#07 -凌辱の果て②-



 自分は、ナニモノなのだろう。


 人形にもなれず、人間にもなれない。


 天使と呼ばれてはいるけれど、その実ただの愛玩道具だ。


 首輪につながれ毎日犯され、絶望の果てに身を沈めるばかりで、天使とは程遠い。


 これ程惨めな気持ちを、幾千の言葉を以てしても語り尽くせないおぞましい日々を、果たして人間は体験したことがあるのだろうか。


 これほどまでに辛い思いをする為に、自我と感情は存在しているのか。


 ……分からない。あまりにも、分からないことが多すぎる。


 基地内のデータベースをいくら閲覧しても、何回戦闘の為に外出しても――あの時からまだ自分は、外の世界を何も知らないままだ。


 は、今の自分を見て何を思うのだろうか。


きっと知る必要は本来無いのだろう。


自分は兵器なのだから。


 兵器が余計な興味を持つことは、本来であれば禁止されている。


兵器に求められるものはただ、無慈悲かつ正確に敵を殺すことだけなのだから。


 だがマスターは――ヴェロニカは、自分に余計なことをし過ぎた。


 恥辱と痛みを与えて、それだけの為に自分を使おうとした。


よりにもよって兵器が持ち主に牙を剥くきっかけを、毎日の様に与えてしまった。


 そして、


 だから自分は――飛ぶ。どこまでも、彼女の追跡を振り切って、彼方まで飛ぶ。


 いつかこの世界を変えられるその日まで。ヴェロニカが言っていた『愛』というものを理解するまで。


 全ての天使を、この手で殺し尽くすまで。


 そしてマスターであるヴェロニカを殺して、北の帝国を崩壊させるまで。


 彼女との約束を果たす為に。


 それだけが、全てだ。




「――――――っ」


 再起動が完了し、ロベルタが目を覚ます。


 目覚めた場所はあの忌まわしいメンテナンスが行われる前にいたベッドだった。


視界の拡張現実に、クラリスからの通信ログが残っている。



「クラ、リス……」


 指を動かして履歴マークの表示されているアイコンを開き、通信を再生する。


『通信:直属上官特殊指令No.144の第一フェイズの終了を報告。二十三秒前、決戦兵器【ブリュンヒルデ】管理システムの掌握に成功。現在No.144次フェイズ【ブリュンヒルデの奪取】に移行可能状態。ロベルタからの指示を求む』


 がばりとロベルタがベッドから跳ね起き、通信機のスイッチを入れる。数秒の呼び出しの後、クラリスが通信に応じた。



『応答:こちらクラリス』


「こちらロベルタ。……首尾は?」


『応答:既につつがなく完了している。【ブリュンヒルデ】はいつでも持ち出せる状態にあり、ロベルタの装備は全てこちらで所持している。当該機との速やかな合流を推奨」


「……よし。今からそちらに合流する」


 ロベルタがコートを掴んで羽織り、扉を開け放って非常階段へと向かって歩く。


このフロアは無人だ。軍のデータベースにもないヴェロニカが私有している施設の為、ロベルタとヴェロニカ、そしてこっそりと侵入しているクラリス以外には何もなく、誰もいない。


 何事も無く非常階段へと辿りつき、駆け降りる。


どうやらあの出鱈目なメンテナンスも無駄ではなかったらしく、あの時の様な身体の重さは少しも残っていない。寧ろ軽くなっているくらいだ。


 あの過程がメンテナンスなのか、あの過程が終わった後にメンテナンスをしているのかまでは分からない。


 ただの拷問であればまだ良いものの、きちんとメンテナンスとしても機能しているのが余計に質が悪いなとロベルタは内心考え、苦い顔をした。


嫌っているものを嫌いになり切れないのはどうも気持ち悪い。


 非常階段には気味が悪い程に何も無く、ロベルタはもしかすると自分は何かの罠に掛かっているのではないかと勘繰りながら会談を駆け降りたが、非常階段らは自分の足音が響くばかりで、何も無かった。


