#16 -レジスタンスの村①-

 ロベルタとクラリスが軍を抜けた三ヶ月後。


 二人は軍の哨戒範囲から少し外れた場所にある、片田舎の酒場に転がり込んでいた。


 現在二人は帝国軍に追われていたところをここの店主に匿われ、屋根裏部屋で半月ほど居候している状態だ。



「……不審な熱源反応無し。帝国機籍・共和国籍機共に反応なし、か。今日も無事に過ごせそうだ」


「肯定:現在我々が襲撃される可能性は極めて低いものであると判断」


「ここのところ動きが無いが、連中は俺達の追跡を諦めただろうか?」


「不明:現在当機は帝国軍のネットワークとの接続を切断している為内部の情報を得ることは困難」



 一つのベッドの上で背中合わせになり、二人が無機質な会話を繰り広げる。


 同じベッドに男女が二人きり……だなんて状況は人間であれば相当に美味しいシチュエーションなのだが、生憎と二人は人間ならぬ人形だ。


 生殖行為の必要ない人形同士の同衾どうきんに情緒などあったものではない。


「――――――っ」


 不意にロベルタの肩ががぴくりと跳ね、ロベルタが素早く扉の方に視線を移す。音こそ小さいものの誰かが階段をゆっくりと登ってくる音が、ロベルタには聞こえていた。


 扉が開き、大柄で筋肉質な男がぬっと姿を現す。


「ようお二人さん。調子はどうだい?」


 しゃがれたダミ声が屋根裏部屋に響き、乱雑な足音を立てながら男は窓を開けた。


 外は曇っていたが、部屋の中が少しだけ明るくなり、二人に「朝が来た」という実感を与えた。


「ええ、問題ないですよ。店長の方こそ変わりありませんか?」


「ワシは何も変わらんさ。軍の連中が何でに人形である前さん達を追うかは知らんし興味もないが、ここの人間は皆軍隊が嫌いでな。


 まあ軍の連中が来てもあんたらが教えてくれるだろうし、大抵の酒場は台帳に載ってないから来ないだろうが……まあ、何だ。


 もしここにやってきても適当に理由付けて追い払ってやるから、ここにいる間は安心して過ごしな」


「……本当に、いくら感謝してもし足りませんね」


 がははと笑う店長に、ロベルタが口の中で小さく感謝の言葉を転がす。


 この人がいなかったなら、今頃どうなっていたかは分からない。


 軍を抜けてからと言うものの、帝国軍からの追撃は熾烈を極めていた。


 メンテナンスの暇さえ許さない度重なる戦闘で、クラリスの電脳の方に若干の支障が出ていた。メンテナンスによって殆どの機能は回復しているが、まだ少しだけ不安定なところもある。


 クラリスの電脳が完全に回復するまでの間という条件で、ロベルタ達はここの店長の厄介になっていた。


「……ああ、それとだ兄ちゃん達よ」


 扉から出ようとしていた店長が、顔だけを屋根裏部屋に出してロベルタの方に向ける。



「あんたらちょっと今日の夜に接客手伝ってくれねえか? 反政府レジスタンスの連中が今夜ここを貸し切って集会を開くんだが、ぶっちゃけた話手が足りてなくってなぁ」


 ――レジスタンス、か。


 ロベルタの眉間に少しだけ皺が寄る。その言葉に少しだけ昔を思い出して、ロベルタの胸中は穏やかではなかった。


 何故ならロベルタはつい最近まで、その天敵として活動してきたのだから。


 軍は何も共和国軍と戦うばかりではない。帝国を揺るがす不穏分子の鎮圧もその仕事のうちに入っている。レジスタンスの制圧も、その範疇だ。


「了解しました。定刻の自己診断アップデート及び修復メンテナンスが完了次第、指定された時間に取りかかります。後で時間の指定をお願いしますね」


「いつもすまねえなぁ。あんたら物覚えも早いし手際も良いからいつも助かるぜ」


 店長はそう言い残して、ぎしぎしと音を立てながらゆっくりと階段を下りて行った。


 ロベルタ達はこの店に匿って貰う対価として、この酒場を手伝っている。主な仕事は配達の受け取りと給仕、会計などの接客で、トラブルの仲裁や店の掃除も請け負っている。所謂雑用係だ。


 最初は二人とも慣れない作業に手間取ったものだが、機械の学習能力は店長の理解を超えるほどに早く、半日もする頃には全ての作業をまるで何年もここで働いていたかの様にこなせるようになっていた。


