第三章

 翌日、朝餉を終えるなり、藤十は小夜に憑いているモノと村の関わりを吉三に話して聞かせた。

 それが、元は神であったこと。

 今では物の怪同然とはいえ、未だ村を守る機能を果たしていること。

「そんな……では、どうすれば……」

「まあ、今一度、神として祀ることだろうな」

 青ざめる吉三に、藤十は言う。

「信仰を取り戻し、蛇が神としての力を取り戻せば、あれが娘に憑く必要もなくなるだろうよ」

「だが、物の怪を祀るなど……!」

「今でこそ物の怪も同然だが、神だぞ。神祀りを忘れたくせに、祟られてねぇのが不思議なぐらいだ」

 言って、腕を組んでため息をつく。

「まあ、そのために血を交わらせたんだろうが」

 辰はかすかに首を傾げ、説明を求めた。藤十は肩をすくめる。

「蛇神を祀っていた奴は、わかっていたんだろうよ──自分たちの末裔、村の連中が、いずれ神を忘れることを。だから、そうなっても村が祟られることのないよう、自らの血を村に混ぜた」

 そこまで言って、呆れとも感嘆ともつかない息をつく。

「さすが、神を相手取る血筋の者は、いつの時代も強かだ」

「ああ、ああ、そうだ……あなたがたの話が、本当なら……」

 吉三は、あえぐように口を挟んだ。

「我々にも、化け物の血が混じっていると……?」

「勘違いするな。神を祀る──神の力を借りる血と、神そのものの血は、別物だ」

「同じことだ!」

 叫ぶように言い、「いや」と頭を振る。

「いや、違う……あり得ないことだ。村に、化け物の血が混じるなど……」

 うわごとのようにぶつぶつと呟く吉三に、藤十は舌打ちをする。

「これだから、莫迦の相手は嫌なんだ」

「否定はしないけれど、せめて小声で……」

「どうせ聞いちゃいねぇよ」

 苦笑いをする辰の言葉を鼻であしらい、苦々しく顔をしかめた。

「だが、認めたくなくても事実は事実だ。そこは理解してもらわんと、娘を助けられんぞ」

 娘、という言葉に、吉三がびくりと反応する。

「そ、そうだ、小夜を……娘を助けるには、どうしたら……」

「だから、さっき言っただろう」

 呆れ声で言いながら、藤十は繰り返す。

「蛇が娘を依代にしなくてもいいよう、力を取り戻させる。そのために、村が忘れた信仰を思い出せ」

「化け物を祀る法など、あるわけないだろう!」

「化け物じゃなくて、神だと言ってんだろうが……」

「あれは化け物なのだ!」

 吉三は叫ぶ。

「化け物だから、村のために死んでもらったのだ! それを! それに力を取り戻させるなど、村が滅んだらどうしてくれる!」

 険悪な空気に腰を浮かせた辰を、藤十は片手をあげて制した。

「ならば、どうする。おれたちを力づくで放り出すか」

 静かな視線に射られ、吉三は言葉に詰まる。藤十は畳み掛けるように続けた。

「あれは村を守る神だ。これ以上蔑ろにすれば、それこそ村が滅ぶぞ」

「で、でたらめを……」

「娘から蛇を引き剥がすためにも、他の手はねぇぞ。蛇に、力を取り戻す」

「そ、それが狙いか、化け物め!」

 吉三は声を荒げ、恐怖のためか怒りのためか、頭に血を昇らせながら這うように後退る。背が襖にぶつかると、縋るように手をかけた。

「我らに化け物を祀らせ、村を滅ぼすつもりなのだな、畜生!」

 いよいよ支離滅裂になる吉三の言に、藤十は額を押さえながら深くため息をついた。辰が立ち上がり、藤十の前に進み出る。

「ひっ、た、助け……っ」

 自らが追われたと思ったのか、吉三は襖ごと押し倒すように廊下に転がり出た。

「助けてくれ! 誰か! 化け物に殺されちまう……!」

 声こそ荒げながら、けれど、立ち上がる余裕もないまま這々の体で外を目指す。

 ふわりと、辰が後を追って廊下へ出る。

 赤い衣が翻る。

「辰、殺すな!」

 藤十の鋭い声と吉三の首を捕らえる辰の手、果たして、早かったのはどちらか。

 どすんと重たい音とともに吉三は廊下に押し倒され、蛙を踏みつぶしたような声が漏れた。その背に馬乗りになった辰が、首を掴み、ぎりぎりと頭を床に押さえつける。

「そうして村人を集め、手に手に鋤や鍬を持って追い立てるのかい? 私は、言ったはずだよ。藤十に危害を加えるものは、私が許しはしないと」

 そう言う辰の口の端から覗く牙は、人の歯と言うには、あまりに鋭い。襟元がはだけ、露わになった肌には、まるで獣の歯形のような痣が浮かぶ。首ごと噛み切るような、首輪のような、その独特の痣は、身の内に狗を飼う血筋の徴だ。

