第14話 インシデントレスポンス

身振り手振りを交えて感情的に話し続けるトモキの声を聞きながら、音無分析官は、猛烈な勢いでAIに指示をだすためにキーボードを叩いていた。

トモキが持ち込んできた情報は、あまりに特殊で、かつ重要なものだった。

内密に処理する必要がある。

ずっと追いかけていた異常な状態。

そこにつながるなにかの原因。

そしてその理由。

この事件には、その、"何か" がある。

音無は直感的にそれを感じ取っていた。


都心にあるDEAのオフィス。

そのビルの上層階には、高額所得者向けの豪奢な居住階がある。

音無はそこに秘密の住居を確保していた。

どこまでも遠く眺望がひろがる。

無数の明かりが幻想的な夜景になっている。

意外な隠れ家というやつだ。

(薄給の公務員がこんな一等地の高層階に住んでいるとばれたら、査問会行きだな。)

もとより公に使えるような物件ではない。

違法ではないが合法ともいえない手法。

音無がAIであるアメノサクラヒメの予想機能を使ってもうけた金によるものだ。

5年前から、そういったAIを利用した予想行為は一部の研究機関を覗いては禁止されている。

昔のAIと違い、今時のAIは本当に万能の神のようなものだ。

使ってしまえば、人間のコントロールが及ばない状況を招くことが必然と思われた。

その状況を回避するにはAIの利用を禁止する法律を設けるしかなかった。

金儲けは、最も禁止されている行為だ。

例えば、1秒間に何百万回も売り買いをする人間は存在しない。

しかしそういう行為は利益を確保するためのリスクヘッジには最適だ。

瞬間的に相場の動向を見定め、さらにその動向を予想して売買を繰り返せば損失を予防しながら、同時に利益を確保するという離れ業を達成できてしまう。

仮にそういうアクションが発生した場合、そのログが残れば、そのままでは極めて目立ってしまう。

誰がなにをしたのか明白な証拠が大量に残るようなものだ。

そういうことに気づかない欲深で浅慮な人間は、すぐに特定されて逮捕された。

しかし、そういった残しておきたくないログを完璧に抹消するのにも、AIが最適だと気づいた人間には逮捕ではなく別のバラ色の未来がまっていた。

安全で確実な金儲け。

人類の多くが憧れる未来。

日々いそいそと改善される企て。

犯罪者たちの無数の"改善活動"について、音無はインシデントレスポンスチームとして何度も、それを体験し、だれよりもその内容を的確に理解していた。

例えばこういう"改善活動"があった。

一人で1秒で何百万回もの取引はできない。ただし、世界中の人間が同時に行うトランザクション処理回数の合計にそれを偽装すれば当たり前の売り買いの処理に見える。

それにより株価が操作される。

仕組まれた未来における結果がどうなるかがわかっていれば誰でも単純な売買だけで儲けられる。

安く買って高く売る、という単純な動作。

その行為は違法ではないが、事前の違法な仕込みは見逃せない。

音無はそういった仕組まれた違法動作を"検出パターン"としてAIに登録することで、二番煎じの模倣犯を無数に検挙してきたものだ。

ある時、ふとその検出パターンを逆要因としてAIに覚えさせて見るとどうなるかを試してみようと思った。

”やってはいけないこと”をAIに学習させればAIに道徳心が芽生えるような可能性がある。

最初はそういった純粋な実験だった。


かつて自分が在籍した研究室に、その実験につかえるAIがあった。

閉域で動作するAIとして自分もその構築にかかわっていたので間違いはない。

多少気が咎めたが、かつて自分が在籍していた時に、密かに設定しておいた特権IDを利用して、研究室サーバに接続して実験を始めた。

開始する前に、そのAIの設定を再度確認する。解散してしまった研究室のメンバーはだれも使っていないようだ。

なにかメッセージでも残っていないか当時使っていたチャットルームとインスタントメッセージを覗いてみたが、新しいものはまったくなかった。

数年前のログしか残っていない。

何件か当時のメッセージを眺める。

懐かしい。

自分も若く、希望に燃えていた。

