第17話 AI
カスミの映像が切れた。
頭の中がパニックになった。
トモキは叫ぶように尋ねた。
「音無さん、AI使えないんですか?」
地下室とそこで監禁されていたカスミ。
みぃ はスマホを握りしめた。
(ダメだ。映像型マルウェアは対象を実際に捕捉しないと使えない!!)
自分のことなら我慢できるのに、カスミがあんなひどい状況にあるのはたまらない。
なんとかしなければ。
音無もあせっていた。
(ダメだ。使えない。反応しない!)
アメノサクラヒメからの応答がない。
この1時間というもの全く応答がなくなったAIをなんとか遠隔起動しようと苦心しているのだが、手応えがない。
(ネットワークから切断されたとしか思えない)
再起動しない仮説はいくつか思いつくのだが、だからといって、それでどうすることもできない。
「さっきレイにつかった仕組みは使えませんか?」
トモキはいろいろと思いつくが、残念ながらどのアイディアも的外れだった。
(あれはビル管理用のローカルプログラムにしかけた全体記録装置にすぎない。そんなもの今は役にたたないんだ。)
「すまない。あれは使えないんだ」
汗がにじむ。
胸が緊張でドキドキする。
この数ヶ月間、DEAの業務でも、私的な実験でも、いつも傍に超強力なAIがいた。
頼りになる相棒の存在。
それが、あらためて大きく感じられる。
その相棒が居ないとなると・・・
不安。あせり。混乱。
まったくのAIサポートなしでどこまでやれるか自信が揺らぐ。
急に みぃ が大きな声をだした。
「みんな!画面みて!!」
さきほどはレイに占拠されていた大型テレビモニタに人間が映っている。
黒髪の綺麗な女性だ。
どこか木々の茂る草原のような場所だ。
彼女が笑顔でこちらを見ている。
「やったぞ!復旧した!」
自分でもおどろくほどの大きな歓声が漏れた。
音無はコンソールを素早く叩き音声応答に切り替える。
「大丈夫?機能は正常ですか?」
<はい。大丈夫です。問題ありません。>
みぃ は画面をみて、瞬間的に理解した。
レイが言っていた”兄にひどいことをされた女性”というのは彼女なのだろう。
レイの兄が、ほんとうに音無なのかどうかは分からない。
質問したいが時間がない。
それよりも。
声に出して聞く。
「カスミちゃんはどこにいるの?」
瞬間、画面に地球儀と日本地図が表示され、すぐに拡大された。
座標と地名・ビル名も表示される。
トモキはビルの外観をみて気づいた。
「カラスの巣 だ。まだあそこにいるんだ」
音無はAIの復旧によって少し冷静さを取り戻した。
なにかおかしい。
さきほどの地下室の映像を思い出す。
「ビルのどこにいるのですか?」
ビルの上層階に赤い点が示される。
精緻な場所や階数は不明。
なんらかのモニタリング機器のデータによる推論結果だ。
トモキが大きな声で反論する。
「違う。僕たちはビルの地下にいたんだ。」
みぃ が冷静にAIに質問する。
「そこはどういう状況?スマホはつかえる?」
瞬間的に回答がくる。
絶望的な状態だった。
>登記簿で検索
ビルはすでに廃墟になって10年以上
>納税状況を検索
25階建だが誰も入居者はいない。
>500メートル先のインテリジェントビルからの望遠赤外線映像を解析
エレベータだけが自家発電で稼働中
>都市計画マップから検索
電気・水・ガス・通信などのインフラはすでに停止中
「カスミちゃんのスマホは?」
AIがカスミのスマホを検索しようとした途端、画面に警告が表示された。
大型モニタ画面に変化が生じる。
制服のようなきっちりとした服装。
年は10代前半のようにみえる。
金髪に端正な顔立ちのアングロサクソン系の美少年がいる。
黒髪の女性の横に、いつの間にか割り込んできている。
