#12 -智天使の願い①-
無機質な白い廊下を、一人の年老いた男性が歩く。
男性はがっかしりとした身体でしっかりとした姿勢のまま歩いており、高級そうなスーツを着こなし堂々とした佇まいは老いを全く感じさせない。
彼の名はトーマ。トーマ=ヴァン=シュトロハイム。帝国陸軍中将だ。
そして彼は――ケルヴィムのマスターである。
トーマは現在、ある女性を探してこの研究所を尋ねていた。
ケルヴィムが半年前に自分の下を出て行ったこと、一機の天使が軍に反旗を翻したこと――その全てに繋がる女性だ。
だが研究所のどこを探しても、その女性はいない。女性がこの研究所から外に出るということは考えられない。
謹慎中である以前に、女性自身がそれを望んでいないのだから。
「おやおや……中将閣下がお訪ねになられたから、とうとう私も処刑されるのかと思っていましたが……もしかして違ったりしますか?」
どこからともなく、声が聞こえる。
トーマは驚いた様子を見せずに目だけで辺りを見回したが、この場に自分以外の人間は誰もいない。
だが今、確実に声は聞こえた。だがそれ自体は大して驚くべくことではない。何故なら彼女は帝国一の――最高機密である天使型モデルを軍の所持するノウハウ無しで作り上げた人間なのだから。
「……なるほど、差し詰めここは君の胎内だというわけかね。ヴェロニカ君」
「ええ、その通りですわ。トーマ中将」
トーマの前に、突如としてヴェロニカが姿を現す。ヴェロニカは車椅子に座っており、トーマを見上げる目は穏やかだが尋常ならざる闇を抱えている。
「お変わりない様で何よりです、中将。
あ、そうだ……せっかくここに来てくれたのですから私のロベルタの話をしないといけませんね。あれからロベルタはですね――」
「悪いが世間話をしに来たのではなくてな」
トーマがヴェロニカに、背広から抜き放った自動拳銃を突きつける。ヴェロニカはわざとらしく驚いたような仕草を見せたが、その目は全く恐れを感じていない。
不気味な女だ、とトーマは内心思った。
この女は、この女だけは何を考えているのかはっきりと分からない。
あまりにも考えていることが単純すぎて、そこから何を思い付いて何をしでかすのか全く予想が着かないのだ。
間違いなく、「狂っている」とはこういう状態を指すのだろう。
人間は自分の理解できないものを軽蔑するのだから。そして人が人を狂っていると判断するのは、その人を理解できない時なのだから。
ごくりと生唾を呑み込んで、トーマが問いを投げ掛ける。
「一年前、お前の飼っていた天使が脱走したが、うちの飼い犬もそれを追って脱走したのは知っているな? 事情があって泳がせてはいるが」
「ええ……それがどうか致しましたか?」
「とぼけて貰っては困るな、知れたことだ。……何故【Pandora】を奴に渡した?」
その問いを投げ掛けた直後、野暮なことを訊いたものだとトーマが後悔する。
問うまでもないほどに……分かり切ったことだった。
トーマの問いに、ヴェロニカの目が少しだけ細められる。
彼女が何を答えるのかトーマは何となく察していた。
彼女が、ヴェロニカという女が考えているのは――いつも、たった一つだけだ。
にたにたと笑いながら、ヴェロニカが口を開く。
「そんなの決まっているじゃありませんかぁ。ロベルタの為ですよ中将。
私が生きているのはロベルタが生きているからで、ロベルタが生きているのは私が生きているからなんですよ。
私にはロベルタだけがいればそれでいい……だけどロベルタはそれを理解してくれない。
だからこれはちょっとした、ロベルタへのお仕置きなんです」
あまりにもあっけなく放たれた、狂った言葉の弾丸。
トーマには理解できなかった。その思考は、その発案は、その行動は、あまりにも非合理的すぎる。
