不愉快なお茶会

朝霧

不愉快なお茶会

 紅茶と甘い焼き菓子と、フライドチキンとフライドポテトの匂いが混じりあったカオスな空間に僕はいた。

 周囲ではかましいお姉様方がはしゃいでいる。

「たーんと召し上がれ!」

 もう山盛りのフライドポテトの山にさらにポテトを追加したお姉様がにっこり笑ってそう言った。

 何故さらに足したのか、意味がわからない。

「お菓子の追加持ってきたよー、これでとりあえず全部ね」

 旦那が菓子屋なお姉様が追加でクッキーとパウンドケーキとマドレーヌをどっさりと。

 聞いてみるとこのお茶会のためわざわざ旦那に早起きさせて作らせたらしい、可哀想すぎるだろう。

「それじゃあ、始めましょう」

 お姉様方の中では一番大人しめな感じのお姉様が両手をポンとお上品に合わせてにこりと笑った。

 今いるメンツでは一番えげつない性癖の持ち主なのに、なんでぱっと見はこんなお上品なんだろうか、普通に詐欺だろう。

 僕の知人もきっと尻に敷かれてるに違いない、あんだけ忠告したというのに、なんで理解しなかったんだあいつは。

「ええ。それでは弟くんの凱旋を祝して――かんぱーい!!」

「かんぱーい」

「乾杯!」

 お姉様方が紅茶で満ちたカップをコツンとぶつけ合う、僕も渋々オレンジジュースが並々と注がれたグラスを合わせた。

「……帰りたいのだけど」

 お誕生日席に強制的に座らせた僕のつぶやきは華麗に無視された。

 ついさっき、姉上様に買い物を頼まれ渋々家を出たら瞬く間に囲まれて強制連行されたのだ。

 なんでも旅の話が聞きたくてたまらなかったらしい。

 男に囲まれたのであれば容赦無くぶちのめしていたのだけど、全員女性な上に全員あの姉上様の愉快な仲間達であるお姉様方だ。

 ……僕にとっては不愉快な仲間達だけど。

 無辜の女子供を泣かせたり怪我させたらちょん切ると幼少期から裁ちバサミ片手に脅されて育った僕はなすすべもなく連行され、今に至る。

「……女の人に囲まれてたなんて噂が広まってお嫁に知られたら、僕すごく嫌なんだけど」

 この街の連中なら僕とお姉様方の関係性を正しく理解しているからあんまり問題はないけど、お嫁に知られて妙な誤解でもされたらどうしてくれようか。

 最近やっと気を許し始めてきているというのに。

 不満たっぷりに言った僕の言葉に、何故かこの場にいた全員がドン引きした。

「うわあ……あの子から聞いてたけど、本当だったのね……」

「まだ結婚してないのに……嫁呼ばわりしてるのね……」

「やだあ、ベタ惚れ? なの?」

「あの弟くんがねえ……」

 ドン引きしつつも強烈な好奇心でキラキラ輝く目で注視される。

「どうせ結婚するんだから別にいいでしょ……姉上様があんなこと言いださなければ、とっくにそうしてたわけだし」

 面倒臭いことが全部終わった後に、お嫁を連れて帰って結婚する、と言った僕に家族達が見せた反応はそれぞれだった。

 両親は若干顔を引きつらせながらも祝ってくれた、祖父母は僕が勇者になった時よりも大仰に驚いて、半ば腰を抜かしかけていた。

 姉上様だけが冷静に、僕と親友からことのあらましを聞き出して、一度溜息をついた後こう宣った。

 そういう事情なら向こう一年、結婚はするな、と。

 なんでも出会って互いのことを何も理解してない状態で結婚するのは良くない、と。

 しばらく互いのことを知って、互いに納得した上で結婚するべきだ、と。

 僕はその案に反対した、さっさと結婚して家を出たかったからだ。

 あの姉上様とお嫁をあまり接触させたくなかったのだ、妙なことを吹き込まれても困るし、今自分を取り囲んでいるお姉様方と同じ病に感染させられたらたまらない。

 だけど、言論で僕が姉上様に勝てるわけもなく、1年間はお嫁と一緒に実家にとどまることになってしまった。

 せめて家は出させてくれと頼んだのだけど、それじゃあ何も意味がないと叩きのめされた。

 可愛くて幼い姪っ子の教育に悪いことはくれぐれもしてくれるなよという脅しにも似た忠告に、血涙でも流してやろうかと思ったのはきっとお見通しなんだろう。

 ……おかげで時々誰もいないところで抱きしめたり頭撫でる程度のことしかできない、それ以上のことをしようとすると、あのしゃきーん、という裁ちバサミの幻聴が聞こえるのだ。