にっこりと微笑みながら、口調は淡々としたままで、外国人の少年が”流暢な日本語で”話しかける。
<私はエウロパです。個人情報の無断利用は禁止します>
トモキは固まった。
みぃ は画面をにらみつけた。
音無はターミナルの操作をやめて画面に見入る。
(おどろいた。はじめて見た。)
AIが擬人化して話しかけるというのは、国家機関の上層部から漏れた情報からなんとなくは、聞いてはいた。
高度に発達しすぎたAIのアウトプットが画面のテキストだけの表示では情報量が少なすぎるために、いつの間にかそうなったらしい。
だが、実際にその映像を見たのは初めてだった。
黒髪の女性は、アメノサクラヒメ。
金髪の制服の少年は、エウロパらしい。
妙に堅苦しい会話内容がなければ、どこからみても、実際に2人の人間がどこかの美しい高原で対話しているとしか思えない。
沈黙が破られる。
みぃ がブチ切れた。
「ばっかじゃないの!邪魔しないで協力しなさいよ!!」
個人情報がなによ。
そんなのなくてもヒントはあるはず。
「おねえさん。もっと情報を下さい!」
アメノサクラヒメに追加でお願いする。
カスミのいるビルの状況が画面で変化する。
5百メートル先のインテリジェントビルから遠隔で望遠夜間カメラを起動する。
ブラインドもないビルの上層階を窓ガラス越しに手がかりを探る。
なにか映る。
最大ズームで画像処理をして表示。
明るさが調整される。
安全管理上の防災モニタの一部が生き残っているのだろう。
数値を読み取る。
>気温摂氏41.2度
>湿度 80%以上
夜間でも涼しくはない季節だ。
無人ビルとしては特に問題はないのだろう。
しかし中に人間がいるとすれば問題だ。
その状況なら30分もすれば脱水症状なる。
熱中症になれば最悪、死ぬこともある。
「ここから操作してエアコンとか動かせないの?」
みぃ の考えに音無が首を振る。
(遠隔でなんでもできるインテリジェントビルは5年以内に建築されたものが多い。あんな数十年以上前のものでは遠隔での操作は無理だ)
トモキがはっきりとした大きな声で告げる。
「行く!助けに。そこに行こう!」
みぃ が同意を示すように頷く。
「使えるもの何でも持っていこうよ!」
音無は堅い表情でAIに尋ねる。
「一番早く行ける方法は?」
AIが順番に答える。
アメノサクラヒメが画面越しに話しかける。
<トモキさんは 勇気がありますね。大事なことですがそれだけでは厳しいですね。>
次に みぃ に語りかける。
<みぃ さんは武器を持っていますね。そのスマホを上手く使ってください>
次は音無だ。
<イチローくんは、お金持ちなので、これくらいの贅沢はゆるされるよね。>
突然、窓の外の闇が消えて明るくなる。
大きなファンが回るような音がして、マンションの外の開けたテラスに1台のコンパクトなマシンが着陸した。
(エアライドか。たしかにこれなら渋滞はない。あのビルまで5分で行ける)
音無は目の前の実験中のプロトタイプマシンを見つめた。
今月、やっと公共実験を開始したばかりの次世代の交通機関だ。
この数年間、国土交通省が力を注いで開発を進めていたはずだ。
2人乗りで、空中を進む、大型のドローンのようなマシン。
自動操縦されて目的地に安全に到着する、との触れ込みだ。
しかし、実験用の機体は10億円以上で、利用には百万円単位の金がかかるはず・・・
アメノサクラヒメと目が合う。
彼女は優しくゆっくりと頷く。
まあ、いいか、こんな時のための大金だ。
音無は割り切った。
今は、AIのいうとおり金なんてどうでもいい。
(だけど、イチローくんってのは、やめてほしかった)
サクラさんの意思がどこまでAIに含まれているのだろうか?
