第二章

 田畑の間を抜け、沢沿いに山へ分け入ったところにある荒ら屋が、件の家だと教えられた。迷うほどの道もないからと、藤十と辰は二人で向かうことにしたが、沢に近づくにつれ、辰は眉間にしわを寄せる。とうとう袖で鼻を覆ったところで、数歩前を歩く藤十が立ち止まり、振り返った。

「辰、どうした」

 前を歩いていたのに、よく気づくものだ。そうは思うが、揶揄する余裕はなく、辰は素直に「腐臭が……」と答えた。

「腐臭……怨嗟か」

「いや……それもあると思うけれど、それよりも……」

 鼻と口を袖で覆い、もごもごと言う辰に、藤十はわずかに黙考し、「わかった」と答えた。

「おまえは戻ってろ」

「大丈夫だよ、これぐらい」

「抜かせ。その様で何ができる」

「けれど……」

「おまえの鼻がつぶれて困るのはおれだぞ」

「……わかったよ」

 辰は、渋々と頷く。

「私は、どうすればいい?」

「村外れの憑き物筋について、集められるだけ話を集めろ」

「このなりで、話しができるとも思えないのだけれど……」

「おれの知ったことじゃねぇな」

 自身の奇抜な出で立ちを見下ろし、上目遣いに窺うが、対する藤十は素気ない。肩をすくめて踵を返し、「任せたぞ」と肩越しに手を振る。それを見送って、辰はため息をついた。

「……仕方がない」

 言って、来た道を一人で引き返す。


 *


 調べ物を終え、戻った藤十を、辰は小夜の居る座敷牢で出迎えた。

「やあ、おかえり、藤十」

 戸口から廊下へ顔をのぞかせた辰とともに、藤十も座敷へ入る。中はやはり薄暗く陰鬱としているが、辰が戸を開け放っていたためか、先ほどよりは幾分ましに感じられた。

「お、かえり、なさい……ませ……」

「……おう」

 藤十を見上げ、必死に声を出す小夜に、藤十は面食らいながらも返事をする。

「辰、おまえ、ずいぶんと懐かれたな。──なんだ?」

 藤十が振り返ると、辰はすんすんと鼻を動かし、藤十のにおいを確かめている。辰が怪訝な顔で首を傾げるので、藤十もまた、眉をひそめた。

「奥の沢で禊はしたが……まだ臭うか」

 自分の着物を嗅いで確かめる藤十に、辰は「ああ」と納得の声をあげる。

「道理で。あれだけの腐臭の元に行ったにしては、何のにおいもしないと思った」

「そうかい」

 応えて、藤十は小夜に目を戻す。先ほどの怯えた様子とは打って変わって、好奇心を湛えた視線が藤十と辰を見上げていた。蒲団の上を見れば、人一人分の隙間を空けて人形やら玩具やらが広げられ、辰と差し向かいで遊んでいたことがうかがえる。

 戸口の脇に薬箱を下ろしてその隙間にしゃがみ、小夜と目を合わせた。

「ずいぶんと、辰に懐いたな」

 小夜は、こくりと頷く。

「あれはおれのだから、やらんぞ」

 藤十の言葉に、さらにこくこくと頷く。小夜のその反応に、藤十は小首を傾げた。

「……やけに聞き分けがいいな。欲ってもんはねぇのか」

「よく……?」

「欲しいものは、ない?」

 藤十の傍らに立ち、辰は優しく笑んで補足する。「ほしいもの……」と呟き、考える小夜を、藤十と辰は急かさず待った。

「とうさま、と……かあさま……」

 やがて、小夜はぽつりとこぼす。

「最近は、部屋に来ても……見てくれない、し、撫でても、くれない……から……」

 寂しげな表情で目を伏せる小夜に、藤十は辰をちらりと振り返る。苦笑を返され、向き直り、小夜の頭にそっと手を伸ばした。撫でるではなく、ただ、髪に触れるように、軽く頭に手を乗せる。

「おまえは……父親や母親が好きか」

 小夜は、まるで自ら撫でられに動くように、何度も頷いた。

 こんな目に遭わされてもか。

 目を伏せていた小夜には、藤十の口がそう動いたのは、見えなかっただろう。


 夕餉には、季節の野菜をふんだんに使った膳が出された。小夜とともに食べるのは、吉三に歓迎されないようで、二人は最初に通された部屋へ連れ戻された。

「ずいぶんと、あの子を気にかけているね」

 戻る道すがら、辰が口を開く。

「なんだ、妬いているのか」

 しれっとした口調で返す藤十に、辰は「そりゃあ」と口ごもる。

「私も、あの子のことを他人事とは思えないのだもの」

 藤十はくっと喉の奥で笑った。

「同類を嗅ぎ分けたか」

「私とあの子では、事情が違うだろう」

「それはどうだかな」

 含みありげに言いながら、薬箱を傍らに置き、当然のように上座の膳の前に座る。灰に翳る雲の隙間から傾き始めた日がこぼれ、庭木の影を長く部屋の中まで伸ばしていた。下座の膳の前に座りながら、辰は藤十の表情をうかがう。