 ……一回ガチで切られそうになったからな、半泣きして鼻から血を流しながら僕を取り押さえてきたあの時の姉上様の顔は今でもトラウマだ。

 あれ怖かったんだよなあ……当時幼児だった僕の癇癪で母さんが吹っ飛ぶとも思わなかったし、しばらく動かなかったのを思い出すと今でも心臓が冷える。

 ちょん切ろうとしただけで、殺しにかかってこなかったことを良く考えると、姉上様もまだ優しいのかもしれない。

「結婚する気満々なのね……残念だわ」

 しょぼくれたお姉様の声で現実に引き込まれる。

「残念で結構。ついでに言うと僕の親友は昔、好きな女の子がいたらしいよ」

 だから僕らであの妙な妄想はするなと口を酸っぱくして言うと、全員が悲鳴をあげた。

「う、嘘よ……! だだだ誰があんないい子を、誑かしたっていうの……!!」

「顔だけは怖いから、そういうことは起こらないと思ってたのに……!!」

 半泣きのお姉様方に、こいつら結婚してもなんも変わんねえなと溜息をついた。

 良く考えると、あんなでろっでろに、見てるこっちが目を覆いたくなるくらい甘やかしてくる旦那がいる姉上様でも以前と変わらず通常運転なのだ、同じ病気のこいつらが変わるわけないか。

 ……けど、もうちょい自重して欲しい。

「……で? どこのどいつ?」

 お姉様方ににこりと睨まれて、僕は溜息を飲み込みつつ答えた。

「……もう死んじゃってるんだって」

 全員息を飲んだ、大仰な悲嘆顔はなりを潜め、全員が沈鬱な表情になる。

 ……ここで少しでも喜ぶようなクズがいないあたりが流石姉上様の愉快な仲間達だと思った。

 だからこそ、ギリギリ付き合っていけるのだけど。

「……それは……旅の途中で?」

「あの子が助けられなかったて……それって……どれだけひどい……」

 お姉様方の顔は少し青ざめていた。

 僕の親友の腕前は全員よく知っているのだ。

 僕らがまだ子供の頃から、怪我をすれば全員あいつに治してもらっていたのだから、当然だ。

「いや……旅の前……事故で……その場に居合わせてたら絶対なんとかなってたけど……あいつが全部知った時には、もう……」

 あまり詳しくはあえて聞かなかったけど、即死ではなかったらしい。

 だから、きっと苦しんだだろう、と。

「……と、いうわけで話題には出さないでよ? その辺りは信用して話した」

「わかってるわ……大丈夫……心に留めておく」

「ついでに頼むけど、もう金輪際あいつで変な妄想はしないでやってくれ……百歩譲って妄想するのは仕方ないと諦めるけど、絶対に悟らせないで」

「……妄想は止められないわね。うん。そこはごめんなさい」

「ごめんね、これは私達の業だから……」

「でも安心して、絶対に悟らせないし、絶対に本人相手に話したりはしないから……!!」

「その辺りはちゃんと弁えてるのよ? 弟くんも知ってるでしょう?」

「なら、なんで僕相手には平然と話すんだよあんたら……!!」

 お姉様方に僕の気持ちがわかるか!? いとけないちびっ子の頃から自分と自分の親友の妄想をキャーキャー聞かされてきた僕の気持ちが……!!

「え? だってあなたあの子の弟だもの」

「普通に耐性あるでしょ?」

「あの子だって普通に話してたし……大丈夫だと思って……」

「……というか、半年くらいは弟くんも"そう"なのかと」

「断じて違う……!!」

 そうだった、僕の姉上様が元凶の病原菌なんだった。

 僕は無垢な乙女を腐った沼に続々とと引きずり込んだ外道の身内なのだ。

 耐性? 確かにあるよ、あんなもんを毎日聞かされてたらな……!!