数名しかいない選抜されたメンバー。

もちろん彼女もその中の一人だった。

とりとめのない会話。

お決まりの雑談。

そういえば、”なにかあればサーバにリモートアクセスして同窓をしよう”と言っていたのだが、皆、どこでなにをしているのだろう。

感傷にふけるのはそのあたりで中止する。

まずはこのレトロ品がまだ使えるか再チェックしないといけない。

念入りにネットワークとの接続設定を確認する。大丈夫だ。

一番大事なこと。

これが閉域であること。

外部のインターネットや相互接続網には一切リンクされていない。

AIに実験の機能を追加し、簡単な指示を出し、そのあとは自己学習を促して放置しておいた。

ネットワークにはつながっていないので世の中のAIのような加速度的な機械学習はできない。

そのかわりなにがあっても危険性はない。

実験室のサーバの中だけの事象になる。

その学習速度は閉域内のものに限られるため、成長速度もかなり遅いはずだ。

ネットワーク型のAIが大海原で育つ巨大なクジラのようなものとすれば、音無が自室で育てようとしていたAIは養殖の稚魚のようなちっぽけな存在だ。

そう、その筈だった。


DEAの日々の激務とリーダーの嫌みな口調に疲れ果てて安アパートに帰って寝る。そういう味気ない生活が1ヶ月ほど続いたある晩、放置していたモニタにメッセージが表示された。

<こんばんは。私はアメノサクラヒメです。これから、あなたと仲良くしたい>

こちらこそ、よろしく。

赤ん坊のようなキミ。

アメノサクラヒメだって?

どういう意味なのかい?

回答はなかった。

(そうか、閉域だからネット上から検索して答えを類推できないのか。可愛いものだ。)


<入力された監視のルールがわかりません>

なるほど。まずは相場のルールから教える必要があるのか。

閉域だともう少し単純なルールでの思考ルーチンでないと実験も難しいかもしれない。

(まあ、ゆっくりとおしえていくかな)


閉域のAIは限られた情報に基づいた学習しかできない。

せっかくの優秀な頭脳をもっているのに、田舎の図書館で手垢のついた数冊の書籍しか読めない不遇な優等生のようなものだ。


音無は慌てなかった。

田舎の生徒にも良い教育を受ける権利があるように、不遇なAIにも知識を充足させる権利がある。それは俺が教えよう。ゆっくりと。


<その情報の要素が不足しています。>

なるほど。

当たり前のような文脈でも、正確に理解しないとこういう回答になるのか。

俺の知識レベルが試されているようだ。

教えてあげよう。

でも赤ん坊には分かるかな?


不思議な対話が数晩続いた。

なんとなく微笑ましいような光景だった。


<欲しいものは なんですか?>

音無は、AIの問いかけに一瞬躊躇した。

どこの機能がこんな質問を生み出したのか。

よくある悪魔との会話のようだ。

若者が3つの願いをかなえてもらう寓話。

(1番目の願いとして、つまらないものを望んで、それを獲得する。それによって悪魔の力がほんとうだと信じた若者は2番目に大金を望む。あまりの巨額の金におそろしくなった若者が3つめに願うことは”おまえなんか消えちまえ”という内容だったな)

これはネットワークにつながっていない閉域の実験だ。

どんなことをしたってモニタに結果が表示されるだけだ。

つまりは哲学的思考実験のようなもの。

思い切って答えても大丈夫だ。

可能性が拡大するような答え・・・

”キミが僕になにが必要か考えてくれ”

これでどうだ?

そう答えた時には、それが最適な答えだと思っていた。


数日すると急激に変化がおこった。

ネットバンクから大口顧客用の口座開設のお知らせがやってきた。

そこに書かれていた個人情報は間違いなく音無のものだった。

ただしその金額には見覚えがなかった。

最初は間違いだと思い、返金するかどうか迷っているうちに、数日でその金額が9桁を超えた。


<あなたの金銭的可能性を広げました>

なんてことだ。

閉域じゃない。

どういうわけか、アメノサクラヒメはネットワークにつながっていた。

なぜだ?だれが接続した?

