第12話 考えても、わからないものはわからない~ナオミ~

 ジッー

 新たな物質を、高温で焼結する。

 はてさて

 どんな物質が出来るだろうか。

 こうして待っている時が一番楽しいかもしれない。

 コンピュータ上でシミュレーションができるから、どうしてもモノを作る機会は限られてしまうが。現実の物体は、時に想定外な物性挙動を示す。そうした未知に触れ、思い悩むことが、サイエンスの醍醐味と言えよう。

 とはいえ

 この会社から、論文を出すのは禁じられているわけで。発見した物質や現象が、私の名で世に出ることはない。

 だけど、そんな些細なコトは、どうでもいい。

 自分が満足できれば、それで十分。

 しかし

 久々だな。自分の研究に打ち込む時間ができるのは。

 ここ最近、幾つもの案件抱えていて、バタバタしていた。

 そのどれもが、高次元物質の分析依頼。おまけに、過去に分析したことがある物ばかり。退屈な分析作業の繰り返しであった。

 もう飽きたよ

 雑用ばかりの日々は。

 勿論、四次元物質が興味深い研究対象であることには違いない。

 だけど、私達は、会社から四次元物質の研究を禁じられている。高次元解析装置の作製も、同様に禁止。

 それをしようと試みた研究者達は皆、何処かへと飛ばされていった。

 その結果、研究所には私一人しかいない。

 現有設備でできるのは、せいぜい四次元物質の同定くらい。そんなわけで、それが何かわからないまま、過去の物質と同じというレポートを書くことになる。

 研究者としては、非常に歯がゆいが。それが会社としての方針なのだから、諦めるよりない。

 研究所の居室に戻って、小休憩。

 コン、コン

 扉をノックする音。

 あぁ…もう…

 嫌だ、嫌だ

 こんな時に分析依頼か。

 折角、自分の時間が作れたところだったのに。

「はい。あれっ」

 扉を開けて、驚いた。

 扉の前にいたのは、スーツ姿のミキ。

 おいおい

 これは珍客だぞ。

 何があったんだ?

