第15話 マルウェア

みぃ の前に車が一台とまる。

ありふれたタイプの自動タクシーだ。

スライドドアが空き、乗り込む。

約束通りレイが居た。

怖いから一緒に行きたい!と みぃ が散々ごねた結果だ。

「どんなメッセージが来たか見せてもらえるかい?」

滑らかに走る車中で、レイが要求する。

みぃ がスクワッターの画面を見せる。

<小学生の算数講師バイト募集>

レイはそれを一瞥して、みぃ の顔を見る。

その顔にははっきりと疑いの色がみてとれる。

みぃ は一瞬のレイの表情変化を見逃さなかった。

(やっぱりね。間違いない!)

「あ、ええと、これじゃなかった。」

みぃ は1週間前のスクワッターメッセージを切り替えた。

さきほど急に来た”高額バイト募集”のメッセージをもう一度見せる。

「なるほど。これか。見覚えのあるバイトかい?それとも初見のもの?」

見たこともない、と告げるとレイは みぃ からスマホを取り上げて何か操作し、また、すぐに みぃ に戻した。

みぃ は無意識に左手のブレスレットをレイから見えない位置に少し動かした。

(気づかれるかどうか、それは”賭け”)

自然に無表情になっている自分に気づく。

みぃ だけに分かる程度に僅かにブレスレットが振動して正常動作の完了を告げた。

「大丈夫だ。逆探知できた。発信源は同じ都内だね。まずは行ってみよう。」

みぃ はレイの発言に驚く。

「大丈夫だよ。無謀なことはしない。もちろん武器はある。これだ」

レイがスマホを取り出して、軽く振る。

「ここにいくつかのマルウェアがある。もちろん合法的に作成されたものだ。僕のような立場の者は、緊急避難的に利用が認められている。」

嘘だ。レイは嘘をついている。

不思議と横にいる男が、本当のことを言っていないと分かる。

男の左耳にはイヤリングがある。

みぃ は左耳にあるトモキから借りているイヤリングを外して、そっとポケットにしまった。

横にいるレイの声が左耳を通じて頭の中に響くのが気持ち悪い。

それにさっきイヤリングの機能で”賭け”はうまくいった。もういらないはずだ。

(特殊なイヤリングがなくても、勘でわかる。この人は嘘をついている。)

このまえは落ち着いて見えたのに。

綺麗なビルの一室でのお茶会では、ずいぶん大人でカッコいい人にみえたのが嘘のようだ。

「頼もしいです!ところでカスミちゃんはどこにいるんですか?家ですか?」

「ああ、君たちに伝えたように自宅待機してもらっている。彼女はキミのように出かけていない。」

熱心にレイは自分のスマホを操作している。

完全に嘘だとわかる。

この人は私たちには興味がない。

なにかわからないが、さきほどのポートスキャンの主に会うことだけに夢中なのだ。

(私からカスミちゃんに会いにいくしかない。私が助ける!)

