#06 -凌辱の果て①-

 ロベルタが目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。


 壁も、天井も、扉も、自分が今まで眠っていたベッドも、全てが病的なまでに白い。


ベッド脇の机に畳んで置かれているコート以外に、その場所に色はなかった。部屋に窓は無く、外がどうなっているのかを知ることはできない。


今が昼なのか夜なのかすら分からない程だ。



「……あぁ……そうか」


 ゆっくりと身体を起こして、ロベルタが今までを思い出す。


 あの後ロベルタは基地の前まで空間移動で移動し、その後臨界点に達した【Angel】によって気絶し、ここ……司令官の私有する施設に司令官の指示で運びこまれたのだ。


 天使であるロベルタのメンテナンスは、病室の様な清潔な空間で行われる。


精神衛生の観点から……という理由でらしいが、ロベルタに言わせればここの方がよっぽど落ち着かなかった。機械油の匂い漂う工場の方が、まだ自分を機械であると実感できる分マシだ。


 最も、このロベルタという意識が目覚めてから一度たりとも、そんなところでメンテナンスを受けた事はないのだが。


 だがある程度身分の高い人間は、体調が悪くなるとこういう場所で療養すると訊いたことがあったので、ロベルタはここにいることが心底嫌という訳ではなかった。



「そうだ、クラリスは……。『計画』の続きは……」


 前よりも少しだけ重く感じる足を動かしてベッドを抜けて立ち上がり、ぐっと伸びをする。


人形であるロベルタにとってこの行為に大した意味はないが、人間は朝起きるとこうやって伸びをする者が多いとロベルタは知っていたので、それを模倣することを日課としていた。


 少しでも多く人間のことを知って、より人間に近付くことがロベルタのささやかな夢である。


 最も、暗殺任務以外でロベルタが外の世界の人間と接触したことはこの一年間殆どないのだが。



 ――計画の実行は今日だ。早くクラリスと合流して、計画を実行へと……。


 ふらふらと歩いて部屋から出ようとして、扉の前でロベルタはぴたりと足を止めた。


 スリープ状態から起動した電脳が完全に覚醒し、部屋の前に扉一つ挟んで誰かがいることを告げている。


そして扉の向こうにいる人物が誰なのか……ロベルタはよく知っていた。


 ロベルタにとって恐らく最も関わりの深い人物であり、そしてロベルタが一番苦手な人物だ。



「おや、思ったよりも元気そうね。ほんの十一時間前に暴走寸前まで身体を酷使していたと言うのに……」


 白い扉が静かに開き、車椅子に座った赤髪の女性がロベルタににこりと微笑みかける。


 二十代と思われる女性は綺麗な赤毛を長くのばしており、長い睫と翡翠の様な瞳が特徴的などこか儚げな印象の女性だった。


「此度の任務は大変だったわね。何しろ他に類を見ない程に大規模な侵攻だったもの……。調子はどう? ロベルタ」


「……大きな問題はありませんよ、マスター。身体が少しだけ重たいですが、すぐに定時の自己診断アップデートで修正されるでしょう」


 ロベルタがそう答えると、マスターと呼ばれた女性は目を大きく見開いて、車椅子を押してロベルタの下へと近づいた。


ロベルタが跪いて女性と目線を合わせると、女性はロベルタの頬を両手で愛おしそうに撫でた。その顔は少し上気し、甘い吐息が口の端から漏れ出ている。


「そんなに長い間あなたの不調を放ってはいられないわ……定時アップデートまであと五時間もあるじゃない。私が念入りにメンテナンスしてあげるから……私のお部屋にまでいらっしゃい。そこでを受けるの。これはAよ」


「分かりました」



 ロベルタが頷くと、司令官は満足そうに微笑み、ロベルタの頬に優しくキスした。



「それではロベルタ、私の後についてきなさい。Bクラス命令よ」


 司令官が車椅子の向きを変え、廊下の方へと進んでいく。


 ロベルタはマスターに見えないようほんの少し顔を曇らせたが、その足はロベルタの意志と関係なく、マスターの後を追っていた。


 天使モデルであるロベルタには、ネットワークで統制されている他の人形と違い通常の人形にはない『マスターまたはマスター不在時の代理マスターである人間に従属する』という基本仕様が備わっている。


命令は四種あり、命令の強制力順にAからDまでの区分がされている。Aクラス命令は最優先事項。BクラスはAクラス以外の事項において最も優先される命令だ。


命令の強制力は正規マスターが最も強く、仮に正規マスターと代理マスターが同時に命令を出した際は命令のクラスに関係なく正規マスターの命令権が優先される様になっている。


