#19 -レジスタンスの村④-
「さて……一通り挨拶周りは済ませたな。そろそろ酒場に戻るぞ」
「了解:指定されたポイントへの移動を開始する」
ヒルカとクシナダの工房を離れ、酒場へと向かいながら二人が話す。
現在二人は店長に頼まれた仕事の準備を始める為に、急ぎ酒場へと戻っていた。もう日は暮れ始めている。もう少しすれば付近の町から配達の馬車がやってくる筈なので、急ぎ戻らなくてはならない。
村はレジスタンスの人間達を迎え入れる為に、ちょっとした祭りの様に華やいでいた。
今回戻って来るのは、全員がこの村出身の人間だ。
この村には若い男は少ない。
極北に比べればまだ比較的温暖とは言え、冷涼な気候であるのには変わりない寒村の為に麦が育たず、また畜産業を行えるだけの土地もない。
この村では、主な産業は傭兵業である。若い男は皆レジスタンスや隣国のハザーレ自治領などに出稼ぎに出ているのだ。
兵士の殆どが人形兵器に取って代わられた正規軍に置いて、軍人という肩書を持った人間は貴族か皇帝の推薦を受けたエリートだけである。
だから戦いの中で食い扶持を稼ごうと思えば、そう言った民間の組織で働くしかないのだ。
それ自体は大して珍しくない。こと帝国の北部に於いてはそれが主な産業だ。ここに来る最中も、北の傭兵たちのゲリラ攻撃にロベルタ達は随分と煮え湯を飲まされてきた。
勿論、傭兵は好きではない。何か強い信念があるわけでも、自分の様に戦う為の明確な理由があるわけでもない彼らが何故戦場に現れるのか、ロベルタには分かりかねていた。
だが同時に、ロベルタは彼らを尊敬していた。形はどうであれ戦うことそのものが人間の存在意義である……そう考えれば、本能のままに戦う彼らは誰よりも人間らしかったからだ。
命を懸けて戦い、家族の食い扶持を稼ぐ。そんな彼らを帰りを待つ人間達が歓迎しない筈がない……というのがロベルタの憶測だった。
その憶測はどうやら当たっているらしく、帰りを待つ村人達の顔は、揃って嬉々としていた。
「随分と賑々しいな……。でも、これだけ騒がしいとレジスタンスに軍の人形であることがバレたらマズいかもしれない」
「肯定:この村全体が反帝国勢力であると仮定すれば、最悪の場合村全体を敵に回すリスクがある。武力の使用を余儀なくされるケースを予想」
「ここの人達には随分と世話になったからな……できれば傷つけたくは無いんだが、その場合は止むを得ないか」
ロベルタとクラリスが人形であることは、店長とヒルカとクシナダ、あとは二人を見つけたカリンカとマリーしか知らない。
他の人は二人のことを「どこか知らないところから流れてきた旅人」としか認識していないようだった。少なくともロベルタにはそう見えた。
しかし、問題はやはりレジスタンスである。
クラリスはともかく、ロベルタは天使型の中ではそれなりに名の知れた存在だ。
そしてエース機であることを示す黒のジャケットと天使型であることを示す黒のコート。これが彼らに見つかってしまえば軍の人形であることが露見してしまう。
エース機以上が通常の戦闘に参加することは稀なので一般人には分からないが、ある程度軍の内部事情に精通している者であればすぐに見分けが着く代物だからだ。
――今は考えるだけ無駄か。
頭を小さく振って、ロベルタが思考を振り払う。これ以上バレた時のことを考えると気が変になりそうだった。
いざとなれば素手でも制圧できる。いつでも脱出できるように退路も把握してある。それに何より――並の人間に自分は止められないというのがロベルタの考えだった。
となれば後は店長に頼まれた通りに給仕をこなすだけだ。バレた時のことは考えるだけ無駄というものである。
我ながらつまらないことで悩んだな、とロベルタが自嘲する。
悲しい程に力が物を言う世界だった。どんな曲がった意志も、どんな間違ったやり方も、全て力があれば
知識、暴力、金、権力……この世界のありとあらゆるものが全て力で支配されている様にロベルタには感じられていた。
――それはこちらも同じか。
そして流血の下に革命を起こそうとしているロベルタもまた、その力に支配されているのだろう。
だがロベルタがそのやり方を変えることはない。特に何か理由があるわけでもなく――ただ変える術を知らないだけだから、なのだが。
だがロベルタはこの世界のどこに行っても、力の全く介在しない解決方など一度たりとも見たことが無かった。
