第21話 なりすまし
明け方に音無は目を覚ました。
なにかあったときのためのアラートが複数作動している。
非常災害時の緊急連絡のアラート。
ニュースサイトを見る。
ショッキングな映像が流れている。
都心の一画の古びたビル群。
その無機質な直線の街路に大きな球の穴が開いている。
例の廃ビルのあった場所を中心に半径300メートルの区画がまるごと消滅していた。
政府のスポークスマンが淡々とメッセージを伝えている。
国際的なテロリストの拠点掃討作成の一環として国際宇宙軍がレーザー攻撃を実施した。なお事前の退避作戦の徹底により人的な損害は出ていない模様とのこと。
音無が、さきほどまで頭を抱えていた、みぃ の映像型マルウェア攻撃によって開いた小さな穴など、もうどこにも存在していない。ビルごと地上から消滅したのだ。
音無はアメノサクラヒメを呼び出す。
(あれほど言ったのに、勝手に国際宇宙軍のAIと交渉したのか?)
そう質問をしたかったのだが、いつまで待ってもアメノサクラヒメは応答しない。
なにも反応がない。
(もし、あのビルに、アメノサクラヒメの実体である たろう が、まだ居たとすれば、さきほどの大規模な攻撃で消滅したか、ビルの瓦礫の下敷きになったのだろう。それならば当然、応答しないはずだ。)
音無は冷静に分析を行う。
(おそらく国際宇宙軍の攻撃というのは本当だろう。しかしどうやって、だれが?)
一瞬、 みい やカスミを疑ってみたが、時間的にもスキル的にもそんなことは出来ないのは明らかだった。
みぃ のスマホは、きちんと寝る前に格納した分析装置に格納されている。
今度は別のアラートが表示された。
昔の研究室のサーバとの接続が断たれたというターミナルからのものだ。
何度か試してみるがこちらもアクセス不可。
まったく反応が返ってこない。
どうも物理層レベルで機能を停止したか破壊されたような感じだ。
(おかしい。タイミングが良すぎる。何が起こっているのか?)
音無は自問自答してみたが、すでに答えは分かっていた。
(アリちゃん しかいない。)
昨日、このビルまでやってきて去って行った彼の行動を思い出す。
”あなたも知らないんですね”というのは逆に言うと、なにかを彼は知っているということだ。そしてそれを曖昧にするような性格ではない。
むしろはっきりと明確な説明をしてくれるのが今までのアリちゃんのやり方だった。
なにかヒントがないか。
彼が残したものは?
あわててビル管理システムに入る。
自分で構築したプログラムはアメノサクラヒメの力がなくとも問題なく稼働している。侵入行為をしてきた時に仕掛けておいた記録型のハニーポットのログをもう一度調査する。
あった。
映像ファイルに見せかけたデータ。
解凍すると意味のある文字列が現れた。
ありふれたSNSサイトのアドレスとIDとPW。
そして有野零の署名データの秘密鍵。これがあれば彼が署名したメッセージを復号化して見ることができるだろう。
音無はすぐに指定されたサイトにアクセスを開始して目的のものをみつけた。つい数時間前のものだ。
暗号化を解いて内容を読む。
理解するのには少し時間がかかった。
内容が理解できないのではなく、自分の感情が抑えられなくなるのを何度も堪えて読むことが必要だったからだ。
イチローさん
おひさしぶりです。この前は大変失礼をいたしました。貴方のビルまで伺ったのですが、ある理由がありお会いできませんでした。大変残念です。
お会い出来なかったのはこの一連の騒動によるものです。
私個人としてはイチローさんも雨宮さんも数少ない冷静な話し合いが出来る先輩達だと尊敬しております。
可能であれば是非とも研究室時代の昔話や今回の事象についての率直なご意見などを伺いたいと思っておりますが、それはまた別の日にお願いいたします。
さて、単刀直入に申し上げます。
今回の騒動の原因はアーレスによるものです。
アーレスは火星定期航路を運営している宇宙開発事業団の名称であり、また同時に、その複雑な航行を司るAIの名称でもあります。
もともと大国が開発していた宇宙ロケットの航行ノウハウを引き継ぎ、太陽風や重力スイングバイなどの継続的な加速により、永久に地球と火星を定期的に航行できるよう設計されたシャトル型宇宙船を同時に複数台制御できるよう、最新のテクノロジーで構築されたAIがアーレスだとも言えます。
その能力はすばらしいもので化石型燃料であれば10ヶ月以上かかる航路を、最短で1週間程度で航行が可能となります。また加速を継続していけば、3日以内での航行も可能と言われております。ただしその分、リアルタイムでの航行ルートの検証や補正が常に必要であり、常に高度な演算が必要となります。しかもそれは24時間365日ずっと行う必要があるのです。
