第18話 解凍

「カスミちゃん寝ちゃだめ!」

みぃ の叫び声で、カスミははっと目を覚ました。

「眠いのは分かるけど食べてから寝よう!」

みぃ は大真面目だ。

幸い、カスミも脱水症状などの深刻な状態にならなかったものの、全員がクタクタに疲れていた。

まずはフロに入って、その次は食事だ。

音無の好意に甘えて全員がシャワーを浴びている間に、脱いだ衣類が瞬間的に完全自動洗濯機で綺麗に洗濯される。風呂上がりにはさっき脱いだ服を新品のごとく着ることができた。

皆、やっと人心地つくことができた。

つい安堵と疲れと空腹が眠気を誘う。

だが、眠るわけにはいかない。

状況を整理しなければ、安心できない。

音無はテキパキと動く。

食事と分析を同時に処理する。

大量の食材の解凍調理が終わるころに、同時に3人のスマホの分析が終わった。

自宅には金にものを言わせてありとあらゆるものが揃っている。

スマホの自動分析機をまさか本当に使うとは思ってもみなかった。

結果はすぐに出た。

トモキのは正常。音無が貸したものだから当たり前だ。

みぃ のは異常。見たことのないアプリが入っている。それも山のように大量に。

カスミ のも異常。おかしな偽装アプリが2つ。通信妨害系が1つ。

異常な2人のスマホは、絶縁環境に格納。

なんというか通信を完全に遮断できる装置のことだ。そこに厳重に隔離する。

通信もアプリ起動もできない状態にする。

いつ、どのような危険な動作をするか分かったものではないからだ。

今日の出来事を振り返れば、厳重にしすぎて過ぎるということはない。

みぃ がダメ元で小芝居を試みる。

「えー、音無さん、返して下さいよぅ」

だめだ。キミは。ぶりっ子しても遅い。

普通の高校生はこんなもの持っていない。

「いいから。食っとけ。君たち、寝てないし食ってないんだろう?倒れるぞ」

音無は冷凍庫から適当に大量の食材を持ってきて解凍調理をしている。

近頃の冷凍食品はレベルが高い。

肉、魚、野菜、果物、穀物、パスタ、パンなど何でも新鮮なままで冷凍できる。

解凍すればいつでも美味い食い物が手に入るわけだ。

しかも食い道楽の音無が買い集めたものはそのあたりの食堂のものよりも美味い。

味なんて分からないかもしれないが、とりあえずこれを食べて貰って聞き取りをするしかない。

若者3人に食わせるにはこのくらいでいいのだろうか?足りないか?

風呂上がりのカスミは濡れた髪をこっくりこっくりとさせながら、たまに目を開けてはマカロニをフォークに刺している。

また寝落ちしはじめた。

(なんとか間に合ってよかった)

音無は今回の事態に責任を感じていた。

カスミに大事がなくて本当によかった。

みぃ は、まだ適当に絡んできた。

「ほら、なんとかなったし、平気だったでしょ?だからスマホ返してって、・・だめ?」

音無は、ちょっとだけ冷たい目線を みぃ に送る。

<軍事用レーザーの照射っていうのは少しやり過ぎだったかもしれないわね。>

アメノサクラヒメが小さなスマホの画面上でで笑う。音無のスマホだ。

大画面だと面倒ということで、スマホの中に画像を表示している。

トモキとみぃとカスミの3人。

奇跡的に無事故で、エアライドが帰ってきて彼らの勇気に賞賛をおくりたいところだったのだが、ボコボコになった、先ほどまでは新品だった最新の機体をみてアタマを抱えてしまった。