音無はもう確信していた。
アメノサクラヒメを作ったのは、僕と、サクラさんの協働成果だ。
(なぜ閉域だったものが、ネットに接続されたのかは未だに分からないけど)
みぃ の視線に気づく。
おそらく、色々聞きたいことがあるのだろう。当然だ。
こういうことは子供に気を使わせてはいけない。はっきりとしておこう。
「すまない。あとで無事救出してから、ちゃんと話をさせてくれ。」
みぃ が小さく頷く。
「搭乗準備。最終確認は僕がする。」
音無がなれた口調で告げる。
今は救出に集中だ。
緊急時の捜査手順を思い出す。
これまでの経験で体にしみついた手順だ。
ネットワーク捜査で絶対に必要なアイテムを確認。
まずスマホだ。
出発しようとしている二人のスマホを検査する。
エアライドの管制システムは高性能で衛星通信もできる優れものだが、それ以外にも複数の連絡手段を確保したほうがいい。
音無のスマホと みぃ のスマホを連動させて自動的にチェックシークエンスに移る。
チェック。
判定。
アラート。
特殊な状態であることを示す表示。
通常ならばNGだが。しかし。
みぃ のスマホにはなにか仕掛けがありそうだ。
一瞬どうしようか悩んだが、そのまま返す。
音無は、首を縦に降った。OKだ。
みぃ が不敵な笑みをうかべた。
(さっきもここまで勝手にあがってきたし、この娘にはなにか能力がある。)
みぃ の行動力に期待すべきだと感じる。
アメノサクラヒメも”武器”と言っていた。
トモキのスマホはさきほど音無が貸したものだ。それを、そのまま貸す。
チェックは不要だ。
「なにも特殊なことはできないけど、通信は正常に使える」
トモキがうなづく。
<目的地をインプットしました。出発してください>
アメノサクラヒメのきれいな声が伝わる。
そういえばエウロパはどうしたのか?
個人情報は使えるのか?
どうすればいい?
音無が振り返ると、大画面の中で、アメノサクラヒメが後ろからエウロパ少年の目を両手で目隠ししている。
よくみると少年の耳には、いつの間にかヘッドフォンが装着されている。
目と耳を奪われた少年はさきほどまでの堂々とした態度とうってかわってフラフラと揺れているようだ。
音無の視線に気づいたアメノサクラヒメが、少年の耳を覆っているヘッドホンに目線を移しながら、涼やかな声で語りかける。
<アイネ・クライネ・ナハトムジークです。良い曲ですよね>
黒髪美女は、楽しげににっこりと笑う。
どうやったのか分からないが、これで、しばらくは個人情報にもアクセスできるはずだ。
トモキ と みぃ がエアライドに乗り込む。2人乗りだが広くはない。
「出発!」
みぃ の声でマシンが一気に上昇した。
あっという間に音無の高層マンションが小さくなる。
夜景が広がる。
自分が宇宙にいるような感覚。
浮遊感を感じる。
高度を上げて目的地まで一直線に下降して速度を稼ぐ航法らしい。
トモキは目のやり場に困っていた。
なんで みぃ が前席に乗ったのか分からない。
どういうわけか前席のほうが後席よりも上部に座席がある。つまり同時に2人が乗車すると、その気もないのに後席のトモキは、じっと女性の尻を見つめているような状態になってしまうのだ。
空間は最小になっているのだろう。
とにかく狭い。
おまけに みぃ は制服を改造してミニスカートのようにしているから、色々見えたり、見えそうになったりで、なおさら男子としては困ってしまう。
みぃ はトモキの苦悶に気づかず、テキパキと音声で指示を機体のAIに出している。
最新式らしく指示への反応が早い。
「全方向みえるようにして!」
360度球体スクリーンに変わる。
本来は真っ暗闇の筈だが、昼間と同じようにはっきりと景色が見える。
みぃ のスマホを持つ手に力が入る。
よし、これで映像型マルウェアが使えるはずだ。ってどんな機能か本当は良くしらないけれど。なんとかなるはず。大丈夫!
トモキは心臓が高鳴るのを感じた。
少々高所恐怖症の気があるのだ。
全面がスクリーンになったため、まるで空中を浮遊して高速移動しているような気持ちになる。とても下は見れない。
みぃ は全然平気そうだ。
「最高速でぶっ飛ばして!」
モーター音のような推進機関の音が一段と大きく甲高くなる。
機内の空調や乗り心地は快適だ。
推進機関の音が聞こえる。
リニアモーターカーよりもやかましくて、飛行機よりは格段に静かな感じだ。
<あと3分で到着予定>
トモキは恐怖と照れ隠しを混ぜたように大声で話かける。
「あのさー。よく考えたらさ。」
「ん?何?」
「俺たち、連絡先も知らないんだね。」
たしかにそうだと みぃ も気づく。
一連のドタバタで睡眠も不足気味でテンションもおかしな感じになっているため気づくヒマすらなかったのだが、後席にいるトモキの住所も名字もしらないのだ。
連絡先すら交換するヒマがなかった。
「じゃあ、教える。私のは・・」
「あっ、ごめん。僕のスマホ、とられてるんで登録できないんだった。」
ああぁー??
