第10話 其処を、君は天国と呼ぶ~ハヤト~

 やっほーい

 天国だ

 パラダイスだ

 なんて素晴らしき日々なんだ。

 ミキさんがいないだけで、こんなにも充実したオフィスライフを満喫できるなんて。

 そう

 まさに、こんな日々を待ち焦がれていたのだ。

 たった今も、次元の歪みの発生に備えて、ユカさんやワタルさんとお茶を飲みながら談笑している。

「ミキさんってさ、堅物なんだよね」

「そうそう。この職場で仕事出来ますオーラなんか、出しちゃってさ。ずっと仕事をしているじゃない。だから、話し掛けづらいんだよ。ハヤトくんは凄いよ。あの人と普通に会話ができるんだから」

「やはり、そうですか。安心しました。そう思っていたのは、僕だけじゃなかったんですね」

「そうだよ。もうね、傍から見ていると、ハヤトくんが可哀想で、可哀想で。手を差しのべてあげたかったんだけど。コチラにも火の粉が飛んでくるのは嫌だったからさ。助けてあげられなかったんだよね」

「どうすれば僕も、この職場で、皆さんのように振る舞うことが出来るんでしょうか?」

「まぁ、ミキさんに諦めてもらうしかないだろうね。あっ、コイツ仕事する気ゼロだって所を見せつけてやるんだ」

「そうそう。それが一番大事だよ」

「なるほど。具体的には、何をするのが効果的でしょうかね」

「漫画を読んでみるのはどうかな。こんな風に、ふてぶてしい感じでさ。ビクビクしていたら、ダメだよ。逆効果になってしまうから」

「なるほど。試してみます」

 なんてフレンドリーな人達なのだろうか。

 早速、漫画を何冊か借りて、万全なる準備を整えた。

 さぁ

 もう恐れるものなど、何もないぞ。

 とはいえ

 一つだけ懸念がある。

 放置されている膨大な量の事務作業だ。この部署の人達は、この山を見ても誰もやろうとしないのだ。

 このままでは、業者から苦情が来るのではないだろうか。何より、ミキさんが戻ってきた時、ブチ切れるに違いない。

 まぁ、でも

 そんな遠い未来のことを憂いてもしょうがないではないか。

 ガタンッ

 突然、居室内で不穏な音がした。

 ぼんやりと視線を向けた先。

 眠っていた課長が吹っ飛んでいった。

 何事だろうか?

 あっ

 ミキさんだ

 相も変わらず、パンチのキレが良い。

 やれやれ

 平和は長く続かなかったか。ミキさんが、こちらにズカズカとやってくる。

 おっと

 慌ててはいけないぞ。

 ふてぶてしく漫画を読むのだ。

 バシッ

 ぐはっ

 ミキさんに、ぶたれたよ。

 これは、思いの外、痛いぞ。本気で怒っているんじゃなかろうか。

 ビシッ、バゴッ

 ぐおっ

 やめ、やめてくれぇ!!!

 一体、何回ぶつんだ。

 しかも、何故に僕だけ…

「おいっ、ロリコン。何で、仕事中に堂々と漫画なんか読んでいるんだ?」

「たった今、休憩中でして」

「これはどうした? お前、なんで何もやっていない?」

 ミキさんが事務書類の山を指差して、ギロリと睨んできた。

 まずいぞ

 これは、まずいぞぉ

「あっ、いえっ、その…」

「終わるまで、帰さないからな。覚悟しておけ」

 ひぃー

 助けてくれぇ!

 チラリと見た、ユカさんやワタルさんは知らんぷり。

 ううぅ

 そんな…

 僕は、失敗してしまったのか。

 己の悲運を嘆くよりない。

 そんなこんなで、、、

 日を越えてしまいそうだ。

 しかし、一向に消えない仕事の山。。ミキさんが許してくれそうな雰囲気もまったくない。

 戻ってきて早々、恐いよ

 帰りたいよぉ

 テレビドラマの続きが見たかったのに。どうしてこんなことになったのか。他の人達はみんな定時に帰ったのに、何故に僕だけ…

 ああ

 あの平和な日々よ

 カムバック!

「アルファルオ」

 不意にミキさんが、そんな言葉を発した。

「何ですか? アルファルオって」

「えっ。私、そんなこと言った?」

「ええ。たった今」

「そう」

 それっきり、口をつぐんでしまったミキさん。

 仕事とは関係のない事なのかもしれない。

 ミキさんの事をたいして知っているわけでもないし。飲みに行ったこともなければ、一緒に外出しても二人だけで食事をしたこともない。ましてや、プライベートで接点などあろうはずがない。

 嫌われているのは、百も承知。仕事ができないと思われているのも、重々承知。

 それならば、早いうちに見切りをつけて欲しいものだが。

 隣のミキさんは、カタカタと物凄いスピードで、休むことなく仕事をしている。

 そうまでして必死になるような仕事とも思えないが。

 今、彼女を突き動かしているモノは何なのだろうか?

 うぅむ

 ミステリーだ。

 ミキさんから帰る許可が出たのは、深夜一時過ぎ。

 眠いよ

 もう、クタクタだ。

 明日、朝起きられるだろうか。

 自信がない。

「明日の朝、来なかったら、許さないから」

 背後から、そんな鋭い一言が飛んでくる。

「はっ、はい」

 とほほ…

 これからの毎日が思いやられるよ。

 重たい瞼を擦りながら、トボトボと会社を出る。

 外はひっそりと静かで、周辺のビル群の明かりも残り僅かとなっていた。

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