「ミキじゃない。どうしたの?」

「久々にナオミに会いたくなってね」

 キラリと光る、ミキの瞳の奥。

 うぅむ

 あまり良い話ではなさそうだ。

 厄介事だったら、面倒だな。

 とはいえ、追い返すわけにもいかない。

「そっか。まぁ、入って」

 あっ

 部屋が散らかっている。

 ミキを居室に入れてから後悔。

 基本、ムサイ男しか来ないから、気にしていなかったけど。机の上に散らばった書類の山。満杯のゴミ箱。人様に見せられるような部屋ではない。

「忙しそうなところ、ごめんね」

 気を遣って、そう言ってくれるミキ。

 くそぅ

 そんなこと言われたら、逆に惨めな気分になるじゃないか。

「気にしないで。それよりミキ、体調は大丈夫なの?」

「うん。問題なく仕事出来ているよ」

「無理しないで。そういえば、今、特務部にいるんだっけ?」

「そうだね」

「ミキには、随分と不釣り合いな部署だと思うけど。暫くしたら空挺部に戻るつもりなの?」

「ううん。もう戻りたくないな。あそこには」

 ミキの表情が陰る。

 何か、あったのだろう。

 二年前のあの時…

 大きな事故があったとの話だが。それ以上の情報が出てこないところを見るに、余程の事態であったのだろう。

 まっ

 空挺部で生き残るのは、大変なことだからね。

 次元の歪みに、躊躇なく飛び込んでゆく変人達。まともな精神の持ち主では、半年も持たないだろう。ボロボロと精神が欠けていく空挺部の人間達を、何人見かけたことか。

「コーヒーでも飲む?」

「うん」

 コップにインスタントコーヒーを入れる。

 あまりおいしくはないが。安上がりに目を覚ましてくれて、適度に胃を痛めつけてくれる。この仕事には欠かせない代物だ。

「ほれっ」

「ありがとう」

 ミキとは、学生時代からの付き合い。

 どうしても他部署との接点が限られてしまう研究所。

 おまけにコミュ障な私。この会社で、気軽に話をできる相手は、ミキくらいしかいない。

 二重で、パッチリした目。大きな鼻と唇。

 やっぱり

 いつ見てもミキは美人だな。

 羨ましい。貧相な、この顔と取り換えてもらいたい。

 結婚でもするのかな。気づけば、私達もそんな年齢だ。

「ナオミ。久々に、ご飯でも食べにいかない?」

「いいけど。あと一時間、待っていてくれる? 今、実験中だから」

「あっ、そうだったんだ。ごめん。また今度にしようか」

「大丈夫だよ。仕事じゃなくて、趣味でやっている実験だから」

 焼結したサンプルを手早く取り出して、後片付けをする。それから戸締りをして、ミキと一緒に研究所を出た。

 店は、落ち着いた雰囲気の洋食屋。

 晩御飯を食べながら、世間話。

 部下にかなりの不満を抱えているミキ。諦めるしかないだろう。特務部は、会社に使えないと判断された人間を集めた、ゴミ捨て場なのだから。

「アルファルオ」

 唐突に、何の脈絡もなく、その言葉を発したミキ。

「急に、どうしたの?」

「研究所にないかな?」

 彼女の目の奥に宿った、鋭い光。

 やれやれ

 本題に入ったわけか。

 あまり気乗りはしないが。答えないわけにはいかない。

「あるには、あるけど。少量しか保管していないよ。アルファルオが欲しいの?」

「ううん。それを調べて欲しいの。ナオミに」

「無理だよ」

「何故? ナオミは、多次元物質の研究をずっとやってきているんでしょ」

「研究はしていないよ。同定分析をしているだけ。会社に四次元物質の解析は禁じられているからね。過去にそれにトライした人達は皆、何処かへと飛ばされてしまったんだ」

「そんなコトがあったんだ」

 険しい顔になるミキ。

「で、アルファルオが、何かの手掛かりになるの?」

「そうだね。この世界の秘密を解く鍵になる」

 不安だ。

 ミキは、何を企んでいるのだろう。

 この怪しい会社。

 社員のことなど微塵も考えていないわけで。

 用済みになったら、ポイッ。

 この世から抹消された人間は数知れない。

「ミキ。あまり深入りしない方がいいよ」

「分かっている。無茶はしないつもり」

「そう。それならいいんだけど」

 アルファルオか

 今更、そんな物質を調べて、何か得られるモノがあるのだろうか。

 初期に四次元生命体によってもたらされた四次元物質。

 特殊な異方性があって、かつて次元の歪みを作るのに利用されていた。

 しかし、格子欠陥が多く、次元の歪みを安定して作るのに苦労していたと聞く。現在、次元の歪み形成には、ガンマクラウが使われているわけで。もう用済みの物質のはずなんだけどな。

「そもそも多次元物質など、この世界には存在しなかった。何の目的で、彼らがそれを持ち込んだのか」

 ミキの声に、意識を戻す。

「それを知ったところで、どうなるの?」

「たぶんね、全部繋がっているんだよ」

「何が繋がっているの?」

「これまで起きた事と、これから起きる事。本来、ヤツらで全てやればいいことじゃない。だけど、私達がこの会社にいなければならなかった。それは、どうしてだと思う?」

「分からない。ミキには見当がついているんだ」

 ふわりとした笑みを作って、それを返答にするミキ。

「ミキ、大丈夫? 危険人物としてマークされるんじゃないの」

「もう随分前から、監視されているよ。でも、安心して。何が危険かは、十分に分かっているから。そこには踏み込まないつもり」

 心配だ。

 自分だけは大丈夫だと勘違いして、今まで何人の人間達が消えていったことか。他人事じゃない。

「大丈夫。これ以上、無茶はしないよ。そう心に決めたから」

 ミキが、自らに言い聞かせるように言う。

 信じてもいいのだろうか。

 もうこれ以上、仲間を失いたくない。

「ミキ。わかったよ。調べてみるよ、アルファルオを」

 そう口にしている、自分。

 本意ではないが。親友からの頼み、断るわけにもいかない。

「本当?」

「うん。だけど、ミキ約束して。これ以上、監視の目を引くような行動はしないって」

「分かった。約束する。ナオミ、ありがとう」

 そうして、キラリとした笑みをみせた彼女。

 綺麗だ。とても。

 アルファルオか…

 それを調べて、何になるのだろう。

 過去に分析した資料はたくさんあるはずだし、今更、解析できるような事が残されているとは思えないが。

 でも、実際にモノに触れて、解析してみなければ分からない事もあるだろう。

 まずは明日、過去資料を調べてみるとするか。

 帰り道。空に月が丸く映し出されていて、何故かは分からないが、体がいつもより軽い気がしていた。

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