不満を表す咆哮を みぃ があげる。
振り向くとずいぶんとトモキが下の方にいる。
「なんであんた、そんなトコにいるの?」
トモキが返事をしようと顔をあげた拍子に、大きくエアライドが下降し始めた。
前のめりになり、顔を みぃ の尻に思いっきり埋めてしまう。
や、やわらかい。
トモキは自分の思考を呪った。アホか俺は。
「わ、す、すいません。ごめんなさい」
トモキが謝るが、みぃ は耳まで真っ赤にして前を向いている。
「ごめん、ってば。わざとじゃないです!」
「わかった!ていうか今、しゃべるな!鼻と口を動かすな!キサマ!後でコロス!!」
<あと2分で到着予定>
静かに管制システムが告げる。
アメノサクラヒメから交信が入る。
<カスミちゃんのスマホの機体番号とSIM番号が分かったわ。>
<発信信号から、ビルの21階から25階のどこかにいることが分かったけど、ロックされているみたいでそれ以上の情報が取れないの。もう少し手がかりが欲しい。あと15分以内にみつけないと生命が危険な状態になる可能性があるの>
トモキは、急にひらめいた。
「おねえさん!カスミちゃんはアイドルなんです!!それでフェフフゥ・・」
まともに息をするとセクハラで訴えられそうだ。すこしでも動かさないようにしなくては。
みぃ が身をよじって抗議する。
「今、口をきくなっていってるだろ!ヘンタイ!」
<おしえてくれる?アイディアを>
みぃ に心の中で謝りながらトモキが続ける。
「ファンに情報を漏らして探させるってのはどうでしょうか?フガァ・・」
「動かすなって!キモい!」
<キモいアイディアだけど、効果的だと思うわ。今、早速イベント用のサイトとアプリをつくって集客をかけたから、トモキくんのスマホに送ったのを見ておいて。>
今話したばかりなのに。
もう作ったのか。1秒も経っていない。
エアライドが水平飛行戻る。
やっと姿勢が元の位置に戻る。
みぃ が追い払うように身をよじる。
あわてて顔をひっこめる。
もうすこしさっきのままでも・・・
トモキは本当に自分はアホだと思う。
こんなときに何いってるんだ俺は。
しかし良い匂い・・とか言ってる場合か!
首をふって正気に戻る。
スマホを出してアプリを見る。
<カスミちゃんをさがせ!>
廃墟ビルの地図と、先に見つけたファンに送られる特典が書いてある。
特典は・・・
いかん。これは、いかんぞ。
トモキはあせった。
「後ろにいるヘンタイくん!わたしは別のアプリを操作してるから、なんて書いてあるか教えなさい!!」
言えない。こんな真剣な みぃ には言えない。
「フツーの募集サイトだった。先着10名にサインを差し上げますってさ」
AIのおねえさん、どんな企画を立案しちゃったのかと不安になる。
音無さんの知り合いなのは間違いなさそうだけど、元々のモデルとなった女性はかなり変わり者なのかもしれない。
みぃ は忙しくスマホの映像型マルウェアを操作しはじめた。
もう1秒も無駄にできない。
遠くではあるが、すでに目的地のビルが見え始めている。
エアライドが画像を補正してくれるから暗闇とは思えないほど鮮明だ。
スマホに映像を映す。アイコンを選択する。
指ではじいて、ビルに向けて何かを飛ばす。
さっそく効果が現れた。
広告用のドローンバルーンが、みぃ に制御を奪われて猛烈な勢いで廃ビルに突っ込み始めた。
広告ドローンについている夜間用のLEDが曳光弾のように次々とビルに注がれる。
何条ものレーザーのようだ。
猛烈なスピードで窓ガラスを割ってドローンが次々とビルの中に転がり込む。
新鮮な空気が廃ビルに流れ込む。
<22階 25度に温度低下>
<23階 27度に温度低下>
なんとかこれで体温上昇をふせげるはず。
次、突っ込め!!21階!!
