#10 -決意①-

 突然の動きに対応できず呆然と立ち尽くす村人達に、ロベルタとクラリスが飛びかかる。


 勝負は、ほぼ一瞬だった。勝負にすらなっていなかった。


 村人の持つ農具や工具をロベルタの剣が切り裂き、クラリスの拳銃の銃弾が弾き落とす。


 丸腰になった村人達は全員、立て続けに襲ってきたロベルタの剣の柄やクラリスの拳銃のグリップでの一撃によって昏倒した。


 先程まで物々しかった村全体が、一気に静かになる。


 残りは元々何も持っていなかった野次馬達だ。先程制圧した取るに足らない連中よりも更に――ロベルタ達にとっての危険度は薄い。


 倒れた村人の一人の唇の端が切れて、血が出る。顎を伝い地面へと流れ落ちる真っ赤な鮮血を見て、ロベルタの胸がざわついた。


 渇きの様な、或いは飢えの様な感情がロベルタの電脳から沸き起こる。


〈殺せよ、全員〉


 誰かがロベルタの耳元で、囁く。姿は……見えない。


〈殺してしまえよ。あの時みたいに敵も味方も全部殺しちまえよ。お前はそういう奴だろ?〉


 ――違う……こんな時に出て来るな……!


〈知っているんだぜ?


 お前はできるだけ、戦闘行為たたかいに感情を持ち込まないよう努めているつもりだろうが、本当は破壊も殺人も愉しんでいる。


 笑いながら全てを壊していくお前は、殺戮に快楽するお前は、空っぽのお前は……凄く、きれいだ〉


 ――黙れ。頼むから黙ってくれ。


〈ほら、思い出せよ。肉を断つ小気味よい感触を。全身に浴びる血潮の温かさを。命を奪いむくろを蹂躙する愉悦を〉


〈黙れって言ってるだろ!〉


〈今全員殺しておかないと、また後悔するかもよ?


