第一章
案内された先は、集落の中程に位置する一等広い屋敷だった。庭に面した一室に通される。程なくして、壮年の男が現れ、吉三と名乗った。
「つまり、物の怪の障りだと?」
要領を得ない吉三の話を聞いた藤十は、簡潔にそうまとめる。
「はあ、まあ、その……」
「ま、その娘とやらに会ってみればわかる話か」
こういった場で、歯切れ良く説明できる者は稀だ。百聞は一見に如かずである。身を以てそれを知っている藤十は早々に話しを切り上げ、吉三に案内を求めた。
そうして連れて行かれたのは、屋敷の奥。奥座敷とでも呼ぶべきか。よほど懇意でなければ立ち入れないだろう。戸は、襖でなく木戸。外側からつっかえ棒が渡され、内側からは開けられない。
「体の良い座敷牢だな」
「藤十、せめて、小声で……」
声をひそめもしない藤十を、辰がたしなめる。聞こえていただろうが、吉三は咎めもせず、つっかえ棒を外し、戸を開けた。
「小夜。おまえのそれを、治してくれると言う御仁を連れてきたよ」
「治せるかどうかは、見てみんことにはわからんがね」
言いながら、吉三に続き、藤十と辰は部屋へ入る。
薄暗い部屋だった。
窓にも木戸が嵌め殺しにされ、昼だというのに灯りが灯されている。閉め切った中で灯りを焚いていたせいか、空気そのものが淀んでいるようだ。本来は広いのだろうが、床には蒲団とともに長持が広げられ、人形や着物が散らかっている。
その真ん中に、齢十ほどの娘が座っていた。
村長の娘として、可愛がられていたのだろう。田舎にしては上質な着物をあてがわれている。だが、髪はいつから手をいれていないのか、背中を覆うほどだというのに結いもせず、毛先は痛むに任せている。憔悴している、というわけではないが、表情には翳りが深く、歳相応の生気はない。
「娘の、小夜です」
そう紹介するのみで、部屋の入り口より中へ入ろうとしない吉三の前を通り過ぎ、藤十は小夜と呼ばれた娘に近寄る。小夜ははっとして後ずさろうとするが、藤十の方が速く、正面に立たれて身体をこわばらせる。藤十はその場にしゃがみ、小夜と目線の高さを合わせた。
「おまえ、陽の光は嫌か」
問われ、小夜はふるふると首を横に振った。
「そうか」
藤十は一つ頷き、「辰」と呼ぶ。辰は迷わず窓に向かう。藤十の首の動きで、窓を開けろという意味だと察した吉三が、慌てて辰に追縋った。
「や、やめてください」
「別に、娘が陽の光を嫌うわけじゃねぇだろう」
「窓を開けたら、外から見えてしまう」
それがどうしたと言うように鼻を鳴らす藤十の耳に、か細い声が届いた。
「……そ、と……」
「なんだ?」
「外、は……嫌……」
「……そうかい」
藤十は、再び「辰」と呼ぶ。辰は従順に窓から離れ、藤十の傍に控えた。
「物の怪の障りだと聞いた」
藤十がそう切り出すと、小夜は着物の襟を押さえ、逃げるように身を屈める。「小夜」と咎める口調の吉三を遮るように、藤十は小夜の顔をのぞき込んだ。小夜の怯える様は、幼子というよりも手負いの獣のようで、懐かしさを覚えて苦笑がこぼれる。
「安心しな、取って食いやしねぇよ」
小夜は藤十と辰、吉三を見比べ、やがて、おそるおそる姿勢を正した。
「……こ、れ」
言いながら、着物の前をはだけさせる。露わになる生白い肌、その首もと、鎖骨の辺りを絞めるように、縄目のような痣が這っていた。
「……蛇か」
低く呟く藤十に、辰は問いかけるような視線を向ける。彼らの聞いた風の噂では、狐憑きの村があるという話だったはずだ。だが、藤十はその視線に、確信を込めて頷きを返す。
「おおかた、蛇蠱がヤコに訛って、野狐と取り違えられでもしたんだろう。しかし、これは──」
「まるで、憑き物筋の徴のようだねぇ」
言いさした藤十の言葉を、辰が継ぐ。藤十は頷いた。
「暴く真似をして、悪かったな」
小夜に向けてそう言い、吉三の方を振り返る。
「心当たりがあるな?」
「な、いや、しかし……」
「物の怪が、何の縁もない人間に憑くことはそうそうねぇ。障るからには、何かに触れたはずだ」
「だが、あの女は村のためにと、自ら……!」
激昂し、言い掛けて口をつぐんだ吉三を、藤十は射るような目で睨めつける。吉三は、蛇に睨まれた蛙のように竦み上がった。
「その話、詳しく聞かせてもらおう」
事の起こりは、長雨だった。
急峻な山に挟まれた土地柄、雨は恵みであると同時に、土砂崩れを引き起こすおそろしい災いでもある。なかなか降り止まない雨に恐れをなした村人は生贄を立てることを決めたが、誰も自分の身内を出したくはない。そこで選ばれたのが、身寄りもなく村八分にされていた、憑き物筋の末裔の娘だった。
「そりゃあ、最初は嫌がってましたけどね。それでも、最後には納得して、村のためにと言ったんだ。それなのに、今さら祟るだなんて……!」
最初に通された部屋に戻り、吉三の話を聞いた藤十は、「ふむ」と腕を組んで考え込む。
「……辰、どう見る?」
「ん? そうだねぇ……」
話を振られた辰は、軽く考えるそぶりを見せてから、小首を傾げた。
「本人が納得をしていても、憑いていた蛇の方が村を恨んで祟るということは、あるかもしれないけれど……それなら、絞め殺すよりも一息に呑み込むか、いっそ村ごと押し流すような気がするな」
「だよなぁ」
藤十は再び考え込み、やがて、「行ってみるしかないか」とぼやいた。
「行くって、どちらへ……?」
「そりゃ、まあ、その憑き物筋の家だった場所とやらに」
呪詛の類ならば、あるいは何かの痕跡があるかもしれない。そうでなくとも、その血筋に憑いていたモノが小夜に憑いた蛇と関わりのあるものなら、なにがしかの手がかりはあるだろう。最悪の場合でも、それが今回の件と何の関係もないことぐらいはわかる。要領を得ない吉三の話を延々聞かされるより、よほど収穫があるだろう。
場所を尋ねる藤十に、吉三は顔を真っ青にして首を振った。
「あそこは……い、忌まわしい場所です。近づくのは……」
「忌まわしい場所、ね」
藤十は繰り返し、肩をすくめた。
「村の奴が近寄れねぇんなら、場所だけ教えてくれりゃあいい。おれたちはおれたちで勝手に行くからな」
「そんな……」
「心配はいらない」
あくまで気軽に言う藤十の傍らで、辰もまた、ふわりと笑う。
「寿命以外に藤十を害せるものなど、この世にありはしないし、藤十に危害を加えるものを、私が許しはしないから」
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