急に車が止まる。

大きなビルの前のようだ。

「ついたよ。ここから地下に入る。」


トモキは、音無の説明を黙って聞いていた。

話は複雑だったが音無の的を得た説明には納得感がある。

なにより本当のことを語っている苦悩が感じられた。

「というわけで今は私を信じて欲しい。かならずキミの友だちを助ける。」

首を大きく上下させて頷く。

「やりましょう。今は、手がかりが欲しいですもんね」

「ありがとう。私も同感だ。相手はもう近くまで来ている。先ほど話したしかけを作動させる。」


頑丈そうな扉が開き、侵入を禁止するバリケードが地面の下に消える。

自動タクシーのディスプレイに”進入許可”と表示される。

レイはすぐに車を前進させない。

スマホのカメラを、頑丈な扉に向ける。リアルタイムの映像が映る。

なにかのアプリのようだ。

矢印やボタンのようなアイコンを操作する。

「なにしているんですか?」

無邪気な高校生のフリは得意だ。

「まあ、保険のようなものかな。気にしなくて大丈夫だよ。」

学校・塾・交友関係のSNS。

そういうものは全部みてるんだよね。

私の履歴はバッチリおさえていると思い込んでいるのね。

IT音痴の みぃ ちゃんってところかな。

ゴメンね。

そういうの私相当詳しいんだ。

みんなリアルに裏路地ショップとか行かないもんね。

さっきのは動作でわかった。

マルウェアでしょう。

おそらくこのビルの施錠管理などを乗っ取るつもりで、管理システムに入り込んだってとこかな。

はい、ここでニッコリ笑顔で。

「ありがとうございます!レイさんといれば安心です!」

自動タクシーはレイの指示どおり、所定の場所に着いた。

専用のカーポートだ。

ドアが自動で開いた。

「ここからは歩きだ。行こう。」


トモキは音無から渡されたターミナルを懸命に操作している。

「来ました!予定どおりです。」

画面に黄色い自動タクシーが映った。

地下にはおよそ1,000基以上の高性能カメラが隠されている。

ビル管理システムがそれを自動的に処理して人間にもわかるように360度映像にしてくれる。

まるでその場所にいるかのように自由に好きな箇所をのぞき込むことができる。

トモキは音無が指定したカーポートを注視している。

車のドアがひらく。

女性が降りてくる。

顔や歩行パターンなどの個人情報は瞬間的にエウロパに凍結され、代わりに実在しない人間を模したCGで作成されたアバター映像が上書きされている。

女性のあとに男がつづく。

当然これもアバター画像だ。


レイはビルの廊下で、またスマホをかざす。

例の映像型マルウェアだ。

みぃ には なんとなくその動作がわかる。

前に興味をもって裏路地ショップで教えて貰ったことがあった。

まず通路や部屋の配置などを記録して、その情報をもとに、ビルの建設会社に侵入して検索をかけて詳細な配置図を入手する。

まずマップを入手するのだ。

どこにいけばどういう部屋があるか、エレベーターや非常階段はどうなっているか。

逃走経路を考えるには必須だろう。

次に通信用の配線と電源配線をハックして、なにかの指示ができるかどうか調べる。

仮にハック出来ても停電などは難しいだろうが、通信用配線を乗っ取って監視カメラの情報を入手したり、電子ドア開錠などに使える可能性が高い。

いつのまにか早足の みぃ が レイ を追い抜いてしまう。

「早く行きましょう。なんだかここ怖くって」

さすがに今のはいい訳ぽいっかな。

不安な表情でカバーしよう。

ちょっとぶりっ子風で。どうだろう。

「ああ、そうだね。大丈夫だよ。ここにはなにもない。進もう。」

仮にも女性が先頭に立っているのに、ずいぶんな言い草だなぁ。

ワタクシこれでもか弱い女性なんですよ。

レイは妙に落ち着いている。

(なにか作戦があるんだ)

レイが みぃ を追い抜いて先に進む。

それが裏目にでなければいいけれどね。

みぃ はおもわずちいさく肩をすくめた。


あっ とトモキは声をあげた。

「これ、やっぱり みぃ です!」

アバター画像を指さす。

「先頭に立って進んでいるし、あと、ここ見て下さい!肩をちいさくすくめています。この異常な強気さ。間違いないです」

音無は頷く。

「やはり みぃ ちゃんのスマホにポートスキャンを仕掛けたのは正解だったね。こちらの意図どおりビルまでたどり着いてくれた。」

「じゃあ、もうひとりの男は」

「ああ、君たちのいうレイという男だろう」

音無は先ほどの検索結果に驚いたが、今では冷静になっていた。

本来なら、人物を特定できるような個人情報の画像など、ネット上にはないはずなのだ。

では、さきほどの画像はどこからきたのか?

簡単な答えだ。

アメノサクラヒメは、あの画像を研究室のサーバーから取り出したのだ。

彼女がふざけて撮影した、在りし日の、研究者たちの写真。

音無一郎と有野零。

音無が1年先輩だったが、妙にウマが合い同期のような関係となり、すぐに友人になった。

彼女は、イチローとアリちゃんと呼んでいた。

そのせいで音無もつい、アリちゃんという呼称で彼を呼んでいた。

アリちゃん、きみはなにがしたいのか?

彼女と3人で同窓会をひらくはずだったのに、きみは急に海外に行ってしまった。

噂では先に米国に官費留学した彼女を追いかけていったとも聞いた。

彼女もどこにいるのかわからない。

きみはアリちゃんなのか?

皆で旧交をあたためられたらいいのに。

今、なにをしているのか?

疑念。不安。そして期待

もしかして俺を捜査しているのか?

それとも俺がきみを捜査しているのか?