 辰は自分の下で身じろぎすらできない吉三を見下ろし、口を横に裂くように、にっと笑った。

「藤十が殺すなと言うから、命までは取らないけれど……少し、痛い目は見てもらった方がよさそうだねぇ」

犬神憑きおまえの基準で痛い目見せたら死んじまうわ、阿呆」

 のんびりとした足取りで廊下に出た藤十は、「さっさと放してやれ」と、呆れ混じりの目で辰を睨む。泰然と腕を組んで自分と吉三を見下ろす藤十を振り返り、辰は、「けれど」と首を傾げた。

「放したところで、話にはならないだろう? 村中総出で追い立てられて、かえって厄介ではないかい?」

「さっきのでも十分厄介だわ。この上何人増えたところで大差はねぇよ」

「一人を説き伏せるのと十人から守るのとでは、ずいぶんと勝手が違うのだけど」

「余計な世話だな」

「そりゃあ、たかが人間が十人や二十人束になったところで、おまえには脅威でも何でもないのだろうけどね……だからと言って、それは私がおまえを守らない理由には、ならないんだよ」

 言いながら、辰は渋々といった風情で立ち上がった。解放された吉三は、むせかえりながら這うように逃げだし、助けを求める。言葉までは聞き取れないが、その声の響くのが聞こえ、藤十は再び額を押さえてため息をついた。

「今のうちに逃げるかい?」

 何事もなかったようにおっとりと首を傾げ、乱れた襟を正しながら、辰は問うた。

「村は見捨ててもかまわんのだがな……」

「あの子を拐かすのなら、連れてくるけれど」

「唆すな」

 げんなりとした表情で言う藤十に、くすりと苦笑する。それから、改めて藤十の顔を窺った。

「それで?」

「もう一度、話はしてみるが、無理だろう。せめて娘は連れて行く」

 頷く辰に、藤十は廊下の奥を示した。辰はわずかに表情を陰らせる。

「私が戻るまで、無茶はしないでおくれよ?」

「そう言うなら、さっさと行って戻ってこい。おまえこそ、無茶はしてやるなよ?」

「わかっているさ」

 答えて、辰は廊下の奥、小夜の居る座敷牢へ足を向けた。対する藤十は、軽くため息をつき、部屋へ戻る。薬箱を背負い、表へ出て、吉三が戻ってくるのを待った。

 辰の言ったとおり、手に手に鋤や鍬を持つ村人を引き連れてきた吉三は、藤十が待ち構えているのを認めてわずかにひるむ風を見せる。だが、すぐに気を取り直し、先ほどよりもいくらか威勢の良い声で藤十をなじる。

「あ、あんたら、さっさと村から出て行ってくれ! 化け物め!」

「そうだ、出て行け!」

「化け物!」

 吉三に同調し、口々に自分を罵る村人を見渡し、藤十は肩をすくめてみせた。

「言われるまでもなく、そのつもりだがね」

 すでに整えられている旅装に、吉三は言葉に詰まる。だが、背後から聞こえる「化け物の言葉など信じられるか!」という声に、「そ、そうだ!」と勢いを取り戻す。

「無理矢理にでも、出て行ってもらうぞ!」

 先ほどにも増して聞く耳を持たない吉三の態度に、藤十は苦々しく宙を仰いだ。誰か一人を冷静にさせたところで、話にならない。わかってはいたが、面倒なことこの上ない。

「まったく、莫迦の相手はこれだから……」

 藤十は声をひそめることなく、ぼやく。だが、口々に「出て行け!」「化け物!」と叫ぶ村人の耳には、届いていないのだろう。

 だから、村人たちがさざめき、場の空気が変わるのは、とてもよくわかった。

「悪いな、辰。こっちの話は、まだ終わってねぇ」

 言いながら振り返ると、大仰な荷物と小夜を抱き抱えた辰が、玄関から出てきたところであった。小夜は、荷物の中に埋もれるように辰にしがみつき、べそをかいている。

「の、呪いの……」

「不浄の子だ」

「触れたらおれたちまで呪われるぞ……!」

 誰ともなく呟く声は、ざわめきの中にも関わらず、藤十と辰の耳に明瞭に響いた。一丸となって藤十を追い立てていた人垣が、じりじりと後退し、綻ぶ。その先頭に取り残された吉三は、蒼白な顔であえいだ。

「む、娘をどうするつもりだ……!」

 父親の声を聞いた小夜が、辰の腕の中でぱっと顔を上げる。

「とっ、とうさま……! とうさま!」

 まるで猫のように身をよじり、腕から落ちそうになる小夜を、辰は慌てて下ろす。小夜は、地面に足がつくなり、喜び勇んで父親に駆け寄りかけた。だが──

「来るな、化け物!」

 当の父親が、それを拒絶した。

 小夜は、びくりと、足を止める。

「う、うそよね、とうさま……わたしを、売ったり、しないのよね……?」

 必死な小夜の言葉に、藤十は場違いなほど、呆れた声をあげた。

「女衒じゃあるめぇし、売っ払ったりなんかしねぇよ、人聞きの悪い」

 言って、「おい、辰」と振り返る。

「私は、ありのままを説明したのだけれど」

 辰は苦笑を返す。藤十は、ため息をついて村人たちに向き直った。怖れを込めた視線でこちらを遠巻きに見る村人を見渡し、その先頭、怯えた表情で実の娘を見る吉三を、ひたと見据える。

