第8話.魔術師は穿かない
「それでは試験開始!」
その合図と同時に時緒は力なく机に項垂れた。周りでは静寂の中カッカッという無数の人間が忙しなくペンを走らせる音が響いている。そしてその音が耳に入る度、時緒の気持ちは沈む。沈み続ける。その風景は現実世界の中学校と何ら変わらないものだった。
「なんか思ってたのと違う……」
しばらくは未練たらしく現実から目を逸らしていたが、一応は確かめてみようとフィルと並んで自室の机に座り、一通り教科書を開いてはみた。もしかしたら勉強の内容が今までアニメやライトノベルで培った知識で何とかなるようなものかもしれないと淡い期待もしてみたが、全くそんなことはなかった
この世界の魔法学校における試験教科は五科目。
算術。自然科学。生物学。史学。神学。
唯一生物学だけは「エルフ」や「獣人」といったいかにも時緒が興味をそそられる単語が垣間見えたが、教科書の圧倒的な活字の最早暴力とも思える羅列は、時緒の心を折るには十分過ぎる破壊力だった。
しかして時緒は試験に対する全面降伏を余儀なくされ、こうして今は机に突っ伏している。
この世界では答案用紙に予め番号が振ってあり、名前を記入する必要がない。現状この世界における名を「タイム」としか決めておらず、特有の長ったらしい名前は未決定のままであったので、その点だけは助かったと思いつつ、唯一時緒にもできる「答案用紙に名前を記入する」という行為すら許されない状況で、時緒は最早文字通りなす術がなかった。
しばらく突っ伏した後、選択問題のみ適当に回答し、残りの時間は用紙の裏に落書きをしながら時間を潰した。
* * *
試験から解放された時緒がふらふらと寮の自室に戻ると、フィルは既に部屋にいた。
「あっタイムちゃん、お疲れ様―」
そう言いながらひらひらと手を振るフィルも少し疲れた面持ちだ。
「試験どうだった?」
「どうにでもなれって感じだった」
「へ、へぇ、そう……」
時緒の言葉から全てを感じ取ったフィルは、それ以上は聞かないことにした。
時緒がベッドに腰を落ち着けた丁度その時、とんとん、と突然何者かに扉がノックされた。
「何だろう? お客さん?」
心当たりのないフィルは恐る恐る扉を開ける。
「きゃあっ!」
そしてノックの主を確認するなり悲鳴を上げて尻もちをついてしまった。
「なんですの?」
そこに立っていたのはアルメリア。訝し気に目の前で腰を抜かすフィルを見下ろすが、奥に時緒を見つけるなり手招きする。
「タイム? 一緒にお風呂に行きませんこと? あまり遅くなると混むらしいですから今のうちに――」
「お風呂!? 行く行くー!」
それを聞くなり、時緒はアルメリアの元へ駆け出した。
「おっ風呂、おっ風呂、おっ風呂っろ―!」
アルメリアの提案に時緒はすっかり元気を取り戻した。
「ところで……そちらの方はタイムと同室の方ですかしら?」
「うんそうだよ。フィルちゃんっていうんだ」
「そう、フィル、よろしくですわ」
「あああああ……あわわわわ…………」
「皆さん何をそんなに怯えてるのかしら……」
「皆さん」と言うからには既に同様の反応を受けているのか、アルメリアは心底呆れた様子でフィルに手を伸ばす。
「ほら、あなたも一緒に行きますわよ」
「ぼぼぼぼ僕なんかが、あああああアルメリアさんと、いいいいいい一緒にお風呂ぉ!?」
風呂場は寮の建物内に用意されていた。大浴場の形式で好きな時間に入浴ができることになっているらしい。
広い脱衣所も相変わらず灰色の煉瓦がむき出しで裸足になるとひんやりとする石の感触が直に足裏に伝わった。
「あれ?」
脱衣所で場所を確保し、服を脱ぎ始めたところで時緒は違和感に気付く。
「あれれれ?」
脱いだ服を裏返したり、周辺の床を見回したりしながら確認するが、その事実は変わらないようだ。
「…………てない……」
「どうしまして? タイム」
「穿いてない!」
時緒は自身が下着を身に付けていなかったことに今になって気が付いた。
「下着のこと? 当たり前でしょう。並外れた集中力を保つ為に身体を締め付けるようなものは極力身に付けないのが魔術師の常識、今更なんですの?」
「っ!?」
最早声にならない声を上げて時緒は目を見開いた。下着を付けない。つまりは、
「この学校の女子は皆四六時中のノーパンってこと!?」
その事実はこれまでの異世界に対する期待外れや試験を塗り替える程のものであった。雷に打たれるに等しい衝撃は時緒の脳天から足先まで刹那の速さで駆け抜け、身体をその場に磔にする。しばしその衝撃の余波で動けなくなってしまっていたが、その身を奮い立たせると、時緒は力の限り叫んだ。
「異世界サイコぉぉぉぉー!!」
「フィル? この娘って少し変ですの。これから苦労しますわね」
「うん、それはもう覚悟済み……」
アルメリアはフィルのことを心から労った。
「はわぁー」
浴室に入るとその広さに時緒は感嘆を漏らす。
浴室は元の世界でいう銭湯のように大きな浴槽があり、既に数人の生徒を思しき少女が湯に浸かっていた。
時緒の世界と異なる点といえば、相変わらず光源がまばらに天井に付けられた謎の発光機関だけでやや薄暗いのと、銭湯に必ずある筈のシャワーが備え付けられた洗い場が無く、その代わりにドラム缶程の大きさのお湯を貯めた桶が二十個ほど並んでいるところくらいだ。