もういっちょ24階
そして25階!!
頑張って!カスミちゃん!
今、助けにいくからね!
ユウに「帰っていい」といわれたカスミはおとなしくサークルゲートに入り、そのあとはを自動的にエレベーターで運ばれたフロアに到着していた。
予想通りだ。
やっぱりね。
そこは出口ではなかった。
ガランとしただだっ広いコンクリートの床。
無造作に転がる壁材などの残骸。
汚れたガラスごしに都会の夜景が見える。
もう夜なのにここは暑いままだ。
すぐに汗が滲んでくる。
埃っぽい空気を吸い込まないようにハンカチを口に当てる。
トモキくんを逃がしても1人だけの証言なら誰も相手にはしないでしょうけど、2人の証言なら信憑性が格段にアップしてしまう。
だから私はこの廃墟のようなフロアに運ばれてきたんだわ。
都会の誰も興味を持たないような廃墟の片隅。こんなところに緩やかな処刑場があったことにあらためて驚いた。
何十年も前に、人間が出入りしなくなったビルのフロア。
水やきれいな空気や食料などの必要なものが何もない。
おそらく数日で死ぬことになる、とカスミは冷静に判断する。
ここまで私を運んできたエレベーターは完全に自動化されていた。
このフロアにきた途端に、中から押し出された。そういう仕掛けがあらかじめ準備されていた。
一旦降りてしまったら、もう二度とエレベータには戻れない仕掛け。
二度とエレベーターは来ない。
ドアも開かない。
しかもここにはまともに機能する機械もない。ということはAIであってもセンサー類を用いて私の存在を検知することはできない。
急にレイのセリフがよみがえる。
<きみたちはネット上では死人だ>
まいったな。
今はリアルでも死人のようだ。
そして本当に死人になる。
寂しいな。ふとそう思う。
想い出す。
さっきまでの たろう との活き活きとした会話が懐かしい。
昨日知り合ったばかりの みぃ の笑顔が懐かしくてたまらない。
トモキくん ごめんなさい。みんなに会うためには たろう を差し出すしかないと思ったのが間違いだった。
私はなにか間違ったのかな。
少し考えてみる。
間違ってはいなかった。
それしか道がなかった。
どう考えても。
体が熱くなってきた。ここにいてはダメだ。
なんとかして逃げなくては。
くちゃくちゃとガムを噛みながら、男は不満げに鼻を鳴らした。
なんだろうな。
お礼がなかったな。
いくら可愛いといっても礼儀は大事でしょ。
危ないとこを助けてあげたのはボクなんだからさ。
個人的にお礼があってもいいんじゃないのかなあ。
男の考え方は驚くほど自己中心的だった。
自分は絶対に良いことをしているのだと決めつけていた。
熱烈なファンとして彼女を”監視”しているのだって
全部彼女のためになるのだと本気で信じている。
アイドルは追っかけ対策をしっかりとやっている。
例えばスマホなんてものは個人的なものと事務所が貸し出したものを使い分けるのが普通だし、どちらもセキュリティの専門家がしっかりと事前チェックをしている。
簡単にマルウェアなどを流し込めるような余地はないし、そんなことをすれば証拠が残ってすぐに捕まってしまう。
昔と違って個人情報を違法に利用すれば簡易な略式裁判でまず罰金刑が確定して、再犯すれば厳罰に処せられる。
狂信的なファンの中には昔からあるストーキング行為を繰り返す者もいるが、アタマのいいやりかたとは言えなかった。
街中に監視カメラがあり、無数に映像が残っている。あやしい人間が何度もアイドルの近くに出現すれば、それだけで事務所は警察に訴えることができるようになっている。
監視カメラ。
まさにそれが付け目だった。
どこにだって、それはある。
10年くらい前から義務のように全国津々浦々どこまでも監視カメラが導入された。
監視カメラには固有のIDが付与されている。
大昔は色々なメーカーの無数のバージョンの製品が乱立していた。
結果として、様々な脆弱性があり、さらにどこに何の機器が設置されているかを管理することが出来ない無秩序状態となった。
そんな無秩序状態で個人情報を常時収集することは許されない。
特に海外からの要請が強かった。
だから一元的に管理できるようにすべての監視カメラには、出荷時前にIDが付与され、集中的に機器の管理が行われている。
もし、ファームウェアに脆弱性があれば、一斉にバージョンアップツールが配信されて最新の状態で安全に使えるようになった。
俺はそこに目をつけた。
監視カメラは前述のとおり厳重な管理体制がしかれている。