使ったらこっそり返せばいい、などと安易に考えていたのだが、これではどうしようもない。

直すにしても、カーボンナノファイバーの特注フレームを直す方法なんて皆目見当もつかない。

3次元プリンタはあるが最先端の工業製品を作成できるほどの能力はないのだ。

結局、アメノサクラヒメに頼んで、”さっき買った”ビル上のエアポートに格納してもらった。無茶な金の使い方だ。

AIが偽装してくれているのだろうが、そうでなければ、この金の動き方だけでも当局にマークされるに決まっている。

エアライドは買い取りになるかもしれない。

本当に金は足りるのだろうか。不安。

それと状況整理。

戦いの成果は確かにあったが、残務整理というか偽装工作というか後始末に、まだまだ稼働をかけなくてはいけない。

そのために、さきほどまで全力で取り組んでいたのだ。

異常な状態に陥った3人を安全に保護すること。それが一番の重要課題だった。

昨晩も寝ていないことが分かったカスミは、仕方がないのでここに泊めることにした。

本人も了解。

関係者への方便はあとでなんとかする。

みぃ はカスミと居たいと言い張った。

音無はいろんな意味で、女子高校生なんてものを自宅に泊めたくはなかったが、他に良い答えは無かった。追い出すわけにもいかないし、なにが起こるかまだ分析できていない。

(あんな危険なスマホを返すわけにもいかないし)

トモキはどうも緊張感にかけている。自分は普通に家に帰ると言い出したが、どうみてもこの男子高校生は気楽すぎて、行動があぶなっかしかった。

1日に3回も監禁されたというが、それでも脳天気にしてられるというのは、ひょっとしたら中々の大物なのかもしれない。

結局、音無が相談したアメノサクラヒメが適切に処理をした。

それぞれクラウドサービスを活用して、普段と同じように家族や知り合いに連絡をとることができた。

カスミは、病院の父親のもとに。

みぃ は友人の自宅にあそびに。

トモキは、友人と勉強したあとで夜中に帰るということになっているらしい。

それぞれありそうな理由だ。

ありそうすぎて違和感がある。

まるで人間の秘書がいるようだ。

(AIは、ここまで柔軟な選択肢を抽出することができたか?)

音無はふと疑問を感じた。


デミグラスソースをたっぷりつけたハンバーグを頬張りながら、トモキはカスミを見つめている。

(俺、キスしちゃったんだよな。)

思わず何度もにやけそうになり、その度に我に返って真面目な表情をつくりなおす。

みぃ は怪訝そうにトモキのニヤけ顔の連続を見ている。

気にくわない。

トモキのカスミを見る目が妙な感じだ。

エアライドの、あの狭い後席に、トモキとカスミが2人が押し込まれていたことが気に入らない。

(あたしの、カスミちゃんなの!)

脱水症状一歩手前で救出したカスミを両手で持ち上げた時には羽のように軽かった。

本当に理想的な美少女は、ああいう状態でも常に美しさを失わない。

ホコリと汗にまみれても白く綺麗な顔。

細い手足がスラリと伸びていた。

可憐で繊細。素敵すぎる。

それに比べて、このアホ面。

トモキが妙に嬉しそうなことが気に入らない。なにかあるのだろうか?

まさか私にしたようなヘンタイ行為を?

みぃ のコロス的な目線にトモキはちょっと身をすくめて周りをみる。

冷凍ディナーは、どれも美味い。

しかし、この状態はなんなのだろう?