「まあ、まずはおまえの収穫から聞かせてもらおうか」

「収穫と言っても、大したことは聞けていないけれど……」

 困ったように眉尻を下げる辰に、藤十は視線で先を促す。辰は、聞いた話をかいつまんで話した。

「白い大蛇、なぁ」

「オシロサマ、と、呼ばれていたらしいよ。毎年、その年の稔りの幾ばくかを差し出して、村を守っていたのだって」

「それだけ聞けば、まるで神のようじゃねぇか」

「からかうものではないよ」

 くつくつと笑う藤十を、軽く睨めつける。藤十は、それをかわすように肩をすくめた。

「いや? あながち冷やかしとも限らんぜ?」

「そう言うおまえは、何を見つけてきたの」

「さっき、奥の沢で禊をしたと言ったろ」

 藤十の言に、辰は言わんとすることを理解する。

「つまり、それほど清浄な場があったと?」

「社は大方、森に呑まれてたがな。いつから忘れ去られたか……あれでは、神といえども保つまい。憑き物筋の物の怪同然に依代に憑き、それでようやく某かの力を発揮できる程度。もはや神とは呼べん代物だが……それでも、もとは神だったモノだ」

 言って、窓の外を見やる藤十を、辰はしばらく眺めていた。

「……見つけたものは、それだけではないのだろう?」

 しばしの間をおいて、やんわりと尋ねる辰の言葉に、藤十は不愉快そうに表情を歪める。

「……この村には、大蛇を祀り、その血に憑かせた家の末裔に祟られるだけの理由がある」

 辰は、黙って藤十の言葉の続きを待つ。

「村のために殺し、亡骸を葬ることなく晒したとあっては、なるほど、村にとってこの上なく忌まわしい場所だろうよ」

 藤十は吐き捨てるように言い、椀と箸を置いた。

「でも、あの子のあれは──」

「もとは神とはいえ、もはや単なる蛇神憑きと言って問題はねぇだろうな」

 言いさした辰の言葉を継ぎ、息を吐く。

「もとが神を祀る家だったなら、どこかで長の家と血が交わっていても不思議はねぇだろ」

「……そうだね」

「村全体が血縁なら、蛇が祟らないのも道理だ。あの蛇は、憑き物筋でも長の血筋でもなく、この村そのものに憑いてるようなもんだろうからな」

 あくまで不愉快を隠さず言い捨てる藤十に、辰は苦笑した。「顔が怖いよ」と言うと、不機嫌そうに鼻を鳴らされる。

「神祀りを忘れ、身寄りのない娘を殺して弔いもせず、子供を座敷牢に閉じこめる、そんな村を救ってやる必要がどこにある」

「それは、そうだけれども……でも、村を見殺しにしては、あの子が悲しむだろう」

 まるで自分のことのように悲しげな、寂しげな微苦笑を辰が浮かべると、藤十は盛大に舌打ちをした。

「おい、辰」

 呼んで、自分の傍らを指さす。そこへ来いという意味だと察した辰がにじりよると、その膝に頭を預け、ごろりと寝転がった。

「……寝るならば、せめて機嫌を直してからにしてほしいのだけど」

「おれの知ったことじゃねぇ」

「おまえの機嫌の話なのだけど……」

 呆れたような声には答えず、藤十の顔をのぞき込むように見下ろす辰の顔を見上げる。差し込む夕日を背に受け、影になる顔には先ほどまでの悲しさはなく、ただ呆れた苦笑があった。

「おまえと言い、あの娘と言い……たしかに過ぎれば毒だが、怒りや怨みが全くないのも考え物だぞ。そんなだから人でないモノに魅入られるんだ」

 藤十は苛立ちも露わに言うが、辰は苦笑を深くするだけだった。藤十は、「ふん」と鼻を鳴らし、寝返りを打ってそっぽを向く。辰が苦笑しながらその髪を梳いていると、じきに規則正しい寝息が聞こえてきた。

 辰が何を言ったところで、何をしたところで、藤十はやりたいことをやりたいようにやるのだ。

 相変わらずの藤十の振る舞いに、辰はもう一度、苦笑混じりにくすりと笑う。山の代わりに夕日を隠す陰鬱とした雲を、一人で振り仰いだ。

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