 ――、さ〉



「黙れっっっ!!!」



 ロベルタが力の限り叫んで、剣を振り薙ぐ。斬撃による風で埃が半円状に舞いあがり、村人達とロベルタ達を隔てる。


 声は、いつの間にか消えていた。



「……失せろ」


 ロベルタが剣の切っ先を残りの野次馬たちに向けて、低い声で告げる。



 野次馬たちが一斉に走り出し、あっという間に広場は三人を残して無人となった。


 どうしてよいのか分からずおろおろするエリーゼの手を、ロベルタが掴む。


 そしてエリーゼの手を引きながら、ロベルタは早足で村の出口へと移動を開始した。数歩下がってクラリスがそれに続く。


 誰も――ロベルタ達を追ってはこない。


 三人が足早に村から出て行くのを、ただ黙ってみているだけだった。




「……君の名前は?」


「エリーゼ。エリーゼ・ソレイユです。あなた達は?」


「俺はロベルタ、こっちはクラリスだ。まあ知っての通り人形だよ」


「そう……ですか」



 続かない会話に、エリーゼがもどかしさを覚える。しかしそのもどかしさを感じるのは感じるだけ無駄なのだろうということを、彼女はその時知っていた。


 人形は戦う為のモノであって、自分達と仲良くする為に生まれたのだから。


あの騒動の後、村を出た三人は、その後森の方へと向かっていた。


依然としてケルヴィムに自分達の姿が丸見えであることはロベルタも十分に理解していた。


 だが、今なら。ケルヴィムが見えても狙撃は難しく、範囲焼却であれば万全の状態である今なら『対処』できる。


三人の会話は非常に少なく、ロベルタがエリーゼに対して必要最低限の質問をする程度だ。


 エリーゼの方もそこまでコミュニケーション能力がある方ではなかったので、どことなく気まずい感じを漂わせたまま、ロベルタ達の後を着いて行っていた。



「何故奴らは俺達を襲った?」移動しながらロベルタがエリーゼに短く質問する。


「一年前に共和国のロボット部隊によって村が壊滅したからって、軍の人は言っていました。


 私は村を襲ったのは帝国の人形じゃないって、共和国の部隊だって説明したんですけど村の人達は機械全部を憎むようになってしまって……。


 そして、その理由が――」



 エリーゼが、目を伏せて口を噤む。ロベルタの手を握る力が、少しだけ強まった。



「私があなた達に、共和国軍の奇襲作戦の存在を知らせてしまったから……です」


「…………そうか。悪いことを訊いてしまったな。すまなかった」



 ロベルタの謝罪に、エリーゼが小さくかぶりを振る。



「あなた達が悪いわけではありませんよ。戦争に死は付き物ですから。


 逆に言えばあなた達は、本来もっと大きなものになる筈だった。


 下手すればこの国の転覆すら在り得たかもしれない被害を、最小限にとどめておいてくれたってことなんですから。だから感謝こそすれ、恨んでなんかいませんよ」


「……そう、か。……しかし、戦争についてそれだけ詳しいは誰から教わった?


 失礼だけど辺境の村の人間なら詳しく事情は知らない筈だ」


「父です。父は昔軍の司令部にいて、を任されていました。凄く優秀だったそうですけど……ご存じありませんか?」


 ロベルタのこめかみが、ひく、と動いた。


 ――……やはり、ただの農村民ではなかったか……。


 帝国は王族と議会に権力が集約されており、また軍と政府が技術を独占している為中央都市以外の開発は驚く程進んでいない。


 エリーゼの住んでいた辺境地には学校などある筈もないのだから、エリーゼは本来であれば戦争がどの様なものかすら正しく知らない筈だ。


 そしてその予感は的中した。機能の大部分が機械で賄われる軍において、人間は帝国内でもトップクラスの技術や知識を持った人間が選ばれる。


 軍人の娘だと考えればエリーゼの知識は説明がつく。


 ――だが……今こいつは、だと言った。


 電脳が聴覚情報を基に記憶したデータを検索。ロベルタの拡張現実にエリーゼの父親らしき人物が映し出される。


 画像に映っていたのはエリーゼと目元がそっくりな、中年の男性だった。きりっと引き締まった表情からは風格が漂っており、威厳のある人物であることを感じさせている。


 しかしロベルタは拡張現実に情報が表示されるよりもずっと先に、この男のことを思い出していた。


 たとえ記憶の全てを消去されても、決して忘れ切る事のできない人物だ。



「ドミニク・ソレイユ。君の父親の名前はそれで合っているかい?」


「はい。ですが父は……軍を退役しました。自分にはもう何もできない、軍はもうダメだと父は毎日の様に話していましたよ」


「……だろうな、奴は軍を憂いていた。失望していたと言った方が良いのかもしれないが」


 ロベルタが遠くを見つめ、その速度を少しだけ速める。


 ――あいつの娘……だと?