そして命令のシステムをロベルタに組み込んだのは――他ならぬ彼のマスターだ。



「さあ、着いたわよロベルタ。どうぞ中に入ってくださいな」


 病室同様真っ白な空間が広がる廊下の突き当たりに、一つだけ真っ黒く塗られた扉がある。マスターはそこで車椅子を止め、首だけをロベルタの方に向けて入るように促した。


 何も言わずにロベルタが扉を開き、中に入る。ロベルタに続いてマスターが入ると、部屋の照明が自動的に付いた。


 手術室。その光景を端的に言い表すならば、その言葉が一番適切だった。


 真白い部屋の中央に寝台が設置され、その周りには外科手術に用いる道具が所せましと並べられている。


帝国の技術力であれば外科的な手術は全て人形が行うことができるが、医療のみを目的とした人形はまだ開発されていない。


それにそもそもの話として――人形に外科手術は必要ない。定期的な部品メンテナンスさえしていれば問題なく稼働する筈だ。


 部屋にはロベルタと司令官以外には誰もおらず、メンテナンスを行う専用機械も見当たらない。



「さあロベルタ、服を脱いでそこに寝なさい。Bクラス命令更新よ」


 ロベルタの指が着ていた服のボタンを外し、シャツとズボンが足元に滑り落ちる。


 一誌纏わぬあられもない姿になったロベルタを、司令官が恍惚の表情で見つめる。その瞳はとろんと据わっており、今にも蕩けそうだった。


「嗚呼……。素敵よロベルタ、とっても素敵。今までたくさんの人形を視てきたけれど、あなたはその中でも一番素敵で美しい。だってあなたは、わたしの――」


 ロベルタが何も答えず、寝台へと横たわる。


 命令は絶対なのだ。人形側がどう思っていても、逆らう事はできない。


ヴェロニカがAクラス命令を更新し、ロベルタに動かないように命じた。これでロベルタは命令が解かれるまで、動こうと思ってももう動くことができない。


「……よく心得ていますよ。当機わたしはマスター――ヴェロニカ様の機体モノですから」


 無意識のうちに、言葉が漏れ出る。


 よろしい、とヴェロニカが頷き、ゴムのぴっちりとした手袋をはめて寝台の隣の台に置いてあった注射器を取り出してロベルタの方を見る。中には濁った色の薬液が入っており、それが何なのかは全く分からない。


「……いつも通り、何も心配は要らないわ。ただキモチ良くなるだけだから……」


 ロベルタの目の上で注射器をふらふらと漂わせながら、ヴェロニカが怪しく微笑む。


 とはいえ、痛覚が存在しないロベルタには当然性感も存在しない。何をされたところで大してロベルタは何も感じないだろう。精々微弱な違和感を感じる程度だ。


 ぞぶ、とロベルタの瞼に注射針が刺され、中に入っていた薬液がロベルタの中に注入される。


 暫くするとロベルタの体内で何かが弾け、電流が走った様な衝撃と共に全身を切り刻まれる様な激痛がロベルタの全身を襲った。あまりに唐突な『痛み』に、ロベルタが絶叫する。


 ヴェロニカはそれを見て、頬を上気させてけたけたと笑った。



「……っふ、ふふ、あははははははッ! キモチ良い? いいでしょ? いいに決まってるわよねきもちいいんだから。私の作ったナノマシンで思い出す痛覚かいかんはどう?」


 ヴェロニカの問いに、ロベルタは答えられない。


電脳が許容できないほどの痛みを全身で一気に与えられた為一時的に機能不全に陥っており、言語を理解することができない状態にある。


 ヴェロニカがロベルタに注入したのは無数のナノマシン群。


機体がダメージを受けた時にアラートとして感じる『違和感』を痛覚と誤認させ、誤認させた痛覚を本来の数百倍のものとして電脳に受信させるものだ。少し皮膚が切れただけでも電脳が許容範囲を超える程に、その効果は大きい。


 獣の様に吠えるロベルタの腹に、ヴェロニカがすっとメスを入れる。切れ目から灰色の人工血液が溢れ出し、更に与えられた激痛でロベルタが白目を剥いた。


 ヴェロニカのメスがロベルタの白い腹に灰色の真っ直ぐな線を描き――電脳からの異常を伝えるあまりにも強い訴えにロベルタの意識が混濁する。


本来であれば電脳に深刻なエラーが生じた時点で活動を一時停止し、原因を究明し解決した上で再起動されるが、ヴェロニカの与えたAクラス命令により、この『メンテナンス』が終わるまでロベルタの意識が途切れることはない。


一秒たりとも他のことを考えられない状況の中で、ずっとヴェロニカに身体を弄ばれ続けるのだ。


 倫理を無視した治療は拷問であり、度の過ぎた拷問は時に凌辱となる。


そしてこの凌辱に値する行為をヴェロニカは、他の何にも替え難い愛情表現として認識していた。


 誰にも邪魔されない空間で、他には何も考えられない状況で、相手の全てを暴き弄繰り回す。


歪んだ愛情表現を行っている際、ヴェロニカは常に絶頂を感じていた。口の端からは涎が漏れ、腿には愛液が垂れている。


そしてヴェロニカがあいすのは……他の誰でもないロベルタだけだった。


「痛いってことは気持ちいいってことなのよ? 気持ちいいってことは愛してるってことなのよ? だからあなたが痛いと感じるのは――ってことなの」


 勿論、そんな筈はない。ロベルタには元々痛覚はないのだから。



「私も……あなたを愛しているわ。愛しているからあなたを作ったの。愛しているからあなたを気持ちよくしてるの。愛しているから……何でもしてあげられるのよ」


 メスが腹から抜かれ、今度は大腿へと突き刺される。ロベルタの全身がびくんと魚の様に痙攣する。


 白目を剥いてがくがくと身体を震わせるロベルタの身体を、至福の表情でヴェロニカが穢す。


「世界は愛で満ちているわ……。でもあなたがその身で受けるのは、私の愛で十分」


 大腿を開いて弄繰り回し終わったヴェロニカが、体液に塗れたメスをロベルタの額に当てる。


「他の誰にも……あなたは渡さないわ」


 あまりにも巨大で禍々しい、独占欲。


 額に当てられた刃が素早く一直線に引かれ、一際大きな絶叫が部屋の空気を揺らした。

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