必ずどこかで、人間も人形も何かしらの力を行使する。何もしないで解決できるほど、ずっと平和でいられるほど……きっと誰も賢くはないのだろう。
そんなものがあれば是非とも御教授願いたいものだな、とロベルタは鼻で笑った。
「……しかし、何故帝国に弓引くレジスタンスがうろうろしている村が今の今まで壊滅せずにいるんだ? アイリやエリザベス達のいる虐殺部隊に見つかって、反乱分子として皆殺しにされていてもおかしくない筈なんだが」
「諫言:ここの人間はその単語に敏感であることが予想される。慎重に言葉を選ばなければ我々の正体が露見するより前にトラブルの火種となる可能性」
「……そうだな。迂闊だった」
虐殺部隊とは、公にされていない『欠番』の陸軍第三大隊第十三部隊の総称で、主な任務は『不穏分子及び反乱勢力の鎮圧』だ。
その中でも帝国きっての将として知られるアイリ・アレクサンドル・カミンスキー大佐が指揮する第三班は陸軍の中でもかなり異質なものである。
基本的にはアイリの指揮の下独立した行動をとっているが、場合によっては大元帥や皇帝クラスの人間から直々に任務を与えられることもある。
そしてロベルタの狙う『天使』――第七番機エリザベスがいる部隊でもあり、ロベルタの古巣でもある。今から丁度一年前まで、ロベルタはその虐殺部隊にいた。
帝国に仇なす反逆者たちを、ロベルタはその手で何百人と殺してきた。嫌かどうかは問題ではなく、全ては与えられた命令をこなすだけだった。
故に殺してきた人間の顔も、壊してきた人形の顔も、ただの一人も思い出すことができない。
しかしそれこそが兵士の本質であることを、ロベルタは何となくではあるが悟っていた。必要知規則などにもある通り、兵士はもはや個としては扱われない。
ただの戦術単位として、全てを叩き壊すことが兵士の兵士たる所以だ。そこに人間か人形かは関係なく、しかしどちらといえば人形の方が向いている仕事だった。
定期メンテナンスや自己診断アップデートの度に、そう言った類の情報は『不要なもの』として電脳から排除される。
必要なのは『次に誰を殺すか』であり、『前に誰を殺したか』ではないのだ。そんなものを一々覚えていては、悔いる前にメモリが満杯になってしまう。
勿論、ほんの数か月前に二人で食い止めた奇襲作戦の時のロボットの顔や姿も今となっては殆ど思い出せない。
――そんな風に忘れられたなら、どれだけ楽でいられただろう。
どんな死に顔や死にざまも自動削除してくれる高性能なロベルタの電脳も、決して何もかもを忘れられる訳ではない。
ロベルタの電脳のバグか、あるいは処理しきれないほどの『ダメージ』か。
彼女に関する記憶だけは、他の記憶がどれだけ薄まっても、まるで昨日のことの様に鮮明に思い出せる。思い出せてしまう。
まるで悪夢だ、とロベルタは小さく呟いた。もしも覚めない悪夢の中でうなされることがあったなら、それはきっとこんな感じなのだろう。
――もしかしたら、これは夢なのかもしれない。きっとこれは電脳のエラーか何かで過去に見た映像が流れていて、目が覚めればきっと彼女が傍にいるのだろう。
出会ったころの無愛想な彼女と初めて顔を合わせるのかもしれない。夢が覚めれば、きっと……。
「……何てな。馬鹿馬鹿しい」
不敵に笑って、ロベルタが前を見る。目的地である酒場はもうすぐそこだ。
彼女はもうここにはいない。彼女が帰ってくることは、もうない。
だからこそロベルタは前に進まなくてはならない。全てを壊した世界を、全てを奪った帝国を、全て壊して奪い尽くすまで立ち止まるわけにはいかないのだ。
――もう少しだけ、待っていてほしい。
あと少し、あとほんの少しすれば、彼女のもとへとロベルタはいける。
だがその前に――やるべきことをやらなくてはならない。立ち塞がる全ての問題を片付けなくてはならない。
その為には、あまり感傷に浸っている暇はなさそうだった。
「さあ急ごう、クラリス。あまり遅くなると店長にどやされそうだ」
ロベルタはそう言ってクラリスを急かし、ほんの少しだけ歩む速度を速めた。
とっぷりと日が暮れ、静けさに包まれた街の外とは打って変わって中は完全にお祭り騒ぎと化していた。
レジスタンス達が街のそこかしこで村人と語らい、あるいは酒を飲んだり騒いだりしている。死と隣合わせの生活の中でのひと時の憩いが、確かにそこにあった。
