第四章

 街道へ出た頃に降り始めた雨は、長雨となり、一つ目の宿場での足止めを余儀なくされた。とはいえ、同様に雨のあがるのを待つ者が多く、長の逗留を気に留められることがなかったのは、かえって都合が良かった。

「薬で治せん病を治せる薬に用はないかい?」

「なんだいなんだい、恋煩いに効く薬でもあるってのかい」

「忘れ薬と惚れ薬、どっちが入り用だ?」

 藤十が他の逗留客を相手に小金を稼いでいる間に、辰は小夜の旅の支度を手伝った。長く座敷牢から出ない生活だったため、初めこそ多くの人間が行き交うのに怯えていた小夜だったが、すぐに好奇心の方が勝り、あれこれと辰に尋ねるようになった。衰えた体力を取り戻すためにも、雨が小降りになるのを見計らっては、宿場の端から端まで二人で歩く。

「これは?」

「雨が降っているからね、笠を被っていかないと」

 小夜は辰によく懐き、辰も、小夜の面倒をよくみた。急ぐ旅でもなく、雨音とともに長く留まっていたが、やがて、雨がやんだのを見て取った藤十が「そろそろ発つか」と呟いた。

「どこへ行くの?」

 小夜が、辰の顔を見上げて問う。

「さあな。しばらくは、道中でばてたら抱えてやるから、心配はいらねぇよ」

 藤十がそう答えると、小夜は辰にしがみつき、嫌がるように首を横に振った。そのまま、藤十から逃げるように、辰の影に隠れる。

「おい、小夜。おまえ、自分が誰のものか理解してないわけじゃねぇんだろ」

 藤十は睨むように小夜を見下ろす。小夜は、ますます強く辰にしがみつく。自分を挟んで行われるやりとりに、辰はくつくつと笑った。

「藤十、そう脅かすものではないよ」

「おれがいつ脅かしたって?」

「おまえにそのつもりはなくても……いつも言っているだろう? おまえは顔が怖いのだもの。笑って言ってやらないと、小夜が怯えるのも無理はない」

「お、怯えてるわけじゃ、ない」

「おや、そうなのかい?」

「藤十は、怖くない……けど、辰のほうがいい」

 辰にしがみついたまま、顔だけ覗かせて言う小夜に、藤十は投げやりに「そうかよ」と答えて宙を仰いだ。辰に手を振り、「担いでやれ」と言う。そのどこか拗ねた物言いに、いよいよ声をあげて笑ってから、辰は自分にしがみついたままの小夜を見下ろした。

「藤十が言うからには、疲れたら私が負ぶってあげるけれど」

 小夜はようやく辰から離れ、首を横に振った。

「自分で、歩く」

「そう」

 辰は、優しく微笑む。

「──いい子だ」

 そう言って、小夜の頭を数度撫でた。


 子どもの足でも踏破できる距離ではあるが、小夜の体力を考慮した結果、かなりゆっくりとした歩みになった。それでも、昼の長い時期であることも幸いし、なんとか日暮れまでに次の宿場にたどり着く算段をつけ、三人は道中の茶屋で休憩を取った。

 まだ高い太陽から逃れるように店先の傘の下に入り、腰を落ち着ける。小夜は、辰と藤十に挟まれるように、間に収まった。

「小夜、疲れてないかい?」

 辰が尋ねると、小夜は首を振った。

「大丈夫」

「嘘はつかんことだ」

「……大丈夫」

 しれっと言う藤十に、小夜は口をとがらせる。藤十は「そうかい」と答えたきり、取り合わなかった。

「藤十の、いじわる。大丈夫って、言ってるのに」

「そうかよ。それが嘘でも強がりでもかまわんが、団子は食え」

 藤十はそう言って、小夜に団子を突きつける。ぷいと顔をそらされ、舌打ちをして辰に差し出した。

「ずいぶんと嫌われたねぇ」

 小夜の分の団子を受け取りながら、辰はおもしろがるようにくすくすと笑う。「おれの知ったことじゃねえ」と、藤十は自分の団子に食いついた。辰から手渡され、ようやく小夜も団子の串を握る。