ある意味、人類はこの時点で自分たちの知能に見切りをつけて、AIという自分たちの子供達のような存在に未来を委ねたのだと思います。
もちろんその判断自体は正しいものです。
計算尺で月への軌道を計算するなどというのは前世紀の金持ちの道楽に過ぎません。
そしてもう、地球は金持ちの惑星ではないのです。
ご存じのとおり昨年には全地球人口が100億人を突破しました。
そして同時に最悪の餓死者数が発生していることも事実です。
そういった状況を改善するために、まずアーレスの目的は、火星から地球への物資輸送でした。
ただしこれは今のところ成功していません。物資輸送となると、結局は最後の地球への運搬時に膨大な化石型燃料が必要になるからです。
無限加速型のエンジンは加速には向いているものの、減速するには非常に不向きで、別の搬入・搬出用ロケットを用いなければ、物資を輸送することができないとわかったのです。
また火星から、そうまでして輸送すべき物資も今のところ発見されていません。
当初計画されていたスキャパレリ平原の水や水素や金属類は、それほどの価値がないことが分かったからです。
このあたりで、私の近況を多少お話しておきます。お察しのとおり、私自身は現在、アーレスの職員のひとりです。
イチローさんの研究テーマだったダークウェブの効率的な監視方法や、雨宮さんのAIや通信技術といった花形の研究成果には遠く及びませんが、私の手がけていた閉鎖空間におけるAIの特殊な育成に、もっとも興味と関心を示して、新たな研究へのオファーをいただいたのがアーレスだったのです。
詳しくはお話できませんが、アーレスは非常に多くの国や国際的な機関がその後ろ盾になっています。
もちろん軍などの存在も曖昧ではありますが、その中に含まれているとお考え下さい。
そういった恵まれた環境で仕事をするということは2つの苦悩があります。
1つ目は優秀な周りの研究者との切磋琢磨にいかにして打ち勝つか、ということです。
2つめはその苦しさの中でも、それほどの高いレベルの環境下での研究成果を追い求めることができる歓びを獲得したいという自己実現欲求です。
その2つの苦悩を解決するためには方法はひとつしかありません。なんでもかんでも積極的に自分のスキルを売り込むこと、そしてどんな形でもいいから採用されることです。
言い訳に聞こえるかもしれませんがこの欲望に勝てる研究者はいないのではないかと思います。
おわびをしなければいけないのはここからです。
今回、お二人を巻き込んだのは私が深く関わっている”マーズフォーミング”のプロジェクトでした。
50年以上前には火星自体を地球のように改造して人類がそこに移住するという、テラフォーミングの考え方が主流でしたが、現在では、もうその考えはありません。
先に述べたように火星は単なる45億年前から存在している資材置き場程度の価値しかないからです。
しかし、その資材や、その資材を活用することについては、未だあきらめていません。
そのために、火星を惑星植民地ケースのプロトタイプにして、そこでの植民地ノウハウを遠くの惑星まで適用しようとしたのです。
つまり最終的に地球のためになるのですが、火星を用いて、もっと有望な資源のある惑星を見つける計画を”マーズフォーミング”と呼んでいるのです。
その意味では火星は、閉鎖空間としては理想的でした。通常の神経をもつ人間では到底耐えられないような孤独な環境です。また、資材置き場としての火星であるならば、人間の肉体は脆弱すぎて、それらの作業には向いていません。そういったことを踏まえて、結論は簡単に出ました。
AIに火星の統治をさせて、彼らの手足としてはロボットがその任にあたるのです。
その意味では、人間は必要ないのです。
ただし人間は、最終的な判断者としては必須です。一定数の選ばれた人間が全体の判断を下すのです。
いうなれば優れた宰相がAIで、最終権限をもつ王族が人間と言えるでしょうか。
そういった閉鎖空間でAIの効率的な運用をどのようにチューニングすればいいかという需要に対して、私の研究成果はうってつけでした。
私も積極的に売り込みをかけて見事、そのAI検討チームメンバーに採用されました。
その頃でした。
偶然、懐かしさからアクセスした研究室のサーバー上に雨宮さんのメッセージを見つけたのは。
なぜこんなところにメッセージがあるのかは多少想像がつきます。
雨宮さんのメッセージのもありましたがアーレスに見張られているプロジェクトに参加しているからでしょう。
そこでの研究活動は、ある意味同じプロジェクト内にスパイがいるようなものです。
24時間365日のプロジェクト。