合理的思考のままに生きる機械ではない人間のトーマですら違和感を覚える程に、それはあまりにも自己中心的でいっそ清々しい程に、周りのこと等何も考えてはいなかった。
このまま撃ってしまおうかとさえ、トーマはその時考えていた。
この女は近い将来、必ずロベルタ以上の脅威になる。ロベルタが傍にいた頃は大人しかったが、一度タガが外れてしまえば天賦の才を持った狂人だ。
何をしでかすか分からない上、その行動が及ぼす被害は甚大だ。
そんなトーマの心を知ってか知らずか、狂った科学者は嗤い続ける。
「でも安心してください……うふふ。
これはあくまでも……ははっ、お仕置きなんですから。
例えケルヴィム以外の何が割って入ってきても壊れることは決してございませんのでご心配なさらず。あははははははははははっ」
呆気にとられるトーマを全く意に介さず、ヴェロニカは心の底から愉快そうに――その笑い声を研究所中に響かせていた。
帝国全土を揺るがす戦いは、もう既に始まっている。
ロベルタの瞳が、ケルヴィムを映す。
ケルヴィムの目がまっすぐに、ロベルタを見る。
不思議とその場に殺気は全く存在せず、二人の間は荘厳で静謐に満ちた清澄な空気が広がっていた。
――これが……天使……。
エリーゼがごくりと生唾を呑みこむ。一年前に出会った時とは全く比べものにならない程に、ロベルタの雰囲気は異質なものだ。
二人は静かに見つめ合い、目だけでお互いと理解しあっていた。
どれだけの間、その静かな時間が続いただろう。固唾を呑んで見守るエリーゼの目の前で、二人に変化があった。
きいいいいん、と金属質な音が響き、二人の目が一際眩しく光る。
「……一緒に飛ぼうか、ロベルタ」
「ああ、これで終わらせてやる」
ただそれだけの、会話。
その会話を追えると同時に、二人の姿はエリーゼの視界から消え、遥か上空へと移った。
ロベルタから少し離れたところに転移したケルヴィムがイシュヴァルに矢をつがえ、放つ。
放たれた矢は音速を超える初速でロベルタへと放たれ、狙い過たずコアである心臓部を狙う。
だがロベルタはその矢を――斬った。ほんの半歩分だけ転移して矢の軌道をわずかに外れ、側面から剣で斬り落としたのだ。
慣性の法則に従って飛んでいた矢が突然の衝撃に指向性を失って宙を舞い、ふらふらと落ちていく。思い出したようにやってくる衝撃波が、周囲のロボット達を吹き飛ばした。
瞬き一つよりも遥かに素早い、一瞬の攻防。それは比喩でも誇張でもない、文字通り言葉通りの神業だった。
更にケルヴィムが三本の矢を放つ。
しかしロベルタはそれらのうち一本を斬り飛ばし、二本を転移で躱した。続く地上からの対空砲火を転移と亜音速での飛行によって躱す。
転移終了から次の転移を開始するまでの速度は副脳ユニットを着けていない時とは比べものにならない程に早く、常人は愚か天使型モデルでなければ機械でも視認することはできない。
ケルヴィムの弾幕を躱したロベルタが更に上空に転移。素早く辺りを見回し、敵機の数を確認する。
その数約六千機。とてもではないがデュランダルだけでは対処しきれない。せめてエリーゼに近付こうとする機体だけでも排除する必要がある。
自分が望んだマスターであれば、何に代えてでもマスターを護らなければならない。そしてマスターの望みは、叶えなければならない。
それがロベルタの、今戦う理由だった。
「全員――壊れろっ!」
ロベルタがコートから青い端末を取り出し、起動。頭部がヘルメット状のサポートデバイスで覆われ、巨大な荷電粒子砲が姿を現す。
以前とは比べものにならない程の速度でロベルタが敵機数百体を捕捉し、荷電粒子砲を発射。
降り注いだ光の雨が森に集まってきていた機械達を貫き、森のあちこちで爆発を起こす。
破壊を確認した後ロベルタが荷電粒子砲を仕舞い、転移してケルヴィムに肉薄。その細い首筋に向かって剣を振りかぶり、打ち払う。