 あんな旦那にもらわれてもまだ治ってない重病人の弟なのだ、そりゃ平気だと思われてもなんもおかしくない。

 全部姉上様のせいじゃん、ほんとなんなのあの姉上様。

「……それに関してはごめんなさいね、でも、いまさら……ね?」

「ごめんねー」

 悪びれもなく謝られた、さすが姉上様の愉快な仲間達。

 というか今更だけどなんで姉上様だけいないんだろうか? 姉上様がいれば誤解もそれほどひどくはならないだろうに。

 このメンツで姉上様だけはぶられてるのおかしくない? このメンツだと妹分ポジのくせに中心人物っていうか病原菌なのに。

 ハブられても怒りはしないだろう、しょぼくれて面倒なことにはなるだろうけど。

「あ、そうそう。あなたのお嫁候補に関しては気にしなくていいわ。今頃あの子がうまくごまかしてるだろうし、色々話したいことがあるって言ってたから……二、三時間は気にする必要ないわよ?」

「……っ!!? 僕、帰る」

 まずいまずい非常にまずい、あの姉上様、僕のお嫁になに吹き込む気だ!?

 また引きずりこむ気か? 勘弁してくれもうやめて。

 お嫁にあんな目でキラキラ見られたら一生立ち直れない。

「駄目よー、帰さないわ」

「二、三時間は釘付けにしといて欲しいって頼まれたもの」

「てめえらそれが目的か……!!」

 旅の話を取材したいとか言ってたのは建前か!!

 建前というか、聞く気満々なのは本当だろう、だけどどちらかというとそれはついでだ。

 さっさと帰らなければ、と立ち上がりかけたその時、何かが僕の顔面に向かって飛んできた。

 飛んできたそれは叫んでちょうど開いていた僕の口の中に突き刺さるように入ってきた。

 感じたのは熱さと、カリッととした食感とザラザラとした塩の味。

 思わず咀嚼するとホクホクとしたポテトの味が口の中に広がった。

「なんですって?」

 ポテトを僕の口の中に投げ入れたお姉様がにこりと口元だけで笑った。

 目元は全然笑ってなかった。

「随分と口が悪くなったわねえ? 勇者様?」

「可愛い弟分が『てめえ』だなんて汚い言葉を使うなんて」

「お姉さん達は悲しいよ」

 それぞれ、カップケーキとフライドチキンと熱々の紅茶入りのカップを構えていた。

「も、申し訳ありません……お姉様方……」

 本能的な恐怖を覚えて引き下がる、全部突っ込まれたら甘さとしょっぱさと熱さで口の中が大惨事だ。

「うん。えらいえらい」

「やっぱり勇者を経験しても弟くんは弟くんね」

「お姉さん、安心したよ」

 殺意にも似たピリピリとした雰囲気が瞬時に霧散する。

 女って怖い。

 お嫁は可愛くて仕方ないけど、お嫁以外の女は普通に怖いと思う。

「それと、安心して。あの子、大真面目な話しかしないわよ。あなたがいると聞きにくいことも……あなたのお嫁候補が話しにくいこともあるだろうから、いない時に話を聞きたいだけだったみたいだし」

