第2話 神様は機嫌が悪い

「カズキ」


 女の子も俺の名を当然のように口にした。

 顔色が悪い。

 声も苦しそうだ。

「大丈夫か? ちょっと祖母ちゃん呼んで来る」

 そう言って母屋へ走り出そうとしたが、女の子が待て、と大きな声を出した。

 振り返ると、顔を上げて手招きをしている。


「これから祭りが始まるのだろ? 悪いが少しだけ貸してたも」

 彼女の傍に行くと、もっとちこう、と吐息がかかるほど顔を寄せて来られた。

 小さな女の子とはいえ、かなり綺麗な子だ。

 こんな小さな子にときめくことはないのだが、ちょっといけない気持ちになる。


「悪いな」

 そう耳元で囁かれた途端、力が抜けてその場に膝を着いてしまった。

「私の為に祭りを開いてくれるのだ。願いに応えねば、紛い物とはいえ神様とは言えぬからな……」

 悲しそうな声に俺は「ん?」と思わず声を上げてしまった。


 今、神様って言わなかったか?

 どういうことかと聞き返そうとしたが、急速に眠気が襲って来て気づいたら眠ってしまっていた。



 目が覚めたのは夜七時頃だった。

 気づいたら奥納戸に寝かされていた。

 何があったのか反芻するが覚えていない。

 居間に顔を出すなり、本当に役に立たないんだから、と母親に文句を言われた。

 田舎は夕飯の時間が早い。

 既に全員夕食を終えており、祖父母と母はクイズ番組に夢中になっていた。

 そんな中、俺だけ一人、夕食を摂る。


 母によると、祠の前で倒れていたらしい。

 熱中症か何かかと慌てたが、近づいたら寝息が聞こえてホッとしたそうだ。

 寝不足だった気はしないが、少し怠い。

 気づかないところで疲れが溜まっていたのかな、と軽く受け止めた。


 祭りは朝十時に始まり、集まった数人の氏子達と祖父が祠で祝詞を上げ、家の中の神棚の前に組まれた祭壇で再度また祝詞を上げ、その後は全員で昼食を摂る。

 一応祭りなので酒も振る舞われる。

 その後お茶が出て、四時にはお開きとなる。

 昔はたくさんの人が集まったそうだが、今は数人しか集まらないそうだ。

 この祭りに参加する氏子は祖父母と同世代の数人だけだそうだ。

 あとの氏子達は祭りの前に熨斗袋を持って来るだけだ。

 若い人達の中には「うちは仏教徒なので」と神社の催事には参加しない人も意外と多い。

 仏教徒でも昔は神仏一緒に信仰されていたという流れがある。

 お寺の住職が神社の守りをしているところも多い。

 そうやって氏子が減っていく様は神社の家の孫としては寂しい気もする。

 俺がそう思うのだから親や祖父母はなおのことだと思う。


 何はともあれ、俺が寝ている間に今年も無事祭りはつつがなく執り行われたそうだ。


 田舎の夜は早い。

 祖父母は夜九時には寝る。

 見たいテレビがあったが、田舎にいる間は遅くても十時には寝なくてはいけない。

 なので、九時になると見せの間(通りに面した一番目の部屋)に布団を敷いていると、ふと祠にいた女の子のことが気になった。

 神様だとか言っていたけど、あの子はもう家に帰ったのだろうか。


「なあ、お祭りに小さい女の子とか来てた?」

 母親にそう訊くと怪訝な顔をされた。

「来てないけど、どうして?」

「いや。神社の傍で女の子を見かけた気がしたから」

 少し言葉を濁す。

「あら。じゃあ、もしかして神様かもしれないわよ? うちの神社は女の神様らしいから」

「らしいって……何の神様なんだよ?」

「よく分からないのよねぇ。ただ耳が悪い神様っていうのは昔聞いたことあるんだけど。ほら、お祭りの時とかお参りする時はやたら大きな音を出すでしょう? あれは神様の耳が悪いからなんですって」


 耳が悪い。


 それってあの女の子に当て嵌まる。

 本当に神様だったのだろうか。


「だからね、あんたが子供の頃、一緒に遊んでたっていう近所の女の子。ノエちゃんだっけ? 耳が悪いって言ってたから神様かと思って信じそうになったわ」

「信じそうってことは信じてなかったんだ?」

「当然でしょ。だってノエちゃんは結局、おうちに帰ったんでしょ?」

「おうち?」

「やだ。あんなに仲良く遊んでたのに覚えてないの? あんたと一緒でこっちには遊びに来てただけだったって、帰っちゃった後淋しくて泣いてたじゃない」

 そんな記憶ない。

「母さんはノエに会ったことあったっけ?」

「あら。そういえば、なかったわね。でも綺麗いな子だったんでしょ? 今時、着物着てたって珍しいわよね」


 ノエはやっぱり神様なんだ。

 そう思ったら確かめたくなった。


「ちょっとコンビニ行って来る」

「こんな時間に? お祖母ちゃん達もう寝てるんだから明日にしたら?」

「すぐ戻るから」

 そう言って部屋を飛び出した。

 背後でもう、と母が溜息を吐いたが聞こえないフリをした。


 コンビニに行く、というのは嘘だ。

 外に出る口実に過ぎない。

 俺は真っ直ぐ庭を抜けて隣の神社へと向かった。

 商店街やコンビニが近くにあると言ったって、この辺りは街灯もなく、店が閉まると夜は真っ暗だ。

 月明りだけを頼りに祠の扉に手をかける。


「……ノエ?」


 扉を開いて暗闇に向かって声を掛けるが返事はない。

 人のいる気配もなかった。

 やっぱり神様じゃなくて、神様を騙るただの女の子だったのか。

 そう思った時。


女子おなごの部屋を勝手に開けるとは無礼な奴だの」


 背後で声がし、ビクリとして振り返ると、ノエが仁王立ちになっていた。


「ご、ごめん……」

 ノエの迫力に圧されて反射的に謝る。

「ま、今朝は私の方が悪かったからの。以後気をつけると言うなら許してやろう」

「気をつけます」

 思わず敬語になる。

「ふん。ま、良いわ。具合は良くなったか?」

 ノエの目の前で倒れたことを言っているのだろう。

「もう大丈夫。多分、軽い熱中症とかだと思うし」

「違う。私のせいだ」

「ノエの?」

 聞き返すが、ノエは黙り込んだまま不機嫌そうに俺を見上げた。


「……もう帰れ」

 そう言ってノエは俺を押し退けて祠に上がって中に入った。

「ノエ?」

 そう声を掛けた瞬間、祠の扉が勝手に勢いよく閉じた。

「帰れっ」

 祠の中からは不機嫌なノエの声がして、その剣幕に俺は仕方なく家に戻ることにした。

 なぜ機嫌が悪いのか分からなかったが、ノエも具合が良くなったようで少し安心していた。


 その夜、俺は夢を見た。

 その夢はただの夢じゃなくて、多分、コマが見せたものだと思う。


 俺がノエの為に何ができるのか。


 そんな夢を、見た。

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