あわててターミナルを立ち上げる。

サーバにリモートで入り直して確認。

やはりどこのネットワークにも接続していない。自室のPCを経由した通信でもない。

もう一度、全部設定を見直す。

大丈夫だ。だが、なぜだ?


<あなたの活動利便性が向上しました>

大手リート会社から不動産活用の案内と自分の所有する高級高層マンションの所有通知が届き始めた。

このあたりで、彼は金や資産の管理をすることはやめた。

もしAIが運用をしているのであればその行程と目的を理解するのは不可能だ。

いまだに日々、それらの資産は自動的に蓄積され、投資され、担保に入れられて、なにかのカバレッジにされていて・・・いるはずだ。

理解不能。

無限の可能性を理解することは人間には無理だ。

近頃ではうれしさよりも恐怖すら感じる。

”AIの贈り物”として偶然、獲得したのがこの高層階のマンションだった。

偶然かどうかも分からない。

AIが音無に、なにかを配慮した結果かもしれなかった。

神のような存在のアメノサクラヒメだが、時には彼の姉のような母のような存在といえた。

天上界から見守ってくれる女神からの仕送りというわけだ。


<あなたの権限を拡大しました>

ここ数日、音無は職場であるDEAの調査権限を不正に私的な目的で利用しようとして苦心していた。

自分の異常な状態。

莫大な金や膨大な資産を保有していることは事実だ。

それは多くの自分が捜査してきた犯罪者と同じく”動かぬ証拠”になる可能性が高い。

音無が通常の犯罪者と異なるのは、DEAの分析官という特別な立場にあった。

話は簡単だ。

自分で自分の調査をすればいい。

ダークウェブ上での不正な取引のログを分析すればいいだけだ。

しかし、職場ではなにかと彼と意見のあわない嫌みなリーダーが邪魔だった。

音無の不穏な気配に気づいていたのかもしれなかった。

しかしある日、突然、リーダーは失脚した。

その後任として音無が昇格し、リーダーがもつ更に上位の調査権限を利用することができるようになった。

自分で自分を調査する。

結果がすぐ、手元で確認できる。

なんとも意外だが、やはりという思いもあった。

自分は”シロ”だった。


<あなたの知的好奇心を満たします>

なんのことだ?

俺がどう思っているか類推したのか?

俺の疑問はなんなんだ?


妙なご神託がアメノサクラヒメから示された。音無は数日間、期待しながら緊張して待っていた。

DEAではアメノサクラヒメにアクセスなどはできない。

毎日、機関が正式に採用している強力だが、愛嬌のないAIを使って退屈な調査をするしかない。

自分の存在が、なぜDEAの完璧なシステムに把握されていないのか。

やはりそれが一番の興味のある事項だ。

結局は、アメノサクラヒメに答えを求めるしかない。

そういうわけで、高層マンションから用心深くアメノサクラヒメにアクセスする。

ここは、物理的な防御も完璧だ。

専用のエレベータで地下からしか上層階にはたどりつけないような構造になっており、これまた地下の専用駐車ポートに停めた高級外車からそのまま乗り込むことを徹底している。

高級外車には、音無分析官の個人情報が漏れないような特注の機能が多数実装されている。

政治家や違法組織の幹部などが使う装備だ。

無数の街路の監視カメラを欺くための光学迷彩ガラス。

車自体がもつ独自排熱パターンを偽装する赤外線出力機能。

遮音および逆位相音源による録音防止機能。

見た目は高級外車というだけなのだが、徹底して、この車の持ち主の行動パターンを消しさるように配慮されている。

実際、DEAでこの車の存在を調査しても、まったく検知されることはなかった。

多少、大胆になりつつある自分に音無は少し驚きと感激を覚えた。


<個人情報は安全に保護されています>

トモキをここまで連れてきたことは問題ない。

各階の監視カメラやエレベータの重量センサーなどの記録は残っているだろうが、その点は心配していない。

個人情報をもとにした捜査はありえない。

インターネットの黎明期のような個人情報の残存はありえないのだ。

AIのパワーが世の中を変えていた。

EUの持つ個人情報保護対策のための強力なAIである「エウロパ」の機能でネット上の個人情報は完全に抹消される。

国際会議で締結された決議事項に、日本政府は納得して調印し、その効果はここ数年間安定して発揮されている。

「エウロパ」の削除機能は正確には抹消ではなく、対象となる個人情報が、それぞれ異なる暗号鍵によって完全に暗号化されて二度と復号できないように”凍結”されることを意味している。