 三人が腹ごしらえをしていると、どうやら街道ではなく山越えをしてきたらしい旅装の男が、同じく軽食を求めてやってきた。

「こりゃあ、どうも。相席いいかね?」

「おう。こっちはそろそろ発とうと思ってたとこだ」

「追い立てやしないよ」

「そりゃどうも」

 藤十が男と交わすやりとりを聞きながら、辰は人好きのする笑顔で会釈をする。小夜も、辰を真似るように頭を下げた。男は、辰の風体や子連れをいぶかる風もなく会釈を返す。

 旅の行きずりは、彼らの奇抜さに寛容であることが多い。

 辰は穏やかな心持ちで、ゆるゆると歩きだす身支度を整える。だが──

「もう聞いてるかい?」

「何をです?」

「この長雨で、どこかの山で蛇が抜けて、村がひとつ流されたらしい」

「へえ。そりゃ初耳です」

 男が茶店の娘に話しかける内容を耳に留め、その手を止めた。藤十を見ると、かすかな頷きが返る。そのままあごをしゃくって街道を示すので、苦笑を返してから小夜へと顔を向けた。

「さて。私たちは、そろそろ発つとしようか」

 小夜は素直に頷き、辰に続いて立ち上がる。だが、動かない藤十を見咎め、辰を見上げて「藤十は?」と尋ねた。

「先に行ってろ。どうせ、すぐに追いつく」

 藤十の返答に口をとがらせ、「行こう」と辰の手を引く。引っ張られるままに歩きだしながら、辰は藤十を振り返る。茶の一杯でも奢るのだろう、男のほうへ振り向いた藤十の表情は穏やかとは言い難く、辰は密かにため息をついた。


