(※実質)ゼロ点から始まる三条時緒の異世界魔法学生生活

第1話.異世界召喚は大抵急です

 三条時緒は異世界というモノに並々ならぬ憧れを持っていた。


 小学校卒業間際に出会ったアニメや漫画の世界に没頭し、中学二年生を迎える頃には周囲の人間が付いていけない程の執着を見せるまでになった。


 もっとも、「周囲の人間」と言っても時緒自身近しい間柄の知り合いが極端に少なかった為、それをもって「異常」と捉えるべきかは判断の難しいところだし、このようなジャンルの趣味に没頭する同世代の人間はごまんといるであろうが、それでも時緒は自分自身が少しばかり他人とはずれた思考の持ち主だと自覚していた。


 時緒は「異世界」というモノに対し、単なる憧れを抱くだけでなく、その存在を信じていた。そしていつかその異世界に旅立てる人間が現実に現れるとしたら、それは自分をおいて他にいないと信じて疑わなかった。


 理由なんてものはない。


 自分自身が誰よりも強くそう願っているから「そう」なのだ。


 だが、学校生活に不真面目で、素行が著しく幼い彼女を見て、表の熱心さを把握してもその内面に潜む危ういまでの執着心を読み取ることができる人間はそういない。


 多くの人間がただ「子供」だという評価で片付けてしまうだろう。


 恐らく、時緒という少女を一番よく知るであろう母親でさえ、仮に「異世界へ転生する方法が車に轢かれて一度死ぬこと」だと確信が持てた時、時緒が迷わず笑顔で走行中の車に身を投げるような選択をする人間だということを知らない。


 もし、異世界に行けるとしたら時緒は何を犠牲にしても良いと考えていた。それこそ、元の世界がすべて消えてなくなってしまうことになっても。


*  *  *


 気が付けば、見知らぬ地に時緒は立っていた。


「あ……れ……?」


 どうして良いかわからず、もう随分と長く立ち尽くしている。


 道行く人々は時緒の左右を通り過ぎる度に訝し気に目線を送っていた。


 周りは灰色の煉瓦造りの建物が続き、見慣れた店や施設らしき意匠をしたものは一切ない。どれも大きさは違えど似たようなデザインに統一されている。


 そして少し遠くに目をやるとひと際大きい建物が目に入った。同じような色をした煉瓦造りでいくつもの建物が合わさるようにしてそびえ立っている。


 その中央の辺りからは得に大きく高く、一本の棟が突き出しており、そこにはめ込まれている円盤状のものは、


「時計……?」


 確かに文字のようなものが円周に沿って並んでおり、二本の針が円の中心から延びている。だが、時緒は不思議だった。何故、自分はあの円盤が「時計」だとわかるのだろうか。


 確かにその形はおよそ見知った時計の外形を成していたが、そこに刻まれている文字はどれも見たこともない形をしていた。カクカクとした直線と、部分部分に音符の先のような丸い形も見受けられる。


「9時半……」


 でも何故か時緒には分かる。戸惑いながらも時刻を読み上げた。


 特に不可解なのは「知識として知っている」のではなく、紛れもなく「わかる」という感覚。初めから「そういうもの」としてその概念が時緒自身の中に存在していなければ得られ得ぬ感覚。


 ようやく時緒はゆっくりと足を動かし、恐る恐る周りを確認しながら歩みを進めてみた。


 喧騒の中で時折耳に入る人同士の話し声。


 聞いたことのない言語であったが、やはり時緒には何を話しているかがわかる。


 そして何故そうなのかはわからないままであった。


 時緒の隣をまた一人、通り過ぎる。


 不意に何かの威圧感を感じ、時緒は我に返った。


 視界の外から現れた威圧感の正体は大きな牛車。ぎしぎしと音を立てて牛に荷物の乗った牛車を引かせているのは人の良さそうなおじいさんだった。


「あのぉー……」


 時緒は勇気を振り絞り、そのおじいさんに声を掛ける。


「おや」というしゃがれ声と共におじいさんは立ち止まり、時緒に目を向ける。牛車を引いていた牛もまたおじいさんと同様に時緒に視線を送る。


 時緒はそこで初めて気付いた。その「牛」と認識した生き物は大部分が見知った牛と大差なかったが、その角だけは、まるで見たことがない形をしていた。時緒はそれを見て古いロボットアニメに登場するドリルを連想する。


「おや、新入生のお嬢さんかい?」


 牛を見て再びフリーズしてしまった時緒に、おじいさんはそう尋ねる。


「新入生?」


「ああ、ならこの町で合ってるよ。ここが学園都市、アニム・ソフレレェトさ」


 やはり、時緒の言葉もまた相手に通じるようだ。


「あにむ……」


 恐らくはここの地名か何かだろう、そう時緒は当たりを付ける。時緒が全く聞いたことのない単語であった。だが、ようやく対面した「わからない」という事柄に不思議と少し安心してしまっているのを時緒は自覚できた。


「遠い町から来たのかい? 大変だったねぇ。ゆっくり休憩でもできりゃあ良いが、ほれお前さん、入学式はもう始まるんじゃないかい? 確か10時からと聞いていたが……」


「ねえ、その学校って?」


「魔法学校だろうよ。お嬢さん、新入生じゃないのかい?」


「魔法学校!」


 時緒はその言葉の甘美に響きに喚起し、つい叫んでしまった。急な大声におじいさんと牛は揃ってびくりと肩を震わせた。


「魔法……学校……」


 今度は噛みしめるように復唱した。


 先程まで感じていた見知らぬ地での不安や、不可解な感覚への困惑は、遥かそれ以上、強大な感情によって綺麗に塗り潰されてしまった。


「おじいさん! その魔法学校ってどこ!?」


「そりゃあ、お前さん。あんな目立つ建物、迷いようがなかろうよ」


 そう言っておじいさんが目線を向けるのは、先程時緒が眺めた時計塔。


 おじいさんの言葉を待たず、時緒はその夢の地へ向かって駆け出していた。

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