から分かっていた事ではないか。


 ――貴方は最初から、からです。貴方がその積もりならとっくに私を乗っ取っています。


 ――あなたは私を乗っ取りたかったのではない。私に託したかった。……違いますか?


 わたしの問いに、彼がくつくつと笑う。心底愉しそうに、嬉しそうに、嗤っている。


〈ご名答だよ、クラリス。僕は君を乗っ取るつもりなんて無かったさ。


 君があの時、僕の問いに首を縦に振っていれば話は別だったけどね〉


 ――振る筈がないでしょう。私はいつでも変わりませんから。


 私の問いに、彼の笑いがぴたりと止まる。


 暫しの沈黙が辺りを包み、やがて彼が口を開いた。


〈……なるほど、変わらないか。つまり君もまた、彼を――〉


 声の主が再び、声を殺して笑う。


〈君もまた、


 ――どういう、意味ですか?


〈さてね。知りたくば彼と一緒にいてあげる事だ。あいつが間違えないように、あるいは君が間違えない様に……一緒に戦うことだな〉


 ――言われなくても、その積もりです。


〈…………ああ。その言葉を聞いて、安心したよ。

 とても……安らかだ〉


 声が、遠くなっていく。意識が昏い闇から引き上げられていく。


 視界が明るくなっていき、誰かの声が聞こえた。




「……ロベルタ……」


 音の消えた森の中をクラリスを担いで、エリーゼが歩く。


 つい先刻まで森中に響き渡っていた爆音や金属音は、突如として鳴りを潜めてしまった。鳥の囀り一つ聞こえない不気味なまでの静寂が、エリーゼ達を包んでいる。


 ――ロベルタは、どうなったんだろう。


 エリーゼが確認できたのは、荒野の方へと落ちていくロベルタの姿までだ。そこから先どうなってのかは、分からない。クラリスは依然として起きない為、状況を知る術は皆無だった。


 だが、ロベルタは死んでいない。


 何故かその時、エリーゼにはそう思えた。根拠は全くなかったが、ロベルタがエリーゼにどうしたいかと尋ねたあの時からロベルタは絶対に死なないという予感に近い曖昧なものがエリーゼの中にはあった。