それをなんとかするのは難しい。
しかし脆弱性情報のアラート発信は、なんともショボい中小企業ベンダーが請け負って作業をしている。(みんなは知らないけど)
下請け構造の弊害だが、俺には好都合だった。
中小企業といっても零細という感じだ。
常に忙しい社長である父親とその奥様がCFOの役員を務めているような状態では、だれもセキュリティなんて気にしない。
人材がいない。
かける金もない。
それでも、さすがに定期的な正規の脆弱性情報は、どうにも偽装できないようになっている。
発信元の認証局承認が公的機関から発行されているし、鍵の配布も適正だ。
まあ、つまりは身元がしっかりしていて偽装はできない。
しかしアップデート用の送信コードの中に無駄な空き桁を見つけた。
おそらく将来の拡張に備えての予備だろう。そこを狙う。
オレオレ認証といわれるしくみ。
公的認証のふりをして暗号鍵を自分で生成する。
そしてその公開鍵を受け取るように、何段階にも分けて、慎重に時間をかけながら、全国のすべての監視カメラのファームウェアに追加コードを送り込む。
成功。
何ヶ月も辛抱強く待つ。
ここが大事。あわててはいけない。
事件や報道はされない。
もう一回別の側面からチェック。
ファームウェアの配信手順の変更指示もかからない。
うまくいったらしい。
バレないのは想定内だったが、予想以上に甘いチェックだ。
差分チェックはしているようだが、しょせん差分だけだ。
僅かに改ざんされても人間は気づかない。
チェックする際に最終的には人間が判断しているのが間違っている。
差が無いって思い込む癖があるのに。
システム的にチェックされるとバレる。
だけどそれはない。
全体でのトータルチェックをするようなコストは、パパママショップじゃあ掛けられない。(そんな委託費を貰ってない)
まして大学生の息子がそのチェック係とくれば、ザルのようなセキュリティだ。理系の大学に行っているからといっても息子はプロじゃない。安い小遣いで社長が命令できるってだけのことだ。
プロじゃないやつのチェックは全く怖くない。
予想したとおりに進む。
特殊なコードを埋め込んだままで、ファームウェアがしっかり書換えられてた。
オレオレ認証で随時バージョンアップが出来る仕様になった。
誰も気づかない。
もうこれが公式の仕様ってことだ。
そういうわけで、この3ヶ月、俺は神になった。
どこでもいつでも誰のでも映像や音声をみることが出来る。
だけど、そんなことは実行しない。
俺は愉快犯じゃあない。
ファンなんだ。
好きな彼女だけを見ておきたい。
だから特定の行動パターン=無意識の癖 だけを自動的にセレクションして抽出できるようにした。
カスミちゃんの癖は、ほんの少しだけ右に首をかしげて、左手で少し顎をさわる。
緊張したときにでる癖だ。
コンサートの時には20回以上も出たっけ。
カワイイ癖だ。
良く見ないと気がつかないだろう。
多分俺しか気づいていない癖だ。
たくさん写真を撮って見比べてみた。
映像でもその移動速度や角度などを数値化できるほど何度も見返したもんだ。
それで数値化して設定。
キーが彼女の癖になった。
自動的にサーチする。
これは正解だった。
だから、彼女は助かったんだ。
自宅のマンションは知っている。
エントランスから自室に向かう途中のエレベーターで必ず癖がでる。
可哀想に。疲れているからだ。
失礼なファンが多すぎる。
もっと気を遣うべきだ。
ファンならば。
そうして30秒後にまた自室で着替えるときに、その癖がでる。
だけど、あの日はそうじゃなかった。
エレベータで異常があったのだ。
駆けつけた。
仲間もいた。
どうやって知ったのかは俺はわからないがマンションまでは、なんとか突き止めたファンたちなんだろう。
ファン仲間はいいもんだ。
カスミちゃんの危険を告げると、理由も聞かずに、警備員をなぎ倒して非常階段から駆け上がってくれた。
どういうわけか、その階段の鍵の解錠方法をしってたやつがいたんだ。
アブナイな。
熱心すぎるとおかしなことをする奴もいるんだ。気をつけないと。
だから俺が守る。
そして助けた。
お礼があるかと思ったのに、急に消えた。
丸1日もどこかに行っていた。
心配だ。
だけどお礼は別だ。
礼儀は大事だと思う。
そういうわけでまずは会うことだ。
探して見たけれどダメ。
検索結果も途中で途切れた。
さっきからヒットしたのはここだけ。
こんなところに?
