その9 リベンジ

 作戦決行の夜、デュポン美術館の地下保管室の片隅で、二つの影がうごめいていた。

「なるほど。作品の山で穴を紛らわせたわけか。確かに、これだけありゃ、一つ一つどかして調べるなんてことは難しいだろうな」


 キティとルートの二人は、地下からの侵入口を通って、保管庫の床から入った。そこは、大小様々なオブジェが所狭しと置かれている所だった。キティは器用にオブジェをどかしながら、部屋を出ようとしていた。


「しかし、よくこんな穴一人で開けられたな。やっぱり協力者がいるんだろ」

「ちょっと、静かにしてよ。スタッフがまだ見回ってるんだから」

二人はシャッターが閉まる五分前に来ていた。なぜこんなにギリギリの時間に来ていたかというと、スタッフの巡回をやり過ごさなければならないからだ。巡回はシャッターが閉じられる前に行われる。だから、閉まる直前に来れば、巡回スタッフとは鉢合わせないのだ。

「そろそろ行くわよ。いい?あなたは私について来て。私の足を引っ張らないでよね」

「それはこっちのセリフだって」


 キティは保管庫の扉をそっと開けて外へ飛び出した。その動きは素早く、音も立てなかった。まもなく、シャッターの所にたどり着いた。保管庫の出入り口は複数あって、これはその内の一つだった。

 シャッターはすでに動きだしていた。どういう仕組みかは知らないが、複数のシャッターを一箇所の制御室で動かしているらしい。人はいなかった。二人はシャッターをくぐり抜け、美術館の一階へつながる階段へと出た。


 ルートは、シーグラムに念話テレパシーで連絡をとった。「シーグ、そろそろだ」

「分かった。それでは手はずどうりに」

 キティとルートは階段の先にある通用口で、館内の物音に聞き耳を立てていた。やがて、「屋上へ行け」「あのドラゴンが現れたぞ」と、口々に言う言葉が聞こえてきた。


 次第にその喧騒が静まってきた時「よし、そろそろだな」「ええ」と、二人は扉を開けた。

彼らが目論んだ通り、館内を警備していた人間たちは、皆屋上へ出払ってしまったようだ。そのため、彼らはなんなく二階へ辿り着けた。


「ちょっとおかしくないか?いくら屋上に人員が割かれたとしても、この階に誰もいないはずがない」

「それもそうね。もしかして陽動作戦に気づかれたかしら」

「それなら尚のこと、さっさとやっちまうぞ」

 二人は、即座に標的に向かって駆け出した。彼らは無人の館内を音も立てずに駆けた。そして、目標のものが近づいてきた。二百メートル、百メートル、五十、そしてキティが「ピアノ」に手を掛けた瞬間、怒号が響いた。

「とまれぇぇぇ!!」

 そこには、リュパの鬼警部ことガニマールと巡査が四人、ピストルを構えてルートとキティを取り囲んでいた。どうやら暗闇を利用して、黒布を被って身を隠していたらしい。このことは警戒していたことではあるが、ピストルを構えられては、どうしようもない。二人はおとなしく両手をあげた。不用意に声は出せなかった。うまく逃げおおせたとしても、後から、犯人だとバレる可能性があったからだ。ガニマールは仁王立ちのまま、周囲の巡査がゆっくりと近寄って来た。

「そのままジッとしてろよ。一歩でも動いたら撃つからな」

キティは、早くシーグラムが助けにきてくれないかと思っていた。彼が窓と鉄格子を破ってくれれば何とかなりそうだったからだ。今のこの現状を、隣のルートが連絡してくれることを願っていた。しかし、シーグラムがやって来る気配は無かった。外での喧騒がわずかに聞こえるだけであった。

 もう巡査たちの手が彼らに届くという時、雲に隠れていた月が顔を出し、窓から光を差し込まれた。その瞬間、巡査たちが黒い何かに飲み込まれた。いや、飲み込まれたのではなく引きずり倒されたのだ。カシャンッとピストルが彼らの手から離れる音がした。ガニマールは、一瞬何が起きたのか唖然としたが、すぐにルートに照準を定め撃とうとした。だが、それも叶わず、すぐにガニマールも黒いものに引きずり倒された。ルートはチラとキティに目配せした。彼女はすぐに察し、「ピアノ」をその手にとり、ルートと共にその部屋を出た。

 