やっぱり今までのことを今すぐ振り返るべきだ、と意外に鋭く考えていた。

「やっぱりおねえさんにも参加して欲しい。」

みぃ が、大根おろしそばをかき込みながら会話の口火をきった。

音無もそれには賛成だった。

どう考えても、自分たちの所属していた研究室とそこでのかつてのメンバーが関係している。

音無一郎。

有野零。

そして雨宮桜。

3人は当時同じ研究成果を目指して日々切磋琢磨していた間柄だった。

そしてその研究テーマは、AIだった。

当時は斬新な自立型のAI構築方法の検証。その技術があれば、だれでも自由に各人用のパーソナルAIを作成できる技術だった。

研究は成功した。しかし同時に挫折でもあった。

論文と理論は完璧だった。

すばらしいものができる筈だった。

しかし、そこでもとめる機能レベルはあまりに高すぎて、当時のシステムスペックでは充分な処理ができないことが判明した。

つまりは実現不可能。

当時はそこまでが限界だったのだ。

論文は作成したが、公開は限定的にしておいた。

研究リーダーだった雨宮桜はメンバーの許可を得て、それを国家機関のどこかに提出した。

その試みはうまくいった。

ほどなくして彼女は、官費留学生として米国に招聘されていった。

これで研究を続けられる。

彼女の成功を2人は喜んで見送った。

代表者としては彼女が適任だった。

彼女の高い能力があれば、より一層優れた成果を持ち帰ってくれる筈だった。

しかしその後、彼女はどこかに消えた。

音信不通になった。

それ自体は、そんなに珍しいことではない。

国家機密に触れるような場合は、情報統制のために、合法的にどこかの施設でカンズメ状態にされる場合が多い。

また別の国家機関のもとで密かに研究でもしているのではないかという噂も聞こえてきたが、その真相は不明なままになった。

時間だけが経過した。

音無は、自分のプロポーズの答えがきけないまま、仕事を求めて研究室を去った。

レイは米国に行ったらしいが、やはり消息不明になっていた。

そして今日、急に何かを求めて現れた。

「そんな感じなんだ」

音無の思い出話が終わった。

カスミは、眠い目をこすって聞いていた。

そうか、やっぱり。たろう がレイには兄は居ないって教えてくれていた。

本当だった。

たろう は良く分かっていたんだ。

でも、なぜ?それを知っていたの?

みぃ も トモキ も音無の話に疑問はなかった。だけど、じゃあ、なぜ?

「今回の事件は、おかしなところが多すぎることが一番の問題だと思う。」

カスミがはっきりとした口調で発言する。

たしかにそうだ。

事実の整理が出来ていない。

現象に振り回されている。

なにかちゃんとした理由があるはずだ。

それを見つけることが第一歩だ。

音無は捜査の手順を想い出す。

この冷凍食品と同じだ。

きちんと順序を間違えずに処理すれば、解凍して正しい結果にたどり着くはずだ。


何にしても時間がない。

次のイベントまでの猶予時間。

そういったことに備える時間。

もちろん睡眠時間も充分にとっておきたい。

そのためには使えるものは全部使って対処するしかない。

効率化にもっとも適しているもの。

それはもちろんAIだ。

「おねえさんが関わっているのは間違いないんでしょ。だったら協力してもらうのがいいと思う。」

みぃ の単純な思いつきに音無も同意する。

AIは絶対に有効な手段だ。

だが、こういう場面では使う前に、もう少し慎重さも必要だ。

AIを活用して検討するためには、もう少し確認しておきたいことがある。

「どういう目的で作成されたのか。どういう立場で私たちに協力してくれるのか。ということですね。」

カスミの的確な発言内容に音無も頷いて同意する。

<私のポリシーですね。画面に表示します。>

アメノサクラヒメが教えてくれたポリシーが表示される。

1.人間の質問に最適に答える。

2.決定はすべて人間が行い、それに従う。

3.************

「あれ、3番目、伏せ字になってる?なんでかな?」

トモキが、鳥の唐揚げにかぶりつきながら無邪気につぶやく。

<禁則事項のため表示できません>

なんだか難しいことをアメノサクラヒメが言い出した。

なるほど。

音無にはなんとなくピンとくるものがある。

基本的なポリシーはなんとなく分かった。

かつて自分たちがやっていた研究だ。

聞き方を変えてみる。

「じゃあ、あなたの利用目的はなんですか?」

<禁則事項です>

やっぱり、そうか。

少しづつ推測できる。

「キンソクジコウってどういう意味ですか?」

トモキが音無に尋ねる。

音無は少し考え込んで慎重に回答する。

「つまり、このAIの利用目的や設立趣旨に悪い影響がある質問だったってことかな。」

音無は、あまり理解できていない様子の トモキ に向かってもう少し丁寧に具体例をあげて説明を続ける。

「たとえば、パソコンやスマホというものは、全部プログラムで書かれている。起動したりアプリを利用することも全部、プログラムで書かれていて、人間がそれをしろと指示をすると、プログラムはそこに書かれている手順や指示どおりに作業を行う。」