「先の問いへの答えだが」

 藤十が声をあげると、吉三はいよいよ血の気の引いた顔で縮みあがる。

「さ、先の、とは?」

「娘をどうするつもりか、と訊いたろう。それへの答えだ」

「ひっ」

 睨まれたと思ったのか、それとも別の何かへの怖れか、吉三はわずかに後退る。怯えた視線を泳がせながら、ちらちらと藤十と小夜を窺った。

「先にも言ったが」

 藤十は、かまわず続ける。

「この娘に憑いてるのは、元はこの村の守り神だったモノだ。改めて祀ってやれば、再び村を守ってくれるだろうし、娘も解放される」

「だが、それは……」

「できんと言うならそれでもかまわんが、娘のことは、どうするつもりだ」

「そ、それは……」

「あのまま閉じ込め続けるか」

「ほ、他にどうしろと……」

 脂汗を浮かべる吉三の声を聞きながら、藤十は小夜を一瞥した。藤十からは後ろ姿しか見えないが、動けず立ち尽くす様子から、表情は容易に想像がついた。再び、吉三へ視線を戻す。

「村で持て余すと言うのなら、おれがもらい受けるが、どうだ」

「それは……」

 吉三の顔に、喜色が浮かぶ。それを見て取って、藤十は舌打ちをした。

「辰、村のはずれで待ってろ」

 辰は藤十と小夜を見比べ、吉三ら村人を見やり、それから、藤十へと視線を戻して困ったように笑った。

「なるべく早く、来ておくれ」

「ああ」

 藤十が頷いたのを認めてから、辰は小夜に歩み寄った。ひょいと荷物を担ぐように、その小さな身体を抱え上げる。はじかれたように、小夜が「いや!」と叫ぶが、辰は動きを止めることなく歩きだす。

「いやだ、とうさま! とうさま……!」

 すれ違い様、小夜は吉三に手を伸ばす。

 けれど、吉三は動かず、辰も足を止めなかった。

 人だかりが辰を──あるいは小夜を──避けるように割れ、道ができる。怖れと蔑みの視線を受けながら、意に介することなく、辰は悠々とそこを通り抜ける。やがて、小夜の泣き声も聞こえなくなり、気まずい沈黙だけが残った。

 その沈黙を裂き、藤十が口を開く。

「娘一人に罪穢れを背負わせ、村の外へやることで、おまえたちは救われたつもりになってるのかもしれんがな」

 しんと静まる人々の間に、その声は朗々と響く。

「あの娘に憑いているのは、言ったとおり、この村の守り神だったモノだ。神を蔑ろにし、村の外へくれてやった、その結果は碌なことにならんだろうよ」

 藤十は言葉を切り、視線をそらしている村人たちを見渡した。軽く息をつき、再び口を開いた。

「娘を返せ、神を返せと言うなら、おれはそれでもかまわんぜ」

 言って、薬箱を背負い直す。

「ただし、おれが村を出るまでに、呼び止めろ」

 藤十の言葉に、村人は誰一人、動かない。吉三すら、視線をそらし、声のひとつもあげずにいる。藤十は不機嫌も露わに鼻を鳴らし、辰の通った後を追うように歩きだした。


 村の端、田畑が森に呑まれる境界に赤い着物の影を見つけ、藤十は足を止めた。振り返るが、追ってくる村人の影は、一つとしてない。わかっていた結果に舌打ちをし、小夜を抱えて待ちぼうけている辰に歩み寄った。

「やあ」

 藤十を認め、辰がふわりと笑む。その腕の中でおとなしい小夜をのぞき込み、藤十は首を傾げた。

「なんだ、寝ちまったのか」

「泣き疲れたようでね、いつの間にか」

 苦笑する辰に、両腕を差し出して見せる。心得た辰が、起こさないよう気をつけながら、小夜をその手に渡す。あやすように抱え直しながら、藤十は小声でささやいた。

「これで、こいつは、おれのものだ」

 それは、神に対する宣言だ。

 眠っている小夜の耳には、入っていないだろう。けれど、神には届く。言葉にするとは、そういうことなのだ。

 それから、村に背を向け歩きだす。

 辰は、ふと村を振り返った。村は、訪れた昨日よりもなおいっそう、陰鬱としている。

「雨の降る前に、山を越える」

 藤十の声に、辰は踵を返した。二度は振り返らず、藤十の背を追う。

 薄く立ちこめていた雲は、いつの間にか、灰色を濃くしていた。

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