廃ビルの中に居るのか?
あ、まてよ。
やはりそうか。
そういう企画なんだな。
ほらやっぱりそうだ。
公式サイトにリンクがある。
イベントもはじまったようだ。
ファンサイトに告知が来ている。
アプリをみると、懸賞がかかっている。
わかった。
これはファンに対する忠誠心のテストだ。
どこにいるかって?
簡単さ。
望遠の赤外線カメラも俺の配下だ。
ほら、いた。
賞品は俺がもらうから。
ちょうどよかった。
<情報が来たわ。画面に出します。>
エアライドは最新の高性能機器の塊だ。
360度の周囲モニタを使えばまるで自分が宙を舞うように感じられるほど自然な映像が搭乗者の目に自動的にチューニングされる。
必要な情報もおなじだ。
自然の風景の上に、オーバーラップして文字や図形など、そして映像が映る。
廃ビルの23階。
その片隅の日の当たらない床にカスミがうずくまっている。
みぃ も トモキ もそのセーラー服に見覚えがある。
「すごいじゃない!ファンの力。どうせキモい方法でみつけたんでしょうけど、今は褒めたげる!!」
みぃ は興奮して訳の分からない賞賛と侮蔑を口にする。
「どうやって、あそこに行く?」
トモキの質問に答えるより早く、みぃ がスマホを操作している。
<あと30秒で到着します>
「そのまま突っ込んで!おねえさん!!操縦お願い!!」
<承知しました>
え?本気?窓ガラスはさっき破ったけど、それでも窓枠よりこちらのマシンの方が大きい気がする。
トモキの不安に答えるかのように、みぃ が叫ぶ。
「これで、どうだぁぁぁーー!!」
使ったことのないアイコンだけど。
多分これで正解。
太めの紫の矢印アイコンを映像型マルウェア越しにビルの23階の端にセットする。
カスミちゃんの居ない反対側。
クリック。
闇を裂くように光が走った。
紫とピンクの中間のような細い光が上空の3方向から、音もなく、ターゲットに向けて照射される。
交わった中心が白く輝き瞬間的に蒸発した。
静かにビルの端に球体の穴があいた。
充分な大きさの空間にエアライドが滑り込む。
<到着。ホバリングします>
みぃ の行動に躊躇はない。
映像型マルウェアにビルの構造が示されている。
外のフロアは真っ暗でよく見えない。
モニターで見直す。情報が表示される。
カスミの倒れているもうひとつの端まで200メートル。
フロアの高さには充分余裕がある。
これならいける。
「おねえさん。隙間を抜けて、エアライドで、カスミちゃんのところにいける?」
<大丈夫です。もう着きました。>
映像型マルウェアにもう一つの警告が赤く表示されている。
強力なレーザーがコンクリートと鋼鉄を溶かしてしまったため、ビルの構造体にひずみが生じているらしい。
警告。
崩壊まで8秒。
暗いフロアに飛び降りた みぃ がカスミを抱きかかえてエアライドに戻ってくる。トモキがカスミの細い体を受け取る。後席に座らせて自分は床に顔をすりつけるようにして潜り込んだ。
みぃ が飛び込んだエアライドは最高速で離脱を開始したが1秒足りなかった。
24階以上のフロアから重いコンクリの破片がいくつも降ってきて高価な機体にあたる。
エアライドの外郭がへこむ。
ガンガンと何かがぶつかる音がする。
トモキが悲鳴をあげる。
<帰宅します>
アメノサクラヒメの冷静な声が機内に響く。
もう、大丈夫だ。
3人を乗せて、闇夜に白い機体が静かに舞い上がった。
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