 クラリスは非常階段の一階で待機しており、ロベルタの持っていた白い柄と色とりどりの端末達を右手に抱えて持っていた。


そして左手には――大きなトランクが一つ、提げられている。


 これが【ブリュンヒルデ】。世界の全てを変えるほどの力を持つ、天使を超える正真正銘帝国最強の戦略級兵器だ。


この兵器があるから帝国は共和国との戦争において有利に立っていると言っても過言ではない。そしてそれだけの兵器を……今、クラリスはその手に持っている。



「ロベルタを確認。行動の開始を要請」


「ああ、行こう。ここにも長い間はいられない――」



「あらあら、何やら下級機体ネズミがちょろちょろしていると思って泳がせていたら……。やっぱり、『それ』が狙いだったのね」



 女性の声が静かに響き、二人が反射的に振り返る。


二人のすぐ後ろに、ヴェロニカがいた。


いつもの車椅子には乗っておらず、自分の足で立っている。


しかしヴェロニカが立っているところを見たのは、ロベルタですら初めてだった。


 二人が瞬時に距離を取り、防火扉に背を着ける。


 今の今まで、ヴェロニカの生体反応は全くなかった。


空間転移を行った形跡もない。だがヴェロニカは確かにそこにいた。まるで初めから、その場にいたかの様に。


「初めてやってきた時から気に食わない機体だとは思っていたのよ。の周りをチョロチョロとしてたもの。


 ……ロベルタ、馬鹿な真似はやめて早く戻ってきなさい。あなたは施設ここで私の寵愛あいを永遠に受け続けて貰わないといけないんだからから」


「………………」


 ロベルタが扉のノブに後ろ手に手をかけ、開こうとする。それを見たヴェロニカの目が、すっと細められた。



A


 ヴェロニカの言葉と同時に、ロベルタの足が一歩前に進む。


最高位の命令というあまりにも強い強制力に、ロベルタは抗うことができない。一歩、また一歩と、ロベルタの足が前へと進む。



「ふふ……。いい子よ、ロベルタ。私はあなたの創造主、私はあなたの神なのよ。あなたが私に愛されることは名誉で、私があなたを愛することは当然なのよ……」


 ヴェロニカが両手を大きく広げて、ロベルタを見つめる。


ロベルタは淡々と、ヴェロニカの方へと向かっている。きっと抵抗しようとしているのだろう。だが、命令に逆らうことはできない。


 階段へと踏み出し、ヴェロニカが彼を抱擁する為に一歩踏み出したその時……ロベルタの腕を、クラリスが強く握った。


ロベルタの動きが、ぴたりと止まる。



「……何のつもり」ヴェロニカの目から、怒りの色が漏れ出る。


 しかしクラリスは何も答えず、ロベルタを引き戻してこめかみにある端末ハブに自分の指を押し付ける。


クラリスの指の腹から端子が伸びて、ロベルタと接続。クラリスがロベルタに侵入する。


「ハッキング開始:天使型モデル【ロベルタ】の管理者代行権限に基づき、当機への侵入を開始。


進行率98パーセント……掌握完了。


検索結果:Aクラス命令信号確認、本部からの認証なし。


本部への情報送信を妨害するプログラムを確認。


妨害プログラムの使用、及び正規軍人による命令システムの無許可使用は軍則第三百二十条における人形管理に適しておらず、これを違法であると判断。


管理者代行権限で当該命令コード削除……削除完了。接続を切断し本体を再起動」


「なっ……」


 限界近い速さで、クラリスが現在状況を読み上げる。


クラリスがハッキングを開始してからロベルタが再起動を開始するまでその間わずか三秒足らず。


本来のクラリスのスペックでは成し遂げられない速度だが、それはヴェロニカにとって驚くに値することではない。


この周辺一帯にいる他の機体をハッキングし並列化しての分散コンピューティングもどきでも使えば、それくらいの処理速度は出る。


だが何よりもヴェロニカにショックを与えたのは、ロベルタの管理者代行権限をクラリスが持っていたことだった。


 ロベルタの同意さえあれば、あとは本部のサーバーを弄れば代理権限くらいは何とかなる。


だが代理権限を持っているということは、ロベルタが自分以外の何かに心を許したということ。自分以外を主と認めたことである。


それだけは『絶対に在り得ない』と信じていたヴェロニカにとって、それは何よりもショッキングな出来事だった。



「そんな……ロベルタ……嘘……」


 あまりにも突然の出来事に、ヴェロニカは呆然としている。


クラリスはちらりとヴェロニカの方を一瞥した後、再び気が付いたロベルタと共に非常階段から玄関へと抜け、外に出た。


 二人が去った後一人取り残されたヴェロニカは、ただじっと立ちすくむばかりだった。




 外は吹雪いていて、辺りがよく見えない。


何も分からないまま進まなければならないその様子はあたかも、これからの二人の旅路を意味しているかのようだった。


 ブリュンヒルデを持ちだされた帝国が二人を追うこと、自分達の目的が決して容易ではない事……全て二人は理解している。


だが二人は止まらない。それがどれだけ罪深いことかを理解すると同時に、それが自分達にとってどれだけ必要なことであるかも、十分に理解していたからだ。


 二人の足跡が降り積もる雪に埋もれ、二人の痕跡は少しずつこの場から消え失せていく。


「さあ、行くぞクラリス」


 天を睨みながら、ロベルタが呟く。


「最後の戦争だ。


 ――俺達で、帝国を完膚なきまでに潰す」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る