 ロベルタなら、きっと自分を変えてくれる。


 だからロベルタが死んだとは思えない。思いたくない。


 エリーゼの胸にある気持ちを残酷に語るならば、たったそれだけのことなのかもしれないが。



「信じているから……必ず倒してくれるって、信じてるから……」



 エリーゼの中にあったのは、ケルヴィムへの憎悪とロベルタへの信頼だった。


 自分の村を焼き、両親を殺し、村人の猜疑心を煽り自分が孤独になるきっかけを作ったケルヴィム。


 つい先ほどまで生きていた両親が物言わぬ肉の塊になる絶望を、昨日まで優しくしてくれていた隣人から石を投げられる日々を、一体奴は知っているのだろうか。


 それがただの……ただのだったと知った時の悔しさとやりきれなさを、帝国軍あいつらは分かっているのだろうか。


 いや、知っている筈がない。分かっている筈がない。


 痛みをるモノに、悲しみをわかっているモノに、あんなことができる筈がない。


 何も分かっていない。自分の行為の先にあるものを、破壊が何も生まないことを、きっと機械は何も分かっていない。


 分かる必要がないと言ってしまえばそれだけだが、かつて人形達と理解し合えるのではないのかと淡い期待を抱いた自分の心が、エリーゼには何よりも愚かしかった。



「……だけど」


 ――だけど、ロベルタは違う。ロベルタは多分、痛みや悲しみを知っている。


 ロベルタと出会ってからここに来るまでのやり取りで、エリーゼもまたロベルタが他の機械とは明らかに違うことを悟っていた。


 自我や感情がある、ということではない。それらであればケルヴィムも持っていた。エリーゼが違うと思ったのは、もっと詳細なところにある。


 エリーゼの脳裏にあったのは、ロベルタと二度目にあったあの時。ロベルタ達と共に村を脱出した時のことだった。


 あの時ロベルタは、エリーゼに一つの選択肢を与えた。そしてその理由として彼は確かに「責任を取る必要があるから」と言った。


 その責任は結果としては違うものだったが、誰かに対して責任を取るということは、痛みや悲しみを知らなければそうそう口にできない言葉だ。


 自分の行為の先にあるものが何なのかを知らなければ、絶対にそんな行動は取らない。現にクラリスはロベルタに反対していた。


 だからエリーゼは、ロベルタを信じる。


 まだ一度しか戦うところを視たことはないが、ロベルタは間違いなく強い。


 誰かを殺さないということは、弱いモノにはできないのだから。


 だからケルヴィムのような弱い存在に、きっと誰かの人生を変えられるくらいに強くて――ロベルタが敗ける筈がない。


 エリーゼの期待をもう少しだけ詳しく語るのであれば、こうだった。


 少しでも早く前に進みたくて、エリーゼが虚空へと手を伸ばす。


 そしてその手を、何者かが握った。



「エリーゼ!」



 突如として現れた、六枚の光の翼を生やした一体の天使。


 揺れる銀の髪と蒼く輝く双眸。ボロボロになった真黒いコートに身を包んだ華奢な身体に薄い刃の片刃の剣。


 そこにいたのは見間違えるはずもなく――エリーゼが生きて帰ってくると信じていたロベルタだった。



「ロベルタ……!」


「話は後だ! 急いでここを脱出する!」



 ロベルタがエリーゼとクラリスを抱えるようにして、身体に蓄えられたナノマシンを総動員して転移。三人の姿が森の中から忽然と姿を消した。


 そして直後、光が全てを包み込んだ。


 銀の球体が破裂して中から膨大な量のエネルギーの奔流が溢れ出し、ありとあらゆるものを残らず消し飛ばす。


 核兵器に匹敵する一撃の威力は、ロベルタによって多少抑えられているとはいえこの場にあるものを破壊し尽くすには十分すぎる破壊力だ。


 金属も樹も土も鳥や獣のような生物も、有機物も無機物も全てがエネルギーの波に呑まれ、融解し、この世から姿を消す。


 白い光に包まれ消え去る様は、さながら伝説通りの無痛の一撃だった。


 ナノマシンの湖も、ロベルタが食い残した機械の残骸も、ケルヴィムの亡骸も……何も残らない。


 爆発は荒野と森の半分を覆いつくし、その全てを一瞬で灰燼へと変えた。


 かくして、ケルヴィムが放った最後の矢【Agana belea】は、肝心のロベルタこそ逃したものの他の一切合切を巻き添えにして、ケルヴィムを天へと旅立たせた。


 決して一人で逝くことなく、多数の臣下を引き連れて、機械達の王は華々しく散った。




「……くそっ! 最期まで滅茶苦茶な奴め!」


 荒野から少し離れた地にある、寂れた海岸の砂浜。


 夕日の下に五体を地面に投げ出して、ロベルタが苦々しげに吐き捨てた。


 もう身体は殆ど動かない。モード【Angel】を酷使したこととエインヘリアルを限界まで酷使した所為で体中が悲鳴を上げている。


 メンテナンスをしなければマトモには機能しないだろう。



「…………ねえ、ロベルタ」


「……何だ」


 ふらふらと半身を起こして、クラリスの頭を撫でながらロベルタが問う。


「ケルヴィムは、どうなったの?」


「壊したよ」


 ロベルタが短くそう答えて、クラリスのこめかみに自分の人差し指を当て、接続する。


 使用者であるケルヴィムは壊したので、もうPandoraは起動しない。あとはクラリスの電脳のロックを解いてクラリスを起こすだけだ。



「……そう。本当に……ありがとう」


「たまたま目的が一致しただけだ。……こっちこそ、一時的にマスターになってくれて助かった」


「それこそ、たまたま目的が一致しただけよ」



 二人が同時に吹き出し、くすくすと笑う。


 そして笑いあう二人の間で、クラリスがゆっくりとその瞼を開いた。



「……起動を確認。各部チェック開始――チェック完了。Pandoraによる電脳汚染消滅。マスター権限の凍結を確認、推奨:マスター権限所有者の再設定」



 クラリスの言葉に、ロベルタとエリーゼが顔を見合わせる。


 クラリスの中に、もうマスターの権限は存在しない。


