第4話 歪みゆく日常に幸せを見つけたい~ハヤト~

 ジリリリリィー

 目覚ましの音。

 ぐぬぬぅ

 朝が来てしまったか。

 嫌だ、嫌だ、嫌だよぉ

 もっと寝ていたい。会社に行きたくない。行きたくないっ。誰か、良い転職先を紹介してくれぇ。

 まだ入社数ヶ月。しかし、既にへこたれていた。指導担当であるミキさんが、非常に厳しい人なのだ。僕への当たりが、日増しに厳しくなってきている。

 どうしてか理解できないが、何をしていても怒られる。

 それでいて、何もしないでいると、それはそれで怒られる。

 つまり、どうしようもないわけだ。

 始業開始5分前。席に着くやいなや、左隣から光速の速さで言葉が飛んできた。

「遅い。ほれ、ここの取引先に連絡しておいて。工期がもっと短くなるようにプッシュ」

「分かりました」

 こうして毎日、ミキさんの仕事を請け負うわけである。

 電話した相手は何故か、おそろしく不機嫌。理不尽にも十分以上怒鳴られた挙げ句、プチンと電話を切られてしまった。そのことをミキさんに告げると、無言で、こちらをギロリと睨まれた。

 ひぃ

 恐ろしいよぉ

 誰か、助けてくれぇ

 だが、残念ながら、これが下請けハヤトの宿命。謝罪の言葉を連ねるより他にない。

 そんな最中、右隣のヒロトさんは、呑気に新聞を読んでいる。そして、新聞を読み終えると、いつものようにコーヒーを淹れて、終業時間まで読書。そんな日課だ。

 目の前のユカさんなんか、会社に来てから、化粧をしているよ。今からやって、意味があるのかは定かではないが。その後、彼女はどこかの誰かと、楽しそうにオンラインチャットを始めるのである。

 いやはや

 どうして、これほどまで待遇に差があるのか。労基署に訴えたいくらいだ。そもそも、何故にミキさんは、彼らに仕事を振らないのか。

 ひょっとして

 彼らが諦められているから?

 そうか!

 そういうことかもしれないぞ。つまり…

 ハッ

 いかん、いかん

 左隣からピリピリと殺気を感じる。気を緩めてはいけない。眠いが、欠伸は厳禁。今月度の伝票処理を午前中に終わらせないといけない。課長の印鑑が欲しいが。課長は、すやすやと睡眠中だ。

 一体、どうすればいいんだ。

 ミキさんに尋ねたら、「殴ればいいのよ」とニコリともせずに答えてきた。しかし、そんな大それた行動、新入社員にできるわけがない。課長の肩を、そっと揺らす。

「んっ? いや、寝ていたか。ハッ、ハッ、ハッ。気付かなかったよ。ほんと、ハヤトくんは仕事熱心だなぁ」

「はぁ。ありがとうございます」

 ふぅ

 無事に印鑑をゲットできたぞ。

 課長が、優しい人で良かった。就業時間中、ほとんど寝ているのはどうかと思うけど。それくらい、のほほんとやっていきたいものである。

 ビィー ビィー ビィー

 午後。警報が鳴った。また、三回。既に現場で、次元の歪みが発生しているというシグナル。しかも、また僕らの担当区域。これで五回目だ。過去四回、現場で次元の歪みは発生していなかったわけで。また誰かのイタズラかもしれない。

「また鳴ったの。仕方ない、行くか」

「はい」

 ミキさんが、ヤル気なさそうに立ち上がった。

 ヘルメットを被って、二人でトラックに乗り込む。トラックの荷台にわんさかと積め込まれた金属のガラクタ。これらを次元の歪みに投げ込むと、どういうわけか、次元の歪みを埋めるコトが出来るらしい。そのメカニズムについては、今一つ理解できていないが。ミキさんに聞けば、教えてくれるだろうか。運転するミキさんの表情をそっと確認。

 おっと

 危険だ

 非常に危険だ

 おそろしく不機嫌だぞ

 そもそも、彼女に機嫌が良い日などあるのだろうか?