 二人は通用口で身を隠していた。

「ちょっと、さっきのあれ、なんなの?いきなり黒いのが巡査たちを覆って」

「そんなことは後でいいだろ。それよりも、早く脱出しねぇと」

「じゃあ、何でさっきシーグラムを呼んでくれなかったの?彼がきて窓を破ってくれたら、私たちで素早く獲物をとって脱出できたんじゃない?」

「たとえそれができたとしても、奴らが撃つ方が早い。だいたい、窓側に立ってた奴に真っ先にぶつかってズドンが関の山だ」

「それはそうだけど…。それで、どうやって逃げるのよ」

「屋上までいくさ」

「こんな混乱してるなかで屋上まで行けるとおもう?!絶対見つかるわ」

「だから、無理やりにでも道を作ってやるんだよ」

「道?」

「シーグがやってくれるだろうぜ」


 その頃シーグラムは大きな絵を盾にして、警官たちを牽制していた。内心は、好きな絵をこのようなことに使うことに心苦しさを覚えたが、絵を傷つけることなく動くことに努めた。そうやって飛び回っている時、ルートが苦境に立たされていることを、念話を通して感じ取った。ルートに呼びかけても、しばらく反応が無かったが、その内に彼からの返答があった。


「どうしたんだ、ルート。なにか厄介ごとか?」

「ああ、ちょっと当初の予定が狂っちまってな。窓を破って逃げ出すってのは中止だ」

「では、どうするのだ?」シーグラムは、ルートからの提案を聴いて、即座に反論した。

「そんなこと、できるわけがないだろう!大体、下にあるものが…」

「だから、お前の能力ちからを使ってだな……」ルートは、作戦のあらましを相棒に伝えた。


「そんな無茶苦茶なことできるか!」

「頼むからやってくれって。こうでもしないと、俺たちが脱出できなさそうなんだ」

「………。分かった…。ただし、二十秒でこっちまで上がってこい。それ以上は難しいぞ」

「分かった。やっぱこういう時のシーグ様だぜ」

「はあ。後で肉を奢れよ…。」シーグラムは渋々了解した。


「それじゃあ、キティ。行くか」ルートはキティを促した。

「行くって?どこに?」

「エントランスに飛び出す。その後は、上に向かって駆け上がるだけだ」

「上に駆けあげるって…、一体」

「シーグが道を作ってくれるのさ」

「え?え?」

キティは得心がいかないまま、ルートに引っ張り出された。


 彼らは展示室を抜け、吹き抜けがある廊下に飛び出した。彼らを探す巡査たちと鉢合わせたが、彼らは二人の方へは目を向けず、吹き抜けの方を見ていた。そしてキティは、彼らと同じ方へ嫌でも目を向けざるを得なかった。その吹き抜けには、まさしく、屋上へと通じる光の道ができていたのだ。いや、正確には最上階の天井に大きい穴が空き、屋上に置かれていたライトの光が階下に向けられていたのだ。そして、天井を壊したことによって出た瓦礫はというと、下へは落ちずに、なんと空中で静止していたのだ。その光と瓦礫による道の先では、シーグラムが下を睥睨していた。

 ルートはキティの手を引き、その瓦礫の階段をポンポンと跳んでいった。キティも、腕の中のものを落とさないように必死にルートの後をついていった。

 下では、数人の巡査がピストルを構えようとしたが、すぐにガニマールが、「やめろ。ブツに当たったらどうする」と止めた。


 あと十秒、八、七、と数えながら、ルートは空中の瓦礫を登っていった。一定時間、この状態を保つだけでも相当の集中力が必要だろうに、それをルート達が登って来られるように配置するシーグラムの技術力には感服するしかなかった。制限時間内にルートは無事、登って来られた。だが、下を振り返るとキティはまだ苦労していた。

「おい、もう限界だ」シーグラムは辛そうに言った。ルートは仕方ないと思い、キティに向かって腕を伸ばした。すると、その腕からは例の黒い紐が飛び出した。それはキティの体に巻きつき、ルートが勢い良く腕と体を引いて、キティを引き上げた。その瞬間、シーグラムが支えていた瓦礫たちは一斉に空を飛び、屋上にドカドカと落ちてきた。

 ルートとキティは、落ちてくる瓦礫を急いで避けた。

「ふざけんな、お前。俺らに当たるだろうが」

「すまんな。下に落とさない一心で上にあげたら、急に力が抜けて…」

「いいから、さっさと逃げるわよ」一行は、とんずらする準備をした。だが、どかどかと足音が響き、一行の動きを止めた。そこには、巡査たちを引き連れた鬼警部の姿があった。