文字も、画像も、音も映像も。

なにもかも。

すべての個人情報は瞬時に自動的に凍結してしまう。

『エウロパ』は欧州連合EUが数年前に犯罪者の監視と被害者撲滅に向けて作り上げた超強力な目的特化型のAIだ。

24時間365日無停止サーバが複数の分散拠点から稼働しており、世界上のあらゆるネット上の個人情報をクローリングする。その検知は完璧で凍結ターゲットを見逃すことはなかった。

いわゆる「リベンジポルノ」などの被害者が何年間も苦しみ続けるような矛盾したネット上の構造に対する切り札といえるだろう。

いつもはEUと対立しがちな米国や中国ですら、民衆の怒りの声を無視できず、「エウロパ」の接続を認めている。ロシアや一部の独裁国は未だに接続を認めていないが、それも実質的には無意味なことだった。

「エウロパ」には強力なハッキング機能も許容されている。不穏なネットワークを検知すれば自動で浸食し、凍結の裁きを下していった。犯罪者がどんなに苦労してアンダーグラウンドなサーバに不適切な個人情報(口座、住所、年齢、病歴、ポルノ画像 など)を隠していても一旦ネットワークに接続してしまえば、どこからともなく嗅ぎつけたエウロパの浸食が始まり、数時間でそれらは利用不可能になった。

無数のアンダーグラウンドなネットワークは存在するものの、あと数年でおそらくは自動増殖していく機能と凍結機能が地球上全部に広がっていくはずだ。

(ビル管理用のシステムなど、エウロパの前には裸に等しい)

つまりトモキの画像は個人情報である限り、逆説的だがどんなに記録されても一般人には漏れる可能性はゼロということだ。

もちろん捜査機関などはそういった情報にもアクセスすることができる。

トモキというこの少年から何かを把握するためには、おそらく個人情報を特別に利用できる環境が必要だ。

その場所選定が最も重要だった。

捜査機関ならば個人情報の利用は出来るものの、今回のような調査には向かない。

DEAのオフィスはある意味理想的な牢獄といえる。人間の入室記録や利用したPCなどの機器のログや監視の手順は完璧だった。

調査官が夜間に私的利用が出来るか?

答えはNOだ。

馬鹿馬鹿しいくらい無駄な考えだ。

音無分析官自身が考案し運用しているそれらの防衛マネジメントは、すでに音無の特権をもってしても偽装ができないほど手が混んでいた。

(昔なら、特権IDを一人で持って適当にやっていたものだが、今はそんな時代じゃない)

相互監視の基本ルールが徹底している今の組織では、特権を用いて不正なことをやろうとすればするほど、企みが露見しやすくなっている。

相互チェックと承認が何をするにも事前に必要となっており、利用者識別システムがいつでも動作しているため、手順の無視などという不測事態もありえない。

おまけに相互監視だけでなく、第三者の誰かわからない他の機関のCIOに不正検知ログが瞬間的に送付されてしまうのだ。

いつぞや決まりを無視して携帯電話を持ち込んだ職場のリーダーは、携帯が鳴動した10分後には別室で機器を没収されて全部の情報を吸い取れて解析されてしまっていた。

恥ずかしいプライバシーなんてものはDEAのオフィスに限っては軽視されていた。

(不思議なものだ。昔はどこでも、あんなにいい加減だったのに)