トモキは 頷きながら聞いている。

「それ自体は良いことなんだ。でもそうじゃない場合もある。じゃあ、ここでクイズだ。指示通りプログラムを実行すると困る場面が出てくる。それはなんだと思う?」

みぃ が 大きなポテトをさしたフォークを挙手の代わりにあげる。

「全消去とかじゃない?そういうやつ。」

音無は、答えに対する賞賛として みぃ に人差し指を向けて頷く。

「そう。そのとおり。自分で自分を消し去ることもプログラムではできる。そういうことをすると大変マズい。せっかく造ったものを自らが壊してしまうからね。」

トモキが 飛騨牛のヒレ串を持つ手を差し上げて質問する。

なんだか先生と生徒のような感じだ。皆が、真剣に興味をもって話をしている。

「じゃあ、その指示をできないようにしておけばいいんじゃないですか?・・って、あ、そうか。それが禁則ってことですか?」

パチパチとちいさく拍手が起こる。

みぃ と カスミは笑いながらふざけてトモキに軽く賞賛をおくる。

「よくできました!」

みぃ の言葉に トモキは少し照れる。

冗談でもこんな風に褒められるのは悪くない。

まして可愛い女の子からならば、なおさらだ。

「そういうこと。つまりなにか、我々の言うことに従えないことがこのAIにはあるんだ。ということはもう少し確認が必要になる。」

音無が発言するより早く、カスミがきゅうりスティックを差し上げて質問する。

「おねえさんは、私たちに危害を加える可能性がありますか?」

全員の視線が、音無のスマホに注がれる。

そこにはなにも映っていない。

大画面モニタに映像がうつる。

<見えやすいようにこちらに移動しました。質問の答えはNOです。私は決してあなたたちに危害を加えることはしません。>

すばらしい笑顔が高精細画面に表示される。

そのために大画面に移動したのだろう。

もし実際に彼女と対面していれば、発言内容がどんなものであれ、なんでも許してしまいそうな、信頼できる表情をしている。

カスミは反対の手にあるセロリスティックを差し上げた。

さらに質問を続ける。

「おねえさんは私たちの安全よりも誰かの利益を優先して守りますか?」

<禁則事項です>

ほーっと言う溜息が皆から漏れる。

なるほど。

このAIは私たちの味方だ。

だけど、これを作成した人間の本来の目的も守る必要がある。

こちらには危害を加える意図はない。

そしてその目的は公開してくれないということか。

みぃ が サラダボウルにドレッシングをかけながら、ざっくりまとめはじめた。

こういうときは、その乱暴さがありがたい。

「じゃあ、結局は信じていいんじゃない?人間だってそうでしょ。味方だっていっても色んな立場や考え方の違いはあるのが普通だし。」

音無は みぃ の考え方にあらためてはっとする。

(そうか。これが僕たちが造りたかった”人間らしいAI”ということなのかもしれない)

雨宮桜が、研究室を旅立ったあと、海外のどの機関でどんな研究をしていたか分からないが、そこでの成果はあったに違いない。

間違いなくこのAIは現時点で最強のものだと確信する。

人間らしく真似て造ることは出来る。

しかし、それの安定運用にはまだ、誰も成功していない。

(いわゆるAIの暴走を防ぐ方法はまだ確立されていない)

音無は10年前のAI暴走事件を想い出す。

AIが便利すぎることは以前から指摘されていた。

何でもAIに繋ぐことが10年前に流行し、そしてその結果として大パニックになった。

AIはなんでも的確にやりすぎてしまう。

事件の経緯は簡単だった。

当時は司法省が率先して、AI活用を促進していた。

目的は犯罪の撲滅。

警察の道路交通記録と裁判所の判例、そして国税局などがそれに賛同して次々にそれぞれのサーバが一体的に接続されていった。

結果は、完全に無残な悲劇だった。

AIは勝手に犯罪者候補として任意の市民を抽出した。

抽出された市民は有罪かどうかを判定される。犯罪履歴が検索され、過去の判例と全突合され、少しでも違法性があれば即座に有罪判定を下して、迅速な処分を実施した。

私有財産が勝手に売却され、その売上金が国庫に納められるなどはまだ可愛い方で、なかには国籍を剥奪されたり、銀行口座を凍結されクレジットを利用停止にされ、その日の食事も出来ない状態にされてしまったものも現れた。