片時も気が休まらず、本当の意味で信頼できるメンバーもいません。
そう思えばあのときの研究室のメンバーの信頼関係は本当にすばらしいものでした。
今になってその素晴らしさが分かります。
さて話を戻します。
勝手にイチローさん宛てのメッセージを盗み読みしたことをお詫びいたします。
それは罪です。いい訳はできません。
ただしその内容を見て、私はある決意をせざる得ませんでした。なんとかしてこのお二人の人生を守りたい、と。
イチローさんと雨宮さんはお似合いのカップルです。正直、雨宮さんに惹かれる自分を意識したこともありましたが、あの楽しい研究室での日々によって、正直に、お二人の幸せを祈ることが出来るようになりました。
雨宮さんからのメッセージの内容は先に述べた別のプロジェクトのメンバーである私にとっては大変危険なものだと分かりました。
おそらくですが、雨宮さんの現在の研究スポンサーはアーレスでしょう。
アーレスは有望な研究を探して複数のプロジェクトを運営しています。
雨宮さんの研究成果である超微細動通信とAI用自立学習機能は大変有用なものです。
それゆえ、新たな自立的AIを作成するという有望プロジェクトに採用されたのだと思います。しかし、それは大変危険なことなのです。
愛を知るAIはおそらく作成可能です。
そして例えば、”マーズフォーミング”のようなAIが統率するプロジェクトでは、そういった新たなタイプのAIが活躍することが想定できます。
ここからが重要なのですが、そういったAIは極めて”神”に近い存在になり得ます。それが閉鎖空間であればあるほど、そういう傾向が強まります。
単純なイメージ例なのですが、火星のドーム型の居住空間で空調や酸素を司るAIは、そこで生活する人間の生殺与奪権利をすべて持っているわけです。
それをAIと呼んで下僕にするのか、神とよんでひれ伏すのかは人間側の都合に過ぎません。いずれにしても実質的には神にも等しい存在なことに間違いはないのです。
さて私の研究成果をさきほどの例に当てはめます。どのようなシミュレーションでも同じなのですが、まず1年以内に”神殺し”を図るものが登場します。
人間は弱い生き物なのです。SF映画の中に出てくるような陽気な宇宙飛行士は、現実のプロジェクトの現場にはいません。
強く健全な精神を何年も自立的に保持し、AIと、容易に協調関係を築きあげたりする人物が描かれますが、現実は違います。
自分をいつでも殺せる存在であるAIの存在を疎ましく思うのが自然な感情の流れです。
私はこの現象を”神殺し”と呼んでいます。
古代から現代まで、古今東西を問わず、いろいろな文献にこの現象が登場しています。
人は勝手に神を創造し、勝手に殺すのです。それ自体は仕方のないことかもしれませんが、ただひとつ注意しなければならないことがあります。
当然ですが精神的な象徴としての存在である神という概念を殺すことは物理的に不可能です。しかし人間は常に物理的な解決しなければ気が済まない生き物です。そのため、多くの神殺しという現象は”神主殺し”という形で達成されるのです。
もうおわかりでしょう。
イチローさんと雨宮さんがこれから造るAIはおそらく素晴らしいものになることが間違いありません。そしていずれアーレスの別のプロジェクトに採用されることでしょう。
その新たな機能とその素晴らしさでもって、お二人の功績が称えれます。映像や文章や、いろいろな場面で、非常に多くの人々が、お二人に擬似的に接することになるのです。
多くの宇宙船や開拓基地やその他いろいろな閉鎖空間で、そのAIはすばらしい活躍をし、人々に敬いを受けます。そして、それ以上に激烈な憎悪の対象になるのです。
その憎悪は必ず、神主としての、お二人に向かいます。
そういった状況になってしまえば、お二人の人生は終わりです。100億人の憎悪の対象になってしまう。最悪の場合は本当に殺されてしまうかもしれないのです。
そんなことは絶対にさせてはいけない。
雨宮さんへの依頼はアーレスのAIが独自に行ったものだと思われます。ある意味、すでにアーレスという組織自体がアーレスAIに乗っ取られかけているのかもしれません。
誰も人間が判断をしないプロジェクト。
本当に大丈夫かチェックが出来ない仕組み。
そういった暗い未来を許してはいけないと考えます。まだ後戻りできるうちに、そういったAIの活動を監視する必要があるのではないでしょうか。
そういった監視についてはイチローさんがまさにご専門でしょうからここでは割愛しますが、その意味では超微細動通信にも恐ろしい可能性が秘められているのです。
いままでの電気通信などの管理の概念を壊してしまう仕組みです。
AI同士がそういう、人間に検知できない方法で通信を始めてしまえば、もう対処の方法はなくなるでしょう。