「はぁ、はぁ…。お前、シャノアール、だろ。まさか、そんな味方どもを、引き連れてくるとはな…」ガニマールは、息を切らせながらキティに向かって言い放った。後ろの巡査たちは皆、ピストルなり警棒なりを構えている。


 だがキティは警部に余裕の笑みを向けながら、すばやい身のこなしですぐ背後にあるライトの後ろに回り込んだ。そして、それを警官たちの方へ向けた。彼らは眩しさにひるんだ。その隙にシーグラムは飛び立った。先に彼の足にしがみついていたルートがキティの手を引き、彼女をシーグラムの足の上に引き上げてあげた。


 巡査の一人が空中にピストルを放ったが、シーグラムが飛ぶ方が早かった。巡査たちは口々に、国内全域の警察に通達だの、黒いドラゴンを追えだの指示を出し合っていた。その喧騒の中でガニマールは一人、先ほどまで賊がいた所まで行き、そこに落ちていた黒い塊に指を伸ばした。

「クソッ。ドラゴンの体には泥が塗られてたんだ。これでは、奴の本当の体の色が分からん」と、悪態をついた。



 シーグラムは二人の人間を足に乗せながら、リュパの街を離れようとしていた。ドラゴンの鱗というのは、人間の肌や衣服を簡単に傷つけてしまう。もちろん、足にも鱗はあったのだが、ルート達は、例の黒い紐に捕まっているおかげで、しがみつくことができた。


「それで、満足したかよ、お嬢様」

「計画が狂ってしまったことは最悪だったけど、でも、あの光の道は美しかったわよ、シーグラム」

「喜んでくれて嬉しいよ。私は君が満足ならば、それでいいさ」

「あの作戦を立てたのは俺なんですけど…」

「でも、今回一番体力を使ったのはシーグラムよ」

「へいへい」

「あっ。ていうか、あんた、あのことについて説明しなさいよね」

「あのこと?」

「あの黒いものとか、今私が掴んでいる黒い紐とか」

「あー、それは、まあ、その……。まぁ、どうでもいいじゃねぇか」

「なんで、そうやって誤魔化すのよ!」

「ルート、だから、そう簡単に能力を使うものじゃないと…」

「しょうがないだろ!無事に脱出するためだ」そんな会話をしていた時、シーグラムが、地上に一人の男が佇んでいるのを見つけた。こちらを見ているようだった。

「おや、キティ。もしかしてあれは、君のお迎えじゃないのかね」

「ピ、ピエール!どうしてここに?」

「なんだ?お嬢様のお迎えか?お前、誰にも正体は秘密じゃないのかよ」

「ピエールだけは、あの執事だけは、私の正体知ってるの。……、怪盗稼業は、やめてほしいみたいだけどね」

「誰だって同じことを言うだろうさ」

「でも、ピエールは分かってくれないの。なんで私がこんなことしてるのか、本当に欲しいものはなんなのか…。だから、シーグラム。ここでは降ろさないで。今はピエールとは話したくないの」

「悪いが、それは承諾できないな」

「なんでよ!」

「彼に本当のことを分かってほしいなら、今日の昼間、私たちに話してくれたことをそのまま話せばいいではないか」

「そ、それは……。うぅ…」

「ちょっとは素直になった方がいいぞ。その方が可愛げがある」

「何よ!余計なお世話!」

「話さなければ分からないこともある。それとも、彼のことが信頼できないのか?こうして、君のことを心配して迎えにきてくれている彼を」

「………。分かったわよ!ちゃんと、ピエールと話すわ」キティは、不機嫌そうに、だが、少し吹っ切れたような顔をしていた。

「それじゃ、降りる手伝い、してやろうか?お嬢様」

「別にそんな必要ないわよ。それに、そのお嬢様ってのやめて。バカにされてるみたい」キティは自分の懐からロープを取り出した。

「あ、そうそう」と言って、キティは懐からもう一つ何かを取り出し、ルートに放り投げた。金が入った重い袋だった。

「世話になったわね。泥棒さんたち。あなたたちの盗みも、まあまあ美しかったわよ」

「そりゃどうも。まぁでも、しがない小悪党にはいらない言葉だけどな」

「あなたこそ素直になったらどう?」

「なんだとっ」と返そうとした時には、もうキティの姿はなかった。彼女の姿は、一瞬のうちに夜の街へと溶けていった。

「おーい。早く行こうぜ。捕まっちまう」

 シーグラムは煌々と輝く月を横切るように、一直線に飛んだ。後ろを振り返ったルートの目には、一人の少女と男の姿を、一瞬捕らえたが、すぐに見えなくなった。

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