「なんだ、あんまり進んでねぇな」

 半刻ほど歩いた辺りで追いつき、呆れたように言う藤十に、辰は苦笑した。

「小夜が、おまえを心配していたんだよ」

「ほう?」

「藤十が、迷子になっちゃいけいないと、思っただけ」

「そうかい」

 それだけ言って、藤十は二人を追い抜く。

「心配したのが私なら、要らん世話だと言うのだろうに。小夜には優しいのだねぇ」

「おれの心配なんぞ要らんと、まだ知らなくても道理だからな」

「珍しい、当てつけかい?」

「そんな無駄はしねぇよ、阿呆」

 軽口のように悪態をつきながら、自然と藤十を先頭に、小夜と辰が数歩後ろに並んで続く。

「先の茶屋での話だが」

 藤十は、二人を振り返ることなく、歩を進めながら口を開く。

「小夜、おまえの村の話だ」

「村……が、どうかしたの……?」

「この長雨で、先の宿場から山ひとつ越えた先で山崩れがあって、村がひとつ潰えた。──おまえの村だ」

 きょとんとした顔で藤十の背に問いかけた小夜に、藤十は淡々と答える。小夜は時間をかけてその意味を理解し、顔に朱を昇らせた。

「うそ!」

 藤十に向けて叩きつけるように叫び、隣を歩く辰を振り仰ぐ。

「ねえ、辰。藤十が、いじわるを言う。わたしの村だなんて、決まったわけじゃ、ないのに!」

 辰は、小夜の視線をまっすぐに見返し、困ったように眉尻を下げた。

「そう。決まったわけではないから、藤十は茶屋で話を聞いてきたんだ」

 小夜にそう言い、次いで、藤十へと視線を巡らせる。

「私はてっきり、小夜から隠すのだと思っていたよ」

「そんな無駄はしねぇよ。遅かれ早かれ知れることだ」

 藤十は、振り返るどころか、足を止めることもしない。

「人の口に戸は立てられんからな。憑き物筋の村の、よりにもよってその血に蛇の憑いたおまえが唯一の生き残りだと、知れ渡ったら面倒が増える」

「唯一の……そう……」

「とうさまや、かあさまや……みんな、は……?」

「すべては土砂の下だ。生きてたら、それこそ化け物だ」

「うそ……」

 呆然と足を止めた小夜を振り返り、藤十も立ち止まる。

「沢に沿って山が崩れることを、この辺りじゃ蛇が抜けると言う」

「蛇……」

 藤十の言葉に、小夜は襟元を押さえた。

「あの村には、滅びるに足る理由があった」

「そ、れは……わ、わたし、が……わたしは、村から、出たい、なんて……」

「言ってねぇな。おれが連れ出した」

「……」

 白々しく言葉を継ぐ藤十を、睨めつける。

「おれが憎いか」

 藤十は、村がひとつ滅びたことなどまるで知ったことではないと言うように、淡々と続ける。

「村が滅ぶと承知でおまえを連れ出した、おれが憎いか。恨みに思うか」

「……」

「恨むなら恨め。殺したいと思うなら、そう思っているがいい」

 苦々しい表情で顔を伏せる小夜に、藤十はなおも言い募る。それを咎めるように、辰が藤十を呼ぶ。黙れと言う代わりに一瞥をくれるが、辰は黙らず、ため息をついて言葉を続けた。

「藤十。もちろん、おまえが小夜に──蛇神憑きに恨まれたところで、憎まれたところで、何の障りもないことは、わかっているとも。けれども、ねえ」

 言いながら、藤十と小夜を交互に見る。まるで、二人に言い聞かせているようだった。

「それは、私がおまえを守らない理由には、ならないよ。私は、何があっても、何者からも、藤十を守るのだもの」

 辰が言い終えると、藤十は呆れたように、「勝手にしろ」と呟いた。辰は、「そうさせてもらうとも」と、淡く苦笑する。口元は袖で隠され、その真意は伺い知れなかった。

 藤十が押し黙ると、沈黙が落ちる。

 やがて、小夜がぽつりと口を開いた。

「辰は……」

「うん」

「辰は、藤十を、守るの……」

「そう。私は、そうする」

「そう……」

 小夜は、それだけを呟き、足下から礫を拾い上げる。砂利と呼ぶには大きいとはいえ、小夜の手に収まる程度の小さな礫だ。どれだけ振りかぶったところで、かすり傷のひとつも負わせられれば上出来の部類である。ましてや誰かを傷つけるなど初めての少女が振るうとなれば、それが何の脅威にもなり得ないことは、誰の目にも明らかだった。

 それでも、辰は動いた。

 片手で小夜の腕を掴み、もう片方の手で首を締め上げる。ぽきんと澄んだ音をたて、細い腕が折れた。

「あ……あ……」

 締め上げられた喉から、悲鳴の断片のような声と、声にならないひゅうという音が漏れる。

「な……おい、辰!」

「黙ってくれ、藤十!」

 辰を止めようという藤十の声を、辰は叫ぶように遮った。

「おまえにやめろと言われたら、私はこの手を放さなければならなくなる」

「ああ、だから──」

「だから、黙ってくれ、藤十……!」

 自分に背を向け、小夜の首を締め上げながら懇願する辰に、藤十は言葉を見失う。けれども辰は、さらに言葉を重ねる。それはまるで、藤十が絶句したことに気がつかないように。

「恨みに思うか、憎いかだって? ああ、憎いとも、殺してやりたいとも。村を犠牲に生きながらえた私を、私は殺してやりたかったのに! おまえが私たちを死なせてくれないのだ!」

 そこまでを叫び、ようやく藤十が言葉を失っていると気づいたのか、一転して声音を和らげた。自分が吊し上げている小夜に、優しく話しかける。

「小夜、おまえは聡い、いい子だ。私が藤十を守るのだと知って、蛇ではなく自らの手で、私ではなく藤十を、害そうとした。だから──」

 どこまでも優しく柔らかな声音で語りかけながら、腕を掴んでいた手を放し、両手でさらに強く、小夜の首を絞める。

「だから、私は、おまえを殺してやることができる」

 腕が折れるよりも幾分鈍い音をたてながら、そのか細い首はごとりと折れた。

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