第4話.魅惑の異世界

「何をきょろきょろとしている」


 背中に見えない魔法の眼でも付いているのか、教師は後ろを向いたまま辺りを見回しながら廊下を進む時緒に言った。


「いや、あの……ごめんなさい……」


 そう謝罪しながらも、時緒は見渡さずにはいられなかった。なるべく悟られないようにと首を動かさず、眼球だけを右へ左へ、必死に動かした。


 靴を履き替える下駄箱のような所はなく、建物に入ってすぐの廊下は外観と同じく壁面が灰色の煉瓦造りだった。天井と壁の合わさる角の部分に一定間隔で丸いガラスの球体のようなものがあり、その中でやんわりとした明かりが灯っていた。それがガスか電気か、はたまた何らかの魔法によるものなのかは時緒には判然としない。ただ、廊下を照らす光源の大半は窓から射す光なので、夜は薄暗くてさぞかし怖いのだろうなと時緒は想像した。


 外側から想像した建物内は、時緒が幼い時分に海外映画の中で見た魔法学校のような、例えば、しゃべる絵画が飾られているとか、動く階段があるとか、絶妙な奇妙さに彩られたを期待していたのだが、実際に見える校舎内の景色は外面と違わず、色が少なく、寂れた印象だった。


 これでは魔法学校というよりも、古いゲームに登場するダンジョンのようだと時緒は心の中で感想を漏らした。


 所どころ、木製の扉も確認できる。


 扉には全て金属製の表札が埋め込まれており、時緒は時計と同様にその異世界の文字を読むことができた。


 ○○組というような教室名ではなく、単に教室Ⅰ、教室Ⅱというような表記で、その他には実験室や書庫という表記も見かける。学校の教室という本来時緒が忌み嫌う部屋の一つひとつが今はどれも魅力的なものに思えた。


 先程までの陰鬱とした気持ちが嘘のように晴れ、知らず知らずのうちに笑みが浮かぶのを時緒は自覚した。嫌なものは心の奥底に仕舞い、好きなもので満たすことができる。それが三条時緒という人間の長所であり、この上ない短所でもあった。


 数度角を曲がり、やがて教師を名乗る女性は廊下の奥、途中見かけた教室よりも二回りも大きな扉の前で立ち止まる。そしてそこでようやく時緒に向き直った。


 時緒は慌てて顔面に張り付いた怪しげな笑みを取り繕おうとするが、自身では上手くいったかわからない。


 教師は相変わらず刺すような眼光で時緒に目を遣ると、


「式の途中だ。極力静かに席につけ」


 そう言って扉を開く。


 時緒が扉を押さえる女教師の様子を伺いながら室内に入ると、そこは広く開けた場所だった。入学生だろうか、時緒と同じような色合いの服装に身を包んだたくさんの若い男女が、教会で見るような横長の椅子に腰掛けていた。時緒の通っていた学校の体育館程ではないが、正面に壇上があり、そこで口に髭を蓄えた男が何やら話をしている。


 あんなにも閑散とていると感じていたところから急に大人数を目の当たりにした為、時緒は呆気に取られ固まってしまう。


「おい、何をぐずぐずとしている。早く空いている席に座れ」


 未だ入口の中途半端なところで止まっていた時緒の為に扉を押さえていた女教師が訝しんで一喝し、時緒はようやく我に返った。


 壇上の男の声がこだまする中、時緒は恐懼しながらも慎重に入室し、空いている席を探した。


 先程はたくさんの入学生がいると感じたが、よくよく見るとそこまで多くはないようだ。時緒の世界の入学式では三十人クラスが四クラス、すなわち百二十人程であったが、目測ではその半分程の印象だ。


 時緒は一番後ろの席の隅に空いている場所を見つけ、言いつけられた通り、極力音を立てないように腰掛けた。


 壇上の男は一定の語調を保ったまま淡々と話を続ける。とても静かな話し方に思えるが、壇上の上には教壇のような木製の台があり、その上には古い蓄音機のようなラッパ型の筒が飛び出た道具が置かれていた。恐らくそれが拡声器のような役割をしているのか、一番後ろに座る時緒の元にも十分にその声は届く。だが「したがって云々――」や「であるからして云々――」等々、何やら小難しい言い回しで相も変わらず一定の語調で長々と話し続ける為、ものの数分という早さで睡魔が時緒を襲った。元の世界で学校の全校集会の折に聞かされる校長先生の長話と良い勝負だと時緒は思った。


 やがてかくりかくりと軽く船を漕ぎ出したところで、背後からほとんど聞こえない位の咳払いと共に、この世の終わりを感じさせる程の異様な殺気を感じ、時緒は尻毛を抜かれたように背筋をピンと伸ばす。


 恐る恐る振り返ると、いつの間にか先程ここまで案内をしてくれた女教師が丁度時緒と中庭で出会った時に見せた仁王立ちの姿で鋭い眼光を向けていた。彼女の口元が声を発しないままパクパクと動いている。だが間違いなく「吊るすぞ」と言っていることが時緒には理解できた。時緒は慌てて壇上に向き直る。


 だが、幸いにも丁度男の話は終わり、壇上を後にするところであった。


 男の話は無駄に長かったが、要約するとつまり、「これからこの学校で勉学に励みなさい」という内容に集約できた。


 時緒が安心したのも束の間、壇上を降りる男性と入れ替わるように続けて別の男が壇上に上がる。真っ白な口髭を胸の辺りまで伸ばし、腰の曲がった身体を支えるように手には長い杖が握られている。深緑のローブに身を包むその老人はいかにもな風貌だった。