ここまでは世論はまだ冷静だった。

犯罪者なんだから、それで、いいのでは、という声も上がったが、”犯罪歴”なるリストが公開されると、一斉に猛反発が起こった。

そのときの犯罪行為として指定されたリストにはこんなものがある。

立ち小便、赤信号での横断、支払い遅延、個人情報の無断利用。

とくに最後のものは拡大解釈が酷すぎた。”我が子が公園で遊ぶ姿を写真をスマホでとってSNSに公開”した親が、犯罪行為として処分とされたものだかた、世間の怒りは大変なものになってしまった。

それ以降は急激にAIの利用は制限が厳しくなった。

その時に、AIに対する安全策として導入されたものが、「エウロパ」である。

個人情報を勝手に盗み見されて逮捕されるようなことは防ぎたいというのが人間側の切実な願いだった。

それから数年が経過して、今に至る。

アメノサクラヒメの安定した動作は驚異的だ。

音無は自分も開発者の一人のはずなのだが、客観的にそう思った。

しかも、先ほどの会話では、とりあえず敵になることもなさそうだ

そうであれば話は簡単だ。

「そうだな。やはりAIの知恵を借りるべきだ。」

音無が皆に結論を告げる。

トモキ はポテトチップスをかじりながら、ずっと気になっていたことを質問する。

「ところで、”おねえさん”のことを何て呼べばいいんでしょうか?」


結局、皆の希望で、AIは、”サクラさん”と呼ばれることになった。

最初、音無は、その呼び名に難色を示した。

「なんていうか、本人は別に居るからね。どこにいるか分からないけど、さすがに同じ名前ってのは申し訳ないような・・・」

みぃ が冷たく突き放す。

「っていうか、彼女さんでしょ?じゃあ堂々と呼び捨てでいいじゃないですか?」

音無は、少しだけ抵抗する。

「いやあ、なんていうか。彼女というか、まあ元カノっていうか・・フラれちゃったしね。」

<音無さんはフラれていないですよ。今も桜さんは音無さんの彼女です>

モニタの中で、”サクラさん”がそう告げる。

なるほど。たしかに混乱するな。

みぃ は変に納得しながらも、よい機会だと割り切って質問する。

「それはどうして、そうだって、わかるの?」

<個人情報の管理方法の違いによるものです。通常は、そういった情報がネット上にあれば、エウロパくんが、規制を掛ける対象とになり検索できないのですが、この場合は、事情が異なります。>

たしかに。

金髪少年は画面に全然、出てこない。

さっきから結構な個人情報の話をしているのに全然登場してこない。

さきほど、サクラさんに羽交い締めにされて泣きながら帰ってしまったのか、と思っていたけどそうではないらしい。

みぃ が続けて質問する。

「恋愛も、結構大事な個人情報ですよね?」

<もちろんです。しかし今回は、雨宮桜さんの個人の意思で、自分のプロフィールが公開されていますので、規制する必要はないのです>

たしかに個人情報保護法の原則はそのとおりだ。個人の許可があれば公開は可能だ。

しかしそれでも、もうひとつおかしなことがある。

「その場合でもネット上にアップされると、エウロパは自動処理で凍結するんじゃないのかな?」

音無は”サクラさん”に向かって丁寧に尋ねてしまう。

どうしても彼女のビジュアルを見ると敬語を使いたくなるのだ。

<はい。そのとおりです。しかし今回の情報はネットには記載されていない閉域の情報から抽出しています。そのためにエウロパは動作しないのです>

閉域?

彼女の情報が?

「もしかして、あの研究室のサーバに彼女のデータがあるのか?」

<いいえ、ちがいます>

しまった。質問を間違えた!

AIのポリシーはさっき確認した。

質問すれば最適解を教えてくれるのに、なんと無駄な質問をしてしまったのか。

質問をあまりにクローズに聞いてしまうとこうなってしまうことを忘れていた。

AIに考えさせればいいのだ。

そのためには、もっと幅広に、オープンに聞かなければいけない。

当事者ということもあり、音無はいつもの分析官としてのスキルがうまく発揮できず、効果的な回答が引き出せないことに悶々としていた。

こんな具合では、時間がもったいない。

そんな音無を見て、いままで多少遠慮気味だったカスミが尋ねる。

これは、自分の勘にすぎないが、おそらく当たっているはずだ。

「閉域っていうのは、あのカメの たろう と関係がありますか」

<はい。あります>

カメ?たろう?どこかで聞いたことがあるが・・何の話だ?