「私たちもあなたから話を聞きたかったから、ちょうどいいなって思っただけなのよ」

「あの子、真面目な時はすごく真面目だし、あの子が言うにはあなたのお嫁候補に素質はないっぽいから……大丈夫よ」

「私たちのことは……よく知ってるでしょう?」

「……誓って言えるか?」

 僕がそう問うと全員糞真面目な顔でこう言った。

「ええ。腐女子の誇りにかけて」

「……どんな誇りだよ、それ」


 そこから先は先程までの殺意も真面目な様子もすっかり無くなって、いつも通りな感じになった。

 お嫁と姉上様のことは気になったけど、お姉様方が言う通り姉上様もちゃんとしてる時はちゃんとしてるから……

 というか、少ししたらそんなことを気にする余裕はなくなった。

 お姉様方の質問に答え、妄想の数々にツッコミを入れるのに集中せざるをなくなったのだ。

「それにしても、やっぱり親友くんの魅力はわかってしまうものなのねえ」

「とってもいい子だもの、仕方ないわ」

「顔は怖いのに紳士だもの。ギャップ萌えよねえ」

「てゆうか、あからさまに弟くんのためのハーレム要員なのに全員軒並み親友くんに惚れてて……ねえ、どんな気持ち?」

「どうもこうもないよ。好きでもない女が誰を好きになろうがどうでもいい」

「……ほんと、そういうところは安定してるわよねー」

 何故か呆れた様な口調でそう言われた。

「それにしても……実際話を聞いてみるとちょっとショックよねー……」

「……親友くんが、女の毒牙に」

「あら? そうかしら? 私は聞いてて楽しいわよ」

「な、何故……」

 楽しいと言ったお姉様を他のお姉様方は驚いた様な目で見る。

 実際僕も驚いていた。

 だけど、そのお姉様はにたりと人の悪い笑みを浮かべてこう宣った。

「だって簡単な話よ? ……全員、男だと思えばいいのだわ」

 その瞬間、他のお姉様方が雷に打たれた様な顔をしていた。

 僕はぽかんと口を開けてしまった。

 そこまで重症だったのか……この人……

「そ、そうね……そう考えると……とても、素敵ね……」

「いいわ、とても……いいわ」

 だけど手遅れだったのはこの人だけではなかった、全員なんか恍惚とし始めた。

「……天啓!!」

 恍惚としていたうちの一人が突然叫ぶ。

「何を思いついたの?」

「教えて教えてー」

 叫んだのはこのメンツの中でも妄想力が高いお姉様だった。

 普段は大人しくて、知人の不良曰く守ってあげたくなる可愛さのある人、とまで言われている人である。

「……つまり、そう……つまり……ええと……こうよ……」

 口で何かを説明しようとしていたそのお姉様は手元のメモ帳にこんな文字列を書き込んだ。

 『ハーレム→親友→弟(♀)』

「こっ……これは……っ!」

 お姉様方は再び雷に打たれた様な表情をした。

 僕は絶句した。

「つまりは……こういうことね……」

「ある日……勇者としての素質を見出されてしまった幼馴染を追ったのね」

「可愛い幼馴染が心配になったのね」

「しかもその幼馴染には、あろうことか逆ハー要員が……」

「幼馴染を逆ハー要員から守ろうとしている彼に……逆ハー要員が惚れるのね……」

「そして、猛烈なアタックをされて」

 そこまで言ったところで全員、ふふふふふ、と不気味な笑い声を上げ始めた。

 怖い、やっぱり女怖い。

「ちょ、ちょっと待ってよ……!! なんで僕が女体化してんだよ!! おかしいだろあん……じゃなくてお姉様方なら」

 僕は男のままの方がいいんだろう、と言いかけて慌ててその言葉を飲み込んだ。

「……なんていうか……背徳感があって……いい」

「初めからそっちの人じゃなくて……ノーマルだった人が禁忌に溺れていく背徳感が……」

 恍惚としきった声でそう言われたらもう、返せる言葉が思い浮かばなかった。

 やっぱり怖い、この女達が僕は恐ろしい。

「でもそうね……弟くんが男のままでも……いいわね……」

「どうせならこういうのもどうかしら?」

 と、そのお姉様は自分のメモ帳にこんなものを書いた。

 『ハーレム→親友→弟(♀)→お嫁候補(♂)』

「……おい、僕のお嫁をてめえらの汚い妄想に巻き込むな」

 思わずガチギレした。

「あ、ごめんなさい」

 それを書いたお姉様は素直にその文字を斜線で消した。

「うっかりしていたわ。ごめんなさいね」

 びっくりするほど素直に謝られたので拍子抜けした。

 てめえら呼ばわりしたら大抵僕がどんな状態であっても叱ってくるのに。

 なんなの、これ。

「わ、わかったのなら別にいいけど……」

「……悪いわねえ……あなたには耐性があるからついそう思ってしまっただけなのよ」

「ごめんね」

「……申し訳ない」

 なんか全員に色々食べ物を差し出された。

 ……こいつら、まだ僕を子供扱いして。

 ……まあ、食べるけど。


