第6話.邪眼が疼く

 寮らしき建物は校舎の裏口、中庭側とは丁度反対の方角から出てすぐの所に建っていた。


 覚悟を決めた時緒はアルメリアの後に続いて寮らしき建物に入る。


 建物の外観は校舎よりも二回り程小さかったが、さして印象に違いはなかった。中も同様だ。むき出しの煉瓦、等間隔に灯る明かり。ざらざらとした石の質感を残した階段を上がり三階へ到達したところでアルメリアは足を止める。


 時緒は気が気じゃなかった。


 もしかしたら部屋の割り当てなどされず、各々が自由に決めて良いシステムかもしれない。だがそれは時緒に都合の良い願望にすぎず、普通に考えてその可能性は低い。時緒の部屋が用意されてる筈がない。そうなるとここで部外者であることが露見し、追い出されてしまうのは必至であった。


 さあどうなる。時緒は息を飲んだ。


「それでタイム? あなたのお部屋はどこかしら?」


 終わった。


 時緒の心の中で試合終了のブザーが鳴る。と同時に自らの健闘を称えた。「頑張った。わたし、頑張ったよ。うん、十四年間の人生で今ほど頑張ったことはないよ」そう心の中で言い聞かせた。


 思えば知らないうちに異世界へ飛ばされ、魔法学校を目指し、わけもわからないうちに何とか入学式に出席でき、さらには憧れていた異世界らしさの一端に触れることもできた。上出来ではないか。一度は思っていた展開と違うと落胆したものの、これまでの時緒からすれば上出来過ぎる結果だ。


「タイム? どうしまして?」


 さてあとはどう学校の人たちに謝罪すべきか、元の世界では全世界的に認知度が広まりつつある〝ジャパニーズ土下座〟はこの異世界においても通用するものなのか、時緒が面を伏せて真剣に悩み始めているとアルメリアが訝し気に顔を覗き込んだ。


「わぁっ!」


 完全に自分の世界に入っていた時緒は急に近くなっていたアルメリアの顔に気付き、驚きの声を上げる。


「きゃあっ!」


 その声にアルメリアも驚き、短い悲鳴を上げた。


「びっくりしたぁー。チューされるのかと思った」


「その発想にこちらがびっくりですわ。それで? お部屋はどこですの?」


「どこ……なんだろう……」


「まったく……」


 アルメリアは呆れ声を漏らしながら、時緒の肩を押し無理矢理後ろ向きにさせると、羽織るマントを確認しながら、


「六十二番……ですわね……」


 そう呟く。


 不思議に思った時緒はマントを脱ぎ、マントの背の部分を確認してみる。すると、大きく刺繍された校章と共に確かにこの世界の文字で六十二と書かれているのがわかる。


「六十二番ならこの廊下の一番奥の方の部屋ですわよ。入学前に届けられる書類で確認している筈でしょう?」


「そう……だったかも」


「しっかりして下さいます? あなたもわたくしと同じで一応は誉れ高い魔術師候補の一人なんですから」


「うん、そう……する」


 わけがわからないまま曖昧な相槌を打つ時緒をよそに、アルメリアの心配は募るばかりだった。まるで親からはぐれた迷子を相手にするのに似た心境だ。


「わたくしは八番だからあなたとは反対方向ですわ。ここからは自分で行けますわよね?」


「うん、たぶん大丈夫」


「では、ごきげんよう」


 そう言ってアルメリアは背を向けた。


 さて、と時緒もアルメリアから教わった方向へ廊下を進む。等間隔で配置される扉を横切りながら目をやると、校舎で見た時と同様に扉には皆金属製の表札が埋め込まれており、そのそれぞれにこの世界の文字で数字が刻まれていた。恐らく自身のマントの数字と扉の数字の一致する部屋が割り当てられた部屋であろうと、時緒は予想した。何故、部外者である自身に部屋が割り当てられているかという疑問は既に都合良く消し去っていた。


 数字は二つずつ刻まれているようだ。55,56、57,58、59,60と数字を読み進めていくと、目当ての番号61,62、時緒のものと思しき部屋は一番奥、角部屋に位置していた。


 時緒は息を飲んでドアノブに手を掛ける。


 そして、きききと軽く軋ませながらゆっくりと開いた。


「わぁ……」


 中も廊下側と変わらず、煉瓦剥き出しの壁であったが、地面には朱色の絨毯が敷かれ、ベッドや机、本棚といった調度品の数々はどれも見るからに上等そうな木製で、程よく使い込まれたそれらは良い具合に色の深みを増している。そして校章のシンボルにもなっている稲妻角の幻獣や、見たこともない形の花、聖女然とした女性の横顔等々、様々なものを模した彫刻が控えめにではあるが、調度品の様々な個所に施されている。