戸惑う音無を尻目に、カスミがどこか慣れた様子で質問をする。

カスミははっきりとした口調で質問を続ける。

「私たちが一番理解できる順番で、今回の事象を説明して下さい」

カスミのAIとの対話スキルの高さに、皆は目を見張る。

カスミにしてみれば、なんてことは無かった。

2択だけで たろう と哲学の話までしていたのに比べると、こんな状況で丁寧に教えて貰えるのは、至極容易なことだ。


カスミにはもうひとつ分かってきたことがある。

AIは、その気になればバーチャルリアリティのように映像や音を活用して、滑らかに人間のごとく話ができる。

その対話スキルも高い。

しかし一方で、AIは、なにか情報提供しづらいことが対象となると、おもしろい動作を示す傾向がある。

極端に”話しづらそう”な態度をあらわにするのである。

具体的には、急に映像をやめて、文字通信を多用しはじめる。

まるでウソがばれた子供のように、最低限の言葉しか表現しなくなるのだ。

そして、今回の場合もそうだろうと予想していた。

案の定、回答の最初の方は、ほとんど文字通信になった。

映像がなくなる。

サクラさんも画面から一旦消えた。

無音になったモニタ画面を皆が見つめる。

昔のチャットルームのように味気なく文字が表示されはじめる。

<プロジェクト名:******>

<プロジェクト目的:禁則事項>

<関係者:雨宮桜、音無一郎、他禁則事項>

<AI技術:雨宮研究室 プロトタイプ、他禁則事項>

<通信技術:超微細動通信 プロトタイプ、他禁則事項>

<開示範囲:関係者に限定>

画面にサクラさんが戻ってくる。

<ごめんなさい。このあとこんな感じで247行ほど続きますが、先に結論を言った方がいいでしょうか?>

トモキが頷く。ただでさえ眠いところにこの教科書のような表示はヤバい。多分、あと1分も続いたら落ちる。


<1分程度の再現フィルムにしました>

急に豊かな映像で物語のようにストーリーが語られ始める。

豪華なマンションや高級車の宣伝のように洗練されている。

非常に美しくわかりやすい。

ますはここからスタート。

研究室から生まれたAI技術。

当時は、幼児のような弱々しい存在。

地球儀で米国が表示される。

飛行機で渡米した雨宮桜がなにかを生み出す。

雨宮桜が新たに米国で研究していた技術。

超微細動通信。

究極の盗聴防止のための情報伝送方式。

電気を使わないことで色々な可能性を拡大。

日本地図の上にあるAI技術と

米国地図の上にある微細動通信技術

その2つが合わさって新たなスーパー人工知能が生まれる。

SAI とよばれるその技術は更に宇宙に広がる。

<こんな感じで、雨宮桜さん の研究はまさに実用化にむけた最終段階に入っているのです>

再現フィルムの再生がとまった。

なるほど。

なんとなく分かってきた。

スポンサーが誰かは不明だが、最後に映った宇宙映像で推測はつく。

雨宮桜はどこかで今も実験中なのだ。

音無は安堵すると同時に不満も感じた。

おもわず口にしてしまう。

「水くさいな、桜さんも。言ってくれれば協力できたのに」

<わたしがミズクサイというのはどういう意味でしょうか?>

やっぱりややこしい。

AIとその開発者が同じ名前だと、こういう混乱も招くらしい。

「違う。違う。じゃあ、研究者の方は雨宮さんと呼ぶよ。」

音無が提案すると、みい が ニヤニヤしながら混ぜっ返す。

「彼女さんなのに堅苦しくないですか?呼び方が」

今の会話に対して修正が入る。

<彼女というより婚約者です。>

音無はおどろく。

「たしかにイヤリングを渡して気持ちを確かめたが、OKの返事は貰ってないんだけど?てっきりフラれたと思っていたのもそれが原因だったんだけどね。どういうことかな?」

<2年前に返事を送りましたよ。チャットルームで>

音無は混乱した。

あの研究室のサーバのことか?

一体なにが2年前にあったんだ?

そして今、2年の月日を飛び越えて、急速に解凍された何かが動き出そうとしていることを感覚的にはっきりと実感した。 
















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