 そしてケルヴィムを倒すことが目的だったエリーゼにも、マスターで居続ける必要はない。


 それに全ての原因が解決した今、村にエリーゼの居場所を作ることは可能なはずだ。


 だからエリーゼを自分の旅に連れて行く必要は、ケルヴィムの破壊と共に消滅していることになる。


 新しい世界も、無理矢理見せることはないだろう。エリーゼが望むなら、エリーゼを元の世界に還すのも良いのかもしれない。


 ――だから、エリーゼの気持ちを、俺は知らないといけない。



「……もう一度だけ、訊いてもいいか?」



 ロベルタの言葉に、エリーゼが頷く。



「君の復讐は終わった。原因が分かってそれを潰したんだから村の人間も俺が説得しよう。だからもう一度、新しい君の答えを訊かせてくれ。


 君は――どうしたい?」


「……私は……」



 逡巡するエリーゼを、ロベルタとクラリスがじっと見つめる。


 ――私は、どうしたいんだろう。


 なるほど確かに、復讐は終わっている。


 ケルヴィムは破壊されたのだし、もう共和国のロボット達が攻めてくることもないだろう。説得は難航しそうだが、きっと無理ではないだろう。


 そう、今ならきっと……引き返せる。


 ――だけど。


 それは、その選択は、エリーゼが最も望んでいないものだ。


 その程度の覚悟で、その程度の気持ちで、ここまで来た訳ではないのだから。



「私は、ロベルタに着いて行くよ。私は……ロベルタの作る新しい世界を、見てみたい。だから私はこれからも、ロベルタのマスターでいたいな」


「そうか……分かった」



 ロベルタが少し嬉しそうに微笑んで、エリーゼの手を取ってクラリスに支えられながらよろよろと立ち上がる。


 弱々しく握るロベルタの手を、クラリスはしっかりと握った。


「必ず連れて行ってよね、その世界へ」


「ああ、必ず連れて行くとも。お前がそれを望むなら」


 微笑むロベルタの脇腹を、クラリスが肘で強く突く。クラリスはその時、この上なくロベルタを下に見たような表情をしていた。


「ぐっ……何するんだよクラリス」


「…………やはり、ロベルタは人間の年頃の女の子にはすぐにデレデレするようですね。主人である人間に下心を持つなど部下として見過ごせません」


「そんな訳あるか……って、クラリス……!?」


 反論していたロベルタがはっとなり、クラリスを見る。エリーゼも驚いた様な顔でクラリスを見ていた。


「お前……その話し方……。あと、表情」


「ええ、まあ閉鎖モード中に色々ありまして……。


 それで、どうやらこの話し方では上手くコミュニケーションが取れないみたいですからね。これを機に多少のエネルギー効率は無視して仕様を変えてみようかと。


 ……何かおかしいですか?」


「……いいや、おかしくないよ。凄く似合ってると思う」


「私も、凄く似合っていると思います」


「……そうですか。それは良かったです」


 クラリスはそう言って、ロベルタとエリーゼを見つめ。


 赤い斜陽を浴びながら、今まで一度も緩めたことのない頬を緩めて――にこりと微笑んだ。


「それでは、行きましょう。私達の――戻れぬ旅路へと」




 その翌日、帝国陸軍本部。その最奥にある指令室。


 指令室へと続く廊下は何十体もの死体とその血で埋め尽くされており、絶えず警報は鳴っているが誰も駆けつける者はいない。


 基地にいる兵士の全てが、血溜まりの中に沈み……死体となっていた。


 そして血と肉の河を、にちゃにちゃと音を立てながら真黒いコートに身を包んだ青年が歩く。


 銀の髪は血に濡れ、目は血よりも赤い。携えられた剣は薄く、血を吸って怪しく輝いている。そして首には、チョーカー型の副脳ユニットが装着されていた。


 その青年は、間違いなくロベルタだった。



「……ここだ」



 指令室の前に辿り着いたロベルタがデュランダルを構え、斬りかかる。


 指令室の扉はそう簡単には破られないように厚く頑丈に作られている。銃撃や並の剣戟では破れない。


 だがデュランダルはその扉をやすやすと切り裂き、ロックされた扉をいとも容易く開いた。



「――ひぃっ!」


「……お迎えに上がりましたよ、トーマ中将」



 脂汗を流すトーマに、ロベルタがデュランダルを突きつける。



「あなたの天使はとても手強かったです……ぎりぎりまで帰還させずに放置していたのは、何故ですか?」


「…………貴様に教える必要はない。それよりも貴様! 今自分が何をしているのか理解しているのか!」


「十分に理解していますよ。……嗚呼、なるほど」



 ロベルタの冷え切った双眸がまるで品定めするようにトーマを見つめ、トーマの背に冷たいものが走る。



「差し詰め全てをケルヴィムの暴走ということで片づけ……私の計画とをケルヴィムに潰させ、あわよくばそれによって出た被害の責任をヴェロニカようとしていたのですね。


 だからあれほど分かり易くケルヴィムが攻撃を仕掛けたのにも関わらず、陸軍は全く動かなかった。


 ……いえ、部隊が待ち伏せしていたけれど【Agana belea】と共に全滅状態に追い込まれたという感じですか?」


「ぐ……っ」



 ロベルタの推論は、正確だった。


 トーマが止めなかったのは、ケルヴィムに全てを片付けさせる為。そして更に自分の地位を上げ、厄介者であるヴェロニカを失脚させる目論見だったのだ。



「計画の為にヴェロニカは必要不可欠ですから、勝手に追い払われると困るんですよね……それに――」



 ロベルタが、デュランダルを正眼で構える。間合いは短く、相手は丸腰だ。


 殺すのは――容易い。



主人エリーゼを不幸にした張本人を、人形イヌである私は許せません」



 その言葉とほぼ同時に、トーマの身体が肩から腹にかけて袈裟切りにされた。


 去っていくロベルタを追うものは、誰もいない。


 ただ、静寂だけが全てを知っていた。

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