大学の研究室での緩い環境を懐かしんでみたものの、今の管理が厳しいことには変わりはない。

どうにも妙案が浮かばないまま、トモキを高層階の自室に匿うことにしたのだった。


<カラスという組織はAIを使っています>

やはりそうか。

そういうことならば、ルールに則ったゲームができるはずだ。

全くあわている必要はない。

アメノサクラヒメから示された回答を見て、音無はほっと安堵した。

トモキは時計を見ながら問いかける。

もうとっくに1時間は経過してしまっている。

「カスミちゃんは本当に大丈夫なんでしょうね!?」

大丈夫だから、君はシャワーを浴びてさっぱりしてこいと告げたのだが、頑なに、目をキラキラさせて質問をやめない。

興奮気味のトモキからは何度も同じ台詞を聞かされている。

ある程度状況が飲み込めてきた。

彼ら彼女らはおそらく”囮”なのだ。

捜査機関であるDEAか、それとも何かを釣り上げるための活きの良い美味しい餌なのだろう。

カラスという集団にトモキの仲間の女の子が誘拐されているということ。

1時間で戻らないと殺される。という話もトモキから100回は聞かされた。

しかし音無は慌てなかった。

カスミという少女が監禁されているのは本当だろう。

ただ一方で、彼女が殺されるというのはユウと名乗るテロリストのハッタリのはずだ。

拳銃の威嚇射撃は、ウブな青少年には効果があるかもしれない。(実際、いままで全く犯罪歴のないトモキが目を血走らせて、見ず知らずの女性のスマホを窃盗したのだから)

しかし、そういう多少わざとらしい威嚇行為と青臭い感情を抜きにして理論的に考えるならば、それはユウたちの利益に矛盾していた。

ユウたちがAIを利用しているのならば、なおさら無駄な非合理なことは絶対にしない。

つまりこの状態が続く限り殺人は発生しないということだ。

音無は、いつも理論的に考える癖がついているため、こういう時こそ逆に落ち着いてしまう。

おそらくトモキにはそのあたりが冷たく見えているだろうとも分かっている。

しかし、だ。

ユウと名乗る若者は、トモキのイメージしているような粗暴犯ではないだろう。

暴力的な相手ならば話は簡単だ。

DEAから警察に連携を申請すれば強制捜査や強制排除もすぐ出来る。

しかし相手は知能犯だ。

知能犯は証拠を残さない。

それだけに単純な対応は難しい。

怪我をしたといっても、トモキが殴られたのはスマホを盗まれた女性の彼氏によるもので、よくよく考えると、彼の動機としての監禁事件の裏付けも一切ない。

状況証拠すらないのだ。

警察に連絡したとしても、高校生の妄想と一笑に付されても仕方がない。

しかし別の観点からするとトモキの話に登場するユウという男の行動は合理的ともいえた。

これはカンにすぎないが、ユウという男は、どうもカメ型ロボットの本当の活用方法に気づいているような気がする。

「キミがあのIPアドレスを打ち込んでから、誰か接触してこなかったか?」

トモキが殴られたカフェの2階のカメラ画像を自室のPCで何度も分析する。

音無が捜査するターミナルとツール類は、DEAの正規の手順ではない。

彼だけのAIであるアメノサクラヒメの力を使って、いろいろなサーバに侵入し、瞬間的にその履歴を抹消しながら分析しているのだ。

なぜ閉域であるべきAIがネットワークにつながっているのかは未だに不明だが、信頼して使える武器は、アメノサクラヒメだけなのだ。

アメノサクラヒメは想像以上に飲み込みがはやい。汎用型思考AIのはずなのだが、捜査専用AIのような細やかな偽装をごく自然に適用してくれている。

回線とアクセス経路も、セッションごとに変えているようだ。

不正侵入する際もIotのデフォルトエラーの脆弱性をついた権限奪取で実行している。あえて無能なボットを演じている。

人間ではできない複雑で面倒な作業もAIならば、こちらの意図を汲んでくれるかのように自然にやってのける。

(さすが私の神だ)

あとで警察やログ解析の専門家が見たとしても、何があったか記録もないし、記録抹消のログもない。

行動パターンや顔認識をかけようとしたが、「エウロパ」の凍結が邪魔をする。

いつもは心強いその機能にいらつきを覚える。時間があればアメノサクラヒメで解凍を試みてもいいが、さすがにエウロパの強力さには勝てそうもない。

(EUの邪神め・・・)