そしてロベルタとクラリスが働いている村の酒場は、殺人的な忙しさだった。
席はカウンターから外に設けられたものまで全て埋まり、二人の店員は注文や会計、軽食の調理にいざこざの仲裁とまさにてんてこ舞いの状態だった。
一人の注文を取る間に三人がこちらを呼びつけ、二人分の料理を運ぶ間に五人分のオーダーが入っている。その上酔ったレジスタンス達が頻繁に暴れている為、その分作業は滞ってしまう。
店長が困るわけだ、と酒瓶とジョッキを運びながらロベルタは思った。店長は基本的に他人にはあまりに頼らない。必要なことは全て自分でこなす主義の持ち主だ。それまでの手伝いはロベルタが店長への報酬として半ば無理やりと言った感じで引き受けていたので、実は店長が自分からこちらへと何かを頼んできたのは初めてだった。
どう考えても人数が足りないので、人間だけなら確実に店が回らなくなる。しかしロベルタ達は人形、それも帝国の技術の粋をこらして作られたハイエンドモデルだ。こと行動の効率化とその実行において比肩するものはない。
そして何より、ロベルタ達は人形なので疲労を感じることがなかった。この程度ならば軍にいた頃の任務に比べれば何ということは無い。三日間連続で働かされたとしても、駆動には何の支障もないだろう。
「おい兄ちゃん! 五番のテーブルの注文取ってやってくれ!」向かいのテーブルから店長が指示を出す。五番のテーブルは一番端の壁際にあった。
「了解!」
テーブルに置いた瓶の栓を栓抜きで抜いてジョッキに中の液体を注ぎ、ロベルタが人の波を縫って五番テーブルへと移動する。
テーブルには筋肉質な男が一人座っていた。顔からしてあまり酔っている風ではなさそうだった。一人だけ他の男達と装備が違うことから隊長格の人間であることが分かる。
「お待たせ致しました。何に致しますか?」
「…………」
暫くの間、男はずっと黙りこくってロベルタの顔を眺めていた。
やがて誰もこちらを見ていないことを確認し終えて、男はさらにロベルタへとその顔を近づけて囁いた。
「あんた、天使部隊のロベルタだろう? 今帝国の全ての都市ではあんたに金貨三千枚の懸賞金が掛けられているよ。勿論、
「――――――」
ロベルタが男を睨み、一瞬で電脳を近接戦闘モードへと切り替える。身体機能が飛躍的に増幅し、隠しきれないほどの殺気が男へと当てられた。
金貨三千枚。これは軍人であれば大元帥レベルの人間の三年分の年収、農民であれば八百年分以上の年収に相当する。
これだけあれば貧困に喘いでいる村を五つは救うことができる。個人で独占すれば貴族や大地主の仲間入りも十分に可能だ。
道理で皆必死でこちらを殺そうとして来るわけである。
きっとこいつもそのうちの一人なんだろう、とロベルタは思った。これまでロベルタが出会ってきた人間、特に傭兵は呆れる程に欲深く……それ故に手強かった。
ロベルタが右腕に力を込める。この間合いであれば十分に、一撃でこの男の首を捥ぎ取ることができる。
この村からは脱出するしかなくなるが仕方ないだろう。
今なら殺す人数も最小で済む。
しかし男は笑ってゆっくりと両手を上げ、戦う気が無いことを示した。
近接戦闘モードを解かないまま、ロベルタが訝しげな表情で男を見つめる。
「そう殺気立つなよ。今この場の全員であんたを攻撃しても勝ち目がないことは分かっているよ。それに――この村の人間は全員、あんた達の味方なんだぜ?」
「どうしてそう言い切れる? 俺は軍の人形――それも虐殺部隊の出身だ。この村の人間がいい顔をするはずがない。今だって生きているのが不思議なくらいだよ」
「それはあんたが軍の離反者だということを俺達が伝えてあるからだ。
あんたが何故軍を抜けたか、これから何をしようとしているのか――
「………………」
何も答えないロベルタに、男は薄く笑って銀貨二枚をロベルタに握らせた。
「村から出たらまっすぐ東に向かうといい。『智天使』があんたの行方に気付いた。じきに捕捉されるだろうが東なら森林地帯が多い、多少は誤魔化せるだろう。南にあるレジスタンス本部へ来い。そこで待っている」
「……情報、感謝する。貴方達に武運があらんことを」
「そっちこそな同志。あんたが無事この国を引っ繰り返せることを心から祈っているよ」
それとだ、と男が付け加える。
「俺はアーサー、アーサー=ニコラヴィッチ=ロマノフだ。何かあった時は惜しみなく協力しよう」