「大魔導士ッ……」


 時緒は歓喜を込めて呟く。


 その老人はこの学校の学校長なのだが、時緒の中では既に大魔導士と命名されていた。


「さて、まずは諸君、我がミナント・ナエクラエ・ノクシロク・スイヒャ魔法学校への入学を心から歓迎する」


 開口一番、入学を祝する言葉を頂いたが、拡声器を通してもその声は見た目の年齢相応に衰えた感じで弱々しく、かつ震え気味だったので酷く聞き取りづらかった。


「まあ、諸君も長らく座りっぱなしではそろそろ嫌気が差してくるころじゃろうが、皆の前でこうして話をすることが老いた老人の数少ない楽しみでもある。辛抱してくれ」


 そう言って髭の奥の相好を崩した。


「しかしまあ、良い面構えが揃った。今この場にいる諸君は選ばれし者たちじゃ。並外れた才を持つ者、我が校の厳しい試験を突破した者、素晴らしい貢献をもたらした者の子、そして孫。そのような選ばれた者たちが今こうして一同に会した。今諸君の周りにいるのはこれから厳しい試練を共に乗り越える仲間であり、競い合う宿敵であり、目標であり、指針であり。何かを与えるものであり、与えられるものであり、自身を高める武器であり、自身を守る盾であり。自身もまた、誰かを高める武器であり、誰かを守る盾であり。また、我が校を守護する神ニタレフセイの名において、君たちは与え、与えられ、守り、守られる存在である。信じれば神は諸君の健やかな、我が国において最も名誉な魔術の習得という偉業を天より見守ることじゃろう。例え窮地に陥ろうとも、そのことを心に留め、信じ続ければ、我が校の校章に刻まれるこの神聖なる守護獣サレホートが諸君の矛となり、諸君を脅かすいかなる邪悪なモノも焼尽させるじゃろう」


 老人は依然震える声色で、しかしそれでいて強固な力強さを含んだ言葉を入学生たちに飛ばす。時折話しながら傍らに立てかけられた校章が刻まれたの旗をばしばしと叩き、声が徐々に熱を帯びていくのがわかった。


「そして与え、与えられ、守り、守られるということ、それは今この諸君同士に対してのみに留まらない。諸君の過去、そして未来もまた繋がり、紡がれていくのじゃ。かつてこの学校で学んだ卒業生は偉大なる、そして多大な貢献をもたらした。あるものは戦場にて魔術を用い、数多くの人命を守り、救った。ある者はその知と溢れる才気と何よりも情熱で以て、新たなる魔道具を生み出し、戦地へ赴く者達を助けた。そして今、我々はそうした過去の結実の恩恵を受け、さらに未来へとその実を紡ぐことができる。そうやって繋いできた。かつて我々を脅かした森のエルフや獣人族のような醜悪なモノ共も今やその数を急激に減らし、壊滅せしめる手前まで迫っておる。諸君の代でようやく我が国に恒久的な安寧をもたらすといった偉業を成し遂げるのかもしれん」


 神! 守護獣! 魔道具! エルフ! 獣人族! 


 アニメや漫画、ライトノベルの世界でしか聞かない言葉が次々と壇上の老人の口から紡がれていく。その度にその言葉たちは鋭い不可視の弾丸にとなり時緒の胸の辺りを打ち付け続けた。連続する衝撃に思わず仰け反りそうになりながらも、目を血走らせ、時緒は両の足に力を込めた。


「だが、油断は禁物じゃ。諸君が踏み入れようとしているのはこの世の理。それは神の領域であり、底知れぬ深淵そのものじゃ。一度道を違えれば、やがて世界を終焉へと導く禁忌となる。かつてこの地で魔術を学んだ一人の女が道を違え、世界に終焉をもたらそうとした。人のカタチを成した人ならざるもの、醜悪なゴブリンの軍勢を従え、邪神ドラゴンの封印を解き、この地に死を振りまいた。諸君も知っておろう、破壊と終焉の魔女の伝説じゃ。我々の調査が正しければ、今も山脈の奥で忌々しくも浅ましく国を名乗るクチツ・ラエソアの連中が邪神ドラゴンの砲火を再現する魔導兵器の開発を進めているところじゃ。既に諸君の町でも噂になっているであろう。だが、諸君がそのような神への冒涜にも等しい暴挙を阻止してくれると、きっと信じておる。神ニタレフセイをはじめ、数々の神々が我々を信じて見守って下さるように」


 ゴブリン! ドラゴン! 魔女! 魔導兵器!


「はうぁっ!!」


 追い打ちを掛けるように魅惑の言霊に撃たれた時緒はついに呻きという名の嬌声を上げた。


「ちょっと待って! やめて! そんなにいっきにこないで! お願いだから順番に消化させて! でへへぇ……」


 座席の上で態勢を崩しながらも、両の手を突き出し抵抗する素振りを見せるが、その表情は先程までの泣き顔が嘘のように思えるような下卑た笑みだった。


「でへへぇ……」


 後ろには未だ例の女教師が目を光らせているのかもしれなかったが、時緒にはそうして何とかその場に留まっていることが精一杯であった。


「ちょっと、ねぇ、何ですの?」


 そう時緒の隣から囁き声がしたのに気付き、時緒はやや椅子からずれ落ちそうになった態勢で声がした方を向く。


「聞いてますの? 先程から何ですの? ねぇ」


 そこに姿勢正しく腰掛けるのは時緒と同じ服装に身を包んだ少女だった。


 眩く輝くような長い金髪はロール状に巻かれており、まさしく絵に描いたようなお嬢様という感じの風貌だ。時緒を横目に訝し気な表情を送りながらも、その両手は膝の上で揃えられており、気品を乱さないように保たれている。


「お嬢様キャラ!」


 それを目の当たりにして、時緒はとどめの一撃を食らったように椅子から落ちた。



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