行動パターンすら欧州の意識の高い市民たちは個人情報といって絶対にゆずらない。

そういう頑なな線引きがあるため、せっかくトモキから入手した ユウ を特定するための要因検索ができないのだ。

(だめだ。ユウという男の線からの調査には時間が足りなさすぎる)

優先順位を決めるしかない。

なにをするか、なにをしないのか。

それを決断することが一番大事だ。

音無は分析官としての経験に自信をもっていた。

次に信頼できるものは自分のこれまでの分析結果だ。

神とまではいえないが公的機関のAIはまさに理想的な公僕なのである。

その不眠不休の活動の成果は信頼できる。

リーダーに昇格した音無は、自分自身のログを検索するうちに、次第にその興味をアンダーグラウンドの存在有無に移していった。

(ほかに俺のような存在がいるのではないだろうか?)

自分がダークウェブ上で”死人”になっているのを確認した音無だが、それはなにかの幸運が重なった結果だと結論づけた。

仮に誰かが自分自身の存在を人為的に隠そうとするのであれば、なにかの動作が痕跡として残るはずだ。その隠匿の痕跡を見つけることで自分自身の”ラッキー”を再確認することができる。

それと同時に、新たな不審者を発見するというDEA本来の業務にも役に立つはずだ。

そう。これは世の中のためなのだ。

彼はそういう自己欺瞞で自分の行為の正当性を自分に言い聞かせながら、日々、職場で”業務”にかつてない情熱を傾け続けた。

毎日毎日、複雑で多面的な分析をAIは飽きもせず日々忠実に実行し結果を表示した。

結論はいつも同じ。

闇の存在などはいない。

理由は簡単だ。

捜査用のAIという、まばゆい光源が、隅々まで照らしているからだ。

闇など存在できる余地はない。

すべての情報は、DEAがもつAIが自動処理しており、必要とあらば瞬間的に属性を複数かけあわせて検索・抽出できた。

個人情報にも合法的にアクセスできるため、だれが、どこにいるのかはすぐに判明するようになっていた。

例えば、トモキが混乱して話をしてくれた断片的な情報だけでも、”カラスの巣”の場所は瞬間的に特定できるはずなのだ。

略奪行為、地下室での発砲行為、癖のある態度 などなど。

しかも、ユウ という男は、そんな情報を与えているにも関わらず、トモキをビルの外に出したという。

逆説的だが、答えは明白だった。

彼らはなんらかの方法でDEAなどの公的機関の監視網をくぐり抜けているのだ。

そしてその偽装に自信があるらしい。

DEAでの過去の捜査結果を思い出してみるがそんなテロリストには見覚えがなかった。

(このところのDEAでの捜査は完璧だった。ミスはなかった。しかし実際には存在しているのだ。なぜかというと・・・)

それには一つの仮説が当てはまる。

音無が個人的に運営しているような不正なAIを、彼らもまた、使っているに違いない。

アメノサクラヒメの能力が勝るか、彼らの不正AIが勝るのかは正直わからない。ただし、ここから先の検索や対応には、正規の機関のAIでは対応が不可能なのだ。

あかるい光が照らし出すことの限界。

限界はあった。

公僕は常に正しいことが求められる。

それが強みであり弱みでもある。

つまりこういうことだ。

ひとつでも検索や分析をする段階において違法となる要因があれば正規の機関のAIは調査機能を緊急停止する。

司法AIは厳粛で全く融通がきかない。

捜査官たちからつけられた蔑称が”イシアタマ”なのは言い得て妙だった。

信号無視もダメ。

無断録音もダメ。

個人を特定する検索もダメ。

そういう行為につながる予備検索もダメ。

なにもかも ダメ、ダメ、ダメ。

法律がテクノロジーの進歩に追いついていないのだ。

1世紀ほども時代が違う気がする。

そんな上品なことでは何もできない。

”カラス”というテロリストがAIの目を欺くために偽装した、隠匿のつなぎ目がきっとどこかにある。それは間違いない。

それを探して仮説を構築し、AIで検索を繰り返して実証すればいい。

それは間違いのない手段なのだが、違法になる可能性が高い。結局は実施できない。

では次の方法だ。

ネットワークにつながっていない知恵を使うしかない。

つまりは古くからある方法。

自前の頭脳をフル回転させるのだ。

ここまでの内容を冷静に整理してみよう。

カスミをいきなり救出するのは無謀だ。

また人命の危機といった緊急性はないはずだ。

(おそらくトモキとの集合場所にカラスを連れてきたのはカスミ本人だろう)

