第2話.早くも挫折

「はぁ……もうダメだぁ~」


 時緒は力尽きかけていた。


 逸る気持ちからつい駆け出してしまったが、目的地までは想像以上に距離があるようだった。元々体力には自信がない時緒は、未だ半分程の道のりを残したところで精魂尽き、とぼとぼと歩み始めた。


 どうやら目的地の学校へ向かって緩やかな上り坂になっているらしく、そのお陰で建物は目立ち、迷うことはない。と同時に、その僅かな傾斜は時緒の体力を削ぐには十分だった。


 だが時緒は歩みを止めようとしなかった。


 これが仮に授業の長距離走だったならば、遥かに手前で早々に断念し体育教師に泣きついていたところだが、今は状況が天と地ほど異なる。


 何ら価値の見出せない体育の成績なんかではない。

 追い求めていた「生き様」そのものがそこにはある。


 すっかり重くなった時緒の足を動かすには十分過ぎる原動力だった。


「えーん……疲れたよぉ……」


 助けてくれる人間はどこにもいない。


 幾度かくじけそうになりながらも足は止めない。


 何故か読むことができる時計の時刻は既に9時55分を指していた。


「足が痛いよぉ……」


 既に目には涙が浮かんでいた。


 そして無情にも時間は過ぎ、時計の針はとうとうおじいさんの言う入学式の時刻、10時を指した。


「あああっ!」


 時緒は人目も憚らず嘆き声を上げた。


「ぐすっ……ぐすっ……」


 泣きじゃくりながらもとぼとぼと歩みは止めない。


 今時緒が歩む道は、天国から延びた一筋に輝く蜘蛛の糸。それを切ってはいけない。


 必死のしがみ付き、縋り付き。一度歩みを止めれば、もう取り返しがつかなくなる気がした。


 苦しい思いを、期待で無理矢理かき消す。


 異世界。魔法。魔法学校。迫りくるモンスター。恐ろしい魔王。立ち向かう勇者。可愛いヒロイン。カッコいい主人公。チート。ハーレム。俺TUEEEE……。


「でへへへぇ……」


 およそ少女のものとは思えぬ怪しげな笑みが毀れた。


 何度も、それこそ呪文のように何度も、そのような類のワードを心の中で唱え続けた。そして時折少女らしからぬ下卑た笑みを浮かべる。


 やがて気が付けば建物の前に辿り着いていた。


「ほぇー」


 遠くから眺めるよりもずっと巨大で荘厳、かつ威厳のあるものに思えた。


 離れているとわからないが、真近で見るとそれなりに古い建物だということが確認できる。ところどころ壁面が欠けており、経年劣化でその色はくすみ、よくわからない植物の蔦が這っている場所もある。だがそれは朽ちているというよりも、余計にその威厳を増しているようにも思えた。


 恐らく入口だろうと思われる場所には、中学生女子にしては背が高い時緒を縦に二人分並べたよりもさらに高く大きな扉があり、幸い開け放たれている。


 入口の上部には校章だろうか、六角形の内部に稲妻マークのような形の角を生やした馬のような動物を象った紋章が刻まれ、その下にさらに彫刻で文字が記されている。


 『アニム・ソフレレェト・ミナント・ナエクラェ・ノクシロク・スイヒャ魔法学校』


「ダメだ、一生覚えられない自信がある」


 異様に長い学校名らしき文字を仰ぎ、一度だけカタコトの発音で読み上げてから、時緒はおずおずと周りを気にしながらその建物の敷地内へ入った。


 そこは丁度中庭のような所で、中央には噴水があり、噴水の中央部分の装飾らしきローブを来た女性を模した石像の手には、魔法の杖のようなものが握られている。


 牛車のおじいさんの言う通り入学式が始まっているからであろうか、敷地内は人気がない。


 中庭は緑が植えられているわけでもなく、人気のなさも相まってか酷く閑散としていた。


 徐々に落ち着く内側の鼓動と共に、ようやく時緒に湧き上がる疑問。


 そして勢いそのままに来てしまったが、勝手に入ってしまって大丈夫だろうかという不安。

 気が付けば、歩みの速度は徐々に緩やかになり、ついにその足は止まってしまう。


「学校に着いて、あれ? どうすればいいの?」


 時緒は気付く。全く考えていなかったことに。


 果たして、自分自身が魔法学校へ入学することができるか否か。


 勢いに身を任せてここまで辿り着いたものの、その後どうするかということは二の次であった。


 ロールプレイングゲームのように自動的に何かが起こるわけもない。


 辺りを見回すと、中庭を囲うようにして建つ建物にはいくつか出入口らしき木製の扉が確認できる。その一つに近づき遠慮気味にノックをしてみたり、つま先立ちで窓から中を伺ったりしてみたが、人の気配はない。意を決し、大きく息を吸い込んではみたが、それが声となって吐き出されることはなかった。


 一度諦め、仕方なく噴水を背に縁に腰掛ける。そして先程吸い込んだ空気は溜息となって吐き出された。


 こうしている間にも時間は過ぎて行く。


「…………ぐすっ……」


 そしてまた涙が溢れてきた。


 思い通りにいかないことに対する憤りとは少し違う。


 異世界に来てなお、元いた世界の自分と変わらないことに対する自身への失望だ。


 これが夢の中のような、現実との境が曖昧で薄弱とした意識の中であるならば、もっとできることがあるのかもしれない。もっと思い切った行動を取れるのかもしれない。声を、上げられるかもしれない。


 だが、今感じている時緒自身の感覚は酷いまでに〝現実的〟であった。例えば、周りを視界に入れず、足元にある土と石ころと雑草にだけ意識を集中させれば、ここが異世界などではなく現実の世界だと錯覚できてしまうくらいに。


 元の世界にいた時は、こういった異世界に足を踏み入れたならば、目まぐるしいまでに様々な出来事が時緒を襲い、時緒もまた、その目まぐるしいまでの出来事に翻弄されながらも、有意義な異世界生活を送るものだと思っていた。


 それに都合の良い奇跡だって、必然のように起こるものと信じていた。


 例えば、急に強大なモンスターに襲われる等して危険に直面し、その中で何らかの伝説的な力に目覚め、それが認められ特別に学校への入学が許されるとか、そのような類の展開をいくつも妄想していた。


 だが今は、仮にそのような状況なったとしても、何の力にも目覚めず、かといって命乞いすらせず、できず、恐怖に身を固めたまま殺されてしまうのだと、時緒は自嘲気味に考えた。


 結局は他力本願だった。


 勝手に、「こうなる筈」、「こういうものだ」という妄想ばかりが先行して自分自身が変わろうとはせず、あまつさえ「異世界に行った時緒」という幻の人物像に何もかも押し付けていた。


 異世界だろうと何処だろうと、時緒は時緒である筈なのに。


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