アーサーと名乗った男はそう言って、後ろ手に大きく手を振って大股で酒場から出て行った。
アーサーの後を追うように、他の男達も一人また一人と会計を済ませて酒場を出て行き始める。やがて酒場にいた男達は全員いなくなってしまった。
変な奴だな、とロベルタは思った。
これだけ人形に好意的な姿勢を見せる……否、見せられる人間がどうして人形達と戦っているのだろう。
もしかすると自分を殺すかもしれない人形を相手に、どうして笑っていられるのだろう。
ロベルタは何もかもが不可解で、何もかもに苛立ちを感じた。
今までの自分の積み重ねてきた経験を全て否定されている気がして、経験に頼ってばかりの愚かな自分を恥じて強い憤りを感じた。
賢人は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
きっとロベルタは愚者の側なのだろう。まだ何も知らない、何もまだ分かっていない赤子の様なものなのかもしれない、とロベルタは思った。
――けれど、それでいい。俺はどこまで行っても人形で、決して人間ではないのだから。
計画を終えるまでは、ロベルタは立ち止まれない。自分が愚かなのか賢いのかを判断している時間は一秒たりとも存在しない。
そしてロベルタがそれを深く考えている時間は、きっともうないのだろう。
何故ならこの計画を完遂した時――
「この計画の完遂と同時に、俺は死ぬんだからな」
先程までアーサーがいた席に座り、窓から満天の星空を見つめながらロベルタは呟いた。
閉店後全ての片付けが終了した後で、ロベルタとクラリスは店の外に出ていた。村はすっかり闇に包まれ、人々は眠りについている。闇と星、そして月明かりだけが二人を包んでいた。
ロベルタの手にはあの大きなトランクが携えられている。二人は店長に別れを告げて、今から長い間世話になったこの地を旅立とうとしていた。
満天の星々が、静かに二人を見下ろしている。それはまるで一面のビロードの海で、この世界とは全く違う文字通りの別世界の様だった。
「この世界も、あの星空くらいに美しかったなら……誰も争わなかったのかもしれないな。きっと世界の全てが分け隔てなく輝いていたなら、誰も汚い感情を持たなかった」
「肯定:しかし現実はそうならなかった」
そうだな、とロベルタが笑い、クラリスを見る。
「きっとこの星空も、遠いから綺麗なんだろうよ。あまりにも遠くて、自分の知る世界からかけ離れているから、現実感がないから……何もかもが綺麗に映るんだろう。それが多分、理想というものだ」
クラリスはその言葉に何も答えず、じっとロベルタを見つめていた。無音の闇の中で、二人が静かに見つめ合う。
風が一陣、二人の間を吹き抜けた。揺れる銀の髪が目にかかって、ロベルタが一瞬目を閉じる。
風が止んで、ロベルタが目を開く。クラリスは少しだけ、半歩だけロベルタの方へと近づいていた。
「私は……この世界でもいいと思います。ロベルタの過去に何があったのかはあまり知りませんし、感情というものも今一つ分からないのでロベルタの気持ちもよく分かりません」
「クラリス……?」
驚くロベルタの手を握って、クラリスが続ける。
「ですが……ですが、今のロベルタはずっと悲しそうです。
今はここにいてくれていますが、いつかロベルタが消えてしまうのかと思考すると、少しだけ判断力が鈍ります。それが何故なのかは分かりませんが……私は、例え世界がこのままでもロベルタと一緒にいた方がいいです」
――クラリスは、今の自分の顔を認識しているのだろうか。
クラリスの表情は、とても感情の無い機械だとは思えない程にはっきりと……悲しそうなものだった。見ているだけで身を切られそうになる、切なく哀しい表情だ。
――ああ、俺はこれほどまでに、クラリスに想われていたのか。
「……いつか、どうして一緒にいたいのかが分かれば、俺の気持ちも分かるようになるさ。大丈夫、俺はお前の前からいなくなったりしないよ」
さあ行こう、とロベルタがクラリスの手を引いて歩き始める。
それはロベルタが吐いた、最初で最後のクラリスへの嘘だった。
固い決意と大きな不安、そして少しの後ろめたさを感じながら。
ロベルタは前だけを見つめ、闇の中へと消えて行った。
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