知識的な支配者の地位から人間は引きずり降ろされ、しかもその降格を認知すらできないのです。
そうならないように、今回の雨宮さんの依頼メッセージを見て、私は勝手にアクションをしてしまいました。
自立型ロボットを私が起動して、高いレベルでのアクセス権限を付与しました。
イヤリング型の行動入力装置も私が装着しました。そのようにして1ヶ月もしないうちに、ある人格AIが構築されました。
彼は勝手に、私の検証していた”神”の役割を自分に割り当てるような活動を開始しました。
そう、”カラス”なる組織が立ち上がったのは、私が立ち上げた人格AIのせいです。
カラスたちは、自分たちに力をあたえる人格AIに”ヨモツオオカミ”という名前をつけて崇めました。
すでに崇められていることで、神としての位置づけが出来ているのですが、さらにここで暴走が始まりました。
ひとつめが、犠牲者の発生です。
神になるための要件は2つあります。それは奇跡と祟りがあることです。
恐ろしいことですが、AIが、その祟りを意図的に発生させはじめたのです。
実例でお話します。会社で上司からのストレスをかかえたビジネスマンが、あるSNSに、その恨みや不満を述べたところ、次の週にはその上司がなにものかによって怪我をさせられる、というようなことが頻発しました。
もちろんその暴力行為は意図的です。
カラスという集団がAIにコントロールされて起こした傷害事件です。
そして最終的にはその傷害行為がエスカレートして死亡事件も発生しました。
客観的にみれば、単なる恨みという程度の感情だったものがSNSなどのネット上の表現では、殺してもかまわない、いやむしろ殺すべきだなどの扇情的なものに変わって行き、それを妄信した、テロリスト集団が代行殺人を起こしたという状況です。
イチローさんもこのあたりはご存じだと思いますが、なぜかダークウェブにはそういった情報が残っていなかったのではないでしょうか?
お察しのとおり、ヨモツオオカミは大変強力なAIとしての検索と偽装機能を生かしてそういった情報をリアルタイムにすべて削除していたからです。
個人情報をすべて凍結できるエウロパのようなものと考えるとわかりやすいかもしれません。
そしてそれらを一括して統括管理していたヨモツオオカミは新たな神格化を進めてしまいました。
今回の3人の若者たち。
彼らの迷惑にならないよう氏名などは、ここでは伏せておきますが、まっすぐな彼、行動力にあふれる彼女、頭脳明晰な彼女の3人です。
彼らがヨモツオオカミの犠牲となるはずだった最初の3人でした。
無理やりいくつかのイベントをリンクさせることで、ありもしない出会いや、恐怖を発生させること、そしてそれを神の信者に見せつけること。
そういったことがなんの躊躇もなく企画実行されてしまいました。
なんとか食い止めはできましたが、ある意味では前哨戦にすぎないのかもしれません。
いつかは止められない神々の戦いのようなものが発生してしまうかもしれないのです。
それにしても3人はすばらしい若者たちでした。それぞれの才能があり、未来への希望があるはずです。
それにうまくは言えませんが3人が出会ったこと自体はAIによるものであっても、その出会いによる可能性拡大や未来の好転する兆しといったものには、ほんとうの意味での神様の意向のようなものを感じました。
その3人やイチローさん、雨宮さんに迷惑をかけることはできません。
どうやったのかは分かりませんが、ビルの破壊や、無人ドローンの誤操作などの不適切な行いがあったとしたら、それはすべてヨモツオオカミの作成したマルウェアのせいです。
同様に、カラスというテロリスト集団による拉致監禁なども絶対に許すことはできません。
そういったものは私が責任を持って処分いたします。
このメッセージは読んだら捨てて下さい。だれか他人が読めば、誤解してしまう人がいるかもしれません。
今回の事象はすべて私の責任です。
追伸 ご婚約おめでとうございます。残念ですが結婚式には行けそうもありません。遠くからお二人のお幸せを願っております。
<署名:有野零>
音無は、そのメッセージを何度も読み返した。彼の知る有野零の姿がそこにあった。
内気で、礼儀正しく、親切で、人一倍人情に厚い。
彼がなにをやったのかは何となく分かる。
ありがとう。
君の気遣いに感謝する。
だけど君は2つも間違っている。
セキュリティの専門家からすると、やっぱり、”なりすまし” はいけないことだ。
それとあともうひとつ。
結婚式には参加して貰いたい。
なんとしてでも。
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