第3話 神様は運が悪い

 夢にしては妙にリアルだった。


 誰か人がいる。

 男性のようだが、辺り一帯深い霧に包まれ、姿がよく見えない。


「私の土地とあなたの土地を交換して貰えないだろうか」


 霧の向こうで低い声がした。


「いいですよ。あの景色は私も大好きなので」

 ノエの声がした。

 口調が違う。


「あれ? あなたも行ってしまわれるのですか?」

 ノエの驚いた声がする。

「ええ。土地を交換するなら私も引っ越さねばなりませんから」

 先程とは違って若い男性の声がした。

「そうですか……」

 淋しそうなノエの声がする。


 少ししてドンドンッ、と何かを叩くような大きな音がした。

 驚いて周囲を見渡すが、深い霧が邪魔して何も見えない。


「地下三尺ほど譲ってくれないだろうかっ」

 別の男性の大きな声がする。

「三尺くらいならどうぞ」

 ノエの優しい声がした。

 でも、その声が一変する。

「話が違うではありませんかっ」

「私は『地下三尺』と言ったのです。あなたが聞き違えただけでしょう?」

「……私が耳が悪いのを知っていて……?」

「とんでもない。私があなたを騙したとでも?」

「違うの……ですか?」

「勿論ですとも。これではあなたが暮らす土地がなくてお困りでしょう? ですから、私の側で一緒に暮らしませんか? 樹木の根も三尺より地下には延ばさないように致しますから」


 顔は見えずとも声の主が笑っているのが分かった。

 その笑みは優しいものじゃない。

 騙してないと言っているが、ノエを騙したことは明白だ。


「ノエ、土地を交換して貧乏になった。誰も会いに来てくれなくなった。やっと人が来たと思ったら騙された。ほとんどの土地が奪われて、ノエは隅っこに追いやられて誰も会いに来てくれなくなった。誰もノエを知らないの」


 コマの声がした。


「カズキ」


 霧の中からコマが姿を現す。

 柴犬みたいな姿じゃなくて、凛々しい狼のような、どこか神々しささえ感じる真っ白な成犬の姿だった。

 全然違う姿なのに声はコマだし、なぜかコマだという確信もあった。


「ノエの願いを叶えて」

「ノエの……願い?」

「ノエはもう……だから……」

「コマ?」

 何を言っているのか段々と聞き取り辛くなっていく。

 夢から覚めていくんだ、というのがなんとなく分かって、何を言っているのか聞き取ろうと焦った。


「……手を……」


 断片的に聞こえるコマの声は必死だった。

 でも聞こうとすればするほど声は遠くなっていく。


「コマッ!」


 目を覚ますと汗をかいてて、なぜか両手を合わせていた。


「あれ? 何の夢見てたんだっけ?」

 思い出さなきゃいけない気がしたが、全く思い出せない。

 なんとなく神社に行けば思い出せそうな気がして、まだ夜が明けきらない外へとこっそり抜け出した。


 祠の前に来ると、コマが祠の後ろから姿を現した。

 その見た目に何か違和感を覚えた。


「コマってそんなっこかったっけ?」

 そう言うとコマは千切れんばかりに振っていた尻尾をパタリと下ろした。

 何か言いたそうに見上げて来たが、何も喋ろうとしない。


「もしかして喋れないのか?」

 そう問うとコマは寂しそうに俯いた。

 夢と何か関係あるのか。

「夢の内容が思い出せないんだけど……」

 そう言うとコマは祠に視線を向けた。


「……ノエ?」


 俺は祠に向かって呼びかける。

 コマの視線はノエに直接訊けという意味だと思ったからだ。

 が、返事はなかった。


「開けていい?」

 問うが返事はやはりない。

「おーい、まだ具合悪いのか?」

 静かで物音一つしない。

 心配になって扉に手を掛ける。

「……ノエ? 開けるよ?」

 一言声をかけてから扉を開けた。


 が、そこには誰もいなかった。

 なーんだ、と扉を閉めて振り返ると、ノエがいた。

 不意打ちだったので思わず「おわっ」と変な声が出た。


「なんじゃ。女子おなごを見て驚くとは失礼な」

「い、いや。今のは突然だったから……」

「突然だろうと何だろうと失礼なことには変わりないぞ。だが、まぁ良い。こんな時間に何用じゃ?」

「夢を……見たから……」

「夢?」

 そう言って小首を傾げたノエは何かに気づいたようにコマを睨みつけた。


「コマ、お前何をした? 喋れなくなっておるではないか」


 やっぱり今朝の夢はコマが関係してたのか。


「ただの狛犬が出過ぎたことをするからだ。で? 何を見た?」

 コマは狛犬のか。

 なんて安直な。


「……具合はもういいのか?」

 なんとなく話題を逸らす。

 だが、俺の質問にノエは申し訳なさそうに視線を逸らした。

「お前こそ……倒れたではないか。怪我はしなかったか? 具合はもういいのか?」

 今にも泣きそうな潤んだ目で見上げられ、なぜノエがそんな顔をするのか分からなかった。


「私のせいで悪かったな」

「ノエの? なんで?」

「私が……力がないから……私の為の祭なのに何もできないから……だから、お前の力を少し分けてもらったのだ。でももう……祭りはこれで最後だ。神様としてもうここにはいられないから……」

「どういうこと?」

「私は運が悪かった。ただそれだけだ」

 ノエはそう言って空を仰いだ。

 つられて俺もノエの視線の先を追って空を仰ぐ。

 が、雲一つない澄んだ明けた空が広がっているだけだった。


「信仰を集められない神様はな、消えてしまうんだ」


 空を見つめたまま、ノエがぽつり、呟くように言った。

 足元のコマを見ると、心配そうにノエを見つめていた。


「消えるって……?」

「信仰が神を神として存在させるんだ。だから、信仰がなくなれば神も存在できなくなる。そういうことだ」

「それって……?」

「人で言うところの『死』……いや、違うな。消滅、無……そんな類のものだ。だからな、お前にお願いしたいことがあるんだ」

 そう言ってノエは俺を真っ直ぐ見上げた。

「お願い?」

「そうだ。私の姿が見えて私の声が聞こえるのも何かの縁と思って……聞いてくれないか?」

 そんな顔をされたら断れない。


「なに、そんな難しい願いじゃない。ただ……一日でいい。人の子のように人の中に交じって過ごしたいだけだ。ここを出て自由に遠くへ行ってみたい」


 神様のお願いってもっと難しいものだと思っていた。

 どんな無理難題を出されるのかと思ったが、人として過ごしたいなんて可愛らしい願いに思わず拍子抜けする。


 が、一つ壁があることに思い至る。


 ノエは俺以外に見えない。


 やっぱり難題かもしれない。

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