アルメリアとフィアは迷わずその桶から湯をすくい浴びている。恐らく湯に浸かる前にそのお湯で体を清めるのが作法なのであろうと結論付け、時緒も二人を真似てその桶の湯を浴びる。桶の湯は何らかの薬草でも入っているのか、消毒液のような刺激臭がした。
「はぁー気持ち良いー」
湯船に浸かると疲労の溜まった身体に程よい湯加減のお湯が染み渡る。時緒は思わず声を漏らした。そして辺りを見回せば一糸纏わぬ少女たちの裸体。
「さいこー……でへへへぇ」
まるで今日一日の苦労がいっきに報われる、時緒にとってそんな瞬間だった。
「ま、無事入学は終えましたわね」
「う、うん」
横に並んで入浴しているアルメリアが言うと、フィルはたどたどしく反応した。まだアルメリアに対して恐懼しているのか、変に委縮してしまっていた。それ横目にアルメリアはあからさまに嘆息する。
「フィル? あなたもこの学校内ではわたくしと同じ立場なんですからね? 変に気を使わないで下さる?」
「あ、え、うん、ごめんなさい……」
「ほら、また。タイムを見なさい。この娘わたくしに会うなりいきなり抱き付こうとしたんですから」
「でへへへぇ……」
二人で時緒を確認するが、既に時緒は自分の世界に入り込んでしまい、二人の視線に気付かない。怪しげな笑みを張り付かせながら心ここに在らずといった感じだ。
「別に参考にしろとは言いませんが……」
アルメリアは咳払いをしてから慌ててそう取り繕った。
「うん」
「フィル? あなたは何故魔法学校に? 魔術師に憧れていらっしゃるの?」
徐にアルメリアは尋ねる。
フィルは一瞬びくりと体を震わせたが、先程注意された手前なのでなんとか気持ちを落ちるかせるとおずおずと話し始めた。まずは自身の特異な体質のことを簡単に説明した。アルメリアは神妙な面持ちでそれを聞く。
「僕はこの体質の所為で故郷の村では忌み嫌われていて、両親もそれを気にしてか、ずっと人前に出されずに育ったんだ」
フィルは額に巻かれたままの包帯を撫でた。
「それは……酷いですわね……」
「あ、でも両親のことは別に嫌いってわけじゃなかったんだ。むしろこんな僕を大切に育ててくれてとても感謝してるの。人前に出さないのも、僕のことを想ってだと思うし……」
「そう、ごめんなさい。早合点ですわ」
アルメリアは素直に謝罪した。
「ううん! そんな!」
それを聞いたフィルはぶんぶんと大げさに首を振ると続きを話す。
「でも、ある日そんな僕の噂を聞きつけた学校の人が魔術師の素質があるかもって尋ねて来たんだ。最初は不安だったけど、もしかしたら僕にしかできないことがあるんじゃないかって入学を決めたの。両親はこんな僕の所為で色々と悩んで苦しんでたみたいだから、この学校で優秀な魔術師になって両親を安心させてあげたいんだ。あなたたちが生んだ子は国の為にすごい貢献をしたんだって、僕を生んだことは間違ってなかったんだって、言ってあげるのが今の僕の夢かな」
「そうでしたの…………、フィル? とても素敵な夢ですわね」
アルメリアの言葉を受けたフィルはどうして良いかわからず、湯船の中で身じろいだ。
「わたくしはフィルとは逆ですかしら」
「逆?」
今度はアルメリアが自身について話し出す。
「わたくしの家は知っての通り魔術師の名門ですの。代々わたくしの家の出は魔術師として何らかの多大な功績を残していますわ。だからわたくしも等しく期待されてますの。その期待を裏切るわけにはいかない、その一心で今ここにいますわ」
「でもアルメリアさんならきっとすごい功績を残せるよ!」
「ありがとう。でも、そう簡単にはいかないのはわかってますの。わたくしの家は優秀な血筋と思われていますけど、代々伝わる秘伝の魔術を持っているというだけで、あとは皆様と何ら変わりありませんわ。だから、今は努力あるのみですわね」
「うん、一緒に頑張ろうね」
「そうですわね、フィル」
二人は顔を見合わせ、笑みを溢した。フィルは自身の顔からようやく緊張が消えたがわかった。
「ところで……」
アルメリアとフィルの二人は示し合わせたように時緒の方を向く。
「ほえ?」
そこでようやく気付いたのか、時緒は二人の視線に腑抜け面を返した。
「『ほえ?』じゃないですわ、『ほえ?』じゃ、タイム? あなたは一体何者ですの?」
「僕も気になってた……かも……」
「あなた外の国から来たって仰ってましたけど、一体どこの出身ですの?」
何の前触れもなく、時緒にピンチが再来した。当然だ、二人は敢えて強く問いたださなかっただけで、時緒の異様な雰囲気に少なからず違和感を感じていたのだ。こうして風呂に落ち着いた今、その疑問が浮上するのは至極当然といえる成り行きだった。
「うーん……」
時緒は考える。
「あ!」
そしてこのようなひっ迫した状況で、時緒は今の状況においてこれ以上ないくらいの真理とも思える回答を導き出した。まさしくそのような考えが浮かぶことは奇跡だと自身で評価した。
「記憶喪失なの!」
「「へ?」」
「だから記憶喪失! わたし、この学校に来る前のこと全く覚えてないの。気が付いたら入学させられてて!」
「そ、そう。わたくしたちもそれなりの理由でこの学校に入学しましたが、予想以上に波乱万丈でしたわね」
「う、うん。でも妙に納得できたかも、だってタイムちゃん、この学校のこととか全然わかってないみたいだったから……」
軽く引き気味の二人を余所に、時緒は自身の秀逸な切り抜けを称賛した。
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