本日、神様不在につき。

紬 蒼

第1話 神様は耳が悪い

 日本には八百万もの神様がいるという。


 トイレにも一粒の米の中にだっている。

 至る所にいるらしいが、見たことは勿論ないし、神社でパンパンと手を合わせたところで願いを聞いてもらった試しはない。


 なので信じてはいないが、苦難に陥ると「神様ッ」と縋ってしまうのは仕方ない。


「どうかお願いしますっ」


 母方の祖父母の家は小さいながらも神社だ。

 母屋とは庭で繋がっており、小さな祠のある狭い境内がある。

 小さいとはいえ、大人五人程度が入れるくらいの祠だ。

 田園風景広がる長閑な田舎町ではなく、古びた昔ながらの商店街があるような下町だ。

 毎年七月の最後の土曜日には夏祭りがあり、その手伝いに駆り出される。

 祭りというと楽しそうだが、屋台が並ぶようなものではなく、近所の数軒が集まって神社に農作物や米や酒などを奉納する儀式的なものだ。

 今年もこの祭りの為にこの神社に来ていた。


 今年は高校最後の夏。

 つまり受験生なのだ。

 受験生が神社でお願いすることと言えば決まっている。


「おや、急に信心深くなったかい?」

 熱心に両手を合わせていると、背後から祖母ばあちゃんが声を掛けて来た。

「来年受験があるからね」

「お願い事がある時だけ熱心にしたって無駄だよ。神様はちゃあんと見ているからね。それに作法ってものを知ってるかい? これじゃとてもあたしの孫とは思えないね」

「作法ってアレだろ? 二礼二拍手一礼」

「鳥居を潜るところからやり直しだね」

「そんなとこからマナーがあるのかよ?」

「あるさね。若いのにあたしより忘れっぽいとは情けないねぇ。そんなことより、掃き掃除が終わったなら次は拭き掃除だよ」

 バシッと尻を叩かれ、セクハラッ、と叫んだが、呆れたように深い溜息を吐いて祖母ばあちゃんはそのまま母屋へ去って行った。


「そういや、何の神様なんだっけ?」

 神社といえど祀られている神様は様々だ。

 お稲荷さんじゃないことは知っているが、何の神様が祀られているか一度も聞いたことがなかった。

 そもそもこの神社の名前もうろ覚えだ。

 拭き掃除の道具を取りに戻るついでに何の神様か聞くか、と思い、祠に背を向けかけて振り返る。

 視界の端に『何か』が見えた気がしたからだ。


「着物?」


 祠の中、赤い着物が見えた気がした。

 目を凝らすとやはり誰かいる。

 一瞬、ホラーな想像をしたが、どうやら近所の子供が潜り込んでいるようだと気づいて戸を開けた。


「こらっ。勝手に入っちゃ駄目だろ」

 叱ると中にいた子供はきょとん、とした表情で俺を見上げた。

 ぺたん、と床に座り込んでいたが、黒く長い髪はきっと立ったとしても床に届くくらいの長さがあり、古風な印象を受けた。

 着物も振袖とはちょっと違うようで、儀式めいたものを感じた。

 なので、今年は子供も祭りに参加するのかと思ったのだが。


「勝手に入ろうとしておるのはお前じゃろうが、たわけ」


 小学校低学年くらいのお人形のような綺麗な子だったが、口は物凄く悪かった。


「あのなぁ、ここは祠で神様がいる所なんだよ」

 そう言ったが、子供は無視して体を背けた。

「早くここから出て……」

 言いかけて妙なことに気づいた。

 この子の言葉遣いもだけど、何の照明もないのに祠の中が妙に明るい。

「どうした? ここは昔と変わらぬぞ?」

「昔?」

「よくここで遊んだの、覚えておらぬのか? お前は忘れっぽいのだな」

 そう鼻で笑われた。

「昔って、俺がここで遊んだのは小学生までで……」

 言いかけて記憶を辿る。

 近所の子と境内で遊んだ記憶がある。

 でもそれが男の子だったか女の子だったかさえ思い出せない。

 一人じゃなかったのは確かだ。

 でも、誰と遊んだのかは覚えてない。

 とはいえその当時、この子は生まれてもいない。

 それなのになぜこんなことを言うのか。


「その様子じゃあコマのことも忘れておるな?」

「コマ?」

 聞き返すと背後に気配を感じて振り返る。

 そこには真っ白な犬がいた。

 詳しくないので犬種は分からないが『日本の犬』という感じだ。

 賢そうな顔立ちで尻尾を振って僕を見上げている。

 その犬には見覚えがある。

 どこでだったか、と無意識に天井を仰ぎ見て記憶を辿る。


 ふいに脳裏に鮮明な記憶が蘇る。


「また神社で遊んでたの?」

 母親の呆れた声。

「うん。ノエとコマと」

 そう笑顔で答えると母は決まって困った表情を浮かべた。

「お母さん、あの子大丈夫かしら?」

 心配そうに母が祖母ちゃんに相談する。

「そのうち『見えないお友達』は見えんようになるさね。心配いらんよ」


 ああ、そうだ。

 俺には『見えないお友達』がいた。

 近所の子じゃなくて一緒に遊んでたのは『見えないお友達』だ。


「……ノエ?」


 もしかして、と子供を指差す。

「なんじゃ? 指差すとは無礼だの?」

 不機嫌そうに見上げる顔に思わず半歩後退するが、その足元に犬が擦り寄って来て思わず横に避ける。


 高校生にもなってまた『見えないお友達』が見えるようになったのか。

 それとも幽霊とかそういった類なのか。

 急に気味が悪くなって走って逃げ出したい衝動に駆られたが、子供が辛そうにその場に寝転がったので走るタイミングを逃した。


「だ……大丈夫?」

 問いかけるが返事はない。

 代わりに下の方から声がした。

「大きな声で話さないと聞こえないよ?」

 思わずビクッと周囲を見回す。

 が、辺りにこの子供以外に人の気配はない。


「耳が悪いことまで忘れちゃったの?」


 声がする方を見ると、犬がいる。

 が、理解できない。

 もしかして犬が喋った?

 いやいや。

 怖いけど仮にこの子が幽霊だとしよう。

 神社だしそういうのがいても不思議じゃない。

 今まで幽霊なんて見たことないが、曲がりなりにも神社の孫だ。

 多少なりとも霊感っぽいものが備わってるかもしれない。

 だが、流石に『喋る犬』が見えたらヤバイだろ。

 幽霊だろうと犬は鳴きはすれど、喋らない。

『喋る犬』は夢か妄想だ。

 そんな薬はやってないし、そこまで頭の中はお花畑じゃない、はずだ。


「……コマ?」


 犬を呼んでみる。

 犬ならここは「わんっ」と鳴くはずだ。

 小首を傾げた犬が口を開く。


「なに?」


 やっぱり、喋った。

 テレビのペット番組でよく耳にする飼い主にしかそれと聞こえないような可愛いもんじゃない。

 はっきりと人の言葉を喋った。


「どうしたのさ? カズキ?」


 あろうことか俺の名前を。

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