トモキがショックを受けないようにその話はしていないが、間違いないと思った。

次の課題。

では、 みぃ という少女を救うには?

その方法はもっと簡単だ。

今まさに、音無が着手していること。

DEAで検出していた3つの赤い点のひとつがリアルに目の前にいるのだ。

異常な結果として示された赤い点。

本来ならば存在しない予想結果。

なにがあったのか1つは分かった。

トモキが公園でカラスというテロリストに襲われた事件。

トモキと対面で会話をすることでネット上にはない貴重な情報がどんどん増えていく。

手がかりが無数にあるようなものだ。

のこりの2つの点は、カスミと みぃ という少女だという。

<氏名・愛称・学校・制服・口調・趣味>

そういった情報を入力していく。

<購入履歴・電子マネー・交通機関>

あっという間に対象が確定する。

<食品・歩行パターン・声・トラブル>

どこにいるのか、なにをしているのか。

アメノサクラヒメは瞬時に答えをたたき出す。これだ。この感覚。

正規の捜査では味わえない興奮がある。

そして次は解決にむけた手順の優先順位だ。

なんとしても3人を確保して分析をすることが今の目的だ。

3人から話が聞ければきっと、この騒ぎを起こした犯人に近づけるはずだ。

おそらくだが、カスミはユウと居る限り、逆に安心だ。

危険なのは みぃ という少女だ。

本人は気づいていないのかもしれないが、完全に”囮”にされているのだ。

レイという男には面識はないが、この数日、音無が追いかけていた不正なセッションフィクセーションの張本人だと考えるのが最も自然だな結論だった。

なぜ、無理やり衝撃的なイベントを起こそうとしているのかは分からないが、そういうことを企むことが、まず許せない。

この少年たちが”カラスに殺される”なんて目に合うなんてことがあっていい訳がない。

(AIを使って扇情的なイベントを強制発生させているに違いない)

音無の本来の正義感が蘇る。

こういう手合いは許しておけない。

絶対に、白日の元に引きずり出してやる。

覚悟が決まった。

音無の指示動作に一切の無駄がなくなる。

「みぃ という子の特定が出来た。どういうレコメンドなら興味を持つか分かるか?」

トモキは間髪いれず答える。

「高額のバイト!」

アメノサクラヒメが音声を認識して、瞬間的に みぃ のスマホにハッキングをかける。

瞬間的に作成されたマルウェアがバックドアから送り込まれる。

ーアクセス成功

ー侵入成功

ー偽装完了

ー通話記録開始

ーメール等記録開始

ー位置情報の暗号送信

ー周囲の盗聴開始

1秒もかからず画面に結論が出た。

「こいつが、レイ?」

トモキが画面をのぞき込む。

レイの顔が映っている。

多少いまより若くて幼い印象だ。

角度を変えて望遠で盗撮したような画像に変わる。

白衣を着て、どこかの実験室のようだ。


<利害関係者のため一旦停止します>

アメノサクラヒメの警告メッセージが画像を隠すように大きくテロップインしてくる。

しかし、高速のAIの分析とその結果がすでに画面に映ってしまっている。

人間なら、そういう結果を導き出してもノートPCをパタンと畳むか、または誤魔化して話題を変えたり出来るだろう。

必要な嘘というやつだ。

AIにはそんな矛盾する機能はない。

表示が瞬時に実行される。

音無の後ろからトモキがのぞき込む。

見えたものは1枚の画像。

レイの横に、もうひとりの白衣を着た男。

音無一郎の若き日の顔がはっきり映っていた。

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