第3話 ふたりの答え合わせ
そんなこんなでトラブルもあったが、特訓はその後も続いた。
肩に触れ、腕に触れ……ようやく妹尾さんと目を見ながら日常会話ができるようになった頃には、季節は冬になっていた。
「うー、冷えるなぁ……」
独りごちながら、俺は靴箱の戸を開け、靴を履き替え──ようとして、何かが入っていることに気づいた。
「何だこれ……便箋?なんでまた」
クラスのほぼ全員がスマホを持つこのご時世に、こんなアナログな方法を使う理由は何なのだろう。俺は疑問に思いながら、教室に着くなりその中身を確認した。
手紙には女子のものと思しき字で、今日の放課後に言いたいことがあるから、教室に残っていてほしいと書いてある。……俺、何か悪いことをしたのだろうか。
俺は特に変なことはしていないはず……と考えていると、いつの間にか約束の時間になってしまった。俺はハラハラしながら、手紙の主を待つ。
しばらく待ち、騙されたんじゃないのかと思い始めた頃、ようやく差出人は現れた。
「ごめんなさい、鹿角さん。手紙、読んでくださったんですね」
「あ、いや……うん……大丈夫だ」
どうやらあの手紙は、
「その……鹿角さん。いえ……泰斗さん」
「な、なん……っ!?」
邑久さんは、俺の手を両手で包むようにして握り、真剣な目をして俺を見つめ、口を開く。
「わたくしと……交際をしていただけませんか?」
「は、はぁっ!?」
意外な発言に、俺は思わず頓狂な声を上げてしまった。
「いや、邑久さん……? 俺は──」
「ええ、わかっています! 継美さんとお付き合いなさっていらっしゃるんですよね? いいんです……想いを伝えられただけでも、私は……」
「違うから!付き合ってなんかない!」
「まあ! 本当なのですか?」
「そうだけど……っていうか、なんでいきなり、告白なんか」
俺が訊くと、邑久さんは懐かしむように目を閉じ、歌うように語り始めた。
「きっかけは、去年の四月でした……音楽室の場所がわからないわたくしを心配そうに見つめてくださり、わたくしの問いに丁寧に教えてくださったときのあの凜々しいお顔……今でも忘れられません」
……うっとりとしているが、ぶっちゃけ眼科に行くべきだと思う。
去年といえば、まだ女性が近づくだけで死にそうなほど弱っていた頃だ。女子に何か訊かれたときはおどおどしながら答えていたはずで、凜々しさなどかけらもなかったはず。邑久さんは何を見たのだろうか。
「それで、お返事は……?」
「えー…………」
正直、このテンションにはとてもついていけそうにない。それに、妹尾さん以外にはまだ目を見て話すことすら難しい。
どう断ったものか……と考えていると、不意に教室の扉のあたりで何か音がした。
「……妹尾さん?」
「ご、ごめんね……たまたま、見ちゃって……」
「あの、これは……」
「ごめんね……それから、今までありがとう。あとは私、自分で頑張るから」
「妹尾さ──妹尾さん!?」
正直助けて欲しいと言おうとしたが、それより早く妹尾さんは駆けていってしまった。その速さは尋常ではなく、追いつけないであろうことは一瞬でわかった。
「……」
「……」
「……お返事は」
「ごめん、また今度でいい?」
「そう、ですよね……わたくしも、今おっしゃられては、きちんと判断できるかわかりませんから……」
その場は気まずい空気になり、返事は保留となった。
次の日から、妹尾さんの態度は変わった。
「妹尾さん、次の練習は……」
「いいよ、鹿角くんは邑久さんにかまってあげて」
「いや、だから──」
「ほらほら、あっちにいるよ?それじゃ」
「あっ、ちょっと!」
こんな風に、俺のことを露骨に避けるようになった。あの日以降、一週間近くこんな感じだ。
なんだか、そんな態度をされると……怒りというか、悲しみというか……何か、不思議な感情が湧いてくる。
「……さん?」
もやもや? というか……ちくちく?