わからない。

ただ、懐かしい。

どんな形でもいいからきみに会って話がしたい。

だからこのビルに呼んだ。

大丈夫だ。

とくに罠はない。

お互い、会って素直に話せばきっとわかってくれるはずだ。

「エレベーターに乗りました。予定通り直通のやつです。あと13秒でこのフロアに来ます!」

トモキが大声で教えてくれる。

音無はたちあがり、鏡をみて、上着の襟を正した。

「じゃあ、トモキくん。予定通り行ってくるよ。あとは頼む。」

そういって音無は予備のスマホをトモキに渡した。

「なにかあればこれで連絡を」

トモキがこくんと頷く。

自動ドアをあけて、音無は豪華な廊下に出て目的地に向かった。


エレベーターが53階を超えたあたりで、レイがスマホに語りかけた。

ちいさくなにかつぶやく。

みぃ には何を言っているの聞き取れなかった。外国語だろうか?

次の言葉ははっきり聞こえた。

「プランBで行く。やってくれ」

急にエレベーターが失速して停止した。

明かりが非常灯に切り替わる。

エアコンが停止して急に暑くなる。

高層階は上ほど暑さがたまりやすいのだ。

「大丈夫だ。このビルの制御は完全に掌握している。敵がどういう形で私たちをおびき寄せているとしても問題ない。」

みぃ は少し悩んだ。

いま、この男をスタンガンで倒すべきだろうか。それとも。

「はい!ついていきます!!」

ちょっと緊張したような顔つきで。

”感じ”がそうしろと告げている。

もうしばらくおとなしくしておいた方がいい。たぶん。

「ああ、あとそれと、今、このあたりの電源を無理矢理に停止させた。キミのスタンガンもその影響で動作が安定しないはずだ。気をつけてくれ。」

あぶなかった。

電圧のたりないスタンガンなんて何の意味もない。

停電だって。信じられない。

だけど、おそらく、レイの言うことは本当だ。

どうもこのビルの巨大な電源をのっとっているようだ。驚いた。

思っていたよりレイのマルウェアは強力なものらしい。

こういうインテリジェントビルは、ビル管理会社の開発したAIで何重にも守られている。

さらに複数のビルが相互に連動して必要なサービスを提供するようになっている。

停電時もそうだ。

それぞれのビルがは相互に自動給電を行う。

また地下にある強力な発電タービンが1ヶ月は動作して自家発電もできる。

太陽発電や、近頃はじまった月ヘリウム発電も利用できるため、通常であればビルが停電することはまずありえないのだ。

みぃ も停電はないと踏んでいた。

そんなことはできないはずなのに。

レイのマルウェアはいったいどこで作成されたのだろうか。

さきほど指示を出していた相手だろうか?