 一通り話を聞かれた頃には、もう2時間くらい経過していた。

 あれほど大量にあった菓子もフライドチキンもフライドポテトももう残り少ない。

 そんな時にお姉様の一人がこんなことを聞いてきた。

「それで、お嫁候補にあった時ってどんな感じだったの?」

「どんな……って」

「いやだからほら……状況とか、そういう?」

「魔王と戦う前に立ち寄った街で会ったのよね?」

「……生贄にされかかっていたのを助けたらしい、っていうのは聞いているのだけど」

「なんだ、知ってるんじゃないか。それで全部だよ。僕は生贄にされかかってたあの子を助けただけ。助けて好きになったから連れてきただけ」

 それだけの話だった。

 最後の最後で涙を零し子供の様に泣き叫んだあの子のことを、僕がどうしようもないくらい好きになってしまった、というだけの話。

 詳細を語る気はなかった、正直言って僕もどうしてこうなったのかまだ理解しきれていなかったし……なんかのきっかけで妄想の元ネタにでも使われたら――多分殺したくなるから。

 だけど、お姉様方はそれでは納得してくれなかった。

「はしょりすぎよ。もっと詳しく教えて」

「そーよそーよ」

「……いやだ。だいたい、別にどうだっていいだろう?」

 僕が女に惚れただけの話だ、お姉様方の興味の対象にはならないだろう。

 少し前までのお姉様方ならそれでも良いと言っただろう、だけどさっき僕が本気で怒った事を反省しているらしいから、そう言った妄想のネタにはよほどのことがない限り使おうという発想はないはずだ。

 ……というか、あそこで僕がキレていた時点で僕に彼女の話題を振る危険性はだいたい理解しているだろうに、なんでわざわざ聞いてくる?

 そんなに興味があるのかとお姉様方の顔を見渡して――思わず顔が引きつった。

「……どうでもいいわけ、ないじゃない」

 そう言ったお姉様の目には好奇心というものは一切見えなかった。

「だって、あなたよ?」

 そう言ったお姉様の顔は、ひどく真面目な顔をしていた。

「……あなたが、誰かを好きになれるわけ、ないでしょう?」

 そう言ったお姉様の声はひどく平坦で。

 いつの間にか雰囲気をガラリと変えていた彼女達に、僕はいつもとは全く違う恐怖を覚えた。


「ぼ、僕だって、誰かを好きになることくらい……あるに決まって……」

 冷や汗が出てきた、どうして、こんな事を言われなきゃならないんだ?

「いいえ。ないわ――少なくとも、私達はずっとそう思っていた」

「だってあなたは、本当は、とても冷たい人で、何にも興味を持たない人だった」

「そう――あなたはとても無関心なの。目の前で誰かが傷付けられていても、それが赤の他人であるのなら平然と通り過ぎることができてしまえる人」

「あの子は昔、よくこう言っていた――私も私の弟も人に優しくできないクズだって、もし私達が姉弟でなければ、どっちも躊躇いなく人を傷付ける人間になっていただろう、って」

 淡々とした声でそう言われて、確かに心当たりはあった。

 だけど、最後の言葉だけは否定させてもらうことにした。

「僕はともかく……姉上様はそういう人じゃ……」

 姉上様はあれで善人だ、僕が犯罪者にならなかった理由の半分があの人だ。

 あの人が僕を叱らなければ、怒らなければ。

 僕は、とっくの昔に――

 だけど、彼女達は首を振ってそれを否定した。

「いいえ。そういう子なの。少なくともあの子はずっとそう思っていた」

「同じ素質があるから、そして、弟くんが自分よりもその素質があると気付いたから――あの子はあなたを叱り続けたの」

「自分の身を守るために、あなたも含めた自分達を守るために」

「そうやって――必死に善い人になろうとしていたのがあの子。そうやってあなたを必死になって悪人にしないようにしていたの」

 彼女達の言葉に呆然とする。

 だって、そんなそぶりは、一切なかった。

「そうね。この際だから言っておくわ。あなたはあの子のことをよく病原菌、私達の事を感染者、って言うわよね? それは確かにその通りなのだけど、正確に言うと少しだけ違うの」

「確かにきっかけはあの子だった。あの子がいなければここまでハマることはなかった。――だけど、初めから素質はあったのよ」

「抜け出そうと思えば抜け出せた。……今はもう無理だけど、初めならなんとかなる可能性はあった」

「だけど、私達はあえてこうなった」

「だから、私達は感染者ではなくて、ただの温床」

「あの子が生きやすいように――せめて何もかも考えられない時間があるように、温もりで包んで、より腐らせた」

「あの子の影響で私たちはより深みにハマった。だけど、私達もまたあの子を引きずり込んだ」

 微笑みもなく、いつも見せる狂気もなく、ただ暗い声で彼女達はそんな告白をしてきた。

 ――この人達は、こんな人だっただろうか?