「……斗さん?」
とにかく、気持ちのいい感情じゃないな……
「泰斗さん?聞いていらっしゃいますか?」
「わっ!?ご、ごめん、聞いてなかった」
「もう……そろそろお返事を聞かせていただきたい、と申しておりますのに」
「返事……か」
返事もしなきゃいけない……けど、この気持ちもはっきりさせたい。
「あのさ……邑久さん」
「はい?」
「返事はする。ちゃんとする……けどさ、その前にひとつだけ、訊きたいことがあるんだ」
邑久さんに相談するため、俺たちは駅前の喫茶店に移動した。妹尾さんと行くカフェは静かで落ち着けるが、話をしている人の多いこちらの方が、周りの声に紛れて相談を盗み聞きされにくいだろう。
「実は、あの日から……妹尾さんに避けられてて」
「それは……そうでしょう。彼女のいる男性とよく一緒にいる女性は、あまり良い印象を持たれないでしょうから」
「彼女って……」
呆れたように返すと、邑久さんは優雅にウインクをした。珍しく真剣なんだから、茶化さないで欲しい……
「それで、妹尾さんが離れて、泰斗さんにはどのような問題がございますか?」
「えっ?」
「問題ないのなら、別に良いのではありませんか?」
「それは……」
確かに、お互いの特訓はそれぞれ普通の恋愛をするために始めたことだ。俺の方がその終わりが早かった、ただそれだけ。それだけのはずだが……
「最近、妹尾さんに避けられるたびに……変な気持ちが湧くんだ」
「変な気持ち……?」
「ああ。こう……胸を針で刺されるような、それでいてビニール袋に心を閉じ込められたような……そんな気持ち」
「…………」
「……お、邑久さん?」
「っはぁ~……」
俺が気持ちを表現すると、邑久さんはお嬢様にあるまじき長く深いため息をついた。
そして注文していたレモンティーをぐいっと飲み干し、俺にずいっと近寄ってきて、俺は椅子ごと後ずさってしまう。
「泰斗さん……もう、告白なさいな」
「こ、告白!? いや、でも……」
「わたくしではなく! 継美さんに、です」
「はぁ?なんでだよ」
「その感情が、そのもやもやが、『恋』なんですよ」
「こ、これがぁ?」
「ええ」
うーん……信じがたい。
漫画とかじゃ、もっといい気持ちみたいな表現ばかりだ。こんな苦しい気持ちが?恋……?
「甘く楽しいばかりが恋ではありません。時にはつらく、時には悲しい。それを如何に乗り越え、結ばれる……それが、恋というものなのです」
「…………」
「泰斗さんの中では、もうお分かりになっていらっしゃるのではありませんか?継美さんに何を言うべきか……ご存じなのではありませんか?」
「俺は──」
「行ってください」
俺の答えを遮るように、邑久さんは言った。
「お返事は……既に、心でお聞かせいただきましたから」
「……ごめん、邑久さん」
「いえ。でも、もしも隙があれば……継美さんから、貴方を奪ってしまうかもしれません」
そう言っていたずらっぽく微笑む邑久さんは、とても悲しそうで……でも、どこか満足そうに見えたのは、俺の気のせいだったのだろうか。
それから喫茶店を飛び出した俺は、必死になって妹尾さんを探した。
教室、職員室の近く、特別棟……学校中を探しても、妹尾さんの姿はなかった。
「となると……あそこか」
残った答えは……あのカフェ、ただひとつだった。
俺の予想は見事に的中した。妹尾さんは飲み物を口にすることなく、ぼーっと外を眺めていた。店員さんに訊いたところ、俺が告白された日のあたりから、あんな感じらしい。
俺はそっと近づき、テーブルを挟んで反対側に座った。
「妹尾さん」
「ふぇっ!? か、鹿角くん!? なんで……」
「告白、断ってきたんだよ」
「そんな……どうして?」
「他に好きな人がいるから」
「えっ?誰なの?応援するよ?」
そう言って笑う妹尾さんに、俺は胸が痛くなる。
言ってしまうと、絶対に俺たちの関係は変わってしまう。
もしかすると、終わるかもしれない。
それでも……言わなきゃ、絶対に後悔する。
たいしたことじゃない。そう変わらないさ。恐怖症の克服も、告白も。
「俺が好きなのは──」
震える。声だけじゃない。数ヶ月前に戻ったみたいに、手も、身体全体も、心すらも震えている気がする。口の中がカラカラだ。
俺は飛んでいってしまいそうな勇気を必死につかみ、精一杯振り絞って、妹尾さんの目を見た。
「──妹尾さん。俺は……妹尾さんが、好きなんだ」
「……」
妹尾さんは、目を見開いて俺を見ている。それを意に介さず、俺は続ける。
「俺が変わるためのきっかけを作ってくれたし、協力もしてくれた。最初はただそれだけだったけど……いつの間にか、妹尾さんに惹かれていたみたいなんだ」
「私は……」
「断ってもいい。俺はただ、この気持ちを伝えたかった。実験台がなんかしゃべってるって思ってくれてかまわない」
「鹿角くん!」
妹尾さんの久々の大きな声に、つい驚いてしまう。それは妹尾さんも同じみたいで、驚いた顔をして……すぐにまた、真剣な表情に戻って再び話し始めた。
「私はね、純粋に同じ悩みだからって声をかけたの。私の悩みを悪用しないだろうって。効率もいいだろうって」
「……」
「でもね、そうだったはずなのに……知らないうちに、鹿角くんが気になってきて……他の子と話してると、もやもやしたり、ちょっといらいらしたりするようになったんだ」
「えっ……」
「そう。私も……好きです。あなたのことが。鹿角くんのことが」
妹尾さんは、俺に向かって頭を下げた。俺もつられて、つい頭を下げてしまう。
「末永く、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ……」
そう言って、不慣れな感じが特訓を始めた頃に戻ったみたいで、なんだかおかしくて……俺たちはどちらからともなく、笑い合ったのだった。
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