 そして灰の煉瓦剥き出しの壁には、これ見よがしに大きな校章が刺繍された旗が飾られていた。


「かっこいい……」


 時緒はその光景に感嘆の声を漏らすと、ふらふらとしながら二つ置かれているベッドの一つにぼふんと腰掛ける。


 ベッドはとても柔らかく、思った以上に沈み込んでくれるので、時緒はそのまま後ろへひっくり返ってしまう。


「あらら」


 だが、寝そべってみて気付く。


「疲れたぁ……」


 あれだけの距離を休憩もなしに歩いたのは時緒の人生史上未だかつてない程の快挙であったと言える為、無理もなかった。


 時緒はゆっくりと目を閉じた。


 もう元の世界とは違う。この世界で学ぶのは魔術。もう将来必要かどうかもわからない勉強を無理矢理させられたりしないし、学校の煩わしいテストだって存在しない。この世界では出来の悪いテスト結果で教師から叱られ、クラスメイトから馬鹿にされ、親から叱られるといった文字通りの三重苦を味わう必要もない。


 このまま柔らかいベッドに寝そべっていると眠ってしまいそうだった。


 だが、もし眠ってしまって次に目が覚めた時にすべてが夢だったと気付くという落ちかもしれない、そういった言い知れぬ不安が湧き上がりハッと見開く。


 そして、見知らぬ顔がこちらを見下ろしていることに気が付いた。


「だ、大丈夫……?」


 見下ろす顔は不安げな声色で問いかける。


 中学生の時緒よりも幼い顔立ちで髪はショートカットであった為、一瞬男の子と見間違えそうになるが、時緒と同じくスカートを履いている。額部分と右腕には何故か白い包帯が巻かれていた。


「新キャラっ!」


「あうっ!」


 勢い良く上体を起こした時緒の脳天が、見知らぬ少女の顎にヒットした。


「いてて……」


 顎をさすりながら、少女は涙目になってしまう。


「ごめんね」


 時緒は素直に謝罪した。


「ううん、僕の方こそ、いきなり覗き込んだりしてごめん……」


 と、逆に謝罪を返されたが、時緒は既に別のことで頭が一杯であった。


「僕っ娘キタコレ!」


「え? きたこれ? なに?」


 戸惑う少女を余所に、時緒はその両手を取るとぶんぶんと大げさな握手をする。


「え? ちょっと、ちょっと、どうしたの? 急に……」


「ごめんごめん、いきなり新キャラが登場するものだから取り乱しちゃって、えへへぇ」


「いきなりも何も、ずっといたけどね。君が入って来た時からずっと。でも、まあ僕は特に影が薄いって言われるから気付かなかったのは君の所為じゃないよ」


 少女は未だ痛みの残る顎をさすりながら自嘲気味に薄い笑みを溢した。


「僕はアフィルラ・カルセ・オラリア・フィ・ジキタリス・トロヤーナ・フィア・マキウナェ。呼ぶ時はフィルで良いよ」


 例によって少女は異様に長い名前で自己紹介をした。


「わたしはえっと……タイム!」


 時緒も危うく決めたばかりの設定を忘れかけながらも何とか名乗った。


「タイムちゃんだね、これからよろしくね」


 フィルはされるがまま繋いでいた右手をぎゅっと握り返した。


 どうやら時緒と同室に割り当てられた生徒らしい。


「それはそうと…………」


 時緒は手を握ったまま、彼女の右手、巻かれたその包帯を凝視する。


「ねえねえ! これって何かの封印? 時々疼いたりする? 静まれぇ! って念じたりする? 静まれぇ! って、ねえ?」


 時緒は興奮気味に詰め寄る。


「え? これ? これは違うの。普通に怪我をしてるだけ。このあいだ森の中で遊んでたら可愛い子犬がいたから触ろうとしたら噛まれちゃって。僕ってすっごくドジなんだよね……」


「なーんだ……」


 そして期待していたものとは違う事実に落胆した。


「その頭の包帯も第三の眼とかだと思ったのにぃ……」


「え? これはその通りだよ。よく知ってるね」


「…………は?」


「だからその通りだよ。時々疼くし、酷い時は静まれぇーって念じるよ」


「ああ神様ぁっ!」


 時緒は歓喜のあまりフィルに抱き付いた。


「ええ!? ちょ、ちょっとぉ! タイムちゃん、急にどうしたの?」


「生まれてきてくれてありがとう!」


「ホントにどうしたの!?」

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