「くっ――!」
ケルヴィムがロベルタの背後へと転移し、ロベルタの剣が大気を切り裂いた。ちっとロベルタが舌打ちし、ケルヴィムのいる方へと振り返る。
左右からケルヴィムを庇うように、先程ケルヴィムの傍にいた蜂型の大型ロボットと鷹型のロボットがロベルタの前に立ち塞がった。
蜂が尾部を前に突き出して針に荷電し、鷹が加速し突進する。
通常の人形兵器であれば、一個小隊が束になって掛からなければ対処できない超大型機。
しかしそれ程の兵器であっても、ロベルタを止めることはできない。
「邪魔を……するな」
ロベルタが飛行速度を加速し、すれ違いざまに鷹を一刀両断。
切り裂くと同時に蜂の至近距離へと移動し、尾部を切断して胴体を逆袈裟に斬り捨てる。熱された刀身に蜂の燃料が付着し、じゅうと音を立てて蒸発した。
刃こぼれは――見られない。
剃刀の様に薄い、極限にまで摩擦を減らされた刃が熱を持ち、銃弾をも通さないロボットの装甲を易々と切り裂く。
分子一個分の薄さの物体に相当する浸透圧と熱があれば、そして対象へと正確に真っ直ぐ打ち込む技術があれば――その剣は、ありとあらゆるものを切り裂くことができる。
A級兵装【デュランダル】。それがこの剣の名だ。
ロベルタがデュランダルで蜂達を切り裂いた後、間髪入れずにエリーゼの近くに転移。
エリーゼに接近していた、先程エリーゼに近すぎて荷電粒子砲で狙えなかった人形達を転移で距離をショートカットしながら斬り飛ばす。
あるものは電脳を、またあるものは動力炉のある心臓部を切り裂かれ、その機能を一瞬にして完全に停止した。
「……凄い……」
唖然として、エリーゼがうわ言の様に感嘆の言葉を零す。
まるで稲妻が通り過ぎた様だった。
蜂達と会敵してからエリーゼの周囲の敵を倒すまで、その間実に五秒。その動きは鮮やかで、一厘の無駄も存在しない。
ロベルタが再び上空へと転移し、ケルヴィムに接近する。
しかしその一瞬にも似た五秒は、ケルヴィムが全ての準備を終えるには十分すぎる時間だった。
「エネルギー充填完了。
ケルヴィムの電脳に付与された迎撃システム【ウル】が、ロベルタの姿を捉える。
手に五本の矢が出現し、水平に構えた弓にケルヴィムはそれらの矢を一度につがえた。
「――
矢が、放たれる。速度は先刻のものよりもやや遅いが、音速を超えていることに変わりは無い。
ロベルタが転移し、躱そうとする。
だが、ロベルタが躱せたのは
今ケルヴィムが射た矢はケルヴィムの電脳から発せられる信号によって操作されるもので、その矢全てが反重力力場を形成して飛ぶ一個のミサイルのようなものだ。
その内一本をロベルタがぎりぎりで斬り落とし、加速。金の光が一条と銀の光が三条、飛行する昆虫や鳥の形を模したロボット達を破壊して爆炎をちりばめながら天空を縦横無尽に駆け回る。
ロベルタが森の中へと突っ込み、矢を振り切ろうとするが、矢は正確にロベルタの背中を追ってくる。
ロベルタがどこに移動するか、どこに転移するかを、あの五秒の間にケルヴィムの迎撃システム【ウル】は既に計算し尽くしていた。
【Pandora】で使役した機械達のネットワークに並列演算を強制的に行わせるウィルスを流させて演算を行わせ、弾きだされた何万通りというシミュレート結果をウルに集約、最適化したのだ。
電脳に直接演算を行うように仕向けることはできないが、ウィルスを保持している機体にウィルスを流させれば機体全てを一個の演算機械へと変えてしまうことは十分に可能だ。
ロベルタの左肩と臀部、右腿に矢が突き刺さり、爆発。バランスを失ったロベルタの身体が糸の切れた凧の様にくるくると宙を舞い、落ちる。
【警告:右脚部・右臀部・左腕部全損。戦闘能力八十パーセント低下により戦闘不能。マスターによる指令『天使型モデル・ケルヴィムの破壊』を確認。