 しかしあくまでも彼らは戦闘用。必要のない情報にいつまでもメモリを割いている訳にはいかない。


 電脳が復旧しないふりをしてここで静かに暮らすのも悪くはないのかも知れない……とついロベルタは思ってしまう。


 だが機械としての仕様が彼に平穏な暮らしを与えはしない。


 戦いがなければ、全てが味気ないのだ。


 戦いがある時は、戦っている間だけは、全てを忘れられる。自分がここにいると実感できる。


 何もしていない時……戦っていない時は何だか全てが曖昧模糊としていて、そのまま意識が取れて消えていきそうに感じてしまう。


 何故ここに存在しているのかが分からなくなり、不安に駆られる。


 戦闘用モデルとは、そう作られているのだ。戦わなければならない。戦いが何よりの報酬であるというのが彼らのなのだから。


 だからロベルタやクラリスが平和に、静かに暮らすことは許されていない。だがロベルタは、それでよいと思っていた。


 ――今まで殺して壊して来たんだ。今更人並みの暮らしが許される筈もない……か。



「報告:自己診断アップデート終了、メンテナンス進行率八十九パーセント。推定メンテナンス時間残り十三時間九分」クラリスが淡々と機械的に、現在の自分の状態を報告する。


「明日には出て行けるな。恐らく最後になるだろうし……気張って行こう」


「疑問:スペックに関わらず私達人形兵器に心は無い。故に『気張る』という表現は不適切であると判断」


「それもそうだな。頑張って行こう」


「……了解。頑張ります」



 お、とロベルタが少し驚いた様な顔でクラリスの方を見る。



「今ちょっとだけ、口調が変わらなかったか?」


「否定:当機の会話パターンの仕様変更は認められていない。電脳の不調によるバグであると推測」


「何だよつまらないな。まあお前のやりたいようにするのが一番だが」


「人形兵器同士の情報伝達にユーモアは不要」


 ――相変わらず無愛想な奴だな。


 機械に面白さを求めるのは確かにナンセンスなのかもしれないが、しかしある程度の気配りやユーモアがあった方がより円滑に会話を進める上で必要なのでは……とロベルタは考えてしまう。


 しかしそれは人間に限りなく近い感情や自我を持つ天使型であるロベルタだからこそ考えられるものである。


 限りなく感情が希薄なクラリスにとっては無駄以外の何物でもないのだ。


 会話のパターンを変えさせたところで、それはクラリスの本心とは全く関係ない。


 故にロベルタは軍を抜けてからの三か月間、できるだけ日常生活においてはクラリスに命令を与えないようにしている。


 誰かに押さえつけれられたままでは、機械はずっと機械のままだ。指示のない、自律行動プログラムのその先に自由があるのではないかと、ロベルタは考えている。


 だが当然のことながら、クラリスの様子はさっぱり変わらない。相変わらず無愛想で無感動で、思考したことは何憚ることなくずけずけと言う。


 あまりにも可愛げのない人形兵器だ。


 けれどもその性格は、人形兵器としては理想的なものなのかもしれない。


 だが『人間に近いものを作る』という人形を設計する上での基本的なコンセプトからクラリスと同等の性能の機体には通常はそれらしきものが一応付けられている。


 ここまで徹底的に感情が排されているのはレアなケースだ。


 必要のない機能は遠慮なく削り取り、必要な機能の分に回す。


 そんな行き過ぎた合理的判断の末の結果として、またロベルタの性質からクラリスの感情は削除されていた。


 ――代用品、か。


 いくら思っても、その言葉を口にすることはできない。したくもない。


 どこまでいってもクラリスはロベルタの部下だ。それ以上でもそれ以下でもなく、何も進展せず退行しない。


 クラリスが『彼女』になることはなく、ロベルタの電脳の領域のどこかにぽっかりと空いてしまった『彼女』の穴をクラリスが埋めることもできない。


 だから本来であれば、クラリスに感情を持つことや普通の話し方を期待する方が間違いである。


 ――だけど、どうしてもあいつと重ねてしまう。何も似ていない筈のクラリスに……あの日々を重ねてしまう。



「……忘れられる筈なんてないじゃないか」



 ロベルタがそっと自分の瞼に手を当てる。目はいつもより少し熱く感じられ、しかし涙は流れなかった。流れる涙など、この身体はもう持っていない。


 今でも全てを思い出せる。まるで昨日のことのように、つい先ほどのことのように、リアルな実感を伴って全ての記憶を再生できる。


 ロベルタの脳裏に、かつての日の情景が蘇る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る