 もっとおちゃらけて、空気の読めない、愉快で、不愉快で、楽しそうな人だったはずなのに。

「まあ、でも。今はあの子の話ではなくあなたの話をしましょうか」

「とにかくあなたはそういう人間だった。誰かを義務以外で大切にできない人だった」

「あの子と同じで、誰にも手を伸ばさない人だった。伸ばそうとも思えない人間だった」

「勇者になってからは、そういうのが仕事だと、救いを求め伸ばされた手をつかむことは覚えたらしいけど、それでもそれは『仕事』だから」

「でもね。あの子から聞いた話だと……あなたのお嫁候補は、あなたに救いを求めなかった」

「それどころか、救いを拒絶した――それなのに、あなたは彼女を助けた」

「ねえ――どうして助けたの?」

「どうして、助けようと思ったの?」

「あなたは――そんな優しさ、持ってなかったでしょう?」

 どうして、と彼女達は僕に問う。

 興味でもなく、好奇心でもなく、知るべきなのだという意思を持って。

 そうだ、そんなことは僕が一番理解している。

 僕は誰にも優しくできない人間だ、誰かを自分の意思では好きになれない人間だった。

 家族や親友、そして目の前のこの人達のことが僕にとってはそこそこ大事な人だけど、そういう守るべき人であるのは昔から一緒にいたからで、そうするべきだと言ってくれた人がいたからで。

 そうでなければ、僕は誰も大事になんかできない人間で、姉上様と親友がいなければとっくに犯罪者で。

 ちゃんと止めてくれる人がこんなにいるのに、それでも、僕は大悪魔なんてあだ名がつくような――非情な人間だ。

 それなのに、どうして僕は彼女を助けたのだろうか、助けようと思ったのだろうか? 助けたいと思ったのだろうか?