推奨:速やかな修復】
ロベルタの電脳が警告を発するが間に合わず、ケルヴィムが追い打ちとして射た矢でロベルタの身体が灰色の水の中に縫いとめられる。
奇しくもそこは一年前、ロベルタ達が奇襲作戦をナノマシンの暴走で食い止めた荒野――その外れだった。
許容範囲を遥かに超えるダメージに電脳の機能が低下し、【Angel】が解除される。
「か……は……っ」
残った右手に上手く、力が入らない。
早く修復用アンプルを使わなければならないのに、どうやらそれすらもできないらしい。
――甘かった……。ヴェロニカの奴……【Pandora】の機能を完全に明け渡してるじゃないか……。
今のままでは、勝てない。
不明瞭になっていくロベルタの電脳の中は、そんなどうしようもない絶望に満ちていた。
きっとこれから何をやっても、ケルヴィムの【Pandora】とウルはその全てを見通しているのだろう。
転移の場所まで見切られているとなると、そのシミュレートの穴を見つけることは至難だ。
だが、勝たなければならない。何を代償にしてでも、ケルヴィムを破壊しなければならない。
それが自分に与えられた命令であり、自分の意志なのだから。
「何としてでも……奴を……」
ロベルタが震える腕を必死に動かして、コートへと近づける。その手を転移で移動してきたケルヴィムの足が、力いっぱい踏みつけた。ばき、と嫌な音がして、ロベルタの右手が壊れる。
「……ねえ、ロベルタ。ひょっとしてふざけてるの?」
今までとは打って変わって冷たい目で、ケルヴィムがロベルタを見降ろしていた。
失望。ケルヴィムの瞳に宿っていたのはただそれだけだった。
「ふざけてるようにしか見えないんだけどなぁー……。
ロベルタの力はこんなものじゃないの、僕は知ってるんだよ?
ロベルタが何もかもを壊しつくした『あの時』に、僕は誰よりも近くでロベルタを見て――ロベルタに壊されたんだから」
ケルヴィムの足が腕から顔へと移され、繰り返し踏みしだく。
「ほらっ! あの時のっように! 僕を壊してよ!
僕の身体をカイカンで満たしてよ!
ロベルタに壊されるためだけにっ! 僕は、僕は――」
ケルヴィムが一段と高く、その足を振り上げる。
「僕はここまでやってきたんだ! マスターの下を離れて、半ば軍を抜けるようにして……ロベルタを追ってきたんだ!」
みし、と音を立ててケルヴィムの足がロベルタの顔に突き刺さり、ロベルタの顔にひびが入った。
なおも踏み続けるケルヴィムの足をどける力すら、ロベルタには残っていない。
片足だけでは立ち上がれず、片腕だけではケルヴィムの攻撃や機械達の対処はできない。
――……何が……命令さえあれば勝てる、だ……。
今頃になって悔しさが襲ってきて、ロベルタがぎりぎりと歯を軋ませる。
何もかもが甘かった。
ケルヴィムは全兵器使役システム【Pandora】と広範囲迎撃システム【ウル】、そして
そしてその力が空間転移や亜音速飛行まで全く意に介さないほどであるとはロベルタも予見していなかった。
空間転移が移動の主な手段であるため空中戦がメインとなる対天使戦に於いて、ケルヴィムの強さは破格のモノであると言っても良い。
今のロベルタはケルヴィムにとって、取るに足らないいち人形にすぎない。
ケルヴィムが戦いたいのは――本気のロベルタだった。
踏みしだかれるにつれ、ロベルタの意識が遠のいていく。ロベルタの敗北は誰の目から見ても明らかだった。
誰の目から見ても、今のロベルタの敗北は。
〈――ふふ、ははは。〉
全身の動きを封じられ、力尽きたロベルタの手を、ナニモノかがそっと握る。
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