 とにかく歩くことだけに集中したかった。他のことを考えてしまうと、今すぐにでもエリーゼを切り刻んでしまいそうだった。


 ロベルタの電脳内を、様々な記憶がフラッシュバックする。


 暴走する一体の光り輝く天使。拘束される自分。そして……目の前で天使の首を、ドミニクとヴェロニカ。


 あの日、ロベルタはただの人形ではなくなった。ただの人形ではいられなくなった。


 その日から今までロベルタは、ドミニクとヴェロニカ、そして皇帝に対する復讐心と計画を遂行する為だけに生きてきた。


 しかしどうやら、彼に対する復讐の方は誰かに先回りされたらしい。恐らくは村の強襲を利用して。


 それがロベルタにとっては、何よりも悔しかった。


「……あっ、あのっ!」


 エリーゼがロベルタの手を後ろへと軽く引っ張って、話しかける。


「何だ?」ロベルタがエリーゼの言葉に無愛想な返事を返した。


「着いて行くって言っておいて何ですが……ううん、着いて行くから訊くんですけど、貴方達は一体ナニモノなんですか? これからどこに行くんですか?」


 軍の兵器という意味じゃなくて、とエリーゼが補足する。ロベルタは少し難しい顔をした後、エリーゼの方を見た。


「……俺達は今、事情があって軍にはいない。だから恐らくエリーゼが抱いているであろう軍の兵器であるというイメージは正しくない。


 ただの人形だと思ってくれて構わないよ。その認識が一番正しい」


「軍にはいない? どういうことですか?」


 エリーゼが不思議そうな顔で尋ねる。


「どういうことも何も、そのままの意味だよ。俺達は脱走機体だ。今こうしている間にも、俺達は追われている」


 ロベルタは顔をエリーゼの方から前に戻して、ぶっきらぼうに答えた。クラリスは何も言わずに、ただエリーゼの後を早足で着いて行っている。


 その時エリーゼの頭の中は、ある一つの疑問に満ちていた。


 何故自分を連れていくと決めたか、だ。


「……あの、どうして私にここから抜け出したいかって訊いたんですか? 脱走ってことは逃げてるんですよね。じゃあ私……足手まといじゃないですか?」


「肯定:貴女の存在は我々の計画進行効率を著しく低下させているが、上官機であるロベルタの判断により当機は貴女の同行を認めている」


 クラリスの言葉がちくちくとエリーゼに刺さる。だが当然ながらクラリスに感情は無い為そこに悪意は介在しない。故にその言葉が嫌味ではなく事実であることを、エリーゼは理解していた。


 ロベルタは黙ったままエリーゼの質問とクラリスの言葉を聞いていたが、二人の言葉が途切れた少し後に口を開いた。


「君は……連れて行かなくてはならない。君は何としてでも、俺達が創る未来を見せる必要がある。。」


 ――そう、それこそが……。


 自分の創る世界を見る事だけが、この娘の背負う罪業だ。


「……未来、ですか」


 エリーゼがロベルタの発した言葉を咀嚼し、反芻する。


 未来。彼はその時確かにそう言った。しかし解せない。彼の言うところの『未来』というモノが何なのかエリーゼには全く想像がつかない。


 先程の戦闘を見る限り、ロベルタ達は戦闘用、それも高位の人形だとエリーゼは確信していた。


 あれだけの複雑な動きを立て続けに、外部からの演算バックアップ無しで行える機体はそうそうない。


 そして戦闘用人形兵器にとって戦うことは至上の悦びであり、存在意義そのものであるとエリーゼは父ドミニクから教わっていた。


 それがプログラムされた本能であり、人形としてこの世に製造つくられたただ一つの意味であると。



「私には、分かりません。人形は戦うことが一番大事だって、それだけが動き続ける意味だって、私は父から教わってきました。


 そういう意味では今のように大規模な戦争が起こっている状況はあなた達にとって喜ばしいものであると思うんですが……違うんですか?」


 その問いにロベルタは口を噤み、クラリスはそっぽを向いた。気まずい沈黙がエリーゼの周りを取り囲み、重圧となって心を締め付ける。


 何か大きな心の腫れ物に触ってしまった様な罪悪感が、エリーゼの心に巣食っていた。


「……あの、ごめんなさい。変なことを訊いてしまいましたね」


「謝らなくていい。それが人形おれたちを知る者の当然の認識であり――事実だ」


 ロベルタはそう言って口を閉ざし、それに対するエリーゼの質問を許さないほどに鋭く濃い殺気を放って歩き始めた。


頭の中が真っ黒に塗り潰されて、目に付く人間の悉くを鏖殺おうさつしてしまいたい衝動がロベルタを覆っている。


一年前の『あの時』から人間を見ると、ロベルタはいつもこうなる。こうなってしまう。


エリーゼの手は温かくて、小さくて、どれだけ力を入れたら良いか分からないほどに柔らかくて。


それは何とも砕き甲斐のありそうな感触だった。


〈ほら。あったかくて……愛おしいだろ? 我慢しないでころしてしまえよ〉


ロベルタの胸からあの黒いナニカが湧き上がり、ロベルタの耳元で優しく囁く。


 電脳が上手く機能しない。今自分の周囲で何が起こっているのか、今のロベルタにはよく分からない。


〈世界の全てを許せないと言ったのはお前の方だぜ? 俺はただお前の手伝いをしているだけさ〉


 ――…………うるさい。消えろ


 背後の足音が、よく聞こえなくなる。声は依然として、はっきりと聞こえる。


〈怒りを通り越した先にあるのは、果てしない殺意だけだよ。そしてお前は世界に対して「怒りを通り越した」。例え口では拒んでも身体が求めているものさ〉


 ――そんなコトは望んでいない……っ!)