音無は廊下を進み、エレベータの前で異変に気づいた。

来客が旧知の仲と思い込んでいた彼にはショックな出来事だった。

自分のスマホからトモキに語りかける。

「なにか仕掛けてきたようだ。その部屋から出ないようにしてくれ。そこにいれば安全だ。」

音無の声が予備スマホから聞こえる。

トモキは急に明かりが消えた部屋で不安げにターミナルを見つめていた。

おそらく音無の用心深い対策のおかげだろう。自室のバッテリー駆動でターミナルと通信回線は生きているようだ。

スピーカーから音無の指示が聞こえる。

急に壁掛けテレビの大画面がONになる。

部屋の照明が点灯する。

<やあ、音無さん。お久しぶりです>

ロボットのような人工の音声に、エウロパに加工されたアバターの像が語りかける。

トモキにはそれがレイだとわかった。

みぃ の姿は見えない。

レイがこのビルのどこからか放送のようにこちらにメッセージを送ってきているのだ。

トモキはとっさに予備スマホを手に取り、壁掛けテレビの画面に向けた。

<10年ぶりくらいですか?いやそんなには経っていないかな。ああ、エウロパのせいで分かりづらいですね。ちょっとお待ちを>

画面のむこうでなにか操作をする。

突然画面がクリアになる。

レイだった。

トモキたちが会っていた時とは少し雰囲気が違う。

アバター画像では分からなかったが、高精度のモニターのおかげで、どこか陰鬱な感じもみてとれる。

<やはりあなたでしたね。>

レイは一方的に話し続ける。

エウロパの加工がなくなり皮肉めいた口調も聞き取れるようになっている。

<単刀直入に聞きます。彼女はどこです?>

トモキにはなんだか分からなくなった。

音無とレイがそれぞれ教えてくれた彼らの過去に出てくる彼女のことは聞いていた。

しかし2人ともどこに彼女がいるのかは知らないようだ。

一体どちらが本当のことを言っているのだろうか。

しかし今は音無を信じるしかない。

事前に決めたとおり、トモキはターミナルを操作する。

画面の向こうでレイが、怪訝そうな顔を浮かべる。

こちらの動きがわかるようだ。

<そうですか。このビル自体が巨大なハニーポットだったんですね>

トモキは音無に言われたとおり、自動的に記録するようにAIに指示を出していた。

アメノサクラヒメはその強力な機能で、レイが乗っ取っているビル管理システム自体を丸ごと記録し始めている。

同時に高速で分析と対策をしているようだ。

<そうか、こういうことをする、ということは、あなたも知らないんですね。>

レイは少し寂しそうに笑った。


音無は廊下で監視カメラを見つめていた。

ドアがロックされてしまったため部屋には戻れない。

聞こえるかどうかわからないが思わず、大声でカメラに話しかける。

「アリちゃん、どうした。なにか困っているなら言ってくれ。力になりたいんだ。」


アメノサクラヒメの対策機能が自動的に働いたのだろうか。

レイが不法にもぐりこんだカンファレンスルームのスピーカーから音無の声が聞こえてきた。

(ああ、困ってますよ。音無さん。きっとあなただと思っていた。だけどあなたも知らないというのは誤算でした)

聞こえているかどうか分からないが、レイは周りにむかって結論を告げた。

「残念ですが、今日は帰ります。またそのうちにお目にかかるかもしれませんね。」


失意で多少感傷的になっているレイは、みぃ がいつの間にかカンファレンスルームから消えていることに気づいていなかった。

みぃ は自分のスマホを取り出して、さきほどまでレイがやっていたように映像型のマルウェアを起動して停電している暗い廊下を進んでいた。

非常灯のあかりだけを頼りに進む。

共用部分にたどりつく。

早く行動しなければ。

動かなくなったエレベーターには頼れない。

非常階段を見つけて、進む。

レイがよびかけた相手の名前を思い出して、その居室をビル管理会社サーバから検索しようと試みた。

偽名だろうか。結果がでない。

しかたない。

階段を数フロア分のぼって息が切れてきた。

ここまでレイは追ってはこないだろう。

60階以上はすべて居住階のようだ。

映像型マルウェアでフロアの集中管理配線装置の場所を特定する。

電子錠は簡単に開いた。

管理ルームにもぐりこむ。

すごい。このマルウェア。つかえる。

すこしワクワクする自分を感じる。

60階以上の電源と、通信回線をハッキングする。成功。

リセット。

成功。

再起動。

成功。

空調機能がもどってくるのを感じる。

くそっ。

下品だが率直な本音がもれる。

暑いのと走ったり階段を上ったりで喉がカラカラに渇いている。

ビジネスオフィスだったら飲料の自動販売機があるのに、ここにはない。

あぁ、なんか飲みたい!!

むかつく!!


音無は電源回復と同時に部屋に飛び込んできた。

トモキは大丈夫のようだ。

トモキが機転を利かしてスマホに写してくれた映像は、残念ながらエウロパの影響をうけたアバター画像だった。

まずは自室の映像をチェックしたかった。

ターミナルを素早く操作する。

やはりというか先ほどのレイからのメッセージは全部情報が消去されていた。

次にエレベーターログをチェックする。

おそらくこのビルの中間層にあるビジネスオフィスのどこからか、こちらにメッセージを送ってきていたはずだ。

移動にはエレベーターが必須だ。

数基あるエレベーターの動作ログが残っている。1基だけ、100階まであがってきたようだ。

そこから音無のいる108階の最上階には通常の方法ではアクセスできない。

緊急時などには、さらにそれとは別の専用エレベーターであがってくる必要がある。

100階の監視カメラをチェックする。

専用エレベータに近づく者はいない。

次々に画面を切り替える。

(手順に無駄が多い。)

レイのメッセージに音無は混乱していた。

いつも冷静な彼がここまで取り乱すのはめずらしい。

彼女のことか。

レイも彼女を探しているのか。

危険はないのか。

なんなんだ一体。

不安感と焦燥感が判断力を奪う。

そうか。非常階段。

カメラの画像がきりかわる。

100階の非常階段につながるドアの解錠ログをみる。

しまった。そこからか。

ドカンという大きな音がトモキと音無の耳に聞こえた。

自室のドアが解錠され、足で蹴飛ばされた。

荒々しく入室してきた みぃ は目を血走らせてトモキをにらみつける。

「カスミちゃんはっ?!」

トモキは目を見開いたまま首をふる。

「ああぁーーー。なんだってのよ。全くぅ・・・・・」

軽く目を閉じて怒りをこらえるように みぃ は上を向いた。

重々しくトモキに命令する。

「・・・わかった。とりあえず。水!水ちょうだい!!今すぐもってきて!!」

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