 これまでのハヤト調査によれば、機嫌が悪くない日が月に一回あれば良い方だ。その日に、彼女に何があったか。ミステリーである。

 ぐわっ

 ハンドル操作まで荒いぞ。今聞くのは、やめておいた方がよさそうだ。徹底的に罵倒されるに違いない。発生現場近くの道路脇にトラックを止めて、僕たちは現場に向かった。

 住宅街の外れ。ガランとした空地。

 そこにポツンと一人、少女がいた。

 その先にはモゾモゾと拡がる漆黒の空間。何もかもを飲み込んでしまうかのような、あの黒がいた。

 対峙するのは、あの時以来。そこへと近づいていこうとする少女。

 あぁ、ダメだよ

 そこへ行ってはいけないんだ

「チハル!」

 知らぬ間に、僕は声を上げていた。ハッと、こちらを振り向く少女。

「危ない」

 ミキさんが、少女の体をグッと手繰り寄せる。

「知り合いなの?」

 首を横に振る少女。

 そう

 残念ながら、彼女はチハルではなかった。

 しかし、目の前には確かに、あの黒き空間が浮かんでいて。この体をブルブルと震わせているのだ。

 どうしたら取り戻せるのだろうか

 チハルを

 そんな問い掛けすらも、黒き空間に吸い込まれていくかのようで。茫然としている僕の体を、カチン、コチンと硬直させていく。

「ほらっ、ハヤト。何、ぼやっと突っ立っているの。さっさと金属を持ってきて、それを埋めなさいよ」 

 ミキさんの言葉に、我に返る。

「はっ、はい」

 そう

 それをしなければならなかったのだ。トラックに戻って、金属のガラクタを持ってきては、次元の歪みへと、必死にそれを投げ込む。

 シュウ

 歪みが、あっという間に、金属を飲み込んでゆく。

 それらは、何処へといってしまうのだろうか。行った先には何があるのだろうか。暗くて何も見えなくて、孤独で震えていたりしないだろうか。

 それらが一つ、一つと吸い込まれる度に、僕の脳をぐらり、ぐらりと揺らしていった。

 ゴツンッ

 あれっ

 手の力が抜けて、僕は金属を落としていた。

「もう、何やっているの!」

 ミキさんの苛立ったような声が聞こえてくる。業を煮やしたミキさんが、率先して金属を投げ入れ始めた。十分くらい経っただろうか。次元の歪みはシュルシュルと小さくなっていき。

 ギュイッ

 最後にそんな音を残して、ミキさんの投げた金属片を最後に奪い去って、消滅した。

 そう

 跡形もなく

「あれっ。あの子、どこに行ったんだろう」

 ミキさんの声。ふと見やると、少女がいなくなっていた。

 彼女は無事だったのだろうか。心配だ。

「んっ。何だろう、コレ」

 次元の歪みが出現した先に変な機械がある。扇風機のような円筒形の装置。

「コレが、歪みを発生させていたんですかね」

「そうかもしれない。でも、もしそうだとすると、大事件だな。特捜部に連絡しなきゃ」

 ミキさんが連絡を取ると、特捜部の到着を現場で待つようにとの指示が出た。次元の歪みがあったところを、ぼんやり眺める。あの先は、どうなっていたのだろう。

 やっぱり、チハルは…

 不意に襲ってくる眩暈。気づくと、僕はベンチに倒れ込んでいて。そんな僕を心配してか、ミキさんが冷たい飲み物を買ってきてくれた。

「ほらっ。大丈夫?」

「ありがとうございます。何だか、昔を思い出してしまって」

「まっ、そういうコトもあるよね」

「でも、あの女の子、どこへ行ってしまったんでしょうね」

「分からない。目を離した隙に、いなくなっていたから。マズったな。あの機械と関わりがあるかもしれないのに」

「あんな小さい子が、ですか?」

「そうね。この世界、全ての可能性を否定してはいけないの。そういえば、ハヤト、あの子と知り合いじゃなかったんでしょ」

「そうですね。あの子を、妹と勘違いしてしまいました」

「そっか。まぁ、ゆっくり休んで、心を落ち着かせることね。また嫌でも、次元の歪みと対峙することになるんだから」

「はい」

 そうして、ふっと柔らかな表情をみせたミキさん。本当は心優しい人なのかもしれない。

 そんな、勘違いをしてしまっていた。

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