〈いいや、望んでいるさ。望んでいるとも。何故ならお前は……。


 



「――ロベルタさん!!」


 突如として耳に入ったエリーゼの叫びに、ロベルタが我に返る。


 振り返ったロベルタの視界に入ったのは、冷たい銃口。そしてその銃を構えていたのは――他ならぬ、クラリスだった。


「クラ……リス……?」


「ロベ……会敵:……に、ゲ……戦闘開始……コレはPando……Aクラス命令確認:指令受諾、実行開始」


 時折不自然に身体を揺らしながら、クラリスがロベルタに二挺拳銃を向けている。


「まさか、ケルヴィムの奴――」


 クラリスの身体の揺れが止まり、冷え切った眼差しがロベルタを捉える。


 引き金が引き絞られて、銃声が轟いた。


 


 上空からその様子を見ながら、ケルヴィムはにやりとほくそ笑んでいた。


 クラリスに与えた指令はただ一つ、ロベルタを殺すことだけだ。しかしその指令は途轍もなく強力で、クラリスの代理マスター権限を完全に無視して、クラリスにロベルタを攻撃させることができる。


 ケルヴィムに与えられた機能【Pandora】だけが、それを行うことができる。



「……っふふ。どう? 愛する機体ひとに裏切られるというのは中々ショッキングだろ? ロベルタが僕にしていることはこういうことなんだよ。


 人間を知りたいならまず心の痛みから学習しなくちゃ」


 と言うケルヴィムにも、心は無い。


 だがロベルタが自分の意図に反する行為を行うと、「悲しい」という感情と共に電脳の処理能力に支障が出て上手く物事を判断できなくなるのは事実だ。


 ケルヴィムはそれが心の痛みであると仮定していた。


「ガラクタの割に完全掌握まで随分と粘られたことと、人間の邪魔立ては想定外だったが……まあいい。


 僕のやりたいことは充分に伝わっただろうし、あの女も僕のやり方に不服は言わないだろう」


 ケルヴィムが両手を広げ、ただ一言「起動」とだけ呟く。


 その言葉と同時に帝国内にいた全ての人形とロボットが空を見上げ、ケルヴィムを目指して飛べるものは飛び、走れるものは走り始めた。


 どんなセキュリティも意味を為さず、王であるケルヴィムに逆らうことはできない。


 森はあっという間に無数の機械達によって覆い尽くされ、ロベルタ達は完全に逃げ道を失った。今森にいるだけでも、ざっと五千機。


 その全てがケルヴィムの手であり、同時に足であった。


 ケルヴィムの近くの上空では、一年前の奇襲作戦でクラリスを倒したものとよく似た、しかしその倍はある体躯の蜂型のロボットや同じ大きさの鷹の形を模したロボットが控えている。


 地上には五十メートルを超す無骨な騎士の鎧の形をした超大型機体が数機、荒野の方からやってきていた。


 ケルヴィムの持つ機能【Pandora】は、簡単に言ってしまえば全ての機体への干渉・使役権限だ。


 人形とその技術を転用したロボットには、必ず有事の際に本部からの命令を優先させられるように強制的に介入し操作できる機能がある。


 【Pandora】はその機能を強制的に起動し、効果のある範囲である帝国内の機体の全ての機体を意のままに操作することができる。


 しかし一度に操作する機体の数が多くなればなるほど与える命令はアバウトなものとなる上、対象を一体に絞らなければ自律機能の塊である天使型モデルは操ることができない。


 だが数万、数十万の機体が一度に相手となれば天使型モデルでも戦うことは難しい。


 故にこの機能は――神格武装クラウ・ソラスを凌ぐほどの脅威として、帝国政府から封印指定を受けていた。


 ケルヴィムが右腕を振り上げて指揮者マエストロの様な構えを取り、森を睨む。


「……全機へ告ぐ。目標ロベルタ、クラリス、そして人間――だ。会敵次第攻撃しろ。ただしロベルタは殺すな。動けなくなるまで破壊するだけでいい」


 その時ケルヴィムは、確かにそう言った。


 ケルヴィムの腕が振り下ろされ、二人を巡る最初で最初の戦いが始まる。

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