 どうして僕はこんなにも彼女が好きなのだろうか、かわいげがないと思いつつ、どうして。

 わからない。

 なにも、わからない。

「わからない……」

 だって、彼女は救いを求めなかった。

 勇者を頼るのが一番の解決策だと知りつつ、助けてくれとは言わなかった。

 僕に頼めば彼女の望みはほぼ確実に叶ったというのに、どう考えたって、それが一番良い結果になることは理解していただろうに。

 彼女はただ、自分がやるべきだと、自分がやらなければいけないと、断言して、意地を張って。

 怖くて怖くて仕方ないくせに、結局最後まで助けてくれの一言も言わなかった。

 気がついたら、僕はあの子を助けていた。

 ――いや、違うのか、あれは『救い』なんかじゃなかった。

 ただの殺戮で、ただの八つ当たりで、結果として助けていただけ。

 優しさなんてない、ただ。

 自分がそうしたかったから、そうしただけだった。

 あの時のことを思い出すと、今でも、怒りと憎悪と、よくわからない感情に支配されて、息苦しくてかなわない。

 だから助けて、というか引き離して。

 最後に泣きそうな顔でそれでも泣かなかった彼女を抱きしめて。

 大声で泣きだした彼女のことを、単純に愛おしいと思った。

 どうしようもなく、好きになった。

 一緒にいたかった、そばにいて欲しかった。

「お姉様方……逆に教えて……僕は……どうして……彼女を好きになったの?」

 話すつもりのないことを全て語って、はじめからおしまいまで全部話して、僕は彼女達に問いかけた。

 全てを語った僕の顔を、お姉様方は静かに真面目な顔で見つめて、口を開く。

「そうね……今から話すのはただの推測だから、答えはちゃんと自分で見つけて欲しいのだけど……多分……あなたは彼女を意識しすぎた……のだと思う」

「最初から、彼女があなたに救いを求めていたら、多分、そこまで気になる存在にはならなかったはずよ」

 そう言われて考える、もしもあの時、初めから彼女が救いを求めていたら。

 おそらく、ただ助けて、それで終わりだ。

 今までだってそうだった。

 だけど、彼女は救いを求めなかった。

 思ってもいない綺麗事を口にして、僕の救いを拒絶した。

 そんなことは初めてだった、どんな人間でも勇者である僕を見れば救いを求めた。

 だから、もう一度問いかけた。

 だけど、彼女はそれも否定した、強い意思で、ただ必要ない、と。

 そうだ、僕は確かに――彼女をとても意識していた。

 そんなことは、初めてのことだった。

「救いを否定されて、あなたは彼女のことを気にかけた」

「それ以外にもいろんな要因はあったようだけど――多分、それも大きな理由」

「でもまあ、ただの推測よ。あなたの話じゃなきゃ単純に一目惚れっぽいし」

「ひ、ひとめぼれ……?」

「だって、目を見て心臓が跳ねたとか、初見でかわいいって思ってたり、そういう……」

「……なんか意外。あの子同様、あなたも案外普通の人間っぽいところがあったのね」

 しみじみとそう言われて、そこまで意外かと思ってしまった。

 だけどまあその反応も妥当ではあるのだろう。

 だって旅に出る前の僕に、僕に好きな人ができたと言っても絶対に信じないだろうし。

「でもまあ……話を聞く限り……本気で好きっぽいわね」

「弟くんのあんな顔、初めて見たわー」

「そこはちょっと安心した」

「ごめんなさいね。私たちがあなたのことを少し勘違いしていただけだった――あなたは私たちが思っているよりも、誰かのことを想うことができる人間だった」

「うん。ごめん。あんな言い方して悪かったわ」

 お姉様方は口々に謝ってきた。

 僕は少し困惑しつつ、別にいいとしどろもどろに答えた。


「さて、時間も頃合いだし、そろそろお開きにしましょうか」

 その言葉に窓の外を見ると、もう空は随分と暗くなっていた。

 思いの外話し込んでいたらしい。

「もう1つの懸念材料は、あの子がちゃんと聞き出してるでしょうし」

「私達も目的は達成できたし」

「うん。というわけで、おひらきね」

 せっせと片付けを始めたお姉様方を手伝おうとしたけれど、やんわりと断られた。

「だってあなた、おつかいを頼まれてるでしょう?」

 そういえばそうだった、今思えばただ家を追い出す建前ではあったのだろうけど。

「だからもう行きなさい。お店閉まっちゃうから」

 そう言われるとそれもそうだろうと思って、僕は一足先に帰られてもらう事にした。


 買い物を終えて、家まで戻る。

 今日はなんだかとても疲れた、精神的にも疲れたけど、喋りすぎで喉も少し痛い。

 そういえば、姉上様はお嫁に何を聞き出そうとしていたのだろうか?

 聞きそびれたけど、そういえばお姉様方が言っていたもう1つの懸念材料というのもなんだろう?

 若干の不安とともに家のドアを開ける。

 ただいまと声をかけると、お帰りなさいといくつかの声が返ってきた。

「おかえり」

 玄関まで顔を出してきたお嫁は、遅かったなの一言も言わずに僕を迎えた。

 姉上様がどうごまかしたのかはわからないけど、お嫁にとっては信じるに値する理由だったのだろう。

 あとで何を言われたのか、何を聞かれたのか聞いておかなければ、そう思っていたら顔をじーっと見つめられていた。

「……なに?」

「疲れてる?」

「うん」

 素直に疲れてると答えると彼女は少し何かを考え込み。

 何を思ったのか、僕の頭に手を伸ばして、僕の頭を撫でた。

「えーっと……何してるの?」

「……疲れてる、っていうから…………その……」

 彼女はしばらく何かを言いかけてはやめてを繰り返しして。

 最終的にとても小さな声でこんなことを言った。

「……元気、でるかな、と」

 そう言われた直後のことを、僕はよく覚えていない。

 気がついたらお嫁をぎゅっと抱きしめていて、様子を見にきた姉上様に教育に悪いと怒鳴られていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不愉快なお茶会 朝霧 @asagiri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